・うちの近くに200mちょっとの山がある。元日の朝には初日の出を拝むために登山することにしている。登り始めると少し雨が降ってきた。どうしようか迷ったけれど雲間から星が見えていたので歩き始めた。ちょうど進む方角の樹間にでている北斗七星が登っている山に若水をかけている。登頂した時には雨はやんでいて、真っ暗だったけれど東の空が徐々に明るくなって きた。遠く東の方の山すそに池があるのが見える。厚い雲の間から濃いダイダイ色のお陽さまが顔をだした。太陽ってあったかい。今年もみなさんにとってよい年になりますように。2014年1月上旬
・お正月は桜の木と梅の木を燃やすことにした。桜はすぐに燃えてしまうが、火付きがよく、梅は火はつきにくいが、ほんのりと梅の木独特の香りがする。乾燥の具合にもよるけれど、木の種類によって燃え方もずいぶん違う。その時の気分や、用途に合わせて燃やす気の種類を変えるのは面白い。そして、薪をストーブに入れながら、それを切って、割った時の事を思い出す。2012年平成24年1月上旬
・「今年は環境の変化が大きかったのですが、まわりの方々のおかげで何とか乗り切ることができました。感謝いたします。皆様にとって一年はどうでしたか。よいお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いします。12月下旬
・大晦日の朝は良く冷えている。薪ストーブでかしの木を燃やしたが、間に合わないので、クヌギをたした。かしの木を燃やした時の煙突内温度は100℃くらいと低めだが、格段に長持ちする。クヌギは一気に300℃くらいまで上げてくれるし、やわらかい熱を効率よく出してくれて、炎はゆったいと優雅だ。12月下旬
・朝からボンがばんざーいといいながら走っている。この冬、初めての雪、平成23年12月26日。例年よりずいぶん遅かった。12月下旬
・今年の記号。残月・・・・・・千種川・忠臣蔵・義士・塩・球場・妖怪人間・牡蠣おこ・別願・星空の芝舞台・だ太鼓・伐木・薪・待つということ・本当のやさしさ・伝えようとする心・巻きこむ、巻き込まれる力・プラス故郷の明石・幼稚園と小学校の運動会・播磨の西の果て・・・・・・潮路12月下旬
・今年もおん祭は晴天に恵まれ、星空の芝舞台で萬歳楽と賀殿を舞わせていただくことができました。左の舞の散手(さんじゅ)という曲で、私自身、だ太鼓で諸撥三度拍子(もろばちさんどびょうし)を打ったのははじめてだった。17、18日が土、日曜日ということもあって、たくさんの方が見に来られていた。12月中旬
・今晩から冷え込んできた。あったかいなあと思っていても、おん祭にはしっかり寒くなる。24回目のおん祭。使いこなせないスマートフォンの天気予報に17日の朝1時間、雪のマークが一つ。12月中旬
・「今年の冬もお世話になります。火の神様。」ストーブ2年目のシーズン火入れ。お宅のサンタクロースは煙突を通って入ってこられるのでいいなあと言われる。ただし、かっぷくにいいサンタさんが多くいらっしゃるために、細い筒状の煙突からそのまま入ってくることはできない。ましてや、気密性の高い最近の他のお宅では隙間もすくなく、換気口くらいしかない。しかし、憂(うれ)うる事無かれ、サンタはドラえもんのスモールライトのような技を体得しておられて、トナカイを屋根の上1メートルくらいの上空に待機させておき、そこからそれぞれの家の隙間を見つけてすっと入り、ボンッと部屋でもとの大きさになり、プレゼントをおいてくださるのだ。だから、24日の晩も薪ストーブは燃えていても大丈夫なのだ。再びシュッと小さくなって屋根の上に出てボンッと大きくなる。サンタさん、太陽電池パネルで足を滑らさないでね。サンタクローズは心から信じている人にだけやってきます。12月上旬
・萌芽更新したナンキンハゼの木の脇から芽がたくさん出ていた。少し安心した。今年も薪ストーブの季節がやってきた。今年は、忙しい春から夏にかけて、合間にすこしずつ切って割った薪がだいぶたまっ た。乾燥は大丈夫かなあ。11月下旬
・木は「キキッ」という声を出して倒れる。公園の木を切るのを頼まれた。「公園の見通しが悪くなったし、虫がくる。落ち葉が隣家にとぶ。それで、切ってほしい」ということだった。緑があった方がいいと思っている人もいたし、僕自身もそう思っている。でも 切ることになった。カシ、ナラの細い木は根元で切り、ナンキンハゼは萌芽更新として胸高で切って残した。このナンキンハゼの木は僕が小学校の時に校庭の木の実を持ちかえり、 庭で芽吹いたものを父と植樹したものだ。チェーンソーを 使ったが、思った以上に粘りのあってなかなか切れない木だった。節くれだっていたので余計に切りにくかったのかもしれない。やがてどさっと倒れる。どんな木を切るときも心が痛む。複雑な心境で、 気持ちの整理がつかなくなることがある。まだ木の事がよくわかっていないからもあるだろうが、今回の伐木は自分が植えた木なので特にそわそわする気が強かった。10月上旬
・姫路の水族館に行くことができた。モノレールがそのまま展示してあった。幼いころにのったことはあるらしいが記憶は曖昧である。珍しい魚ではなく地元の播磨の魚を集めてい るのがいい。レンガ造りのお城のような姫路博覧会の塔は小さい時に行った記憶がある。アーチをくぐって、細い階段を上がってあり下りたりして遊んだ記憶がある。フウが行きたいと言ったので行ってみた。小さなアーチをくぐると姫路の町並みが広がっていた。モノレールがとびとびにみえた。お城は覆い屋がかぶさっている。大劇の映画館のサーモン色のビルも見える。水族館に行ったというより昭和の40年代にタイムスリップしたようなそんなに作りこんでいない懐かしい場所だった。幾分感傷的になりながら手柄山を下りてバス停までいった。文化センターで公演があったらしく 姜尚中(かんさんじゅん)さんに出会った。姫路の街についてはまたの機会に書きます。9月下旬
・残暑お見舞い申し上げます。まだまだ暑いけれど立秋が過ぎた。いつの間にか夏が終わりに向かっている。事情があって今年は今まで縁の薄かった球場に立つことが多い。例年になく日焼けをしている。それから、職場が明石から赤穂へと変わった。10年以上勤めたし、とっても好きな場所だった。新しい舞台では、目の前の事をただがむしゃらにやっているだけで、まだ慣れないけれど、ぼちぼちやっていきます。あついあつい夏。みなさんもご自愛ください。
残月の空つながりし潮路かな 信雪
8月中旬
・梶の木(カジノキ)の花が咲いた。集合花で、つぼみは黒く、咲くと緑色になる。良く見ないとわからない小さな控えめな花だ。葉は切れ込みのある不思議な形をしている。七夕に昔は和歌を葉に描いたそうだ。玄関先のシンボルツリーとして2回目の春を迎えた。株もとのハーブもよく繁り始めた。ローマンカモミール、オレガノ、コモンセージ、4種のクローバー、ゴールデンタイム、レモンタイム、レースラベンダーなど。すこしずつハーブ園を復活させようかな。5月上旬
・龍野に戻ってから一年が過ぎた。今年の桜は遅い。薪ストーブにしてから木を見る習慣がついた。今年の桜の木は少し元気がないのが多い。つぼみはあるけれど少し線が細い。ハチキタの高原に仕事で向かったが雪がまだだいぶ残っている/4月上旬
・東日本大震災により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。わずかながら何かできないかと少しは模索しているのだけれども、そんなに大きな直接的なことはできません。ただ、自分も一生懸命生きようと思います。/4月上旬
・夏は「何に使うんですか。」冬になって、道行く人に、「ずいぶんなくなりましたね。」と言われる。それもそのはず、家の周りに積み上げていた東側と西側の薪がみるみるなくなってしまったからだ。薪の温かさは格別だ。体が芯から温まる。部屋の中は20〜30度。気密の高い、ツーバイシックスの住宅と薪ストーブの相性も良かったみたい。薪ストーブで全室暖房できる。2月上旬
・三十日(みそか)は朝から牡丹雪(ぼたんゆき)が空からひらひら落ちてきた。朝の気温マイナス2℃。薪をバンバン燃やす。室温22℃。正月の準備など。12月下旬
・今日は朝から近くの山に正月飾りに使うウラジロをとりに行く。小さいころ探検して回った記憶を頼りに、昔あった場所を歩く。結構がけになっているところに生えていることが多い。日当たりのいい斜面に大きく成長した裏白があった。大きすぎるものばかりだったが、鏡モチに使う小ぶりのものを探していただいて帰る。笹の葉っぱもおせちの飾りに使うので摘んで帰った。午後は冷たい雨が降った。昼ごろ餅つき。夜は明石で忘年会。12月下旬
・千日前道具屋筋に野菜の抜き型を探しに行く。2軒目のお店にお目当ての羽子板の形をした抜き型を見つける。さすが道具屋筋だ。形によって値段が様々。大きさが小さい方が細工が難しいために値段が高い。おせち用の和風の抜き型はなかなか売っていないのだ。店のおっちゃんとひとしきり話をしてから店を出た。12月下旬
・いつの間にか寒くなって、いつの間にか年の暮れになっていた。今年のおん祭、暁祭(あかつきさい)の冷え込みは相当なものだった。夜も更けて御旅所祭の前夜のお祭りが終わるころには旧右方楽座の後ろの大きな木のシルエットの向こうに赤くなった上弦の月が沈んでいった。23年目のご奉仕も無事に終了。おん祭で蘭陵王を舞わせていただく。足元に広がる暗闇、無限に広がる芝舞台は広くて大きくて、暗い海のよう。指した手の先には深い森を感じる。暗い濃紺の夜空の半球の直径も果てしない。自然がものすごい力でせまってくる。面をつけた状態ではほとんど見えないが、感覚を頼りに体が動いている。見守られている のとは少し違う感覚。信仰心の薄い楽人が舞っていて確実に感じるのは、そこに確かに若宮の神様がいらっしゃって、厳しい顔をしたり、目を細めたり、ほほ笑んだり、おこったりしながら見てくださっているということ。 南都の芸能好きの春日若宮様は厳しくやさしい神様。12/26
・おん祭が明日から始まる。12月5日の奈良でのおん祭の総稽古の時はそれほど感じなかったが、今はずいぶん寒い。今日は龍野で最後の練習。薪ストーブの薪を控えめにして、舞の練習を終えた。12/15
・いきなり冷えてきた。龍野にもどって初めての冬。薪ストーブは順調に稼働している。ずいぶんあったかい。熱すぎるぐらい。薪は買ったり、もらったり、石油ストーブより燃料費は安い。木はCO2をとりこんで成長している。そのまま、腐ってしまっても、ごみとして燃やされてもCO2はどっちみち地球に戻っていく。だから木を燃やして暖をとることは環境にやさしい。なにより、火を見ていると落ち着く。12月上旬
・弁当箱をもらう。杉わっぱの二段ので、名前を焼き印してくれていた。杉はやわらかくはだざわりがよい。それから、芋焼酎の「おはら」ももらった。前から探していた本坊酒造ので、たのしみ。フウはお手紙と鉄棒をしている絵と鶴の折り紙、ボンからはお手紙と登り棒をしている絵をもらった。11月
・11月29日車のフロントガラスが今年初めて凍った。11月
・落ち葉を集めてたい肥作り、うまくできるのか。兎に角たくさん集めて畑に積み上げる。春に積み上げた雑草は下の方はたい肥化していたので土に混ぜ込んだ。まきストーブの灰も混ぜ込んで完全に自然たい肥を使ってみようとしている11月
・セキュリティーのため記載日を月のみの表記にします。
・左方の還城楽を舞わせていただく。春日大社の林檎の庭。体力と集中力が必要な舞。繰り返しの手が出てくるが複雑な組み合わせと長大な編成の曲で、見ていて面白い曲だが覚えるのも舞うのはなかなかに難しい。練習用にホースで作ったダミーの蛇を睨みつける日が続いた。仕事がとても忙しい時でもあった。忙しい時というのは本当に物事が重なるものだ。神様はこれでもかこれでもかと試練をお与えになる。課題もたくさん見つかって、師匠にも迷惑かけながらも何とかたどり着いた時感じたのは、周りに対する大きな感謝とほんの少しの自信だった。次はおん祭り。11/6
・2010年平成22年7月よりホームページアドレス変更しました。
・今年の連休の奈良はすごい人。稽古のためにいこうとした春日大社になかなかたどりつかなかった。阪神淡路大震災の時にまだ傷跡が残り、高速道路が復旧していない時、神戸の街を抜けて行った時よりも時間がかかっている。明日、奈良へお越しの方は車はおすすめできません。5/4
・3/16に家が出来上がって、引越してからばたばたと1ヶ月半。ようやく片付いてきた。お家の見どころ。薪ストーブ。吹き抜け勾配天井。5.4kw大容量太陽電池パネル。雨水貯水ウイスキー樽。全館空気清浄システム。ストレートストリップの木製階段。格子戸。青壁、畳の部屋の海の間。2F のお風呂。ちょっとやりすぎちゃった。5/3
・卒業の季節、生徒たちからあったかい贈り物をたくさんもらった。一言では言えないけれど、それは3年間一緒にいろんなことをやったということであり、本当にあったかいものだ。3/10
・昨年のおん祭はよく晴れていて本当に寒くて、僕たちが思うおん祭(まつり)らしいおん祭だった。笛を吹く指がかじかんでしまうぐらいの寒さ。そんな中で何時間も笛を吹き、舞を舞う。薪がぱちぱちと燃え、煙は星空に吸い込まれていく。毎年、毎年のことなのにこれがないと南都楽人は年を越せない。そんなこんなで年が明けて今年も舞楽始式(ぶがくはじめしき)がはじまる。1/10
・最近炭酸系の飲み物が夜になると飲みたくなる。しかし、冷蔵庫にはあいにくパイナップルジュースとビールぐらいしかない。その夜はパイン味のビールを飲んでいた。混ぜたということです。早くも寒い冬に飽きてきたころだったたで、何か夏を思わせるパインビールがただ寒いだけの夜を夏の終わりの夜あたりまでもって行ってくれた。1/8
・冬の夕焼けは透き通っている。温度も湿度も低くて、明るく薄いオレンジが白く透明感のある光をバックライトにしてくっきりと漂う。その前に大きなユリの木の樹勢が空の青暗い部分まで伸びている。これが冬の夕焼けだ。1/7
・ 凍てつく空気、春日の参道を新月の星空の中、昴(すばる)に向かって進む。寒さで笛を持つ指の表面の感覚がなくなってくるが、この寒さとともに20年以上前のおん祭を初めて経験したころの感覚 がよみがえる。おん祭がはじまって冬が深まる。兵庫県に戻ったころには本当の冬がはじまっていた。12/21
・9月、虫の音すだく夜が大分涼しくなった。今朝は曇り、小雨がパラパラ。薪にシートを掛ける。夏を振り返る。6月、明石で6年ぶりに蘭陵王を舞わせていただく。7月、長梅雨、新築予定の家の間取りがほぼ決まる。8月薪割りのコツがつかめてきた。8月末に棟上げ。9/12
・ 菖蒲の節句は雨。館内で舞う。打毬楽は古人が飛火野で行った打毬(うちまり)に由来する。舞楽はやはり屋外がいい。雨がさらに降り、森の香りを一層濃くしながら、せまってきた。5/5
・薪ストーブでお世話になる店で、斧を見つくろってもらう。ハスクバーナというスウェーデン製の斧。姿も美しく手作りで、大きな薪も割れるということで進めてもらった。なかなかなれないので難しいが、一発で割れた時は爽快だ。5/1
・ユリの木、ケヤキ、落葉松、公孫樹(イチョウ)、黄緑の淡い色の新芽が風になびいている。4/23
・あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。1/12南都楽所の舞楽始式の演目は13時から春日大社林檎の庭で振鉾三節 萬歳楽 地久 散手 長慶子です。2009平成21年 1/3

・今年のおん祭は本来の屋根なしの芝舞台だった。全体として平成初期までの古儀のおん祭の雨儀の形態 となった。懐かしく感じた。ここからは記録。遷幸は、曇時々小雨の中、決行。暁祭は、遷幸の行列がお旅所に差し掛かる手前で小雨から本降りに変わる。だ太鼓右方カバーをかけたが、撥面のみだして 「儲け(迎)の太鼓」を打つ。雨が強まり、献饌は傘で行う。 神楽は幄舎(あくしゃ)の半分で行う。 献饌撤饌の楽は荷太鼓使用。お渡りは、晴儀で行うが途中小雨が降ったときのみ傘を日の使、陪従、十列児にさしかける。お旅所祭は、献饌の十天楽は雨のため、荷太鼓 。細男まで芝舞台で傘を差しかけて行う。東遊は晴儀。猿楽より本降りのため幄舎で、振鉾二節、平舞は片舞とする。走舞、蘭陵王から雨が上がったために、再び芝舞台で、ここから 、だ太鼓使用。遷幸まであとは、雨は降らず、晴儀で行う。全体的に暖かかった。12/19
・年の暮れに向かう。木々の紅葉が冬の嵐でだいぶと散っていった。12/5
・万葉植物園での南都楽所の舞楽公演は雨が心配されたために室内となった。前回から2回連続室内なので、本来の池の舞台でもやりたいなあ。お客さんは年々増えて、最近は着物で来られる方が増えたように思う。 どの方も熱心に見ておられて、前回からの雨儀の舞台は客席がかなり近い。甘州はやはり好きな舞だ。11/4
・トマトとなすが、まだ生っている。トマトは甘いルビーノ種と調理用の長細いルンゴ、8月に切り戻したので秋茄子、ししとうが夏より辛いものが少なくなった。レモングラスをつるして乾燥させ、敷き藁のかわりとする。いろんないろのカラフルファイブというはつか大根に不絹布をかけると上手く育った。夏から秋にかけて収穫はフウとボンの係り。少しずつだけど収穫が楽しかったね。11/1
・映画マジックアワーと夕景/神戸国際展示場でグーチョコランタン/ゲゲゲの鬼太郎の色彩/フウが集めた蝉の抜け殻/ビデオ三丁目の夕日昭和40年代/ポニョの魚たちとそうすけのバケツ/久美浜の海は波が高かったが、思ったより遠浅、ボン波を怖がる/刺激的な演劇を見た『五右衛門ロック』のヘヴィメタ 2008夏
・ようやく7月が終わる。外気温は明石39度まであがった。ひときわ暑い夏だ。夏休みに入ってから、面談に補習など忙しかった。激しい夕立が2日続けて降った。7/29
・蛍が帰ってきた。龍野の実家の家の近くを流れる小川まで歩いていった。乱舞といっていいだろう。黄色の光の筋が行きかっている。小さな橋の上に立つと、手を伸ばせば掌に簡単に乗せることが出来る。光るものが好きなボンも「ホタル、ホタル」と喜んでいた。蛍の幼虫のえさになる巻貝のカワニナもたくさんいるし、水もずいぶんきれいになったからだろう。6/2
・大阪フェスティバルホールで宮内庁式部職楽部の公演があった。このホールは、再開発のため、なくなるらしい。近くの地下街の店もしまっている。舞楽を演じることはあっても、ゆっくりと鑑賞させてもらうことは少ない。 輪台(りんだい)と青海波(せいがいは)という珍しい曲だった。輪台の4人の舞人から青海波の2人の舞人へ移り変わるところの構成はすごかった。 また、納曾利も南都のものとは違っていておもしろかった。それにしても雨がよく降る。5/24
・男は、どことなく、お母(おかん)っぽいところがある。学生時代、部屋にきた先輩にインスタントラーメンを作ったときのこと。冷蔵庫にあった野菜を入れた。それが、その先輩はそのまま何も入っていないのを食べたかったらしく、お母みたいやと何度も言っていた。野菜を摂らないといけないと栄養士だった母はいつもいっていた。そのおかげか何か、今は野菜が好きだ。とういうより、野菜を摂らないといけないという強迫観念に近かった。そして、年がいってから本当に、野菜が好きになってきた。学生時代に作った料理に「鶏徳(けいとく)」というのがある。勝手に雅楽の曲名をつけたものだが、鶏のもも肉をスコッチウイスキーにつけてピーマンといっしょに、塩、胡椒でいためる。けっこう当時は評判がよかったが20年近く食べていないなあ。5/20
・蕨を重曹で湯がいたのが、弁当にも入っていた。鰹節としょう油で和えたもの。とてもおいしい。初夏の花粉で鼻がむずむずするけれど、蕨取りに行ってよかった。フウもボンも保育園で先生に報告したんだろうなあ。夕刻雨が降りそうな気配。ぽつぽつと雨が落ち始めた。
5/19
・岬の山の頂から、つらつらと道が海に向かって下りている。蕨(わらび)を採りながらずいぶん下のほうまで降りた。木立を抜けると、時折、瀬戸内海の小島が目の前に現れる。フウの持つ袋が、ずいぶんふくらんできた。これなら山菜取りと呼べそうだ。ボンが時折「あった」と声を上げる。行きはよいよい、帰りは登りである。だっこして登る。 いい汗をかいた。鶯(うぐいす)が鳴いている。今日はいい天気。5/18
・青いトマトが庭の発泡スチロール箱でなりはじめた。今年はミディアムタイプのルビーノと大玉で長細いタイプのルンゴに挑戦している。ほったらかしで育つハーブと違って、野菜は土作りが大事だと改めて悟った。ぐんぐん伸びていて、トマトづくりで、こんなに上手くいくのは、初めてのこと。どれも調理用の品種なので、たくさんとれたら、ご近所をよんでトマト祭りだ。って、これから梅雨がたいへんなんだけどね。5/18
・ どんな月がでているのか、どんな星が出ているのか、どんな風が吹いているのか、まわりの自然を感じられていないときは、どうも具合がよくない。外を歩くこともあるし、星が出ていないわけでもなさそうだ。感じていなかったのだ。いつの間にか月がふくらんでいた。まだ春のぼんやりしたすっきりとしない夜空だが、月はすっきりとした光を放っていた。見習わないといけないな。5/14
・久々の更新で、いつの間にか春が過ぎようとしている。今年の5月5日の奈良の春日大社神苑での南都楽所舞楽公演は、おもしろい演目になっている。朗詠や、胡徳楽など、めったにやらないものが多い。「胡徳楽(ことくらく)」は、雅楽の中では珍しく喜劇で、今はなくなってしまった芸能、伎楽(ぎがく)という無言仮面 喜劇要素を残しているものだ。「千と千尋の神隠し」の映画でお馴染みになった、紙のお面をつけたキャラクターは、宮崎さんが、南都楽所の胡徳楽の勧盃(けんぱい)という役の姿から、発想を得た。藤の花も見ごろで万葉植物園の池の舞台で舞 います。4/27
遠足は淡路島で地引網、漁師鍋、うずしお観潮船クルージング。前日の雨のため、漁師が船を出すことが出来なかった。当日はよく晴れていて浜辺でバーベキューと観潮船になってしまった。でも、事前の打ち合わせから、漁師の方に漁についての熱い思いを聞くことが出来た。明石は海が近いのに、海の仕事のことを知る者は少ない。地元に目を向けてもらって体感してもらえたらいいと思って企画した。4/25
・昭和新山のふもとで、やっと手ごたえが得られる。雪合戦の国際大会が開かれる場所で、担当の方と打ち合わせ。担当の方の熱い思いが伝わってくる。3/2
・洞爺とルスツ。仕事が終わってら、火山博物館へ。洞爺湖がやっとわかりはじめた。火山と共にあった町。元気があるようには見えないけれど、少しずつ、町の表情が見えてきた。この土地に行く理由を探し続けている。理由は無くてもいいはずだが、やはりなにかを学んでほしいと思う。震災後の兵庫と重なるものがある。自然の脅威との共生に驚く。3/1
・フウとボンはよく寝ている。暗いうちから家をでる。
仕事で北海道へ。神戸空港から飛び立つと、明石から姫路の上空を進んで、日本海まで抜けていく、兵庫県は、日本の縮図とはよく言ったもの、島、海、町、川、山、やがて、雪が積んで、日本海へとでる。この空港が出来てから、加古川の上空を機体の形がはっきりわかるほどに飛んでくる。2/29
ようやく、陽が射した。立春が過ぎてから、雪や雨の日が続いた。そういえば、昨日の下弦の月と星 は冴えていたなあ。「春泥に駆け出している吾子のがす 信雪」2/11
・北へ向かう車の中、虹が現れた。虹は低くに弧を描いていて、そんなわけはないのに、スピードを上げると、くぐれるんじゃないかと思うほど、近くに感じる。虹の向こうには霙を降らす雲が谷あいの山に迫力を与えながら迫ってくる。2/
・奈良は大雪で土曜の稽古が中止だと奈良の楽人からメールが入る。明石は、雪から雨に変わった。2/9
・かねてから生徒諸君に伝えたい思いとして、自分の住んでいる郷土に誇りを持って欲しい。そのためにも、その土地を活きた人々のことを知ってほしいという思いがあった。明石に来てから、文学と明石のかかわりを少しずつ調べていた。今回、百人一首大会を催す。学年の行事としての締めくくり。テーマは、「詠み人の青春」。古人の青春、そして、競技者の生徒の青春、詠み人の先生の青春がクロスするような演出をめざした。詠み人の先生の青春の歌(song)と青春時代の写真を紹介しながら、カルタを詠みあげてもらう。英語の先生には英語バージョンで詠みあげてもらう。
プロローグとエピローグで、オリジナルDVD映像を上映する。映像の中では、レクレーション的な要素の中に、この高校が ある明石と百人一首の歌人とのかかわりなどを動画を交えながら、編集した。郷土と歌人との古典の学習に繋がる様な仕掛けを挿入した。生徒諸君には、冬休みの課題から、郷土である播磨と百人一首に関するオリジナル問題に取り組んでもらった。1学年の行事だけれど、新聞社も駆けつけての番組となった。演出が複雑なために、一週間ほどは、準備のため連日午前様の帰宅。やりすぎ芸の手法は今に始まったことではないが、例のごとく体調を崩しながらなんとか乗り切った。素直に享受してくれた生徒のみんなと、巻き込まれて一緒に楽しんでくださる先生方に感謝。2/8
・寒い日が続く。雪がちらちら降ったりやんだり。温暖な明石では、こんな日でも、空はすぐに青くなる。冬の夕焼けもなかなかいい。3歳のフウは今日の日没の空を見て「わにの雲の上が、バニラの色みたい」という。しばらくして、報告があった。「ワニはお家に帰りようみたい。」(「帰りようみたい」は播州弁で、「帰っているところみたい」という進行形に近い表現です。)1/26
・昔、兵庫県の稲美町にはぶどう園があってワインを生産していた。明治以降のことで、病虫害のために、廃園となってしまった。その遺構が保存されている。今日は寒かったので、町の資料館のみにしたが、今度見に行きたいと思っている。今日、雪が降った。北神戸から車で夜帰ってきた。霙(みぞれ)のようなべったりとした雪だった。外は気温1℃。よく冷えている。夜食、ミディアムのイタリアワイン。イタリアの生ハム切り落とし。1/20
・奈良はいいところだ。確かに初めて奈良にきた時の挫折感と期待感の入り交じった
恥ずかしいような学生時代の記憶。奈良を紹介する時の空回りするような感覚。いままで 不思議な奈良の魅力にとりつかれて過ごしてきたような気がする。確かにそんなきがする。「鹿男あおによし」を見てそんな気持ちを思い出した。1/18
・奈良に「梅の宿」というお酒がある。おん祭が終わった日に三条通のJAのアンテナショップで買って帰った。昔、レストランバーでアルバイトをしていたときに、お店ではよく燗にして出すことが多かった。今回は純米吟醸を買って帰った。甘くて香りが高かったので、冷でいただいた。一口飲んで、なんだか懐かしかった。当時、カクテルも出す店だったが、日本酒もおいていて、何度も来るお客さんの好みも覚えて、入ってこられたら 、すぐに出すと喜ばれた。沖縄出身の店長から料理も少し教わった。夜中に閉店してから、朝まで飲んでから、うちに帰ることもあった。その店は今はもうない。1/6
・1年の始め、南都楽所の舞楽は、舞楽始式(ぶがくはじめしき)から始まる。今年は、子(ね)年にちなんで、右方の舞は『林歌(りんが)』を演じる予定。『林歌』の装束にはネズミが刺繍されている。また、頭にかぶる甲(かぶと)はこの舞楽専用のもので、ミッキー・マウスの耳のような形をしている。左方の舞の『甘州』という舞には、後半「種まき手」というこの曲にしかない動きがでてくる。そこにいたるまでは、極めてゆっくりとした舞であるが、その部分だけせわしく舞う。舞楽始式は成人の日。本年もどうぞよろしくお願いします。1/5
・龍野で正月を過ごす。大晦日からとてもよく冷えていて、北のほうは雪が降っているそうだ。朝、龍野の金輪山の中腹まで登る。崖は、フウを抱っこしてあがったが、去年よりだいぶ重い。静かに初日の出を待った。山の上にかかる雲の上からだったが、よく晴れていて、見ることが出来た。みんな元気で過ごせますように。平成20年.2008.1.1
・『鹿男あをによし』万城目学原作のドラマの撮影が奈良で始まった。おん祭の時にも、春日大社からお旅所に向かう途中、東大寺の近くで撮影現場に出くわした。正直に言うと、綾瀬はるかがいるという噂を聞いて、わざわざそちらのほうを通っていったのだ。ちょうど鹿せんべい屋とのからみのシーンだったのか、玉木宏が演じている最中だった。先輩の楽人にそのことを伝えたが、玉置浩二と勘違いしているようだった。奈良で過ごしたことのあるものにとって 、観光地ではない奈良の裏通り的な場所が登場して、原作はとってもおもしろい。ドラマが楽しみだ。12/20
・平成19年のおん祭は終日晴れていて、よく冷えた。楽人の間では、おん祭らしい寒さだといって、寒い寒いといいつつも、少し満足げだ。今年は一の鳥居が修理のためはずされている。お渡りの行列で歩いてくると、影向の松の手前の辺りが開けていて不思議な風景だった。12/19
・文化の日の奈良の春日の浮舞台での舞立ち。晴れていたが、空気は冷たかった。今回の「
北庭楽 」で現行の南都楽所の平舞全部を舞わせていただいたことになる。「北庭楽」だけは前回、その前も、直前の足の捻挫で舞立ちを断念した。今回も足首を故障していたが、何とかやりきった。 舞はいくらでも課題が見つかる。こうしなければいけないということと、こうしたいということ。舞楽では圧倒的に、こうしなければいけないということを求められる。千数百年の歴史の中に、一個人のこうしたいという舞人の美意識は単なる塵に過ぎない。しかし、それを意識しているうちは、ぎこちない舞になってしまう。意識をしないところで、残っていくものに意味があると思う。自分のやっている舞の所作や動きに意味を見出そうとすると奢りが生じる。自分のやっていることには、何の意味もなく、先人、先輩のやっていることにのみ意味があると考える中で、それでも残っていくものに意味があるように思う。そう思うようになった。これが、そう思っているのは自分なのに、なかなかそう考えることが難しいのだ。朝はずいぶん冷える。11/9
・やはり、龍野の夕焼けはきれいだ。この秋、ふるさとの兵庫県の龍野へ帰った時、夕刻の西空がオレンジに染まっていた。3歳のフウは、この龍野の夕焼けを「ハチミツの色」だという。その日は、日没直後で、濃いオレンジから透明感のある黄色の夕焼けだった。10/29
・南都楽所の和歌山公演。演目は、振鉾三節と散手。今年は春の海南、夏の勝浦、しして、秋の白浜と、三度目の和歌山だった。地図ではそんなに遠くないのに、とっても遠い場所。いくのに時間がかかるためか、遠い所へ言ったような気になる。みかんをいっぱいいただいた。早生のさっぱりした味のみかんだった。10/28
・近所の保育園の運動会に行った。テンポよく次から次へと園児の演技が続く、音響もばっちりで、ワンパターンではなく、競技にあわせて変えていた。専門のPAが入っているのかもしれない。子供の競技はどれもかわいくて絵になる。一人ずつビニールの輪のチューブをはって行って球を投げるのなんかは、とてもかわいらしい。見学に来ていた子供も参加できる競技も用意してあって、おみあげに向かって走っていって、もらうというのもあった。ボンの手を引いていったが、ボンはいちもくさんに駆けていって、ちゃっかりもらって、満面の笑みで帰ってきた。フウはちょっとはずかしいらしく、母親と一緒にいったみたいだった。そんななかで、妙に印象に残っている競技がある。親だけが出て行って、椅子取りゲームをやるというもの。お父さんもお母さんも混じっていて、子供の手前がんばらないといけないのだけれど、遠慮もあるしというような感じで、 違う意味での妙な心理戦のようになっていた。最後の1つを争う部分では笛がなっても遠慮しあって、じゃあといういう感じでお母さんが座った。それはそれでなんだかほのぼのしていてよかった10/7
・NHK大阪ホールでの南都楽所舞楽公演。パネルディスカッションもあった。演目は「陪臚(ばいろ)」太刀(たち)や鉾(ほこ)、盾(たて)も登場するので、けっこう派手な舞楽。音も程よく響く、よいホールだった。舞台の後ろも深くまであって、いろんな演目に対応できるようになっていた。陪臚の衣装は右方の舞楽であるのに赤い色をしている。南都では左方の舞人が舞うことはないが、左方の舞人から見て、憧れの強い舞だ。高速道路から大阪城がわに見える、この建物がNHKのホールだと始めて知った。10/6
・この秋は、フウちゃん念願の栗拾いができた。去年は栗園に入った直後に夕立。びしょびしょになりながら、車に戻った。2つだけもらった栗を使って家の中で何度も、仮想栗拾いをやった。落ちている栗は虫が着いているのがあって、注意が要る。いっぱいとってかえって栗ご飯、焼き栗、茹で栗にして食べた。それからまもなくして、知り合いの別の場所で栗拾い。ここの栗は甘くて味が濃かった。木によっても味が変わるのかなあ。10/5
・「秋の夜ははるかの彼方に小石ばかりの河原があって〜」中原中也の詩を授業でやっている。ずいぶん以前につくったプリントが引き出しから出てきた。当時自分が気に入ったものと、生徒に読ませたい詩などを中心に紹介したプリントだった。今も好きな詩もあるし、当時どういった気持ちで選んだのか わからなくなっている詩もある。プリントの角に1992年と書いた自分の字があった。これを教室で、配った時の、生徒のつぶやきに愕然とした。「生まれる前や・・・」そうか、君らが生まれる前に作ったプリントか。中也が亡くなった年も越えているし、そんなものか。夜、本当の秋風が吹き始めた。9/29
・横浜からの帰りの新幹線が名古屋付近の集中豪雨で止まってしまった。ふつうは止まるはずのない浜松に停車して、待った。始めの30分は、なにかしら、非常事態の興奮でお客さんの顔は意外とにこやか。浜松駅に新幹線の車両が、どんどんたまっていく。となりの列車では、宴会が始まっている。だけど、さすがに、1時間ほどたつと、不機嫌な顔が目立つ。ようやく2時間半後に動き出した。JRの方も気を使っておられて、「ようやく雨がおやみになってまいりました。」と雨にまで敬語を使ってしまっていた。いつでもサービス側はとても大変だし、先を急ぐ人はさらに困っただろう。車窓に降りかかる雨の点線もほとんどなくなり、その日のうちに、ぎりぎり、乗り換えながら、うちに着いたのは、夜中の2時ごろだった。9/12
・横浜演出考、横浜での3日間。石井幹子さんの照明による演出だった。公演のあといただいた写真集で、明石大橋や天保山の観覧車、関西でも石井さんによるなじみの深い照明が数多くあることを知った。3日間なので多くは分からないけれど、横浜周辺 の雰囲気は神戸に似ていた。思っていたより近代的な街だった。そびえるランドマークタワーと帆船日本丸の前での雅楽の演奏。レーザー光線や、海側で上がる花火。一見、派手な演出も含めて、横浜の持っている雰囲気とはあっていた。 奈良の伝統行事の中での演奏は、屋外の伝統的な舞台が多く、ホールでも控え目な地明かりのみがよいと思う。しかし、その意味は、その土地の持っている今の自然な状態のままの中で、演奏することが南都 の雅楽が最も生かされる演出だと思う。だから、今回の、常に吹いているビル風や街の明かり、舞台照明も、今の横浜が持っている自然な姿であって、その中で演奏することができて心地よかった。9/10
・ボンをだっこして夜散歩。ようやく寝はじめた。風が涼しくて気持ちいい。雲が月を隠したりしているが、空は澄んでいる。神戸に空港が出来てから、飛行機が低空を飛ぶようになった。機体がよく見える。雲を照らして機体が進む。少し怖い気もする。秋が突然やってきた。本当に暑い夏だった。8/31
・猛暑2007、明石、淡路、たこフェリー、岩屋、海水浴、宝楽焼、福良、ジェノバライン、神戸、元町、餃子、スイーツ、和歌山、梅、忘帰洞、那智勝浦、串本、水中公園、珊瑚、南部・青い海・透き通った水8/30
・卒業生が同窓会を開いてくれる。2年の時のクラス。懐かしくうれしい。よく笑った。8/21
・3日間、雅楽の稽古を終えて奈良から帰る。神戸から明石方面に向かう。西の空を覆う黒い雲の中を稲光が走る。目的地が、その方向なので、避けることが出来ず、雷が突き刺さる場所へ車で突っ込んでいかざるを得ない。やがて、雨が突き刺さるように降りはじめ、稲妻が大地を刺す。帰宅する頃には光と音のタイムラグがほとんどない雷雨の中心にいた。夜になって遠雷を残すぐらいになったとき、外へ出た。連日の40度近い気温のせいで熱く興奮した地面を、雨が少しは冷静に戻してくれたようだ。虫の声が聞こえる。まだまだ、こんなに暑いけれど、夏の終わりが見え始めた。今年の夏は特別に暑かった。こういう夏はきらいではない。8/20
・ぶどう狩り。葡萄の木陰だと暑さは気にならない。ただ、汗はだらだら流れる。1歳の息子はぶどう棚の下の斜面をとことこ走り回っている。こけて、藁まみれになって、また、歩き出す。葡萄の木にいたトカゲを見つけて指をさして、アウアウいって興奮している。葡萄をいっぱい食べて、また歩く、そして転ぶ。初めて覚えた言葉が「アンパン」。今日、二つ目の言葉「あいしい(おいしい)」を覚えて、得意げに、ぶどうの粒を口に運ぶたびに「あいしい」と言っていた。うちに帰って庭で水浴び。いっぱい遊んで疲れただろうから今日はいっぱいおやすみなさい。8/11
・奈良の春日の森の近くでは昼間は油蝉、夕刻にはヒグラシが鳴いている。明石では朝からシャーシャーワシワシとクマゼミの声が響いていた。今日も雲ひとつない夏空。8/9
・毎夏の初心者の雅楽講習会には、子供から大人までたくさんの人が参加してくださった。以前から稽古場所として使用させていただいていた春日大社桂昌殿は改修されて、久しぶりにその姿を現した。こけら葺きの屋根の上には青い空が広がっている。その夏の青空に、春日の樹木が這い上がっている。 5日間奈良滞在8/5
・土曜、出勤。面談2日目。今日は一段と暑い。朝、窓を開けて風の通り道を作る。花の水を変える。今年は、タイム、オレガノ、つる性ローズマリー。オレガノは、薄いピンクの花、ローズマリーは青い花。団扇と進路資料をセットして、待合をつくる。今日も、午後になってようやく風が通り道を見つけて吹き始めてくれた。くま蝉の声が一段と高まる。
・文化祭のクラスの記録メトロ☆ザ☆ライドDVDとパンフレット完成。生徒と保護者に配付。喜んでくださ った。一度きりの夏。たくさんの感想を聞いた。こんなひと言が励みにもなる。面談が始まる。4階の校舎から淡路島が見える。午後になって風が出てきた。 「夏の楼 風渡りゆく 淡路島  信雪」7/27 
・久しぶりのオフ日。 3歳の娘を自転車の後ろに乗せて、漕ぐ。「今は、春?夏?雪は降らないの?」と聞いてくる。田んぼの中を走る一本道、稲の緑の葉っぱは、さわさわ揺れている。ツバメが田んぼをかすめて飛び、緑の中に白鷺がすっと立っている。畑には、トマトやキュウリがなっている。梅雨が残る空だけど、雲の切れ間に覗かせる空は青い。トンボも飛んでいる。こうやって漕いでいると、暑くなってきた。これが、夏っていうんだね。7/21
・平成19年明石。7月3日に初蝉。7/3
・地下鉄に乗って昭和の町並みを巡るアトラクションを文化祭で作った。制作に当たっては、生徒の親の世代に昭和についての取材を行うことからスタートした。プロローグゾーンでは時計、木製スキー板など昭和の時代のものを実際に展示した。メイキングのDVDを上映し、切符も発行した。常に60名程度の行列が出来るほど盛況でみんなに楽しんでいただいた。行列は翌日にまで繰り越されて、ファーストパスを発行した。館内では実際にオレンジと緑の快速電車として走っていた80系の電車をモチーフにした乗り物に客を乗せ、まわる。途中、藤山一郎や昭和の家族、ピンクレディーなどの仕掛けの寸劇が待ち受けている。茶の間の冷蔵庫、茶ぶ台、駄菓子屋、太陽の塔、ポストなどダンボール造型による作品も配置している。プラットホームでは今はもうなくなった三宮の阪急のレンガの駅舎を造型し、ここでも映像を組み込んだ。伝説のアトラクション「メトロ☆ザ☆ライド」大盛況のうちに幕を閉じた。最優秀賞受賞。たくさんの方々の協力と、生徒自身が、製作と営業の両方にプロ意識を持って望んでくれたこと、そしてたくさんの人に楽しんでいただけたことがよかったと思う。6/22
・和歌山の海南にある春日神社。今年も五月の風が心地よくいい天気だった。5/12
・今年の春日大社社頭の砂ずりの藤は短めだった。春庭花は藤の挿頭、登天楽にも白い藤の挿頭。迦陵頻には赤い躑躅。胡蝶には白の挿頭。5/5
・ここのところ、出雲、奈良、東京と遠くへ行くことが多かった。
・東京へ。宮内庁の楽部の演奏会を聞かせていただく。舞楽の管方の篳篥の音が力強くて驚いた。洗練された雅楽をこうやって聞かせていただくと、とても贅沢な気分になる。楽部の舞台は室内だけれど、天井の明かり窓から入る自然の照明が、おだやかに明るくなったり少し翳ったりして、近代の雅楽舞台の趣がもう歴史の中にあることを感じた。去年よりも桜は散っていた。4/22
・出雲は風がよく吹いている。出雲大社には巨大神殿があったという。その高さが東大寺の大仏殿を超えていたというから、すぐには信じがたい。だけど、柱を三つ束ねた巨大な柱が地下から発見されて、真実味を帯びてきたようだ。その柱の保存処理が施され2007年3月からオープンした島根県立古代出雲博物館で展示されている。博物館の風土記の庭で春庭花という舞を舞わせていただく。よく晴れていて、春のまぶしい日差しと、神々の山から吹く風を受けながら舞った
。前日に出雲大社で蘭陵王の奉納。桜がよく咲いていたが、散り始めていたころなので、挿頭は造花の桜を使った。出雲神楽が盛んで、雅楽は記録にはあるようだが、今は使っていないようだ。 近代の南都楽所が行かせていただいたのもはじめてかもしれない。4/15
・小倉でふく→門司港レトロ。
・由布院に行く。
・博多の夜。ラーメン一蘭→アフタヌーンティ→いろはの水炊き→屋台ラーメン→遊善の明太子→鉄鍋餃子
・佐世保バーガーを食べた。子供の顔ぐらいの大きさでかなりのボリュームがある。長崎の物産展だったのでカステラやら、なんやら買いすぎた。なかでも気に入ったのは生ベーコンで、生で食べられるのだ。添加物が少なくて塩味もちょうどよく、あっさりしていてよい。
・奈良からの帰りにCD屋に寄った。高校のときによく聞いた音楽がCDになって発売されていた。当時のライブのDVDもついている。思わず買ってしまった。車で聞いていてびっくりする体験をした。当時の音源をそのままCDにしたものだった。曲が流れ始めた瞬間、鼻の奥のほうに匂いを感じた。長らく忘れていた匂いだった。記憶というよりも、当時の自分が持っていた感情などと一緒にその匂いが一瞬にして蘇った。そして、その匂いはレコードのほこりを取り除く、少し甘いにおいのするクリームスプレーの匂いだったことを思い出した。レコードプレーヤーのゴムの匂いやその近くにあったカニサボテンの鉢の匂いも混ざっていたかもしれないが、かなり長い間忘れ去っていた匂いだった。このフラッシュバックには複線があったと思っている。萬燈籠での奏楽を終えて見上げた空の天頂付近にスバルがあったこと。それを説明していて高校時代を思い出したこと。冬の萬燈籠への奉仕がかなり久しぶりで、節分の萬燈籠が大学時代のしかも初期の記憶が中心だったこと。たぶん明日の朝になれば忘れてしまっている感覚でこの感覚は再び眠りに就くのだろう。2/4
・一年前の冬は雪がたくさん降った年だった。越後湯沢に行くことがあって、雪の壁の中を目的地に向かったのを覚えている。今年の冬は記録的な暖冬だという。でも、節分の今日はよく冷えている。昨日から雪もちらほら。2/3の春日大社の節分萬燈籠もよく冷え込むだろう。2/3
・舞楽始式
。晴れ。寒い日だった。りんごの庭の舞台の本座あたりまで日が差し込んでいて、後面(ごめん)を向いたときに顔から上に日を受けた。1/8
・元旦。龍野の金輪山(片山)の中腹まで登る。早朝だったが、2歳の娘が登るといったので一緒に登った。といっても、半分はおんぶして登った。山道のしだがよく茂っていていた。曇っていたが太陽は昇ってきた。2007/1/1
・急に寒くなって、おん祭がいつの間にか近付いていた。稽古で奈良に行ったが精進の足りなさで、反省の
帰り道。車にもどると、黒の車体に紅葉の色とりどりの葉が張り付いていた。散らばり具合も、黒漆の蒔絵のようでそのままにして走った。大阪ではまだ紅葉は残っていたが、加古川についたころにはすっかりきれいになくなっていた。たぶん神戸のハーバーハイウェイまで降った雨で流され、ハーバーランド辺りから雨もやんで風がかわかしたのだろう。少し残念に感じながら玄関を開けた。11/27
・ふと窓の外を見るといつのまにか紅葉していた。急に冷えてきたせいか、赤や黄の色が濃く鮮やかだ。11/18
・今日は再び、奈良へ。ひょんなことから、昔住んでいたあたりを少し歩いた。あぜ道の横を流れる川に、大きな鯉が泳いでいた。のんびりした奈良の時間の流れは、あの時とあんまり変わらない。11/5
・鶴林寺十三夜観月会。今年は、法要舞として記録に残る萬歳楽・延喜楽を奉納することができました。よい月が出ていにしえの播磨の栄華が蘇りました。たくさんの方に来ていただきました。南都方の大学と高校を中心に第2回の雅楽復興公演。今年はとても立派な舞楽舞台の欄干を鶴林寺さんに新調していただいて、さらに華やかなものとなりました。ありがとうございました。11/4
・今日の朝の舞楽・白濱(ほうひん)は右方の蛮絵装束のお披露目であった。陽光で、蛮絵が輝いていた。打毬楽では、ここのところ一臈ばかりだったので三臈で舞うのは新鮮だった。舞の動きで背中合わせで一人ぼっちになることが多いけれど、今日は舞っていて気持ちよかった。11/3
・中天に十五夜に向かう月が冴える。秋は短く、冬へ向かう気配すら湛えた空。連休の始まり雅楽三昧。11/2
・秋の舞楽演奏会がたくさん。更新が、久しぶりなのでこの半年のこと。新車ハイブリッド車、かなりよい。10年目の夏の出張研修終、同期と意見交換できてよかった。3年前の卒業生が同窓会を開いてくれ て、懐かしい。東大寺の舞台にて、風が心地よく光がまぶしかった打毬楽。歌うのは面白い、オレンヂレンジならぬオヤジンレンジ。うどん大好きの年。鶴林寺、再びご縁があって 十三夜演奏会の企画。11/1
・今年の夏は暑く、今も終わる気配がない。それでも日付は8月のつごもりへ。8/26
・篳篥という楽器のリード(した)は葦でできている。葦は水の浄化作用がある。今年の春に近江八幡の水郷で古くからの楽人仲間と舟楽をした。葦は手入れされていて、勢いがよかった。手入れされている植物 はCO2を軽減する効果が高いのだそうだ。
・雅楽には歌曲がある。この夏、宮内庁の先生に催馬楽(さいばら)と朗詠(ろうえい)を習う。南都楽所では法隆寺での太子和讃や東遊、和舞、御神楽などの歌曲をやることはあるけれど、催馬楽、朗詠はあまりやったことがない。儀式の音楽ではなく、貴族が遊びとしてやっていたもので、やっていて楽しいものだ。聞いているととてもゆったりしたものだが、やってみると五感を総動員してあたらないといけない音楽だ。琵琶についても基本的な事項に振り返って習った。発見が多かった。それにしても芸事に練習不足はいけない。もっとやらないとなあ。
・自分自身、環境に易しい生活が徹底できているかといえばなかなか難しい。むしろ逆のこともたくさんしているだろう。ビオトープ池に「たもろこ」という昔はどこにでもいた魚を放し、個数制限しながらその魚を塩焼きにしてビールのあてにするというのがおすすめだと冗談交じりに研究員が言っておられた。ただ環境にやさしいというので、禁欲的な生活を行うっていうのはおかしくて、このたもろこの例にこれからの環境問題の大きなヒントがあるように思った。
・「しろつめくさの花が咲いたらさあいこうラスカル♪」とうたわれたアニメでも有名なアライグマがこんなにたくさん日本に増えてしまっていて農作物被害が深刻であることはしらなかった。外来生物法で指定外来生物に指定されたので根絶を目指すことが決まっている。捕食者の居ない日本では共存ができない。かわいそうだということでほっておけば、よりたくさんのアライグマを殺しながらつきあわなくてはならない。たぬきや他の動物に与える影響など生態系への影響も心配されていて、それが現象として表れるころには、もう手遅れになっている ことが多い。
・兵庫県立人と自然の博物館に一週間研修。研究員の先生の話を聞く機会があった。アライグマ、外来生物、太陽の力、ビオトープ、温暖化、ヒートアイランド、生態学、八チ、天文、地質学など、環境問題についてこんなにまとめて専門的に考える機会がもててよかった。
・採用されて10年目には研修というのがある。40日間もあって、現場の仕事が軽減されるわけではないので、とてもつらいものだ。一週間は兵庫県の高校国語の教師ばかり15人が集まって研修。こうやって同年代の先生と話ができるのは面白かった。
・気温34度。車をあけると熱の塊がどっと噴出してくる。8/4
・武庫川女子大学・神戸大学・関西学院大学に出張で行く。 大学の先生の講義を久しぶりに受けると新鮮だった。講義内容というよりも、教える側の伝え方によって受けての印象や心境がこんなにかわるものだということが身にしみて、生徒の気持ちがよくわかった。武庫川の学舎は美しく、学生食堂のスパゲティはボリュームがあった。関西学院大学のBIGPAPAという食堂のチキン竜田マヨネーズがおいしかった。 食堂に行くとその学校の持っている雰囲気がよくわかる。久しぶりに電車に乗る。明石大橋が光にかすんでみえる。8/1
・初めて手術というものをうける。部分麻酔の簡単なものだが、ちょっと不安。 「クラシック音楽しかないけど」といいながら手術中は音楽を流してくれた。成功して今はぜんぜん問題はありません。7/31
・ハイブリッドシステム搭載で3400CCの車に試乗する。加速などはガソリン車ではありえないほどの力強さ。異次元体験。恐ろしいまでの静かさ。

・勤め先の高校から南に下った小学校の横に池がある。この池は『行程記』という ものにのっている古い池だ。長池といって真ん中に道が通っている。旧の山陽道の脇にあって多くの人が行きかったのだろう。しかし、その半分が埋め立てられてしまった。長い池ではなくなってしまった。残った方の池の蓮に夏風が吹いていた。6/1
・東大寺、菖蒲祭、まだまだ行事が続く。連休は良く晴れていて、あっという間に過ぎていった。5/7
・大仏殿の扉が開けられ、大仏様のお顔が見える。色とりどりの散華(さんげ)が舞い、読経と雅楽の音とだ太皷の響きが満ち溢れる。聖武天皇が亡くなられてから1250年、節目ごとに雅楽が奉納されてきた。改めてすごい空間だと思う。夏日で襲装束は暑かったが、振鉾で舞台に登台すると、風が吹いてきて、袖にたくさん天平の風を受けた。5/2
・一ヶ月ほど修学旅行新聞を毎日発行し続けた。毎日夜中までかかった。
・新潟の友達が年賀に「毎日雪かきで筋肉痛です」と書いていた。越後湯沢の80歳の方が生きてきてこんな雪が多い年は初めてだといっておられたそうだ。2月にそこに行くので少し心配。問い合わせたところ、スキー場に4メートルも積もっているという。気温も明け方にはマイナス7度だという。雪がなくて心配することはよくあったけれど、降りすぎて心配するのは初めて。舞は腰を落とすためにひざや腰を鍛える意味もこめてとかなんとかいってスキーにもよく行った。長い間行ってないなあ。1/16
・ 拝啓  あれからずいぶんと時間がたちました。昭和の終わりから平成の始めにかけてあの場所で過ごしたあの当時の仲間たちはみんなどうしているのでしょうか。極寒の奈良を覚えていますか。平成17年も最も深いところに向かっています。そしてあの当時と同じように、ちょうどおん祭がはじまるころから冷え込み始め、雪が舞うことが多くなりました。今年の奈良のおん祭は笛の穴をふさぐ指が凍えました。この寒さは昭和のころには当たり前の寒さでした。かつて、その寒さを知らずに、はじめて臨んだおん祭。寒さと沈香のにおいと楽の音、だ太鼓の音、けいひつの声の中で意識が朦朧としていたことを思い出します。僕が雅楽をやっている原点です。今年おん祭があけた日に久しぶりに奈良の街を歩きました。また雪が舞っています。おん祭りから帰った翌日に男の赤ちゃんが生まれました。また雪が舞っています。寒さ厳しい折からご自愛ください。敬具

いつも当HPをご覧いただいているみなさん、ありがとうございます。今年も後わずかとなりました。よいお年をお迎えください。12/29

・南都で、この時期に話題に上がることがある。おん祭の寒さについてだ。昔は手がかじかんで穴をふさぐことができないほどだったことが多かった。ところが近年、暖かい雨が降ったり、ほどよい寒さであったりする年が多い。こんな年は南都の楽人はなぜか納得がいかないような顔になるものが多い。楽人にとって、寒いことは音は下がるし、足先も冷たく、手はこごえると、過酷でいいことはないはずなのに、ひそかに寒さを求めてしまう。寒さはおん祭の一部なのだ。といっても寒ければ寒いで、寒い寒いといいながらご奉仕しているんだろうけれどもね。12/12
・今も北風が強い。今年のおん祭は久しぶりに寒くなりそうだ。奈良から帰ってきた真夜中の空には星が瞬いていた。街のイルミネーションも年末だ。12/11
・大阪。難波グランド花月の近くの「ちとせ」で肉吸(にくすい)を食べる。ハナキキョウが肉うどんのうどん抜きと頼んだことに由来するもの。肉もたくさん入っているし、半熟の卵が沈んでいた。ご飯も注文した。ほっとした。小さいころ食べた土曜のお昼ご飯を思い出した。12/8
・室津港で牡蠣を調達に行く。まだ小ぶりの牡蠣だ。2月ごろにはかなり大きくなる。殻ごと蒸し焼き、牡蠣フライもおいしい。11/28
・渋谷・人、ビル、ビル、人 代官山・舞、カフェ、カフェ、舞、東京・新幹線、座る、座る、新幹線、奈良・森、舞、舞、森、明石・海風、黒板、黒板、海風、淡路 ・橋、漁火、漁火、橋 龍野・夕焼け、寒、寒、夕焼け11/26
・東京の代官山で二日間連続で、蘭陵王を舞わせていただく。舞うたびに反省点があり、発見がある。たまたま今回の舞台が庭園の芝生であった。おん祭りでは平舞で出演するので、動きの激しい走舞(はしりまい)を芝生の上で舞うのは初めてだった。初日の夕方のコンサートでは篝火がたかれる中で舞った。春日の天下一越前の蘭陵王のお面はほとんど外の様子がわからないが感じることはできる。東京の空からは、うなりのような街の音が降ってくる。そのことは悪くは感じなかった。生活感は感じにくい場所だけれど、人が必死で生きようとしている力があふれていた。うなりはそんなものに思えて不思議に安心した。仮面をつけて重い装束をみにつけていけばいくほど、かえって、たくさんの人やものに向き合って生きていることを感じさせられる。11/21
・奈良の中部公民館のホールでで蘭陵王を舞う。昔、奈良市らしいほのぼのとした企画「はやおきごくろうさん運動」というのがあって、年に一度早朝に集まって雅楽を練習するというのがあった。懐かしい場所だ。11/12
・急に寒くなった。奈良、明石、淡路、加古川、龍野この一週間の移動距離は長い。龍野の夜はだいぶ冷えていた。子供とばいばいをして、再び加古川へ。加古川の夜も、もう冷えていた。11/8
・雨がぱらぱらと降り始め、玉砂利をぬらす。3日は急遽、舞台の場所を本殿に移す。始まりは、2時になった。南都楽所で近代以降の最も長い舞楽となった五常楽(ごしょうらく)の序破急をはじめ、狛桙(こまぼこ)、還城楽(げんじょうらく)、長慶子まで、終わるころには午後4時をまわていた。楽頭の話にもあったように五常楽の序破急は渋すぎる演目であったが、なんとか終わった。限られた一日24時間の中でトレードオフを考えるとき、一曲を一回やるだけで一時間近く練習の時間がかかるのは正直つらい日々だった。これからも行事が目白押し。11/4
・今年の七夕の乞巧奠(きっこうてん)に飾りで使う梶の木の葉を見つけた。ずいぶん探したので、見たときは感動した。灯台下暗し、奈良の浮舞台がある春日大社神苑にあったのだ。ここは、萬葉植物園だった。僕らは今も「万植(まんしょく)」とよんでいる。11/3
・雅楽の「序破急(じょはきゅう)」の三部構成は能の構成や、文章の構成にまで名前を残すことになる。「五常楽(ごしょうらく)」という曲の「序」はゆったりとフリーリズムで進む。「破」はリズムを刻みながもゆったりと、「急」につながっていく。「急」でテンポアップして舞の手もはやくなる。そして、それぞれがいつの間にかそうなっている。ゆったりとした移ろい。客観的には長い曲だけれど、舞っていると一瞬の出来事。曲にわかりやすいストーリーはないけれど、舞の流れとしての物語を感じることができる。10/30
・序破急そろった舞は手ごわい。なんといっても長い。「蛇長すぎる」といった詩人がいた。あんまり関係ない。とにかく長い。たいていの曲は伝承の過程で序破急が絶えてしまった。その中でも残ったものにはそれなりの理由があるのだろう。二十年ぶりに五常楽の序破急を南都で演じる。舞うほうも大変だけれど、吹くほうも大変、そして、見るほうも大変かもしれない。みんなでがんばるしかないと思っています。 ?10/28
・蘭陵王舞う。室内だったが面をつける舞は、つけたときにうまく視点を調整しないととんでもない目にあう。見る側からは目が突き出ている蘭陵王などは、舞人からはかなり奥目である。とくに気をつけないといけない。この日はうまくあって比較的よく見えた。といってもほとんど見えないのだが。もしかしたら、見ることをあきらめ始めたからよかったのかもしれない。体の芯の方で、場所を認識しなければならないのだろうか。10/21
・姫路の兵庫県立博物館で法隆寺展をやっている。飛鳥時代からの仏像や文書、聖徳太子に関する資料をあれだけ一度に見ると壮観だ。さて、1歳の子と一緒に見てまわった。仏像に興味があるはずもなく、「あっ」というだけ だったが、目の色を変えてかぶりついた場所があった。伎楽(ぎがく)、舞楽(ぶがく)面だ。鼻の曲がった胡徳楽(ことくらく)の面や新鳥蘇(しんとりそ)などもある。「ワンワン」といって指差したのは、陵王(りょうおう)の面だった。陵王はどちらかといえば猿と龍なのだが法隆寺のはそういわれてみると犬っぽいところもある。そしてプタ、プタ(ブタのこと)といって最も気に入っていたのが師子頭(ししがしら)だった。(ししはぶたではないけれど)古い時代の法隆寺の面はどこかほのぼのとしている。前に天下一越前作の陵王の面を見せたときにはこわがっていた。かっこいい感じではあってもほのぼのではない。幼い感覚は真実をついていることが多い。10/17
・月食、少しだけ輪郭をぼかしながら天空を進む。透き通った夜空を再び見上げたときには、もう月食は遠い過去の出来事になっていた。10/17
・みかさ山から水煙が立ち上る。あめはどんどん激しさを増す。夕刻からはじまった御神楽(みかぐら)が後段にさしかかるころにはさらに勢いを増していた。10/16
・春日で舞の稽古をしていて、五常楽の急を一指し舞終わったとき、庭に狸が現れた。こちらには無関心な様子だった。そういえば以前にもこの庭で見たことがある。10/9
・すきな秋なのに、体調が優れなくて、こまる。雨がそぼそぼと降っている。病院の先生に「大きな声を出すんですか」といわれた。声がかすれてしまっているからかなあ。どんな状態でも仕事も雅楽も大きな声を出さないといけないものばかり。黙然として長くすごしたりすると、声がかわるんじゃないかなあ。黙ってすごすなんて、ないことのようだけど。10/8
・兵庫県の山奥で汲んできた水で白飯を炊く。加西の生卵に龍野の醤油をたらしご飯にかける。わさび菜のおひたし。加古川の蓮根のきんぴら。黒豆味噌のなめこと豆腐の味噌汁。魚は近海もののかまの塩焼き。水菜とツナとトマトのサラダ。巨峰。青いみかん。9/19
・ 雲がプリズムをつくっている。虹が出るのかと思ったけれどそうでもなさそう。ただ、沈みかけた太陽の近くの雲が虹色に光っているのだ。こんな光景に名前がついていたらいいのになあ、昔にもきっとこんな夕刻の雲を見たことがあるはずだろう。なんて思っていると、天気予報で彩雲(さいうん)のことをいっていた。やっぱり名前があったんだ。9/16
・夏の終わりに淡路島に渡った。鳴門海峡が見えるあたりの旅館に泊まる。お客はうちらだけで大きな字で名前が掲げられていた。到着すると薄暗いロビーの蛍光灯がパパパッとついた。5階建ての館内は静まっていてなかなか70年代の趣。夜中、風呂へ行くとすううっと電球が廊下にともる。妙なところに自動照明がついていて驚く。注文の多い料理店の山猫軒のような不気味な宿は料理はものすごくおいしくて、湯もなかなかよい。不思議な宿だった。9/1
・いい月が出ている。赤ん坊も腕の中で寝たのでカーテンを閉める。台風が近づいている。風はまだここちよい程度。8/23
・夏の終わりに宮内庁楽部の先生に舞と楽を習う。特別講習では技術的なことだけでなく、とても大切なことや、やる気をいただく。雅楽をやればやるほど、きりがなくなり、そして、生き方そのものが問われているように感じる。8/22
・山口から卒業生がお盆で帰省して挨拶に来てくれた。熱心に笛を吹く生徒だった。今も時々自分で吹いてみるそうだ。高校生が、雅楽に触れたのをきっかけとして、何かしらのものを感じたり、得たりして卒業していく。少しだけ振り返りながら、それぞれの進路に向かっていく。そして、そのときのことを大事にしてくれているのがうれしい。8/12
・一瞬にして暗黒の雲が西から流れてきて、雷をビカビカと蓄えながら、ポツポツと水玉を地面に殴りつける。先ほど警報が発令され大雨となった。およそ50年前に上映されたH.G.ウェルズの『宇宙戦争』.。今年、スピルバーグによるものが上映されている。最新作では、火星人は、雷の光にのって、やってくる。風が吹き雷鳴がとどろく様が、CGによってリアルに再現されている。主人公はこれから起こる恐怖をよそに、おもしろがったりしている。一気に嵐は去り、夕刻の光が雲間から再び射してきた。7/7
・空梅雨に雨。夕刻ざあっと降り始めた。濡れながら走る人がうれしそう。窓からしぶきを受ける。夏の土の香がした。6/30
・久しぶりに白砂の舞台で陵王を舞う。夏の走舞はなかなかきつい。颯爽と舞うという風にはなかなかいかない。走舞はまだまだ入り口だと実感する。6/25
・ 岩手の八幡平(はちまんたい)にはまだ雪が残っていた。雪で覆われた路を歩いていくと、そこには青い水をたたえた池があった。岩手を南下する。宮沢賢治のイーハトーブはまだまだ自然のほうが力強い所。6/19
・二度目の岩手、以前は十年以上前のこと、その時も毛越寺(もうつうじ)の延年の舞と同じ舞台であった。月のもと、篝火がたかれていて印象深い舞台だった。今回は岩手県の県民会館、とても立派なホールで だった。次週には松平健のマツケンサンバがくるらしい。6/18
・明石の魚住(うおずみ)という所にとってもおいしい苺を分けてくれる農家がある。太陽と水と土によってこんな味が自然に生まれるとは信じられないくらい甘い。露地の苺の販売が今年は終わってしまった。うちにあるビバローザという苺がピンクの花をつけた。ハーブはカレープラント、セージ、ディルがそれぞれ黄色い花をつけている。
・NHKのアーカイブスシルクロードを見ていてとても懐かしい気分になった。学生のころ奈良ではシルクロード博覧会が催されていた。喜多朗の音楽を聞くと当時の記憶がよみがえってくる。 敦煌から帰国したばかりの楽頭の講義、シルクロードを通って雅楽がやってきたということの感慨とその歴史の中にどっぷりと入り込みつつあった 苦く若い感覚がよみがえってくる。5/16
・和歌山の海南春日神社で舞う。
この日はいつも晴れている。舞い終わってお茶席に招かれた時、社殿の向こうの森から五月の心地よい風が吹いてきた。5/14
・桧皮葺の屋根の上に投げ上げられた菖蒲(しょうぶ)の葉が光っている。襲装束(かさねしょうぞく)では暑すぎるくらいの陽気。『枕草子』に「五月こそ世に知らずなまめかしきものなりけれ〜その日は菖蒲をうち葺き〜」とある。今日の演目は子供の舞である童舞(わらわまい)の他に「春鶯囀(しゅんのうでん)」「落蹲(らくそん)」「抜頭(ばとう)」など清少納言も見た曲が多かった。今年は藤も見頃だった。5/7
・総稽古を終えたころには、すっかり日は落ちていて、雨にぬれた春日の森の木々の香りがしていた。ちょうど見ごろをむかえた藤の香りも混ざっている。5/1
・南都楽所のHPがついに完成、一般公開されています。5/5には公開演奏会が春日大社神苑(萬葉植物園)で行われます。春日大社宝物殿では舞楽装束や舞楽面などが展示されています。
・4月からの無理がたたって体調を壊す。しかし、今日は蘭陵王の笛があたっている。何とかやり終えた。久しぶりに大学時代の先輩や後輩たちと出会ってほっとした。4/28
・楽所の先生と、出張で東京の宮内庁式部職楽部の先生の演奏を聞かせていただく機会を得た。澄んだ音色と絃楽器の音が印象的だった。とてもよい機会をいただいた。三の丸の特別展では楽器や譜面が展示されていた。皇居の八重桜が満開だった。4/23
・背景に桜が舞い散る中で、春は出会いと別れの中でいっきに過ぎていく。光が満ちて露出オーバーのぼんやりとした映像を背景に流しながら。三月の終わり忙しく次の年度の準備に追われながら、いつの間にか、もう次の始まりを迎えている。連続しているようで、ふとした瞬間に変化を感じる。それが新しい発見ならいいが、欠如であるとき悲しい。4/4
・桂文枝さんが逝かれた。いつだったか、まだ、小文枝でいらしたときに、おん祭りのお旅祭でおみかけした。楽屋から楽所へ向かう時だった。楽頭と話しておられた。上方の落語の大御所が逝かれた。東京のほうでは折りしも林家こぶ平さんが、正蔵を襲名される。自分が生まれてから見ていた若いと思っていた方々が、いつの間にか貫禄たっぷりの様子になって、そして、なくなっていかれる。こういった感覚を最近持つことが多い。若さと老いのどちらにも含まれないようなゾーンに入りつつあるような奇妙な感覚。3/14
・楽人が直垂の下に着るのは、白の襦袢(じゅばん)だ。僕らは白衣(はくい)とよんでいる。ずっと母屋のおばあちゃんに縫ってもらっていた。夏に着る浴衣もほとんどがそうである。先月、そのおばあちゃんが亡くなった。とても元気な祖母だった。かつて宝塚音楽学校に入学が決まっていたが家の都合で直前に断念したという。小さい時、土曜日のお昼はたいていおばあちゃんと食べた。たくさん昔の話を聞いたが宮尾登美子の小説の題材にでもなりそうな波乱万丈な一生だった。ちょうどその日 は、小森のおばちゃまがなくなった日とおなじだった。2/5
・淡路島の稜線が淡くそれでいてくっきりとしている。零下の朝から、陽だまりの午後へ、午後のけだるさが空気に伝染し始めた。1/22
・青い空に雲がゆっくり流れる。まぶしい日ざし。1/5
・正月3が日、よくはれている。龍野の氏神さん小宅(おやけ)神社、姫路の播磨国総社、護国神社初詣2005平成17年1/3
・大晦日、加古川で初雪。嵐の一年が静かに暮れようとしている。12/31
・出張で東京。雨が雪に変わる。どうりで寒いはずだ。ぼたん雪、容赦なく降る。仕事が終わって浜松町でお酒を飲む。出汁の黒いそばを一杯食べる。12/29
・年の暮れ、新潟に出張。富士山には雪がほとんどない。夏の富士山のようだ。しかし富士の山は美しい。美しいというそのままの形容詞がよく似合う山だ。新潟に近付いてはいるが雪は積もってはいない。長いトンネルに入った。川端康成の『雪国』の冒頭を期待した。期待どおりそこは雪国だった。11/27
・貴徳の笛を吹き始めたころ上弦の月が春日の森の木々に沈もうとしていた。今年は久しぶりに冷える。手がかじかんでうまく動かないが、なんだかこの寒さがいい。昭和の終わりから平成の始めにかけてはもっと寒かったかなあ。よく晴れていて星がよく見える。今年も残りわずかよいお年をお迎えください。12/18
・クリスマスツリーをもらった。グラスファイバーで七色に変わるとてもきれいなツリーだ。いま住んでいる住宅街では、自宅にものすごい電飾をつけた家が結構たくさんある。 シンプルなツリーで気に入った。いつからこういった明かりをともすようになったのかなあ。鎮魂の灯り、神戸でルミナリエもはじまった。12/14
・朝霧が深い。霧の中に太陽のぼんやりとした輪郭と、それでいて明るい光がうかんでいる。その方向に向って車で走る。おん祭りが近付いてきたがそれほど寒くはない。昨年のおん祭りは大雨や落雷があったりとてもスリリングだった。今年はしっとりとした落ち着いたおん祭りを迎えることが出来るかなあ。12/13
・今日もいい天気なのに調子はよくない。朝、アサリ汁、豚とエリンギ、ホウレン草の生姜焼きソテイ、実家でもらった水菜の漬物とらっきょ。モズク酢。お粥。11/28
・一家全員風邪を引いてしまう。久しぶりに家で過ごす。昼はおばちゃんからもらった無農薬ホウレン草とベーコンの翡翠炒飯(ヒスイチャーハン)、大根、長芋、わかめ、豆腐の味噌汁。日暮れは早く、いつの間にか西の空がサーモン色に変わっている。寒くなってきたので、夜は昆布だしにうすくち醤油と酒を加え、まぐろと岩津ねぎのねぎま鍋。11/27
・台風の影響で紅葉は見込めないと思っていたが、春日大社に行くまでの新公会堂あたりの木々は鮮やかに紅葉していた。紅葉はまだこれからという感じだが、萬葉植物園の浮島にあるいちいがしに絡まる藤と桜の木の葉は、黄色や赤に紅葉していた。打毬楽」「狛桙」の番の舞のあとの「蘇莫者」まで穏やかな天気の中で舞うことができ た。11/3
・朝から霧が立ち込めている。船の汽笛が白い朝の中に広がって届いてきた。嵐や地震の多い秋だった。11/2
・大乗寺というお寺の襖絵はすごい。円山応挙の絵がぜいたくに描かれている。兵庫県の日本海側の山奥。若い時に円山応挙がお世話になったという縁で、弟子を引き連れて描いたという。その襖絵が惜しげもなく公開されている。もうすぐデジダル化処理をして、複製に入れ替えるということだ。8/2
・揚げ花火の数が年々減っていくように感じる。子供を抱えて雑踏の中を行く。今ここにいる人たちは穏やかだ。しかし、警備員の押さないでくださいという声が高まってくると殺気立った空気が立ち込め始める。家族と離れ離れになってしまい途中土手の上でまった。人のうねりが階段に向ってくるのがみえる。避難するというのは、これ以上のことだとわかっているが、想像できない。8月6日、15日が近付いている。8/1
・夜明け近く目が覚めた。あまりに疲れすぎているとこういうことがある。オレンジの光が窓から射してきて、風(ふう)もフガフガというなき声とともに起きだした。六月。梅雨を乗り越えて輝かしき夏へ。5/29
・坂の多い町にある大学の美術科を訪問する。キャンパスの中でも一番奥に美術科で作業をさせていただいた。帰路、車は道を上がり下がりしながら、海が見えるころには雨がフロントガラスをぬらし始めていた。5/15
・江戸時代に作られたという岐阜大仏の前で舞った。張子で出来た乾漆像では最大の大仏だそうだ。とてもいい天気で庭の緑がまぶしかった。4/25
・ほったらかしにしていたチンゲン菜がのぼって蕾をつけた。チューリップが芽吹いた。3/28
・春なのに雪が降ってきた。冷たいはずなのにあたたかく感じる雪。3月3日雛祭りに赤ちゃんが生まれた。うちの子のWebネームはまだない。毎日毎日顔が変わっていく。ほとんど眠っているけれど夕暮れ時、こちらをじっとみていた。その黒い瞳は透き通っている。いくら見ていても飽きない。3/7
・ 卒業式の季節。3年間いっしょにすごしてきた高校の生徒を送り出した。うけもったクラスはやんちゃなやつも多く、追いかけまわしたり、おこったり、そんなこともおおかった。でも、それ以上に楽しいことのほうが多かったと思う。そんな日常の中にあいつらがいなくなくなるのはとてもさみしい。笑顔とやさしさを大切にするとてもいいやつらだった。 そんな気持ちを見透かすように、突然、教室でうたってくれたみんなの歌声は決して忘れない。「ありがとう さようなら 友達 ひとつずつの笑顔 はずむ声 夏の日差しにも 冬の空の下でも みんなまぶしくしく 輝いていた ありがとう さようなら 友達 ありがとう さようなら 教室 走るように過ぎた 楽しい日 思い出の傷が残る あの机に だれが今度は 座るんだろう ありがとう さようなら 教室 ありがとう さようなら 先生 叱られたことさえ 暖かい 新しい風に 夢の翼広げて ひとりひとりが 飛びたつ時 ありがとう さようなら 先生 ありがとう さようなら みんなみんな ありがとう さようならみんな
」井出隆夫作詞 2/27
・風はどこから吹いてくるのか、容赦なく吹きつける。勢いは強いが、もう、あたたかさを含んでいる。暗くなってから、雨が落ちてきた。 ごうごうと風とともに窓に当たっている。2/22
・ふだん車で通っているところを歩くと、まるで違う場所のように思える。白梅が咲いている。こちらの家では紅梅の蕾が今にも咲きそう。香りがする。この木はもちの木だったのか、赤い実をたくさんつけていて、こんなにも太い木だったのか。この駄菓子屋さんはあいているのを見たことがないけど、お菓子が整然と並べてあるなあ。図書館を出ると、ものすごい数のモズがあたまのうえをわたっていった。西の空が赤いのを残して夕暮れが迫っていた。春待ちの木々や空たち。2/21
・神戸ハーバーランドのキャナルガーデンには、夕刻になると、青と白の雪の光が降っている。冷たい風が吊り下げられた光の帯をふわりふわりと揺らしている。2/15
・掻き曇って、春へ向う雨が降り始める。車のバックミラーに再び赤き陽が雲をフィルターにして燃えている姿が映る。2/14
・この2月でHP開設から4年目となる。 更新が滞りがちですが、久しぶりの更新。11年前の中国公演のエッセー「海越ゆる歌舞」。中国は去年有人ロケットを打ち上げるなど、とても勢いのいい国だ。雅楽は中国抜きには語ることは出来ない。かつて中国から日本にたくさんの音楽舞踊が伝えられたのだ。2/2
・センター試験の二日目。多くの受験生が同じ問題を同じ時刻に取り組んでいる。昨日の雪はもうどこかへ行って、空は澄んで透明感のある深い青を視界の端につくっている。1/18
・平成16年の舞楽始式は快晴で、林檎の庭にも光が満ちていた。後面(ごめん)を指した時、舞殿の上の空が発光体になっていた。「舞い始め光の方に腕(かいな)指す 信雪」1/14
・NHKニュース10で、舞楽始式の賀殿と蘇莫者が放送された。「この映像を見ながらお別れしましょう」として、賀殿の二臈を舞っていた信雪の姿、そして、蘇莫者と御笛役の姿が 流れた。キャスターが「新年を祝う舞楽が奉納されました、今年は干支の申にちなんだ演目が披露され、金色の猿の面をつけた山ノ神が登場しました。美しい笛の音にあわせて猿の姿になって舞う山ノ神のきらびやかな姿に、訪れた人たちは、今年一年の平穏無事を祈願していました。」と、紹介した。今年一年無事に過ごせますように、近くの人にも 、遠くの人にも福が舞い降りますように。1/13
・曙とボブ・サップの試合を見た。どちらもとても好きだ。真剣に何かをやる姿は美しい。曙さんで思い出すのは、東大寺の南大門の金剛力士像の大修理の後の大法要でのことだ。南都楽所の舞楽『振鉾』の後、横綱力士の土俵入りがあった。僕自身、楽所で始めて振鉾の笛の音頭を任されたのがこの時だった。その日、始まる前に楽屋で着装していると、横綱が遅れるので開始を遅らせるという知らせが入った。その時、ああ、大物の登場とはこんなものかと意地悪く考えてしまった。そして、楽座に向 かって歩いていた僕に倍近くはあるような高い視線から「こんにちは、遅れてすいません」と声をかけて頭を下げてこられた。曙さんだった。とてもやさしい目だった。「こんにちは」・・・笛を吹いた後、雲竜型の力強い姿にすっかり感じ入ってしまった。頂点を極めたものはただ力強いだけではなく、謙虚さも兼ね備えているのだなあ。後で同年代だということは知った。1/1
・昨年は鶴林寺にご縁があったので、除夜の鐘を聴きに行った。鶴林寺の鐘は、やわらかく深みのある上品な音色だった。寺を出ると、年が明けていた。半月が赤くなって、西の空にあった。 平成16年 2004  1/1