発表論文・随想
〜信雪発表論文・随想〜
Believe In Snow

論文

『黄表紙考』1996/ 3 香寺高校研究紀要
『国語教育における古典芸能の可能性』〜雅楽演者としての試み〜1997/ 11 西播国語第27号
『雅楽と私』随想2000/5 兵庫教育5月号発行

その他コメント類

『ちくま』1999本の紹介

『雅楽と私』随想 2000/5 兵庫教育5月号より

私には教職とは別にもう一つの顔があります。それは、楽人(がくじん)です。雅楽(ががく)の伝承に携わる人のことを言います。西暦1000年ごろから雅楽の伝統を受け継いでいる奈良の南都楽所(なんとがくそ)の楽師補(がくしほ)として伝統行事や国内外からの要請にこたえて、公演などに出演しています。笛に息を落とし始めてから、十数年しか経っていませんので、まだまだ学ばなけれならないことがあります。こういう世界に、たぶんゴールはないんだろうなと思います。
 雅楽というのは千数百年前から伝承されている音楽舞踊、伝統芸能です。音楽としては結婚式の時によく演奏される越殿楽などを耳にされたことがあるかもしれません。私の専門は横笛で、龍笛(りゅうてき)、高麗(こま)笛(ぶえ)、神楽笛(かぐらぶえ)を吹きます。絃楽器は楽琵琶(がくびわ)です。他に、舞を舞います。舞楽は伝来によって中国大陸から伝えられた赤系の装束をつけて舞う唐楽(とうがく)(左方(さほう))と朝鮮半島、渤海(ぼっかい)などから伝わった緑系の装束をつけて舞う高麗楽(こまがく)(右方(うほう))に分かれていて、私の場合は左方の舞人(まいびと)です。こんなふうに雅楽の場合、管楽器の中から一つ、絃楽器のうちから一つ、舞は右方か左方に決めて、一生その楽器や舞を続けます。「東遊(あずまあそび)」などで伴奏の歌を付ける(うたう)こともあります。能や歌舞伎といった伝統芸能よりも古いもので、『枕草子』や『源氏物語』の時代にもっとも盛んに演じられた芸能です。
 最近はホールでの演奏も増えてきましたが、もともと雅楽は屋外での演奏が多く、舞台もさまざまです。私たちがもっとも大事にしている奈良の「おん祭り」という冬の伝統行事で使われる芝の舞台は、芝居という言葉の語源になった場所です。装束から長く引いた裾(きょ)が芝に引っかかって「裾さばき」が非常に難しい舞台の一つです。それでも、屋外での舞立ちは大変気持ちのいいものです。篝火(かがりび)の中、袖を翻して、芝を踏みしめながら、篝(かがり)からあがる煙の中、夜中まで舞い続けます。
 舞の手で、手を夜空の方向に指したときに星があまりにきれいだということに気付いたり、楽の音に鹿の鳴き声が混ざって聞こえたりと、古(いにしえ)の人と気分を同じくして舞うことができます。緊張感の張り詰めた舞台をいい意味で、おおらかな自然が包み込んでくれます。見に来られた人は「千年前にも同じ場所で演じられていたことを思うと、寒いのを忘れて見入ってしまった」と言います。
 華やかな衣装を身にまとって舞台で舞ったり、演奏したりするわけですが、これらの伝承のかげには、厳しい稽古があります。また、テクニックとして舞や笛を身につけるだけでなく、精神的なものが舞の手(て)(舞ぶり)や音色に影響するために、演じる精神も先人から感じとらなければなりません。雅楽の場合、複雑な装束などを着付ける衣紋方(えもんかた)も楽人自身がするため、作法なども含めた有職(ゆうそく)故実(こじつ)の知識も必要となります。
 雅楽の価値の一つは生きた文化そのままの伝承である点だと思います。楽器、装束、舞楽面がそのまま保存されたことも驚きですが、その音楽や舞を伝えていくのは、やはり人です。舞台で演じられた舞や楽の音は、その場を去れば、そこからは消えてしまいます。人が舞い、奏で、伝えていくことで存在します。世界的に見ても、芸能としての雅楽の伝承の長さは奇跡的と言えます。舞うこと、楽を奏でることを通じて、伝えてきた先人の思いをたどり、そこに普遍的な精神を見出すことができるような気がします。
 学校で国語や音楽の先生だけでなく、特に英語の先生方から雅楽についての質問を受けることがよくあります。外国人に接することの多い英語の先生は日本の文化についての質問をよく受けるというのです。私も、海外での公演のたびに驚くほど反響があるのを思い出します。イタリアのオペラ劇場での公演のあとで見にいらしたある現地の人が、「自分の国の音楽では無音はストップでしかないが、雅楽にある無音は何か意味があるように感じた。」と言っておられました。「間(ま)」を感じ取っておられた鋭い感覚の人ですが、自国のものと比べてその違いをお互いに認め合う。これが国際理解なんだと思いました。そのためには、自分の国の文化をよく知るということが大切なんだとも実感しました。
 人と人とのふれあいの中で連綿と静かに受け継がれていくもの、そんな雅楽に私は魅せられて、これからも楽を奏で、舞い続けていきます。