パラドックス。
日本語訳では逆説と言う意味である。
実は現在の世の中にはパラドックスに満ち溢れている。
それはよく言われていることだ。
具体的な例で言おう。

例えば平和を守るためには武力の保持が必要である。
相手から攻撃されないためには、武力を持つ必要があるのは明らかだ。
日本の治安を守ると言うのもそうではないか。
平和を守るために、警察が拳銃を所持し、警察官は鍛えられている。
アメリカは自国を守るために、武力を所持し、武力を行使した。
 
他にも、こういった例がいくつもあるだろう。
今回はこう言う例で、身近なことを考えた。
 
 
日本は民主制の国家である。
こういった民主制というのも奇妙なパラドックスを持っている。
日本は民主主義国であり、国民主権、または主権在民ということを掲げた国家である。
国民主権というのは、つまり、国家の意思は国民が決定して行動するもんだっていう意味だ。
確かにそうだって思うかもしれない。
誰もが国家の意思決定の権利を持っている。
民主主義とはそういうもんだ。
でも、よく考えて欲しい。
あなたの意思は国家に反映されているといえますか?
例えば、小学校や中学校の時を思い出してください。
クラス会やお楽しみ会なんかで、何をする?と考えた時あなたの意見は100%汲み取られたことはありますか?
いくらかは汲み取られたことはあるかもしれない。
もしかしたら、クラスの人気者だった人は思い通りのことが出来たかも知れない。
しかし、ほとんどは思い通りにならなかった人のはず。それで悔しい思いをした人もいるだろう。
 
つまり、民主主義の中での民というのは、いつでも自分以外の誰かのことを指している。
もっというなら、自分の意見は他の全ての人の意見によってかき消されるものだ。
民主主義というのは、意思決定の権利は民にあるが、その民と言うのは個人を指していない。
民は支配者でありながら、従属者である。
恐ろしくも、これは民主主義をうたっている場所ではどこでも存在するパラドックスだ。
 
 
あるグループがあるとしよう。
そこに存在する多数の人々とあなたが全く違う意見を持っていたら、あなたは自分の意見を誰も認めてくれないって思ったことはないだろうか。
周りの多数はあなたの意見を聞き入れようという態度はあるのかも知れないが、あなたにとっては全く違う意見の持ち主たちなのだから、自分の意見は全くないものにされてしまっていると感じたかも知れない。
しかし、民主制の元ではそれが当り前なんだ。
自分の意見は無いものと感じた人達も、逆の立場に立った時はやはり、同じことをするのだから。
いつでも、逆説的なことが起こっているんだ。
 
 
 
本当に、世の中はパラドックスに満ちている。
パラドックスの中で生きているのだ。
もしかしたら、あなたは毎日まっすぐ生きてるつもりでも、逆説的なことをしているのではないか?

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