最近、流行りという言葉はよく見る、よく聞く。
 
 
 
「今流行りのブランド」
「今、流行りの映画」
「流行りの商品」
 
 
そもそも人々がこんなにも流行りのもの、つまり話題性のある、人に自慢できるものを追いかけるようになったのはいつ頃なのか。
おそらく、マスメディアの発達からであろう。
人々の消費の多様化から、何を持っていれば自慢できるのかということを知りたくなったのだろう。
そして、人々が何が話題で、何が人に自慢でき、何をすれば人に良くみられるのかという考えが強まった。
そして、それに答えるべく流行しているものを紹介する情報雑誌、情報番組が溢れ出した。
 
 
 
今情報番組、情報誌は数限りない。
しかし、同じ情報ばかり載せていては売れるわけもないため、情報は詳細になり、さらには大して流行りでないものまで取り扱うようになった。
 
また、このようにネットの普及により、情報化社会が推進された。
誰もが情報を流出できるため、流行りのもの、人に自慢できるもの、話題性のあるもの情報を楽に収集できるようになった。
 
 
 
多くの人々がが「変わったものを持ちたい」「自慢できるものを持ちたい」という欲求を持ち、それを誰かに教えてもらいたいという希望を持ってしまったのだ。
それゆえに、矛盾をはらんでいるということを考えもせずに。
(いや、もしかしたら感じているのかもしれないが・・・)
雑誌やTV、ネットで情報が流れればその商品は普及し、「変わったもの」でも「自慢できるもの」でもなくなっているのだ。
それでも、人々は人よりも早く作り上げられた流行りの物を揃えるために、情報を収集する。
少しでも自慢したいがために。
少しでも個性を手に入れたいがために。
 
 
 
結局、自分を個性的に仕上げよう仕上げようとしたために、人との共通性を手に入れていることになるのだ。
だから、人との共通性を手に入れることで満足し、人との共通性を持たなければ恐くて仕方がないという状況が作り出され、没個性的な世の中となったわけじゃないか。

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