・映画ニューシネマパラダイスは1989年の映画。一番よく見た映画であるし、最も好きな映画。窓辺のレモン。イタリアの波の音が聞こえて始まった。あの音楽がながれてきた。大晦日にテレビから流れてきた。完全版は今はなくなった大阪の映画館の閉館最後の演目で見た。大晦日の何もかも深まっていく空気の中に身をおくのが幸せだ。今年も何とかここまでたどり着いた。12/31
・明け方には雪が降っていた。積雪5センチ兵庫県の南部。平成15年暮れの初雪は12月20日(土)。霙になったり牡丹雪になったり、夕刻まで降り続いた。12/21
・今日はずいぶん冷え込んでいる。北のほうでは雪が降っているという。夜になってさらに冷え込んできたのでそろそろ降ってきたかなと思い、外へ出てみると、道楽の時に光っていたオリオンが風に吹かれてきらきらしていた。おん祭りが終わったとたん、やはり冬になる。若宮出現1000年の年はいろんなことがあった。雹、雷雨、楽座の鹿、舞台の鹿、落雷など、古典の中で出てくる伝説のような現実。このような中でもいつもと変わらず舞楽を舞い奏でることが出来た。感謝。12/20
・十三夜の観月会雅楽公演から二ヶ月。久しぶりに鶴林寺を訪れた。寺坊をでると、青い空に風に吹かれた雲が筋を引いていた。沙羅双樹、菩提樹など境内のほとんどの木は落葉していた。その中でセンダンの木が枯れ枝に黄色い実だけををいっぱいつけていた。12/14
・波間に漂っている。砂浜に上がったという記憶がずいぶん遠い。時にはうまく板の上に立ってすいすいと数メートル進むことがあるが、たいていは波に揺られながらそこの冷たい水を時々感じながら、沖に流されてしまわないようにゆらゆらと浮かんでいる。波をかぶってもすぐに浮き上がらなければならない。夏にはもぐることが出来るし、太陽の光が気持ちいい。しかし、冬は水が冷たく波も容赦なくやってくる。当分陸に上がれそうにないなあ。11/28
・ずいぶん前におばかエッセーでバーチャル練習所のことを書いた。平舞の舞人がなかなか合わせ稽古の予定が立たないとき、バーチャル練習所が存在したなら、なんと便利だろうと思ってしまう。しかし、このシステムの弊害はかなり大きく出てくるだろうと思う。それが何かはわからないが確実に出てくることは感じる。知らない間に僕たち楽人も便利なものに毒されているのかもしれない。すでに音楽、映像、通信の媒体の進歩は目覚しい。便利なものが出来ればそれを使用することは簡単なことだが、そういったものを使わないでおくことは結構難しい。南都のめざす「そのまま伝える」の意味をよく考える。雅楽は、時代とともに変化することを積極的に求める芸能ではない。人から人にかわらずに伝承していこうと努力していく中で、ゆるやかにその時代を内包していく変化こそが、雅楽における発展だと考えている。雅楽はその瞬間に輝くものを求めているのではなく、ずいぶんと遠い過去と未来を見ることで現在の位置を確かめている音楽だと思う。11/27
・ハーブも紅葉する。特に綺麗なのがオレガノの紅葉だ。赤、紫などのグラデーションに変化するのだ。海を渡ってきた欧州の植物が日本の冬の風にさらされて色付く。これらの植物の遺伝子にとって初めての経験かもしれない。11/26
・牡蠣の鍋を食べた。だんだんと牡蠣がおいしくなる季節。牡蠣鍋や小さき夜の白き海 信雪11/13
・朝、窓をあけると風が冬を運び込んでいた。街路樹の枯れ葉はサカサカと崩れていく。控えめな夕焼けが夜を呼ぶ。冬が忍び寄る。11/12
・強い雨が舞殿に落ちてくる。甘州の舞には種まきの手という舞の所作がある。実際に種まきを表現しているのではなく、あとでつけられたものだと思うが、名前がおもしろく、かなりゆったりとした所作の多いこの曲の中で唯一はやく動く部分である。湿気を帯びた旧物の下襲の袖を翻し舞い終わると、今年もあと2ヶ月。おん祭りが近づいてきた。11/5
・晴れた夜空に十三夜の月が浮かぶ。楽の音はよく響く。周りの森と響きあう。500年の空白を埋める楽の音。舞台はやはりここであった。実証的に感ずるものがある。かわらずに待っていてくれる舞台が播磨にもあった。10/9
・2年前に鶴林寺のご住職とお話した夢が一つかないそうである。播磨の雅楽を復活させるというプロジェクトの一環として十三夜の観月会で雅楽公演を行うことになった。南都方の楽人として、三方の楽所から離れたふるさとの雅楽の復活にかかわることが出来たことはこの上ない喜びだ。多くの方々に感謝したい。晴れるいいな。10/6
・「みーやん」に久しぶりに会った。みーやんとは野良猫である。以前、家の前でバーベキューをしたときに焼き魚の骨をうっかり与えてしまった。それから何日か、玄関先で毎晩みーみーと甘えた声をだしてないていた。めざしをやったりしていたが、野良猫に餌を与えることは、かえって残酷であり、近所に迷惑をかけるという知人の忠告から与えないようにした。なく日が少し続いたが、雨が続いたとき以来姿を見なくなっていた。そして、3ヶ月ぶりに見かけた。以前は子猫だったが、足が太くなりしっかりと地面を踏みしめてこちらに歩いてきた。野良にしては毛並みがいい。見かけなくなって心配していたが野性とはそんなやわなものではない。力強く生きていたようだ。庭に糞をしていくふてぶてしい顔の猫とは違い、顔はすっとしていて大人の顔になっていた。9/27
・大阪の国立文楽劇場での落蹲(らくそん)の舞のときに降る紙ふぶきの雪。舞の手が雪を掻き分ける。昭和60年の雪のおん祭りを最後に、それ以来雪は降っていない。温暖化が影響してか、雨になることが多い。南都の鼉太鼓は大きすぎて劇場には入らず、小型の鼉太鼓をが用意されていた。東京、大阪とあわただしい初秋の出張公演が終わった。9/21
・夏はだらだら、だらだらの渋滞の窓ぎらぎらとぎらりとひかる橋げたの欄干かんかんてりつける、夕日の前の太陽のようよう翳りゆくひかな、かなかな鳴いたひぐらしも、ひくくたかくのアキアカネ。赤いフィールド走る音。音は立てずに吹く風の、膨らむ秋の希望かな。明石陸上競技場にて9/17
・南都楽所の東京公演は何年か前のイイノホール以来のことだと思う。あの時は打毬楽を舞った。今回は春日古楽保存会70周年を記念しての公演で、おん祭りの芸能を劇場で公開する。朝日マリオンで14日。南都楽人は13日現地入りする。久しぶりの東京だ。風が強くなってきた。台風と平行しての移動になりそうだ。9/12
・人のためにどれだけのことができるだろう。全力でがんばっているなんて単なるはったりで、まだまだできることがあるように思う。おもい上がりかもしれないけれど、車のバックミラーに移った夕焼け色の入道雲の陰影を見てなぜか、おもう。9/10
・午前中、風が止まる。じっと立っていても汗が出る。徒然草には「家の作り方は夏を基準に考えるべきだ」という内容の文をかいている。そのことを教壇で話してはみたが、暑さからの救いの言葉ではない。簾、風鈴、扇子、団扇、前栽の緑、など昔から温度を下げることよりも心理的に涼しい感覚を求めて日本人は工夫してきた。9/4
・残暑にほっとする年も珍しい。雨が降って気温も低くなんだかさみしい夏だった。海にも泳ぎにいかなかった。休日に夕暮れのテトラポットで涼んでいると、釣り人が70センチぐらいのスズキをを釣り上げた。すごく大きいと思ったけれど、スズキは出世魚でこれぐらいの大きさだとフッコといって、スズキの一歩手前なのだそうだ。8/18
・夏安吾(げあんご)はお寺で夏の期間修行すること。インドでは雨季であったのでこういう習慣ができたそうだ。蝉時雨、8月になってやっと夏らしくなってきた。朝夕は涼しい。播磨のお寺によせていただく。8/1
・ちょうど京都では祇園祭のころだなあ。この時期は働き始めてからはとても忙しい時期なので、いくことができない。笛と鉦の独特な繰り返しのリズムに下駄を鳴らして歩いた。宵山は人が多すぎるので、宵々山に出かけることが多かった。7/16
・久しぶりにさわやかな風が吹く。ずっと雨で湿っていた。こうも降り続いた後では、かえって湿気が去るときに、呼び水のようになって水を取り去るのだろうか。7/15
・昭和モダン横丁という名前で昭和30〜40年代を中心にした街の雰囲気を再現する。ラムネやぽんぽん菓子、なつかしの給食メニューの再現。ディスプレイも本物のレトロなテレビや時計、看板には太村こんのオロナミンCや金鳥のをかける。銭湯の煙突まで再現する。看板文字は全店大正時代のレタリング辞典をもとに作る。やりだしたらとまらない。文化祭の模擬店の話。7/1
・散華(さんげ)は、本来、大きなお寺の法要でお坊さんが読経しながら撒く蓮の花びらをかたどった紙片。この散華を屋外での雅楽演奏会の演出に使用した。梅雨の間隙を縫って撒かれた散華は、折から近づいていた台風の風に乗って、はるか上空まで運んでいった。梅雨明けはまだかなあ。6/29
・フェンネルの黄色い花が咲いた。カモミールも林檎のような芳香を放っている。セージの紫の花も咲いた。タイムが白い小さな花をつけた。夏へ向う風がハーブをなでている。6/7
・熊野古道の入り口にある和歌山の春日神社。全国から投句された俳句と短歌が参道の木々の枝からさがっている。そこで蘭陵王を舞う。何年か前に来たことがあったけれど、何もかわらず静かな場所。変わらない普通のことに遭遇してほっとすることがある。海南には、よい空気と、みかんの花の香りが漂っていた。5/10
・西宮での友人の結婚式にでる。空は晴れ渡っていて、これ以上ないほどの祝福の光がふりそそぐ。夏へ向かっている。5/5
・薬師寺講堂が完成した。落慶法要で舞わせてもらう。散華が舞う晴れ渡った空。どんなに世界が病んでいても、それぞれの人々の上にそれぞれの神様や仏様がいて、そこにはそれぞれの人々の普通の生活がある。だれもその生活を壊されたくはない。4/28
・春はまだまだ遠いと感じる。ふとした瞬間、時間がものすごい勢いでごおごお音を立てて流れているのに気付く、ちょっとやそっとでは止みそうにない流れだ。冬の寒さにも永遠に氷ることのない流れ。もう一度流れの中に入って流れる。その流れがいったいどこにむかって流れているのか、何を運んでいるのか、はっきりとはわからない。しかし、それは必要な流れだとは感じる。だからその中でできる精一杯の息継ぎをしながら、あるときは流れに逆らい、時には流れに思いっきり乗ってみたりしながら進んでいく。いまの流れは黄河のように不透明ではやくそれでいて、どうしようもないほど、ものすごい力をたたえた流れだ。3/3
・夜中に突然呼吸ができなくなった。緊急病院に連れて行ってもらった。無理に息をするとかなり痛い。とうとうきてしまったか。一番心配したのは「肺気胸」であった。無理に力任せに吹くような僕の笛の吹き方ではいつかかってもおかしくないかなと思っていた。医師もそれを最初に疑ったらしく、まずレントゲンをとった。幸い気胸ではなかった。エコー、心電図、血の検査。相変わらず痛かったが、怖い病気の可能性がどんどん消えていったので、ERの緊張も和らいでいった。こんな夜中にとても丁寧に何人もが応対してくださっているのが申し訳なくなってきた。胸膜の一時的な炎症の可能性ということで、薬を処方してもらって帰った。風邪によるせきが続く中、オフがなかったので無理のしすぎだったようだ。といって休むことができないので仕方がない。痛み止めが効いてきたのか明け方には少し楽になってきた。2/21
・「雪山へ向かう車窓の光増す 信雪」妙高山の麓、赤倉スキー場。今時では、珍しくなった国内のスキー修学旅行の引率だ。夜は、生徒と教師によるパフォーマンスの発表会。半端じゃない気合の入れよう。寝る間もあまりなかったけれど、生徒たちにとって、とてもいい思い出になったと思う。「あたたかきものも積もりし雪の宿」2/10
・雪山から帰ってくると、鉢植えのチューリップのつぼみが色づいていました。ちょうど空の色はBelieve In Snowの空の色。寒さの中に春の気配。2/8
・成人の日はとても寒い一日だった。思いかえせば、成人式には出ずに、僕はここ、舞楽始式で舞わせてもらっていた。ちょうど「賀殿」(かてん)の舞で春日大社の林檎の庭での初舞台だったと思う。その日も寒くて、白くうす曇の日だった。今年の「散手」(さんじゅ)は舞も、楽もとても難しい曲。笛の音頭もなかなか難しい。1/14
・壬生菜(みぶな)の漬物がおいしい。おばちゃんの畑で抜いてきて、冷たい水で洗ってすぐに塩をして浅漬にする。赤い皮のジャガイモも掘って、洗って薄切りにしてトースターで焼く。焼き色がついたら溶かしバター醤油をかける。水菜ももちろん自家製、油揚げと一緒にこぶとかつおの出しにさっとくぐらせポン酢で。新鮮で無農薬のものは格別においしい。1/6
・いつも当HPをごらんいただいているみなさん、あけましておめでとうございます。昨年は新婚旅行の時に念願が叶い、初めての海外雅楽公演で訪れたイタリアに再びいくことができました。舞楽「蘭陵王」の初舞台を踏ませていただきました。諸先生方に感謝いたします。忙しさにかまけてご返事もせずままの失礼をお許しください。今年もよろしくお願いします。1/1/2003平成15年
・大晦日の昼間、蕎麦を買ってから実家に帰る。「なんや、年末やいう感じしませんなあ。」「そうやなあ、毎年そんな感じが強まるわ。」街のあちこちでそんな声を聞いた。その理由を不況に求める人もあれば、時代のせいだとする人もある。大晦日の深い時間にさしかかるころ、毎年聞く、少しうわずった高い鐘の音が響き始める。雅楽音階でいうと、壱越(いちこつ)をはった音。お寺の鐘をつかせてもらいにいった。このお寺の鐘は幼いころ衝きに行ったきりだった。昔は小豆を升から升へ移して数えておられたが、やがて電卓になっていた。今年行くと板に正の字を書いて数えておられた。鐘の音は撞いたあとの、「うわんうわん」という頭がくらくらするうねりの余韻音の中家路についた。元旦初日の出、雲間から顔を出すおひさん。出てくるとわかっていても、顔を見て、ほっとした。1/1
・おん祭りの遷幸の儀は大雨で送り楽と迎え楽だった。乱声を若宮の細殿の格子を上げてその中で吹く。お旅所では慶雲楽(きょううんらく)でお迎えした。参道の上の方からけいひつの声が聞こえてくると、一瞬すごい勢いで風が吹いてきた。春日の森がぐらっと動いた。暁祭が始まると雨が上がり月が雲間から顔を出した。お旅所祭は晴儀で行うことができた。12/22
・おん祭りが近づいてきた。13年前おん祭の陪従(べいじゅう)の笛役で馬に乗せてもらった。馬上で笛を吹くと、「俺の背中で何をしてんねん」という感じで目玉を馬上のこちらに向けてくる。篳篥のほうはもっと大変で、「なんちゅう音をならすねん」といわんばかりに、「ひひん」とないてお旅所の芝舞台に駆け上がったこともある。次の年には、乗せてもらう前に馬に笛を聞かせて、「お願いします」と言ってからのることにした。そうすると、あばれずに、ゆっくりと運んでくれた。12/15
・毎朝とおる道のはたの池が氷った。その池のはた稲荷の鳥居のわきに正三位の狐がすまして座っている。そして、池の薄ら氷の中に五位鷺(ごいさぎ)が立っている。同じ場所に動くことなく立っている。堂々としたその大きさとグレイの佇まいが渋い。けさその五位鷺が飛び立った。三位の狐の上を越えて飛んでいった。12/12
・雅楽というものに携わっていると「結ぶ」という行為がなんと多いことかと気付かされる。衣装を準備する。風呂敷に包む。装束をつける。何箇所もの紐を結ぶ。笛の筒の紐を結ぶ。太皷の飾り紐を宝結びに結ぶ。楽所幕をはる時に木に結びつける。古くは紐を結ぶということをよくしてきたんだね。11/25
・丹波篠山のデカンショ街道の山々の紅葉はとてもきれいだった。今年はいっきに冷え込んだために一段ときれいなんだろう。村の鎮守様のような神社でのお茶会での雅楽。宮司さんは、奈良と縁のあるお方で、とても喜んでくださる。村の人はとても熱心に聴いてくださった。お茶席のときに別の部屋から音だけを流す平安の御遊(ぎょゆう)のような演奏。篝を焚いた庭での演奏と室内での演奏と解説。とても冷え込んでいたが気持ちのあったかい演奏会だった。11/16
・寒い日だった。兵庫県の北部では雪が降ったようだ。大石神社は幼いころにいったきりで、20年ぶりぐらいだろうか。ずいぶん雰囲気が変わっていたように思う。9月に造られた新しい社殿の前の舞台で蘭陵王を舞わせていただく。11/9
・授業をやめにしてクラスの生徒を連れて学校の隣の埋蔵文化財の調査事務所を見学に行った。学校の隣にこれだけの文化財が保存してあることも驚きだし、ミイラ化した人骨が五体もあるのには驚いた。そして、意外に生徒たちが興味を持って見ていたことに驚いた。研究所の皆さんありがとうございました。(今回見学させてもらった埋蔵文化財は普段は公開していません。)11/7
・文化の日は近年あったかい日が多かったが、今年は寒かった。春の春日大社の林檎の庭での舞立が、蘭陵王の初舞台であった。二度目の舞立は万葉植物園(春日大社神苑)だった。思えばここは始めて本格的な雅楽の舞台を見たところ。ほとんど見えない陵王の面の中から激しく動いたあとに、たまにのぞく水面は正直とても恐ろしい。まだまだ工夫すべき点が多くある。11/3
・ゲートを抜けて滑り出した車が大きな満月を捕らえた。ビルに見え隠れするたびに、端のほうから冷え始めた月が青みを帯びた。カーブを曲がると大きな山が目の前に横たわる。ながいながい随道の始まり、今はいっきに抜けていくけれど、それはながいながい道のりだった。楽の音のするところへつながるその道。けっしてスピードが忘れ物をしないように気をつけながら。10/29
・龍野城の埋門を左に見ながら本を抱えて、坂を上る。旧制女学校の木造校舎が図書館だった。入り口を入って右の部屋だったと思う。中央に大きなストーブが置いてあった。窓際のほうから廊下側に向かって絵本が並べられていた。辞書類はその奥。黒ずんだ床はぎしぎしと音を立てた。やさしい司書のお兄さんがいて貸し出しカードを抜いて三冊渡してくださった。とても満足して、幸せな気分になって寒い外に出た。本が好きだったというよりその空間が好きだったのだ。(現在、その場所は龍野歴史資料館になっています。)10/25
・丹波笹山の友達から枝豆の束が届いた。黒豆の枝豆だ。大粒でほっこりしたのがとてもおいしい。寒くなってきた。夏のハーブバジルがかろうじて生きている。時期遅れの唐辛子が色づきはじめている。10/23
・今年は奈良の大仏さんの開眼から1250年目にあたる。10月に東大寺で50年に一度の大法要が行われた。19日は結願で、その行事がクライマックスとなる。大仏殿前に設置された舞台に雨が降り始めた。鼉太鼓のカバーもはずされることはない。雨儀として、特別に大仏殿の中で舞うことになった。振鉾を舞っていて鉾が大仏様の顔のほうに向きそうになって、失礼になると思って少し逸らしてしまった。賀殿を舞った後、落蹲の音頭をさせてもらう。殿内は笛の音がよく響いて気持ちがよかった。雅楽の歴史の初頭を飾る大仏開眼供養の舞楽法要から、絶えることなく今まで伝えられてきた舞樂のすごさを感じた。10/19
・秋祭りに僕の郷里の龍野では「鮗(このしろ)の押し寿司」を食べる。これを食べると秋が来たことを感じる。それぞれの家庭で酢の利かせ具合など、味が違う。家のは押すときに酢橘(すだち)を入れたりもした。鮗を食べる地域はそんなに多くはない。同じ播磨灘に面した地域(兵庫県の南部)でも東の加古川あたりだと、もう「さば寿司」である。この時、重石に使うのは、家では30年ぐらい前のまったく使わない中途半端に古い子供用の百科事典だった。重さの調整がしやすくてよいのだ。10/5
・「桜紅葉や清き流れや山と川との景よき所〜♪」母校の兵庫県の小宅小学校の校歌を思い出した。龍野は秋が似合う町である。三木露風(みきろふう)の「赤とんぼ」の歌詞どおりに夕焼け空に赤とんぼが飛んでいる。この校歌も三木露風の作詞で、露風は僕の出身高校の先輩にもなる。作曲は近衛秀麿さん。この方のお兄さんは総理大臣の文麿。弟直麿は秀麿さんと雅楽の越殿楽をオーケストラに編曲した方。さらに弟の忠麿さんは、春日大社の宮司で、南都楽所の雅楽存続の危機を救った中興の先生であった。この校歌から、不思議な縁を感じた。9/29
・暑かった夏にさよならをして一ヶ月。早朝には長袖でもひやっとするような朝が出てきた。車のフロントガラスに露が降りている。雨がたくさん降ってきた。傘を忘れて濡れて走る。秋に降る雨はどんどん温度を奪って行く雨だ。向こうから犬が濡れながら歩いてきた。目が合ったがすぐに互いに前方に向かってすれ違った。濡れながら走る僕、濡れながら歩く犬。もう直ぐそこが家だ。走るのはやめた。すると、雨の中でも秋の草のにおいがするのがわかった。9/28
・まわり角などにおかれる木の板に書かれた人形の「とびだし君」。結構、全国的に設置してある。たいていは漫画のキャラクターとかであるが、手作りなので、妙に人相の悪いのや、顔色の悪いもの、笑いすぎているものなど、いろいろなのがあって楽しい。ある村でみたのは顔が妙にふけているクレヨンしんちゃんだ。その村のとびだし君はすべて「クレヨンおっちゃん」なのである。しかも、まわりかどでも何でもない山に面した道に連続しておいてあったりする。こんな壁からとびだしてきたら違う意味で怖い。たしかに目に留まるし、注意してみてしまう。ねらいなのか。9/21
・秋晴れ陸上競技場。決勝の審判役で一日階段状の審判台に乗っていた。暑いけれど幾分か水分が空気から去った。「フィールドをアカネとんぼの影渡る 信雪」9/19
・中座が燃えた。奈良から難波は、近鉄線で意外と近い。学生時代に歌舞伎を何度か見にいった。心斎橋、アメリカ村、ぐるぐる歩いてもたいてい法善寺横丁の路地を一度通る。ほっとするのだ。横丁の店先にある盛り塩、いつでも水がうってあって光っている石畳、苔むしたみずかけ不動。中座や法善寺横丁の復興を願います。9/16
・夏の終わりから秋にかけてのこの隙間には、過去につながっている穴がきっとある。次から次へ、学生時代のことなんかを思い出す。それはこの季節の記憶にとどまらない。なんでもない道端の風景や、会話。場面が浮かび上がるのだ。9/13
・夜更けに出窓の前にいるといい風が入ってきた。この出窓は床からのガラス戸で、ヨーロッパ製なので日本の規格サイズにない。だからこの網戸は手作りだ。そもそも蚊をよける網戸なんて、あちらの国にあるのかなあ。西の扉の網は父がうちに来たときに作ってくれた。この夏、自分で東の扉の網戸をつくるのに挑戦した。うまくいったのだが、やはり廃材を使って丈夫に作った親父のと比べて、少し弱いつくりになってしまった。9/10
・秋風が気持ちよい。そんなに涼しくなったのでもないのに、店頭のマフラーやセーターを見ていると、北風の厳しい特別に寒い冬の日に飛び込んだカフェを思い出した。体の芯にしみこんで、すごく贅沢な気分というものを覚えた。19歳近くまで、コーヒーを口にすることはほとんどなかった。今でもあまり飲まない。それでも、あの香りに引かれて、ミルまで買ってきて下宿で豆を挽いて飲んだ。というよりも、訪れる友達に飲んでもらうためだけに挽いていたように思う。湯を注ぎもわっと盛り上がるコーヒーの盛り上がりも好きだった。久しぶりに豆を買った。9/9
・通りすがり、だれかが今年はつくつくぼうしが少ないと残念そうにいっていた。やっぱりそうだったのか、イタリアから帰国後、いっきに向かう夏の終わりの中に、つくつくぼうしの声はあまりなかった。ただ、湿った暑い空気がそこにあるだけだった。そのかわり、近ごろ西の空がおもしろい。薄紅の光を帯びた雲のもこもこは遠い未来が顔を出したようだ。「空蝉の風にころがるまたいつか 信雪」9/6
・山へ水を汲みに行った。千種川水系の源流の水は放射能泉で、飲んでも、お風呂として入っても気持ちがいい。たかが水でも所によってぜんぜん違う。僕は揖保川水系の超軟水で育ったので、ヨーロッパ系の硬水を飲むとすぐおなかが通ってしまうのだ。9/4
・カプリやけの肌もすっかり元に戻ってしまった。まだまだ暑いが風は涼しい。栗林で栗を拾う。枯れ草の中からこおろぎがとびだした。「こほろぎの壁にはねたる昼深し 信雪」9/3
・職場の裏に無花果(いちじく)の畑がたくさんある。周りには好きな人がたくさんいるので買って帰ることにした。おばあさん、おじいさんに孫が二人で手伝っているふうだった。一かご500円。どんなのがおいしいのか聞くと、「わたしは、汚くて、ばかっと割れているのがすきや」と教えてくれた。僕は無花果のにおいが「きいきい虫」(かみきりむし)を思い出すのでどうも苦手だったが、思い切って食べてみた。熱を含んだ粒粒が口の中で甘く広がって意外とおいしいことに気づいた。8/31
・長い夏休みが終わろうとしている。日本の南のほうを大きな台風が通っている。夕方の空はいろんな国のいろんな時間の空間が時空を越えてきたようにいろんな顔を見せている。南は光を帯びた白い細い雲。その下に渦巻くような黒い雲。北のほうは青から緑のグラデーションになっている。またある場所は、なんでもないような顔をしたまだ夏だと主張するような青い空。天頂付近は、羊のような雲。不思議な夏の終わりの空。8/30
・百日紅(さるすべり)の花が咲いている。薄紅の花だけでなく、白花があることを知った。確かに名前の漢字が表すとおり、夏の長い間咲き続けている。また、木肌が独特の色をしていて、つるつるである。サルがすべるというのだ。8/29
・「月の羊」。僕が生まれる数ヶ月前アポロ11号が打ち上げられた。月からの中継で活躍したのがオーストラリアのパークスにある巨大なパラボラアンテナ。そして羊しかいないといわれたこの場所で必死で困難を乗り越えて全世界に中継した人たちがいた。そんな映画を見た。8/28
・京都の夏は暑い。気温もそうだが、湿度が高い。たまらなくなって、入った粟もちやさん。粟もちと小倉に氷がかかっている「粟もち氷」、その場でたてた抹茶が氷にかけてある「宇治氷」。どちらも惹かれたので、メニュ−にはない「粟もち宇治氷」を特別に(単なるわがまま)注文した。おばちゃんは笑顔で作ってくれた。涼をもらって再び歩き始める。バリヤーのようにしばらく涼をまとった体を蒸し暑い空気がよけていくように感じた。8/25
・FMから夏の終わりをテーマにした曲がよく流れている。どういうわけか、高校生のときに夏の終わりにはスターダストレビューの曲をよく聞いた。だから夏の夕暮れ時の秋を感じさせるには早いけれど確実に夏が終わりを運んでくる風をうけるとあの曲を思い出すのだ。8/24
・暑かったのでとても久しぶりに前髪を上げてみた。そこにサングラスをして出かけた。すっきりしていいのだが、何か違和感がある。なんだかなつかしい髪型なのかなあ。違和感を抱えたまま歩いていて、ショウウインドウに映った自分を見て、やっとわかった。どうみても韓国映画の俳優なのだ。イタリアかぶれでも、やっぱり正真正銘純粋にアジア人なのだ。お風呂に入って、アジアの日本人に戻ることにした。8/23
・イタリアの野菜にカルチョーホ(アーティチョーク)というのがある。巨大アザミのつぼみを食べるのだが、それを原料にしたお酒があって、cynar(チナール)という。かなり癖のある味の食前酒なのだが、僕はかなり気に入っている。イタリアでも現地のお酒好きそうなおじさんに質問すると、自信ありげに「ヴオーノ(おいしい)」といって売っているところに連れて行ってくれた。イタリアではバールで注文しても飲むことができる。イタリアの女性とそんな話をしていると、笑いながら私は酒乱じゃないので詳しくはわからないといわれてしまった。僕もちょっとだけ飲むだけなのに。8/19
・お盆は地獄の釜も休みという言葉どおり、魚を買いに明石の市場に行ったが乾物しかなかった。夕刻前に激しいにわか雨が降った。さっと、あがって日ざしがさしてきたので外へ出た。雑踏の中に水溜りが光っていて、その後すぐに潮を含んだ水分が体を襲ってきた。イタリアのフィレンツェのシニョーリア広場でも通り雨があった。ベッキンガム宮殿の塔のバックの空が青から黒に変わったかと思うと、大きな雨粒が落ちてきた。うそみたいに、嵐は去って光を存分に含んだ水溜りと、そこらじゅうの石の建物に跳ね返されて、やがて光が広場に満ち溢れていった。8/18
・おかげさまでこのホームページはアクセス数10000回をむかえました。ご覧いただいている方は、気楽日記がおもしろいといってくださいます。自分に向けて語るはずの日記をよそさまに見ていただくというのはなんだかはずかしいのですが、紀貫之のように誰かに仮託するのでもなく、生の自分の喜怒哀楽と、たぶん自分も気付いていない僕の思いに共感していただけるのはとてもうれしいことです。7/17
・ローマからロンドンに旅立つときレオナルド・ダ・ヴィンチ空港に雨が降り出していた。やがてものすごい豪雨となるが、その間隙を縫ってアリタリアの飛行機は飛び立った。数日後のニュースで欧州の未曾有の洪水が伝えられた。8/16
・昨日、イタリアから帰国した。12年ぶりのナポリの空はやはり青かった。ひざしはまぶしかった。カプリ島のひざしはさらにまぶしく透き通っていた。(・ミラノ・メストレ・ベネチア・フィレンツェ・チボリ・ナポリ・カプリ・ソレント・ローマ)8/12
・夏休みになると植物採集のことを思い出す。小学生や中学生がこのHPの「植物採集図鑑」を見てくれているのがうれしい。自由研究はお金をかけてはいけない。昆虫を標本にするのはかわいそうに思うという発想から、僕は当時植物採集派だった。名もない草花とはいうけれど、道端のどんな草にもきちんと名前があって調べているとおもしろい。押し花にして水分を取るのに何度も失敗して、だんだんうまくなっていくころに夏が終わっていった。8/2
・『スーホの白い馬』はモンゴルの楽器馬頭琴の由来をめぐる悲しいお話。モンゴルの民話で絵本になっている。好きだった絵本のひとつで、本屋さんで見つけて思わず買ってしまった。今も変わらず、声に出して読むことで、すごく力を持つ物語だった。8/1
・信じられないぐらいきれいな洋館のような三田祥雲館高校高校で真夏の夜の演奏会。雅楽においては、季節に音をなぞらえるということをする。夏の音は黄鐘調(おうしきちょう)。でもあまりに暑いので、先取りして、秋の音、平調(ひょうぢょう)の曲を演奏するとしよう。8月にはいれば立秋がある。せみの声もいっそう大きくなっている。若かった入道雲も大きく成長して空に張り出している。7/31
・谷五郎さんのラジオ番組に出演する。レポーターの方の質問も答えやすく、よい雰囲気で生中継が進んだ。スタッフのあたたかい心意気がこちらにも伝わってきて気持ちよかった。7/30
・琵琶の調絃が難しい。湿度の高い日、温度が高い日、日々空気を伝わっていく音が違う。毎日、音の表情が変わる。7/29
・じりじりとてりつける。海へ行こう。家から車で一時間ほど、明石大橋を渡って、淡路島の南の海岸へいく。鳴門海峡の流れがこの辺の水も入れ替えているのか、水は冷たい。夕食には沼島(ぬしま)でとれたという鯵の刺身。イカ天もうまい。7/28
・天神祭りの船渡御(ふなとぎょ)の船に乗せていただく。飛翔橋から出発して夕暮れの川面を進む。すれ違う船とお互いに大阪じめで、あいさつを交わす。花火があがる。能の船、文楽の船、落語の船、人形船、どんどこ船、歌っている船や踊っている船。いろんな船が行きかう。主役であるはずのごほうれん船だけが静かに行く。ビルの間に満月が出ていて、大阪城も見える。ずいぶんいそがしく、にぎやかな祭りである。上陸するころには風が涼しくなっていた。7/25
・「タイムマシーン」は小さいころから「ドラえもん」や眉村卓の小説から想像を膨らませていた。高校のときに読んだHGウェルズの原作が今映画化されることがうれしい。CGで可能な限り再現している。ヴィクトリア朝の椅子に乗って未来へ旅立つところがなんともお茶目であると同時にかっこいい。7/23
・湿度80パーセント、気温30度。夕方の温度計。雲の流れが止まっている。空気の流れも止まっている。もうそろそろ動き始めてもいいころ。台風が近づいている。南からどんな夏を運んでくるのかな。7/9
・明石は海の近くなので凪がある。昼は気温は高いけれど風がしっかりとある。夕方、ふっと風がなくなる。その、ふっとなくなっていることにふと気づき、ふたたび喧騒が聞こえ出す瞬間が好きだ。7/8
・蘭陵王の稽古。舞わせていただく。南都楽所の祖の雅楽の神様、狛近真が舞われた場所。春日の森から蝉の声が聞こえる。不思議な鳴き声の蝉だ。7/7
・うちの近くの映画館に自転車でレイトショーを見に行った。どんなにいそがしくても夜中には時間が空くのだ。日中の暑さも強くなってきたけれど、夜の風は気持ちがいい。タイヤの空気が減っていて、すこしゴトゴトいっている。帰りは押して歩いてかえる。田んぼに張った夏の水のにおいがする。7/6
・雅楽以外のことで舞台に立つのは僕の場合、普通は緊張をするものだ。最近テレビ番組の影響でアカペラがはやっている。「シミペラーズ」と名づけられたとっても怪しく愉快な6人による公演にコーラスで参加した。のりで押し切ってしまうという普段絶対にしないことをやってしまった。実はとても楽しかった。歌うことって楽しい。
・文化祭の劇を演出する中で龍の資料を集めた。伝説のものなのに、いろんな絵を見てみると共通項が見えてくる。いろんな郷土芸能や雅楽の資料も役にたった。全長15メートルの巨大な龍がゆるゆると動き始めた。6/16
蘭陵王の初舞台を踏ませていただきました。かつて、狛近真が舞ったというりんごの庭の舞台なので、光栄なことであると同時に恐れ多いことです。南都で雅楽を志すものにとって思い入れの強い曲で
す。5/5
・「土筆(つくし)」をまだ見たことがないといういとこの子供と、実家の近くの丘へのぼった。短い斜面を眺めると雑草の配置は昔と同じだ。「からすのえんどう」の小さな赤い花、「たんぽぽ」の黄色、「蓬(よもぎ)」が白い産毛を光らせている場所。二十年以上前の記憶は鮮明だった。昔、群生していた場所へ行った。数本だけしかなかったが、子供を呼び寄せた。若すぎて袴のつまったのは、かわいそうなのでおいていこうな。夢中で摘み取る子供たちの姿に昔と何も変わっていない故郷があることにほっとした。3/18
・世界遺産というテレビ番組で、姫路城が取り上げられた。うちの母方のおばあちゃんのおばあちゃんは、姫路城の城主の酒井のお側御用人の娘だった。小さいころによく行ったおばあちゃんの家の蔵には脇息だとか、大きな雛人形があったりした。その雛人形には三十センチぐらいのお琴や琵琶が飾りについていたり、人形のお顔はきれいだけれどどことなく恐い表情で、7センチぐらいもあった。おばあちゃんのおばあちゃんは、お歯黒をして二階の座敷に座っておられる、そんな印象があるとおばあちゃんから聞いたことがある。子供のころそんな空間に足を踏み入れるとなんだか引っ張り込まれそうな恐い印象があったように思う。勝手に蔵に入っておこられて、なきながら、庭に出たとき、前栽の脇に植わっていた金柑の実を取って皮を食べた。泣き止んで、むしゃむしゃ食べて、食べ過ぎて唇がひりひりして、このひりひりする不思議をおばあちゃん家の隣近所に「唇がひりひりするねん」とふれてまわって、またしかられた。1/18
・元旦に龍野の金輪山に初日の出を見るために登った。遅れて上り始めたので少し険しいが、最も早い獣道をとおって登った。それほど高くないのでそこをとおれば、20分くらいで登ることができる。小さいころ遊んだ山で、抜け道や生えている植物のことをけっこう知り尽くしている。中腹で振り返ると夜明けの町が澄んだ空気をたたえて薄紫色にみえた。海の青はかすんでいて見えない。山間に見える池の向こうに上ってくるのだが今日は雲が多い。下山の道でおひさんがさしてきた。2002/1/5
・テレビの紅白歌合戦でドリフターズがうたっていた。「8時だよ全員集合」は僕が生まれた年に放送開始された番組だ。年末ちょうどそのとき、車を運転していた。カーテレビで見ていた。やがて「いい湯だな」が流れはじめた。外は冷え込んでいる。年越しそばを食べに帰ろう。12/31
・今年も残すところ数日となりました。おん祭についてのあたたかい感想をいただきありがとうございました。おん祭に携わるいろんな方が誇りをもって、このお祭りを支えてきました。当然見に来られる方もそれを支えておられるかたの一人です。信雪は「振鉾」「萬歳楽」「賀殿」と続けて舞わせていただいて、おまけに蘭陵王の龍笛の音頭(第一奏者)をさせていただきました。おん祭の特殊な環境の中で、神様に対して舞うこと、吹くことは、自分との対話でもあります。先生方の教えをうけてさらに精進を重ねていきたいです。12/20
・春日の大杉の上、天頂附近に牛飼い座のホームベース型の星の配列がさしかかっていた。今年のおん祭は若宮神社からではなく、春日の本社から遷幸行列は出発する特別な年。笛の乱声(らんじょう)を重ねて吹いていると、りんごの庭にたまった新月の闇に、降りそそいだ星明りと笛の音が溢れてきた。こんなに華やいだ静謐が満ちていると、伝説にあるように、待ちきれなくなった春日の神様がふっと舞い降りてきて萬歳楽を木の上で舞いはじめられるかもしれない。「神さま、もう少しお待ちください。萬歳楽は明日の夕暮れからですよ。」「それならば、明日の萬歳楽はきっと・・・」闇が少しねじれて、空気の流れがぴたっととまる。このとき生暖かい風が流れるのを感じた年が何度もある。肝心な言葉を言わずに春日の神様は僕らの吹く「慶雲楽」(きょううんらく)の前をすぎていかれた。12/16
・サンタクロースへのねがいごとに当時はやっていたパンダのぬいぐるみと書いた。次の朝、パンダらしきぬいぐるみが置いてあった。とてもうれしかったが、どこかパンダじゃない。売っているぬいぐるみとは明らかに違っているのだ。それでもけっこう気に入ってもっていた。そして次の年は人形だった。その人形の髪の毛や体に使われている布地や髪の毛あきらかに、母の裁縫箱のそばにおいてあるものと同じだった。妹と二人して母を問い詰めた。しかし、母は断固、認めることはしなかった。12/13
・再びもどってきた迷い犬の続き、黒い犬は首に名札がついていることがわかった。そこには「えり」と書いてあった。そして電話番号が一緒に書いてあった。そこに連絡すると、初老のおじいさんが軽トラックで迎えに来た。それでも、「えり」はなかなか帰ろうとはしなかった。相当ここが気に入ったようだ。12/12
・サンタクロースを信じていた。小さなもみの木がうちにあって、自分のくつしたをつるして願い事を書いた。ある年「チョコレート」とかいた。次の朝入っていたが、板チョコが半分だけ入っていたのだ。あれっと思った。母に「なんでなんやろ?」と聞くと、「たぶん虫歯になるからやろ」といった。その時虫歯があってチョコレートを買ってもらえなかったのでサンタにお願いしたのだ。12/11
・犬が迷い込んできた。黒のなかなか格好のいい犬だ。人懐っこくかわいらしいのだが、一応、不法侵入なので首輪をつかんで門の外までいっしょに歩いていった。黒い犬はこちらを振り返りながら歩いて去っていったが、すぐに戻ってきていた。昼頃にはもう姿が見えなくなった。おまえは一体どこからきたのか、この黒い犬はオランダに演奏で行ったときにみかけたのと同じ犬だ。今日の空も少し曇った寒いオランダの空に似ていた。12/10
・「桜桃(さくらんぼ)」と「凸柑(ぽんかん)」を実家のハーブ園に植えた。さくらは花びら茶や桜餅にするし甘い実がなる。ぽんかんは香気高い甘い実がなるのでハーブとした。内親王誕生のおめでたいニュースが流れている。自分は、この冬に転機を迎えるのであやかって、植えてみたのだ。ささやかな、そしてとても大事な植樹祭となった。12/2
・評論の中に藤山寛美の阿呆の表情についての記述があった。最近の高校生は寛美を知らない。小学校の時、土曜の午後、家でたこやきを焼きながら、お好みを焼きながら、吉本新喜劇をみる。そのあと近所で草野球のメンバーがあつまらなければ、おばあちゃんの家に行き、こたつでみかんを食べながら、松竹新喜劇で、寛美の泣き笑いを見ることがあった。高校生に「えっ、知らないの」ということが増えて、歳を重ねていることに気付く。11/26
・豊原繁秋という室町時代の京都方の楽人の笙の譜面が龍野歴史博物館に展示されていた。京や奈良から離れた土地でこういったものをみると、不思議な高揚感が生まれる。楽の音が流れていた時間を発掘するような感覚。どういった経路でここに展示されているのかはわからないが今ここにあるというだけで十分興奮を呼び起こす。館外にでると色付いた紅葉の向こうに陽が沈みかけていた。11/25
・今、姫路にサーカスがきている。散髪屋でいつも髪を切ってもらう人と昔の話をしていて思い出したことがある。私が幼い頃、たぶん30年ほど前にも姫路郵便局の近くにある総社の祭りの日の大手前公園にサーカスが来ていた。まるい大きな籠の中をオートバイに乗ってモルモットのようにぐるぐる回るのを見た記憶だけが鮮明にある。たぶんおばあちゃんに連れていってもらった。遅くなるからといって途中で連れて帰られたような気がする。ただそのバイクのものすごい音と排気ガスで外へ出たときに、耳がツーンとして、鼻をかむと真っ黒になった。11/24
・春日若宮おん祭まで一ヶ月。ここのところ雨の多いおん祭だけれど、今年は晴れてくれるかな。おん祭には雅楽を演奏しながら神様といっしょに参道を歩いていく道楽がある。はじめて遷幸の道楽に出させてもらったころは手がかじかんで、笛の穴が抑えられないほどの寒さだった。今日はずいぶんと寒い秋をとばして寒くなったような感じ、このまま寒くなるかな。ここらへんから転がるように年末までいっきに過ぎていくんだよな。11/17
・舞楽のたびに体力気力を消耗していたのでは、まだまだ修行が足りないと思う。しかし、今回の太平楽は少しわけが違う。曲の長さ、難しさ、衣装の重さ、動かしにくさは半端ではない。言い換えれば最も豪華で難しい舞楽だ。雨儀で片舞となったので今回、四臈の私は舞わなかったが、夢にまで出てくる舞だ。残念ながら成功している夢は少ない。太刀を抜くとき紐がほどけなかったりしたときのことや、舞の手がどこかへ飛んでしまったらとか、危機管理をめぐるものばかりであった。これも、まだまだ練習不足から来る不安なのだと思う。明日から眠れるだろうか。本番に向かって一種の興奮状態を作ってきただけに少し普通にもどるのには時間がかかりそうだ。11/4
・街でマフラーをしている人を見かける。そんな季節なんだなあ。奈良に住んでいたときに11月1日がかなり寒い日があって、コートを着ていった記憶がある。11月は、今年出来立ての新鮮な寒気が満ちている。冬の初めのちょっと覚悟をする季節で、あったかいものをかんじはじめる季節だ。11/1
・知り合いの幼稚園と小学生のお子さんがいる人から聞いた話。二人の娘さんが小さな旅をしたらしい。ある日帰ってみると書き置きがあり「おばあちゃんとこへいってきます。しんぱいしないでください」一家は騒然。その姉妹は、二人で何十キロも離れたところまで無事に歩いていったそうだ。その話を聞いていた人たちは「大変でしたね」と言っていたが、僕はそのひとに「いい話や。すごい!スタンドバイミィみたいだ」といってしまった。「心配するわ。そんな気楽なことを言うな」といわれたけれど、そのお父さんはとってもうれしそうだった。自分たちで水筒にお茶を入れて姉と妹は手をつないでおばあちゃんのところへいったそうだ。やっぱり、いい話だ。10/28
・たくさんの雨つぶが降りてきて、雨には時として歌がある。はげしい雨は胸の奥のほうにあったかい歌を、やさしい雨はあったかい歌のあるところへ導いてくれる。やさしい雨にかわってくる夜10/22
・京都の舞鶴の漁港はせりでにぎわっていた。「はたはた」と「かわはぎ」の干物を買って帰る。演奏したことのない土地で演奏をすると音が空気になじむまでに時間がかかる。音を重ねていくうちにその空間に雅楽の音色が充満してくるのだ。演奏が終わるころに充満しているとその演奏会は成功したことになる。客と演奏者が同じ空気を共有できる演奏がいい演奏会だ。高校での演奏、終わるころには講堂にしっかりと充満していた。うまれた空気の中でめをみひらいて興奮している者、おおとのごもられた者も・・・。10/17
・魚とりにいった蛍の飛び交った小川、小学校の校庭のポプラ、ブタ小屋があった畦道、コスモスの生えた空地、からす瓜の絡まった木、桑の木、無花果の木のキイキイムシ、ブランコをこぐと香る風、夕焼け空と赤とんぼ、さびくさい鉄棒のにおい。どれもこれも僕のことを覚えてくれていたみたい。ほらこんなにあったかくて大事なものを与えられて一緒に帰ってきました。10/8
・よくはれた夜空に月が丸い光る穴をあけている。中学生のころだったかな、月には桂(かつら)という木があるという伝説を知った。その日の宵、月の出を待った。赤い玉が登り始まる場所がある。その日は満月だった。双眼鏡を取り出した。山ぎわにのびる竹が赤い月の玉を背景に揺れているのがわかった。これが、桂の木なんじゃないかな、と思った。10/3
・秋も深まってきました。おかげさまでこのホームページもまもなくアクセス数5000回目を迎えます。ご覧いただいている方は、気楽日記がおもしろいといってくださいます。自分に向けて語るはずの日記をよそさまに見ていただくというのはなんだかはずかしいのですが、紀貫之のように誰かに仮託するのでもなく、生の自分の喜怒哀楽と、たぶん自分も気付いていない僕の思いに共感していただけるのはとてもうれしいことです。10/1
・「雨だれの記」というものを書いていたときがある。目覚めたとき、部屋は薄暗く軒からたれる雨音を聞きながら、この世に再びもどってくる感覚。その多くは、疲れてどうしようもない時に、わずかに与えられた間隙の余暇に訪れる感覚だ。その感覚は、遠い昔に繋がっていることもある。また、自らの心の奥底にあるものに、ほんのわずかひたっと触れて浮上してきたような気がすることもある。そして、少しの悲しさと無意味なやさしさを連れてやってくるのだ。9/30
・僕が大学のときはアメリカンカジュアルなどといって、ラルフローレンやGAPがはやった。白いTシャツにリーバイスのジーンズ。メジャーリーグのキャップもはやっていたように思う。そのころは、年がらねんじゅう、アメリカンオールディーズとジャズを聞いていた。アメリカの何に惹かれていたのかを最近考える。合理的で、ポップな感じか、強い国か、いや、アメリカンドリームに代表される過剰な当時の夢をもってもがいていた自分にわかりやすい生き方のヒントを与えてくれたからだ。大事な感覚と勇気を得た。しかし、それは僕にとっては過去のことだ。次にアメリカから勇気得るような出会い方をするときは、強いだけでなくやさしいアメリカの何かに出会ったときのような気がする。9/23
・「ほのかなる人の情けににるものか龍野醤油の薄口の味 吉井勇」好きな短歌の一つだ。龍野には醤油資料館と言うのがあって入館料10円。龍野公園には動物園があって無料。醤油饅頭は吾妻堂のがよい。9/16
・秋になると果物がいい。葡萄狩りにいき、葡萄を食べ過ぎた日があった。やさしそうな農園のおばあちゃんに、こつをきくと、つぶがおおきくて、ばらっとしたかんじになっているのが食べておいしいのだそうだ。出荷用にはかための房がしっかりしたのを出すようだ。9/11
・長寿祭(H13)は、りんごの庭で舞っていると、一帖の途中で雨が降ってきた。装束には悪いけれど、賀殿の「かき出し」の舞の手を舞いながら気持ちいいなあと思ってた。一揩ェ腰に手をつけたので、その場の判断で一帖だけを舞って舞台から入
る。この日、久石譲さんがテレビの取材としてきておられた。9/294CHの真珠の小箱というTV番組で放送される。信雪・四臈舞人9/15
・イタリアの現代デザインを扱った展覧会が神戸の六甲アイランドのファッションマートで開かれている。生活空間における超現代的なデザインは、見ているうちに現実的なフォルムやカラーに思えてくる。その日は新鮮な国産のムール貝が入り口附近の仮設レストランにあった。すごく新鮮でうまかった。ムール貝は雅楽の二回目のオランダ公演のときに、お腹いっぱいたべたときの、あの味に近かった。9/10
・富士山の中腹からメールが届く。濃い霧が立ち込めているそうだ。太陽も見えない霧の中を、ひたすら岩場を歩いているんだろうか。グロッケンを思い出した。自分の影が霧に移り、影のお化けがいるように錯覚する現象だ。白い霧の中にいると自分と空気の境目があいまいになり一つになるような気がすることがある。存在を大気にまかせる安心と存在の消える不安がそこにある。8/31
・秋アカネが飛んでいた。僕が育ったところは「あかとんぼ」の作詞者三木露風の生まれた土地で、秋がとてもよく似合う小さな城下町だ。住んでいたので見る機会が多かったのだけかもしれないが、夕焼けはどの町で見るのよりもきれいで、僕の原風景のなかには夕焼けの中に赤とんぼが群れをなして飛んでいる。本当に悲しいことなんて何も知らないあのころでも、空の赤がだんだん濃くなって、やがて黒が山影を支配し始めるとき、不安と悲しみが込み上げてきた。その怪しさをたたえた赤に、夢や希望といったものが凝縮されていることに僕は気付いていたような気がする。8/30
・夏への未練を抱えた空気が、その迷いを吹っ切るように浮かんだ雲をとばす。セスナの音が近付いている。姿は見えない。どこかで、軒に残った風鈴の音が聞こえる。今朝は、蝉の声がない。再び無音の街の森。高いところを渡っている風がみえる。夏の終わりの朝の音。8/29
・エクストラバージンのオリーブ油にアンチョビと乾燥オレガノハーブを「ジュー」といため、トマト農家に直接分けてもらった露地なりのトマトの夏をいっぱい吸い込んだのをざく切りにして入れる。ゆでたてのパスタをからめて、パルメザンチーズと心斎橋の大丸の地下で買ったモッツァレラチーズを入れる。オリーブの実を刻む。自家製の生バジルを入れて出来上がり。イタリアワインはなるたけ安価なものでおいしいのを、たとえば「キアンティ・クラシコ」トスカーナ産。うまそうでしょ。8/27
・御神楽(みかぐら)の歌曲は「あ〜」とか「おー〜〜」とかいうような、関西方言でいうところの、しんきくさい音楽なんだけれど、やっているとどんどんはまってくる。それに名人の歌うのは聞いていてすごい。なかには、「早歌」のようにすごくのりのいい曲もある。その中でも「星」の編成曲の途中のある場所に、笛と篳篥を演奏せずに歌う箇所がある。これはいわば、現代の歌謡曲の中にある「さび」の部分のような感じがして、御神楽にもこのような技法が使われていることに感動を覚えた。詳しく話したいけれど、秘曲なのでこれぐらいでかんべんを・・・。破門されちゃいます。8/25
・奈良には楽人長屋と呼ばれる建物があった。あつい土塀に切り取ったように出入り口がついている。それ風のものを10年程前に見たことがあるが、今はもう復元されたものを残すのみとなった。雅楽の秘曲が外に漏れないようにと工夫されていると言う。今、秘曲中の秘曲とされる御神楽を習っている。今でも公開せずに神前でのみ演奏している。人を遮断した夜の完全な静けさの中で、はじめて生きてくる音楽である。(近年CDでその一部を聞くことが出来ます。)8/24
・「千と千尋の神隠し」という映画がこの夏、公開されている。その中に出てくる紙のお面をつけてシャクを持った神様が出てくるが、それは、春日大社のお面を参考にして作ったと作者の宮崎駿さんは言っている。春日大社での舞楽で南都楽所が雑面(ぞうめん)を使うのは胡徳楽(ことくらく)という舞楽で、めったに演奏することはない。とてもユーモラスな舞楽で6つの仮面が使われる。右方の舞楽だがこの面をつける役割りの勧盃(けんぱい)は左方の舞人がつとめる。たまたま僕は10年前にこの勧盃の役ををつとめさせてもらった。南都楽所では10年前に演奏したきりであるから、このときの写真か何かを見たのかなあ。8/23
・台風のさった空は青く透明感があって、ひきちぎられた雲が所々残って、空を泳いでいる。遠景の青い山がくっきりと稜線をもっている。風を残しながら去っていった台風は夏を一緒に連れて行った。さわさわと揺れる街路樹のなかにたまった風の中に秋の気配を忍ばせながら。8/22
・「大仏のよく冷えている大暑かな 信雪」奈良にはいい仏像がたくさんある。昨日書いた技芸天、不退寺の業平がつくったという観音様、岡寺の大きな白い大仏。そして東大寺のだいぶつさん。芭蕉が6回目奈良を訪れた時には大仏殿が焼失の後まだ再建されていなかった。「菊の香やならには古き仏達 芭蕉」8/21
・久しぶりに奈良の秋篠寺(あきしのでら)に行った。蝉時雨の中にお堂はたっていた。その日はすごく暑かったのに、中はあのころとおなじように、ひんやりしている。その中にある技藝天(ぎげいてん)が昔から好きだった。頭が天平時代、胴が鎌倉時代の制作だが、一体となって不思議な微笑をなげかけてくる。技芸の上達を願うとかなうということから、よくこの場所にいった。このお寺のすぐ近くに住んでいたのだ。8/20
・「おそれ」は年を経るごとに少なくなっていくだろうか。時代が進むにつれて、なくなっていくだろうか。鬼が出る伝説の場所、幽霊が出る池、それが虚構であったとしても、人間が抱える不安が恐れとなって残っていくように思う。滝のある山間にでかけた。幾つも小さな滝が連なっているその滝壷のひとつに「底無」とよばれるところがある。伝説ではそこは遠く離れた海に繋がっているということになっている。そこに飛び込んでみた、水はきれいだがとてつもなく黒い水の下のほうから何かにつかまれそうな感覚がして、ぞくっとなった。そのときはそれほどではなかったが、そこからあがってその滝壷を眺めているとさっきの行為が、とてつもなく恐ろしくなって震えた。8/19
・自宅から楽所までの道のりは以前は往復300km以上だった。今は200kmほどだ。車も変わり、道路も以前とは比べ物にならないほど整備された。嵐の日や渋滞の限りなく続く日、今その300kmを振り返るとき、また睡魔と時間との戦いの中で高速道をひたすら走らせたときのことをふりかえる時、『夜間飛行』の作者サン=テグジュペリがナチス戦闘機に追撃されずに生き残り、性能のよくなった飛行機でもって空をかけていたとしたときの心境があったとしたら、それに似ているんじゃないだろうかと思う。彼を危険な飛行にもかかわらず空に駆り立てた何かと同じように自分は楽を携えて陸路を今も進みつづけている。8/16
・「蛍の墓」野坂昭如原作の映画での冒頭で三ノ宮の阪急の石で出来た駅がでてくる。ああそういえば、震災で崩れるまでは、これは残っていたんだなあと思い出した。戦争から50年以上たったとはいえ、ついこの間まで、おそろしいことだが殺し合いを奨励していたのだ。戦争は多くの人が消え、物が消える。鎮魂。決して繰り返してはならない過ちを人はすぐに忘れる。忘れてはならないことと忘れるべきこと。戦争は忘れるべきでなく、記憶を語りつなげていくべきものである。8/15
・奈良、萬燈籠の灯りが参道に続いている。舞楽を篝火の中で演奏する。伝統的な中元の萬燈籠に加えて灯花会という3年前に始まったイベント、奈良公園や、奈良町の方に小さい火をたくさんつけて地面に置くのだ。すごく幻想的である。新しい行事というのはどこか蛇足的であったり、かえってその土地のもっている空気を濁らしてしまうことが多いが、この灯花会は成功している。奈良のよさをよく引き出していると思う。8/14
・墓参りに行って思い出したこと。うちの墓がある一番おくまったところに兵庫県の龍野城の殿様の脇坂公のお墓がある。その奥のほうまで蝉取りにいったときのことだ。今は少なくなったが小型の蝉でにいにい蝉というのがたくさんいた。それをとるために、お墓の上を通っていかないといけなかったのだ。その夜熱が出てうなされた。バチが当たったんだと思って、熱が下がってお墓にあやまりに行った。お墓をふんずけてごめんなさい。8/13
・四国の松山からさらに山を越えていったところに、内子(うちこ)がある。内子は木蝋(もくろう)で栄えた町でその江戸期の商家の建物の豪華さはすごい。軒下の彫刻や彩色が惜しみなく施されている。内子座は芝居の舞台で、今も生きている。歌舞伎などが上演されている。昔のままであり、人力による周り舞台やせり、二階の桟敷席にある明かり窓など雰囲気がよい。大きさも広すぎず小さすぎず、雅楽公演の舞台として舞ってみたいと思った。8/12
・「伊予の湯桁(ゆげた)は幾つ いさ 知らず ♪」平安時代の民謡で「雑芸催馬楽(ぞうげいさいばら)」とよばれるものの一節だ。源氏物語にも伊予の湯げたは数の多いことのたとえで出てくる。道後温泉は最も古い温泉で、すこぶる湯が気持ちよい。都から離れたこの場所を歩いていると人がやさしく穏やかだ。それでいて文化を残そうとする高い意識があふれている。それが、伊予の人と話すたびにやんわりと伝わってくる。6/11
・しまなみ海道のたくさんの橋を越えて本州から四国へ渡る。たくさんの島というよりも、山の間に水が流れ込んでたまった感じ、同じ瀬戸内でも播磨灘とはずいぶん感じが違う。とても島の数が多い。昔、水軍がいた場所だと言うのが頷ける。8/11
・奈良の山々を雨が潤している。光から雷鳴のおくれてやってくる白い龍が薄墨色の空を縦に走っていく。神々の住んだ山に向かって降りてくるもの8/6
・「浴衣の袖のあたりから 漂う夏の景色 浮かんで消えるガイコツが 鳴らすよ恋のリズム、」草野正宗の詩にある。袖からすっと夜風が入るような感覚は好きだ。ここのところの猛暑は浴衣を着て夜歩いていても結構暑い。下駄はよく出来たものだと思う。素足に気持ちがいい。何年か前に買った「のめり下駄」が歩きやすくていい。詩の中にある骸骨模様は江戸時代からの伝統柄で好きな柄だ。でも、あんまり似合わなかったので結局、着ずじまいだ。ああ、いくら暑いほうが好きだといったって、いくらなんでも暑すぎるよね。一雨、来い。8/4
・「花火」の音は雅楽の直径2メートルほどの鼓面を持つ「だ太鼓」の音に似ている。どちらもお腹にずしんと響いてくるのだ。かなり大輪のごくシンプルなあげ花火で、一息おいてからズンとくるのが似ている。本来全然違う音なんだけれど、南都の冬の乾いた空気にだ太鼓の低い大音が、夏の湿った空気にするどい花火の爆発音が、それぞれ中和され、互いの音が近くなってくるように感じられるのだ。8/3
・カーペンターズの「レインボウ・コネクション」という曲は、なんだかほのぼのとして落ち着く曲だ。「Why are there so many songs
about rainbows?And what's on the other
side.」「虹の歌がなぜこんなに多いの?虹の向こう側に何があるかとか、」とある。僕の幼い時の興味は虹の向こう側ではなく虹の下に立って虹を見あげてみたい、虹の立ちのぼっている辺りに行って、できることなら渡ってみたいということだった。虹がかかるのを見つけるやいなや、虹の七色を数えながら、田んぼの畦を虹のある方へひたすら向かって走っていった。虹の原理を知った後でも、やはり虹に向かって走ることは何度も続けた。今でも、車で挑戦してみたいと思ってしまう。なんだか、実現しそうな気がするんだ8/2
・暑い夏。それでも、夏が好きだ。めりはりのきいた季節感を感じることができる日本は幸せだ。じりじり照りつける太陽の下、砂浜に倒れて、焦げていく感覚。汗をたらたらと無意味に流す。これは僕にとっての贅沢だ。この対極が好きな人もいる。極端に暑い日にクーラーをがんがんにきかせた部屋で「さむっ」といいつつ過ごすのが好きな人だ。なんだかわかるような気もするけど、僕は、前者の夏らしさを体感するほうがやっぱりいいなあ。8/1
・吉野の奥のほうに入之破(しおのは)という温泉がある。淡黄褐色の濁った湯で、理科の実験なみにいろんな成分が入っている。今まで入った中でも一番色の濃い温泉だ。桶や浴槽の縁は鍾乳洞のように石化している。ここに何日か浸かっているとたぶん僕自身も石になってしまうのだろうかというくだらない想像をした。7/30
・後醍醐天皇の南朝にまつわる土地が奈良の南のほうには多い。上北山村もそんな場所の一つだ。雅楽が演奏されたことのある土地で、演奏すると楽の音がしっとりとなじむことがある。ここがそうであった。笛の音がちょうどいいくらいに吸い込まれる気持ちよさがあった。古い音楽は何にも染まらない原始の自然と、それを大切にしながら自然とともに過ごしてきた人々の住む場所にそぐうものだ。7/29
・熱塊の空気の中を冷えるまもなく車を弾丸のごと進める。蝉時雨ならぬ蝉豪雨。風はやんで教室は熱風呂の中、汗流れ落ち、乾いているのはチョークだけ。7/25
・注いだビールの泡が波音でかき消されて消える。目の前を走る水上バイクの音も大きな海ときらきら光る海面の輝き、行き交う船のゆっくりとした動きを背景として穏やかに聞こえる。7/22
・夜の護岸、漁火が明るくちらちらと動いている。空が明るく淡路島の山が大きく見える。明石海峡大橋が、ほどよい大きさにはっきり見える。南に面した穏やかな海の上にはサソリが尻緒をそらして立ち上がった。潮の風は暖かいけれど塩をたっぷり吸い込んでいる。テトラポットの黒いでこぼこの向こうから海の小さな波の音が聞こえる。7/16
・白鷺城の近くの文学館で智恵子抄展が開かれている。切り紙細工の作品の中で最初に目に入ってきたのは「びわ」だった。そういえば、びわの季節もおわったが、今年はびわをいただくことが多かった。やわらかい皮をそっとめくれば、甘い黄色の肉がのぞく。その感触をわずかにして、すぐに大きな種に行きあたる。またすぐに手にとるとどれだけ冷やしていてもフェルト生地のようななんともいえないああたかい感触が伝わる。智恵子の紙細工では尻の微妙に黒くなったところも描いていた。7/14
・七夕は中国の乞巧奠(きっこうてん)がもとになっている。楽琵琶や楽筝を飾り付けて技芸の上達を願った行事だ。織姫にちなんで手芸の上達も願っていた。7/7
・教室が四階ぐらいになると、蝉の声が下から湧き上がってくる。蝉の声の上に乗ってゆらゆら進む船のようだ。いい風が吹いている。淡路島の山がはっきりと見えている。播磨風土記の時代、神々を乗せた船が行き交った場所。7/7
・腕が痛い。全国で優勝したチームのバレー選手のボールを受けた。かなり手加減しておられたと思うけれど、何度かレシーブしていると、内出血してしまった。「だいじょうぶ」っていわれたけど、いや、ほんまにいたいって・・。7/6
・月明かりというのはありがたい。夜に消灯して帰るときに足元をあおく照らしてくれる。その月が渡っていく空にならんで二つの赤い星が輝いている。自ら光をきらきら放っているのがさそり座のアンタレス、じっとにらむ大きな赤目が火星だ。明日からまた、雨降りだそうだ。7/5
・奈良から100キロ以上はなれたところに法隆寺と縁の深い聖徳太子が立てた鶴林寺がある。そこのご住職とお話する機会があった。豊臣秀吉が攻めてくるまでは数十人の専属の楽人がいたという。その証拠に「だ太鼓」の縁がのこっている。その他にも楽器が伝わっているそうである。この間、舞を舞った法隆寺のお祭のようなものが再現される夢をご住職とおはなしした。雅楽を通じて南都にゆかりのある場所が故郷の近くにあることをうれしく思った。7/1
・「風は初夏のさつさうとして歩け」種田山頭火の句だ。この時期になるとこの句を思い出す。どんよりとした梅雨空や、押しつぶされそうな毎日の中で、突然現れた初夏の新鮮な明るさを放ちながらひろがる空によって救われることがある。今日の空はそんな色。大好きな夏が近い。6/26
・とまることを知らない回遊魚はとまることをせずに、夏に突入しそうだ。しかし、そこには、光をたっぷりと吸い込んだ水があって、水底までも照らす太陽がある。6/29
・さくらんぼを食べた。さくらんぼを食べると山形県での雅楽公演を思い出す。初日の公演だったので、楽人仲間と飲み歩いた。どこをどう歩いたかはおぼろげながら覚えているだけだ。お城の近くの庭園の飛び石をとびながら、しゃべっていたような、僕はドライマティーニで最後に一緒にいた篳篥の一人がテキーラをひたすら飲みつづけていたような、最も仲の悪かったその篳篥の楽人とうちとけてあるいていた。6/25
・夜中のドアを開けて倒れこむ。布団に潜ればすぐにまた朝が来る。梅雨の朝、憔悴して色あせた空の色。空が光を蓄えるのを待って外へ出る。初夏の祭の人並みを掻き分けて行く。古びた映画館の近くにあるいつもの場所。うきあしだった街をもくもくと歩く。窓下に見える人の数が増えてきた。ただ、流れていく人々。6/24
・どしゃぶりの雨、何度ワイパーを動かしても前が見えない。こんなにたくさんの輝く雨粒。それぞれ自分自身で輝くことを知らない純度の高い粒たちよ。ライトに輝く粒たちよ。僕の濁った涙はもうかがやくことはないのか。どしゃぶりにうたれても洗い流せない濁った涙よ。泥よりも濁った涙よ。せめて、わずかな光でも放っているのなら、そのわずかなあかりもすべて純度の高い雨粒に与えたい。濁った涙には何も必要ない。6/19
・モーツァルトのレクイエム キリエを聞くと大学の卒論を思い出す。無法地帯の終わりへと向かう季節の中で、暖めてきた江戸時代の芸能論を、なぜかこの曲をエンドレスで聴きながら、書き上げた。モーツァルトはこの曲を最後に死んでいった。消えていった芸能の生死を重ねていたのかもしれない。6/9
・マレーシアの方と国際交流の会があった。高校生とその先生方だった。雅楽は遠い先祖が東南アジアの国々からいただいた音楽も含まれている。その音楽を通して、再び会話を交わすことができるのはたいへんうれしいことだ。日本の高校生も感じるものがあったと思う。6/1
・人の顔はヤヌスの鏡だという。相手が不機嫌な顔をしているとき、自分も不機嫌な顔になっている。自分が悲しい顔をしているときには相手も悲しい顔になる。ある人が話しておられた話である。人と人は共鳴しあって生きている。あるときは照らし、あるときは照らされながら生きているんだなあと思った。すごく大切なことをすこし思い出した。5/31
・不思議と月が気になる夜がある。仕事場を出るとき、半月が中天に出ていた。春蝉の鳴く昼間の空気はやがて湿り気を帯びた、虫すだく闇へといつのまにか変わっている。月の隠れることの多い季節。自分の事を何でも知ってくれている月が見えないので憂鬱になるのかもしれない。今また、朧になった月が傾いている。5/29
・156445、この数字は車の走行距離である。地球を3周以上まわっていることになる。この車と今日はお別れの夜である。街燈に照らされるパールマイカの淡く光る色はまだ美しいし、ボディの曲線もまだまだいけていると思う。なんだか惜しくなってきた。ごくろうさま、ありがとう。5/25
・小さな窓から夜風が入る。その繋がる窓の先へ飛び降りると、どこまでも続く黒い空が広がっている。すがすがしい黒い空?小窓の中に明るくたまっているもの。もどるのか。いくのか。うん、窓に腰をかけて夏の夜風に当たっていることもできる。5/21
・最近ジャムパンが好きだ。「高級ジャムパン」この高級という言葉に弱い。大阪で国産高級舶来品!というわけのわからない看板を見たことがある。学校の文化祭で「本格焼きそば」の向かいで「偽(にせ)焼きそば屋」という模擬店をやっているところがあった。こういう場合「偽焼きそば」のほうにひかれる。怪しげな宣伝文句というのはたくさんこの世にあって、わかっていて、はまってしまう場合もある。5/13
・6人の高校生が遠くから雅楽を見に来てくれた。舞楽はほとんど見たことがないものがほとんどであった。その様子を見ていて、万葉植物園にはじめて見に行ったときのことを思い出した。なんて長いのだろうと幾分退屈してみていた僕だったが、いつのまにか伝承に携わるようになっていった。続けていくうちにその世界の魅力にとりつかれたのだ。今日見にきてくれた方々とくに初心者の方はどんな感想をもたれたのだろうか。5/5
・僕の小学校高学年のときの夢は植物学者であったらしい。植物学者の牧野博士にあこがれていた時期がある。知り合いがボタニカルアートの花の絵をギャラリーに出展しておられたのでみにいった。絵を見ていて、そのことを思い出した。水彩による細密画である。それを描いておられる方と話したときに、野にある花はしおれやすく、しおれてしまうまでに彩色してしまわないといけないのが大変だということをいっておられた。5/4
・とにかく忙しく、がむしゃらだった4がつが過ぎた。今までやってきたことが形になり始めるだろうか。5月の6日には夏が立ち、夏の気配が少しずつ感じられ始める。しかし本当の夏がくるまでに雨の季節がある。長い梅雨の地帯を駆け抜けてやろう。5/1
・法隆寺。伝説のインドの人面鳥である迦陵頻(かりょうぴん)の子供の舞。天空を吹き抜ける乾いた風が金堂と五重塔をなでながら、ばんを揺ゆらしていた。お坊さんのまく散華(さんげ)は風にとばされ遠くに舞っていった。4/29
・厨房にあるものを打楽器として繰り広げるNANTA(ナンタ)韓国のミュージカルパフォーマンスグループが来日した。心に響くリズムとなにより心の楽しさを感じる琴線を弾ききる激しさ。会場を出た後の春夜の風のまち。サムノリのリズムが夜空に流れたあの夜、あたたかいものを感じながら歩いた。4/19
・海岸ウォーク10マイルの道のりを歩く計画を立てている。ほとんどが波が打ち寄せる海岸である。この前下見に言ってきた。海が疲れを癒してくれる。今晩手書きの地図が完成した。途中のイベントや景勝地にちなんだ問題を書き込む。4/16
・いそがしいから出来ない、これは言いたくなかった。たくさんアクセスしてもらっているのに更新していない。とにかく忙しすぎた。でもわずかながらに更新してみよう。いつのまにか桜は満開で、風は暖かい。入学式の季節です。4/9
・ポール・スミスの二階のフロアーにいると、いきなり店員が腕をつかんできた。何かと思うと揺れていて恐いのだという。そういわれれば、と思った後、横におおきくゆれはじめた。地震だ。ショウウインドウから外を見に行くととおりを歩く人は気付いていない様子。シャンデリアがゆらゆら揺れていた。3/24
・春の瀬戸内海は凪いでいて海際の梅山は満開だ。漁港に立ち寄ると漁師のおばちゃんが、焼いた牡蠣をご馳走してくれた。しんこ(いかなご)の船が港に着くのを待つ。大漁ばたをなびかせて船が入ってきた。さっそく持ってかえって釜あげにした。春の香りと味を感じた。「梅風ややさしく吹きぬ漁船(いさりぶね)信雪」3/20
・笛を吹いていて思う。形のあるものはいつかはなくなるけれど、形のないものを永遠になくならないようにすることはできる。そうやって雅楽は残ってきたんじゃないかなあ。とってもたいへんなことなんだけど。3/19
・花屋さんの鉢植えの花が増えてきた。春だ。蕾をいっぱい持ったジャスミンを買う。毎年この時期に買っている。花が終わって地植えにするとつくんだけれど、なかなか花は咲かない。小さい鉢で少し苦しんだときに花を咲かせたりする。苦しすぎてもいけないし、楽すぎてもいけないようだ。3/18
・2国(にこく・国道2号線)を東に向かうとすぐに世界で一番長い橋が見えてくる。右に見えたり、気がつくと左に見えたりもする。この橋の明かりを見ると自分がこの土地に住んでいたんだと思いだす。一年ぐらい住んだだけでは、まだ、あまり実感がない。橋の明かりはこの日、黄色かった。3/13
・春のぼたん雪。このぼたん雪には、しっとりと吹き上げる篳篥(ひちりき)が似合うような気がする。ゆらゆら落ちてくる速度。思い出したように激しくふぶき、そしてまた、おだやかにゆらゆらと舞い落ちる。篳篥の声はただ激しいばかりではなく、こんな大きなかたまりでゆらゆら落ちる雪も似合うんじゃないかなあ。(たまには、篳篥を誉めとこう。)3/9
・忘れ去られた手紙が一年ほどたって、届くことがあった。過去とをつなぐ装置がデジタルなものの延長の未来に存在するとは限らない。そして時間を越えること、戻すことが許されていないのは、人間に対するこの世の創設者の配慮であることを知った。3/8
・ホームページにはかなりの量のページを作ることができる。内部リンクで、どんどん深い所までリンクをはることはできる。千原兄弟という大阪の漫才師のねたに「バカドラえもん」がポケットからだす「どこまでもドア」というのがある。開けてもあけてもドアが続くのだ。そんなふかーい所に言いたい内容をおいておくというのもなんか秘密めいていておもしろい。しかし、インターネットではロボット検索というもので[Believe
In
Snow]のように検索ソフトに登録していないページも、無差別に検索してしまうようだ。便利で恐ろしいものだ。(そんなことも知らないで作っていました。)ちなみに、「おん祭」「南都楽所」などで検索すると、このページも出てくるそうです。3/7
・風呂用のブーツ。やわらかいプラスチックでできた丸みをおびたフォルムに僕は月面着陸の宇宙飛行士を連想する。僕が生まれた年にアポロが月面着陸した。そういう世代だ。小さいころうちにあった風呂ブーツと、今売っているものとほとんど変わっていない。裏の滑り止めの白いゴムも足を入れるところの反り返った部分も昔のままである。近未来の宇宙スーツの足元はおおよそこんな形だろうと思いながらはくのがすきだった。3/6
・啓蟄(けいちつ)。新聞に「這い出した虫凍える」とあった。そこ記事の下に梅便りが載っていた。日本では梅、桜前線が気象情報のなかで扱われている。こういうのを見ると、なんかいい国だと思う。梅の香で思い出す記憶「のぶちんのほろ苦エッセー」3/5
・夜明け前に雨だれの音で目がさめた。昔から体の具合が悪いときにはきまって早く目がさめてしまう。夢をみた。内容ははっきり覚えていないが、そんなにいい夢ではなかった。朝、風の音で目がさめた。地面も乾いている。後味の悪い夢だけが頭に残っていた。3/4
・雅楽の演奏で滋賀県の八日市市へ。ずいぶんと車を走らせて、風邪のぼおっとした頭でついた。それほど冷たくもない、かといってそれほどあったかくもない風が吹いていた。周りの山は高い。白く雪がつんでいるのが見える。「傾盃酔郷楽」を10年ぶりぐらいに吹いた。3/2
・オリオンビールそれぞれ一本。三人が久しぶりに集まった。たった缶ビール一本でもすごく気持ちよかった。その三人とは昔、大喧嘩しながらも一緒にやってきた笙、篳篥、龍笛の三人組である。集まったり離れたりしながらも、同じ思いで雅楽を続けている。道は違っていてもあのころからの同じ風と同じ星の光を感じながら。2/24
・大阪の米国総領事館で雅楽を演奏した。館内はアメリカである。入口でセキュリティのためのチェックもある。その日は吹き込む息が、気持ちよく音に変わっていった。本番というのはいつもの練習のときと同じように吹くのが難しい。緊張感はありすぎてもいけないし、あまりないのもいけない。ちょうどいいぐらいに気合も入った。国際理解は相手を知ることだけではない。知ってもらうこともとても大事だと思う。ただひたすら奏でる音楽がいろんな国の人々を和ませ、また、興味を持ってくださることはたいへんうれしい。2/23
・樹氷の木々が吹雪の中から現れる。志賀高原の横手山に登ったのは10年ぐらい前だ。あのときもこんな風に吹雪だった。標高二千メートルを越す山頂付近の木々は雪をかぶってモンスターになっている。雪の風をきっていっきに滑り落りる。2/19
・奥志賀高原、雪の上には人間ではない足跡がある。ちいさなへこみの点々は白樺の林を抜けて、雪に突き刺した から松
の森へと消えている。晴れた雪山の向こうに峻険な嶺が青白く顔をのぞかせる。2/18
・やっと降り始めた。ちょうどお昼に降り始めた。しかし、つもらずに地面をすこしぬらしただけだった。夜には星が出ている。あまりに雪が降らないので信雪は雪山に行くかも。2/16
・冬の植物園の温室。南の国の植物に降り注ぐ光は、寒空から吸収したガラスに広がる白い光。濃い緑の分厚い葉は湿気を放ちながら風のない小さな熱帯に座っている。熱帯の果実は思わぬところから結実している。コーヒー豆はいきなり木の幹からたれさがる。バナナ、パイナップル、マンゴー。あつい国の果物は色も形も神秘的だ。それは、太陽の神のそばにいるから。2/15
・確実に春になりつつある。とかなんとか言って、スプリングコートを衝動買い。慢性の衝動買い魔。気になりだしたらもうだめだ。一度その場所を離れてみる。けれども、結局まいもどってきている。お店の人が、やっぱり戻ってきたな、、と言う顔をしていることが多い。よっぽど欲しそうに眺めているんだろうか。「どういったものをお探しですか?」と質問攻めにしてくるところがある。けれど、どんなものも探していないことのほうが多い。だって、似合うもの、気に入ったものと出会ったときに欲しいものになるのだから。2/13
・「誰でも落ちこむ日がある。〜自分自身がとるに足らないちっぽけな存在に思える日は〜なにもかも手が届きそうにない。〜やがて消耗しきって倒れ込み、土にもどりたいと願いだす。〜そんなバカげた生き方はやめよう。だって、人生は一度きり〜かぐわしい香りに胸ときめかせ〜手始めに肩の力を抜いて深呼吸をしてみよう〜」ブラッドリー・トレバー・グリークの言葉。それぞれの言葉に合った表情を動物がみせる写真集。落ち込んだときも元気なときも純粋な元気をくれる。2/12
・立春が過ぎた「袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ」(・袖をぬらして夏にすくったあの水は冬に凍り、それを今日のこの春風がふたたびとかしているのだろうか)今朝の春の動き、車のフロントガラスに氷の怒り神は降りなかった。落葉樹が静かに春への準備を始めた。「こよみのページ」というページへのリンク許可をもらいました。2/8
・一年前も2月6日は雨だった。冬の雨がつくる罫線にこの一年間で何を書き込んできただろう。蓄えたものを実感できないまま書き綴った文字は月になり、句点は惑星に、読点と濁点は輝く星になった。夜になって雨はあがり月が冷たい空気の層に鋭く光を差し込んでいた。2/7(一周年)
・開設当時は、淡いブルーの背景だった。取り上げる内容もたわいもない僕の日常を取り上げるだけのものだった。当時の色彩を中心に再現してみた。決して戻ることがいいことではないし、確実に時は流れて一年前とは周りの状況も考え方も変わっている。しかし、根底に流れる気持ち、〜懐かしい風とやさしく降る雪を求めて〜、はずっとおなじでありたい。2/6(一周年)
・篝火の炎がこちらにむかってきた。舞う袖に感じるほどの風はない。よく晴れた夜、一段と冷え込んでいた。節分萬燈籠の舞楽を舞い終えて、直会もすませ、若宮神社のほうに歩いていってみた。御問道(おあいみち)は灯篭が案内してくれる。おん祭以外にここを通ることはあまりない。木々の間中天より東よりの空に双子座のカストルとポルックスが見えた。2/3
「汚れつちまった悲しみに/今日も小雪の降りかかる/汚れつちまった悲しみに/今日も風さへ吹きすぎる〜」中原中也は30歳でこの世を去った。「小雪舞ふ中也歩かぬ道長し」今日、雪が舞った。ほんとに少ない。これじゃあとけても、涙の量よりも少ない。2/2
・このホームページ開設から一年を迎える。ここは懐かしい風とやさしく降る雪が交叉するところ。降る雪は楽の音を吸い込み、吹く風は舞う袖を抜けていく。嵐はやまないけれど旅立とう。風の吹くほうへ雪の降る空へ・・・。2/1
・楽琵琶には七つの材料が使われている。紫檀、沢栗などでなかなか材料が手に入らない。人に見せるとその点に感心されたりもする。ところがこの間、高校生に見せたとき琵琶のバチが当たる部分の黒い皮の説明をすると、「やっぱり黒毛和牛かな、おいしいんかなあ」といっているのがいた。そんな感想を聞いたのは初めてだ。しかし、多くの動植物の命がこの楽器に宿っている。1/26
・人は忘れてしまわなければならないことを忘れられないまま生き続けている。そのかわりに忘れたくないこともかろうじて覚えている。忘却することが唯一与えられたすくいの方法なのに。冬の最も深くて冷たいところへ向かっている。底はまだ見えない。まだ、薄い青の空のほうが近い、今また、濃いグレーの凍った雲が覆い始めた。1/23
・今日、しずくの形をした水のボトルが届いた。「evian」2001年イヤーボトルをもらった。「evian」のペットボトルを一本かついで水の都イタリアのベネチアに上陸した。あれは1990年の秋のこと。初めてのイタリア、雅楽の公演。今日の空は晴れ渡っていたが寒い。水を口に含んだ。まだ何にも染まっていない若い世紀の味がかすかにした。1/21
・みかん、オレンジが好き。みかんの皮をむくときにへっ込んだほうからむくよりも、枝についていた方からむいたほうが、房についている白いふにゃふにゃした筋がよくとれる。この発見を高校のときの学級日誌に書いたらクラスメートからちょっとした反響があったことをおぼえている。アルバムによると、私は幼稚園のとき先生に好きな食べ物は?ときかれて、まよわず「みかん」と答えたそうだ。1/18
・鎮魂1月17日5時45分震災忌。多くの人の命を奪い、心をすさませ、交通を遮断した。倒れた高速道路。時間のずれが偶然私を生き残らせた。あれから6年何をなくして何を得たかもわからないまま走りつづけた。1/17
・明石の「うおんたな(魚の棚)」とよばれる海のそばの商店街では、蛸が道を歩いている。東京のほうの人にこのことを話をしても信じてくれない。「いくら明石だこの産地だからといって、それはないでしょう。これだから関西人は・・・」などといって信じてくれない。僕は少なくとも二回みた。しかし、国道に落ちていたのを見たときは信じられなかった C:。ミ 1/12
・吉野弘の詩に「雪の日に」というのがあるのを知った。その中に「雪がはげしくふりつづける雪の日にこごえながら欺きやすい雪の白さ〜信じられている雪はせつない〜あとからあとから雪の汚れをかくすため〜みずからの手に負えなくなってしまったかのように雪ははげしくふりつづける」よんでいて、少し悲しくなった。僕が信じるもの、信じられるもの。1/10
・除夜の鐘、鐘の音は雅楽でいう黄鐘(おうしき)という音がいいとされている。遠くの鐘の音、少し近い音、かすかに届く音。どれも音がいろいろである。黄鐘のものもあればそうでない音も聞こえてくる。ほどよい間をおいて、次の鐘が聞こえる。静寂に響きの余韻がここちよい。除夜の鐘は静寂を連れてきて、心を鎮め、穏やかなものを心に与えてくれる。2001/1/1
・年末に散手と蘭陵王を家で吹く。おん祭の舞楽が雨で少なくなったので少し吹き足りない感じがしたからだ。前日の遷幸の儀は晴れていた。背後に月、中天のスバルに向かって参道を演奏しながら歩いていった。星のきれいな夜だった。20世紀の終わり、かわらぬ年の暮れ。大晦日も地面が濡れている。12/31
・南都の楽人の聖地にあたるのは、芝の舞台。南都楽所の楽人にはクリスマス、正月までに「おん祭り」という大事な舞台がある。芝居の語源となった奈良の芝生の舞台。毎年、道楽で使う還城楽(げんじょうらく)の唱歌(しょうが)を思い出しながら、高速道路を走っていると、神戸あたりでルミナリエの灯りがちらっと見える。クリスマスにそまった街の上を走る・・・アクセルを踏み込む。12/16
・はてしなく自分らしい色、深い赤、ボルドーよりももっともっと海の深いところに沈んだ赤、地球の裏側まで突き抜けそうなぐらい深いところに沈む赤。そんな色がふと好きなんじゃないかと思ったりする冬の夜。冬に生まれしものがその対極の夏を愛するように。12/7
・桜の木に申し訳なさそうに数枚の葉っぱがぶらさがっている。もうすぐすべて落ちてしまう。道路わきのふきだまりには、さくら、いちょう、もみじの葉が暖色系の色を重ねあっている。踏み分けて歩くと、音がカシャカシャに向かいつつある。今はまだあたかいおと。12/5
・笛を吹くときの肺活量の話をしていて、「尼さんは肺活量がすごいんじゃないか。」というので、肺活量のすごい尼寺の尼さんを想像したがしっくりこない。よくよく聞いてみると海女さんのことらしい。肺活量がすごい尼さんはいそうにないが海女さんならわかる。12/1
・神戸元町の中華街によくいく中国茶専門の店がある。香片茶(ジャスミン)などが金色の缶に入れられてならんでいる。量り売りで100グラムから売ってくれる。プアール茶はあまり好きではなかったが、ここのは違う。さっぱりしていて飲みやすい。ネクタイ締めて青のストライプのシャツを着たはげた頭のおじさんの人形のあるあの店です。11/28
・朝の渋滞の高速道路。東に向かって進む。太陽の昇ってきたあたりから、雲がすきとおっていく。排気ガスの街はよく冷えていて、海側の工場の煙突からは、もうけむりが出ている。車が流れ出した。ルーフからうすく青い空がみえてきた。11/16
・一ヶ月ほど前にたまたま通りかかったお米屋さんで、米を買った。たくさん店先に並んでいたので何を買っていいかわからず店先に立っていると、おばちゃんが「これにしとき、おいしいから」といって店の奥から小さい袋を出してきてくれた。選ぶ余地もなく袋に入れ始めた。帰って炊いてみると、とてもおいしい。新米なのか、とにかくお米に味がある。なんか得をしたような気分になった。11/15
・新庭のバジルが今ごろ花をつけた。日本では25度以上でしか生育しないはずの真夏のハーブなのに、どこまで持つだろうか。水をやるとよい香りを放っている。小生風邪を引いてしまい、用事で外出したために悪化。ミントが利くとかいうからハーブティにして試してみよ。「そんなことせんと、はよ寝ろっ」てはなしもある。この続きはおばかエッセーで?11/12
・もみぢの葉、黄、赤にぞ染まりける。ポプラのちとはやう色づきたる気色。長雨やうやうあがり池の上に舞ふ。毬(まり)を打つごと舞ひければ、池面にうつりし我が影のゆらゆらとまねびたらむ。11/3
・ドイツは10月3日に統一十周年を向かえた。このことは僕にとっては、同時にヨーロッパ公演におけるドイツでの雅楽の演奏から10年が経つことをさす。統一直後に行ったときにはブランデンブルク門の上に騎馬像はなく、統一直前に国境を越えようとして銃撃された何人かを悼む花が置かれていた。今広場にたくさんの人がつめかけて祝っている写真を新聞で見た。10/20
・北海道に初雪が降ったという。播磨平野も冷えてきた。このままの調子で寒くなっていったらすごいことになってしまう。そんなわけないか。季節はやっぱり風が連れてくる。暑い夏も、凍える冬も。風がごんごん扉をたたく。10/18
・秋という季節は短い。秋の夜は長いというけれど、その長い闇は冬につながっている。少しはおるもの肌触りのいいものをだそう。季節がどんどん先にいこうとする。いっそのこと追い越してやれ。10/16
・この時期、奈良では、鹿の角きりがある。十年ぶりぐらいに勢子(せこ)をやらせてもらった。鹿との真剣勝負、角でさされるか捕まえるか。でも、この行事は鹿と人間との共存のために行われてきた行事なんだということを認識しないとだめなんだよね。ベテランの勢子に教えてもらいながらようやくカンを取り戻しかけた頃に終わってしまった。10/13
・かわらなかったもの。開かずの踏み切り、曲がった道、壁のしみ、歴史が染み込んだ空と空気。近くのパン屋さん。定食屋。細い路地。あの頃から、考え方はかわっても、気持ちはなにもかわっていない。生活にかわったときに離れた街。大切な街。10/4
・昔住んでいた所へ行ってみた。通っていた銭湯はビルにかわり、住んでいたぼろアパートはきれいなマンションに変わっていた。近くのうどん屋はなくなり、中華料理屋は名前がかわり、ケーキ屋がなくなった。変わらざるをえなかったもの、かわることを望んだもの。変わらざるをえなかったものが多いと感じた。10/2
・風が急に冷たくなったような気がする。懐かしいコロナビールを飲んだ。黄色いかなり軽いビールでライムを瓶の口から落としてびんごとラッパのみするのがいい。十年ぐらい前に住んでいた近くの所にはコロナのライトがあったんだけれど、先日行った店にはエクストラしかなかった。それでも、あの頃を思い出してなんだかほどよく酔った。9/27
・言葉遊び*秋(・あ・き)あした、きょう。あたらしい、きれい。あんた、きらい。アンチョビ、キューイ。アッサム、キーマン。安摩、貴徳。アジアの兄弟。朝の霧。アバンティ、紀伊国屋。あんかけ、きしめん。雨宿り、木登り。あくび、きゅうくつ。あっさり、きっっぱり。アルデンテ、キックオフ。あしたは、きっと。あっぱれ、きまぐれ。暗転、起床。淡い雲母(きら)。アニエス、木時計。9/25
・爽風の宵。夏やうやう静まりて、青空に白き薄雲のかかりし時、季節を繋ぎ、渡したる空気、空より舞ひ降りむ。〜デジタル短編「あの頃の君へ」を設置しました。〜9/17
・同じ年齢のインドネシア人と話す機会があった。ナシゴレンという焼き飯をいただいたり、ダンスを少し教えてもらった。どこかバリダンス風のおどりは吉幾三の演歌のような曲にあわせて踊るもので手と足が一緒に出るところなどは、阿波踊り風であった。異文化と触れ合うことはこんなに楽しいことなのかと思った。8/23
・明石海峡附近の海は、流れが速い。いろんなものがものすごいスピードで流れている。ペットボトル、牛乳パック?、黄色い大きな丸いブイ。どれも、人間の作ったもの。どんぶらこと流れていくのは人が作るだけ作っていらないと捨ててしまったもの。8/18
・羯鼓(かっこ)という楽器は鼓を横にして撥(ばち)でたたくもので、全体の楽のリズム、スピードを決めて、全体を掌握する役目であるからその責任も重大。特別にたたく機会が与えられた。学生のとき以来であった。羯鼓のトロトロというおとが春日の山に吸い込まれていく。8/10
・「心頭を滅却すれば火もまた涼し」最近は流行らない言葉。でもこれは本当だ。雅楽の師匠のもとでの舞の稽古。10年以上になるが、暑さを忘れている。そこまでの境地には程遠いのだけれどね。古い日本の家屋は結構風が通るようにできているというのもある。8/6
・一匹の小さな魚を追いかけて海の底を並行して行くと、スイミーの一群に合う。はじめは逃げていくが、やがて顔のまわりに群がる。やがて息をするために波が作った網目のような光のゆらぐ海面に向かってあがる。潮を吹く。琴引浜で泳いだときのこと。8/4
・カーナビを買う。「彷徨」は好きだが、「方向」感覚はゼロの私。肝心の目標物を覚えようとせず、電線の鳩の数や道端の花の種類、犬の「咆哮」など、定まらないものばかりに興味を示しながら行動しているから、道を覚えられない。自然の「芳香」をかぎ分ける気持ちは残しておきたい。7/31
・吉野川を魚と一緒に流れていく。逆に登ろうとしても、逆らえない。こんなきれいな川があったんだな。少し前にいった時、泳いだ。川泳ぎはかなり久しぶり。7/30
・ひさしぶりの雨。焼き付けられた土はさっき降ったばかりの新しい水だけを含んで、再び命を得る。生まれたばかりの雨蛙が二匹、扉を開けると座っていた。7/25
・サンタンの肌がいたい。少し前に行った淡路島にある五色の浜は小学生のとき以来だった。淡路島は海にも玉葱が浮いている。さすが生産量日本一だ。大暑に豊岡で観測至上最高気温39.3度をきろくしたそうです。7/23
・笛を吹いていても、汗が出てくる。笙という楽器は夏でも火鉢で楽器をあぶらないといけないので大変だろう。篳篥は音が暑苦しいので・・・、失礼、力強いので、暑さも倍増かな。高麗笛(こまぶえ)は比較的涼しげな音かも。7/22
・窓外、青空、夏の来たりて、遠景雲の嶺の沸き立つあたり、飛行機雲の天頂に太く向かふのみ。蝉の声ひととき静まりて、木々の地球より水を得たらむ。7/19
・赤い月、皆既月食。きれいというよりも、けっこう不気味な色になるよなあ。赤い光だけが地球の陰にあっても大気を通って月に届けられる。かけた月の輪郭のぼんやりしているのも、趣があってよい。なんか枕の訳みたい。7/17
・暑い。昨日の雨は上がり、だんだんと雲間から夏の空が顔を出し始めた。地平線の上にあるグレーの雲がかえって、大地にダイヤモンドような輝きを与えている。7/16
・奈良には、すごく辛くてうまいといわれるラーメンがある。最近は市内にも支店が増えてきて行ってみた。あそこの店の床は油ですべりそうになる。本店は昔、屋台で、しゃがんで椅子みたいなのを机にして食べたような。7/15
・今話題になっている牛乳屋さん?。雪のマークのある会社に工場見学に行ったことがある。その日は、団体客がキャンセルしたらしく、ほとんどマンツーマンで説明を受けた。アイスクリームやチーズホンデュもいただいて上機嫌で、好印象だったのに。(食べ物に弱い?)7/13
・神戸のメリケンパークのフィシュダンスは店が踊る魚のような形のオブジェになっている。中に入ったことはないんだけれど神戸線からよく見える。前はグレーだったのに今、ピンク色になっている。前のほうが色はよかったような気が。7/8
・ものすごい雷鳴、よだち。今にも家に落ちてきそう。ほんま落ちてくるんちゃうかな。梅雨が明けて夏がやってくるんだろう。いやほんまに、そんなこと言うてる場合ちゃう。はよ、電気切ろう。うわあぁ・・・PM10:07 7/4
・夕刻から晴れ上がるはずの天気予報外れて、降りつづける。6/28
・午後、薫風を感じる。明石に来て、始めて感じる風であるような気がする。梅雨のわずかな晴れ間。6/27
・今年はすもも狩りに出かけた。木に上ったり、網を借りたりして採った。前日から始まったばかりの日だったので、たくさんある木のうち二本だけが赤い実をつけていた。酸っぱいのもあったけれど、太陽の甘さを十分含んだのもあった。6/26
・神戸の異人館に所用で行ったときに買っていたチーズを今朝食べる。うまい。道が乾いたり、濡れたり、夏の風が吹き始めるのはいつ?6/25
・午後7時薄紫色の光に包まれた時間。まだ明るい。梅雨に入って雨が続くが、今はやんでいる。琵琶の音が湿っている。6/23
・初蝉は六月十九日だった。クマゼミの「シャーシャー」という鳴き声を朝聞いた。龍野はアブラゼミが圧倒的に多いが、明石のほうは、やはりクマゼミが多い。6/19
・「もんじゃ焼き」にはまっている。関西では「お好み焼き」なのだけれど、もんじゃ焼きは作りながらみんなで食べるのが面白い。ベビースターラーメンを入れたり、イカの乾燥した細いのをいれたりと何でもありなのだ。5/18
・久しぶりに実家に帰ったらオレガノ(ハーブ)が生い茂っていた。ワイルドストロベリーもなりはじめていた。ハーブの元気な季節だ。[詳しくはハーブ園]5/17
・この間、苺がりにでかけた。子供連ればかりだったけれどけっこう面白かった。虫の声が聞こえ始めた。夏が近付いている。笛の音がいい具合に湿り気を帯びている。5/1
・炎天下テニスの試合を見ていたら、軽い日射病になってしまった。テニスというのは、点数の数え方(コールとかいうらしい)がややこしいなあ。4/16
・桜の開花の知らせがちらほらと届き始めました。半月ばかり、引越しなどがあったため、更新しておりませんでした。年度始めむちゃくちゃ忙しいのでほったらかしです。このホームページの雪は根雪です?4/4
・春の晴天、雲ひとつなし。家の前の畦道に「おおいぬのふぐり」の青い小さな花が咲いている。これをみると春だなあと思う。大犬の「ふぐり」とはなんとも、リアルな名前だけど・・・。3/15
・「いかなご」が出回り始めた。瀬戸内でこのいかなごという小魚が売られ始めると春がやってくる。釘煮(あめだきのようなもの)にするんだけれど、今はまだ小さい「しんこ」なので釜あげにしてたべるのもよいのだ。3/14
・ダイナランドスキー場、今年二度目。午前中吹雪いていて、夕日の沈む頃雪面を照らす。顔がちょっと焼けてきた。ジャンプを無謀にもしていて顔面から突っ込む。ハーフパイプが以外にも面白い。ただし恐い。3/13
・北海道ニセコにスキー、マイナス8度の吹雪の中滑りました。3日目、羊蹄山の見ながらファンスキーの板を担いでニセコアンヌプリ山の山頂目指して雪山を登る。スケールが大きい自然。スキーは、大きな一山を滑り降りる感じ。去年掘り当てたというニセコの温泉もよかった。3/8
・真冬にプールで泳ぐのにはまっています。水の中をぐんぐん進みながら、夏が恋しいと思います。お昼ごろ、外では今日も雪が舞っていました。2/29
・久しぶりにかなり酔っ払ってしまいました。めったにないことなので許してください。すいません。(誰に謝ってるんやろ)大学時代は時々いやあ毎晩?こんなことがありました。だって、笛吹く、舞う、飲む、の3本柱だったもの。2/27
・飛鳥のほうで、ものすごい物がでてきましたね。亀の口から水が入って、背中でたまるのはいいとして、おしりからでていくのがすごい。飛鳥といえば昔、スズメバチに刺されたのを思い出す。あの時は死ぬかと思った。2/24
・千種スキー場290センチで北海道なみだ。雪のことばっかり言っているけど、今のところ名前に掛けて雪がテーマのホームページなので?雅楽講座がさまになってきたかな。おしゃれに分かりやすく正確に紹介できたらいいなと思ってます。2/20
・今日も雪が舞いました。ファンスキーの板とブーツをついに買ってしまった。ハイパーリンクが完成。それぞれの項目はまだまだですが・・・。スキーのリンクもつくろっかなあ。ええかげんにせい。はい。2/16
・神鍋の雪山にも雨。スキーをあきらめて円山川の河口付近でスケート。中学校のとき以来でした。城崎でカニを食べたのも小学生以来かも。焼きがに、おいし〜。2/14
・今日は雨の日曜日でした。冬の雨は罫線のように細く冷たいように感じます。でも散歩してみるのもいいかも、久しぶりに神戸に行ってきましたが、雨でもたくさんの人でした。海辺の道や山は霧でけむっていました。2/6
・おとついは久しぶりの雪でした。夜に、車で小さな峠を越すのに一苦労。雪だるまを作りかけたけれど、寒くて頭だけの雪だまになってしまった。2/10