「惜しまれながら死んでゆく英雄にあこがれ
いばらの道を見つけ出し、靴を脱ぎ捨てる
あんまり平和な世の中じゃかっこ悪すぎる あぁ 宣戦布告!手当たり次第
そうですこれが若者の・・・
音も立てないで過ぎてゆくやり直せない日々
運動場のはしっこで悪魔を育てよう
誰にも気付かれないように食べ物を少しわけてやる
金網の中で大きくなれよ
そうですこれが若者の・・・
月曜の朝の朝礼で手首を掻き切った
運動場の端っこで悪魔が笑ってる
あんまり平和な世の中じゃかっこ悪すぎる あぁ宣戦布告!手当たり次第
そうですこれが・・・・・・
英雄にあこがれ!!」
俺が好きな歌の歌詞だ。ブルーハーツの『英雄にあこがれ』という歌の歌詞である。
この歌に俺は男気を感じる。
男ならわかるのではないだろうか。
いや、わからない人もいるのかも知れないが、この歌には男気を感じるのである。
男なら一度や二度、英雄になりたいと思ったことや、かっこよく生きたいと思ったことがあるだろう。
その英雄や、かっこよく生きるためには、ぬるい道を選んではいけないってことがこの歌に込められている。
いばらの道を選ぶだけでも、痛いのにさらに靴まで脱ぎ捨て、裸足で歩く。
つまり、修羅場をくぐったり、厳しい道を選び、それを乗り切ったものほど男になれるんだ。
しかし、それに気付いたものは、厳しい道を無理やり選び、自分を失ってはいけない。
今までの自分をしっかり持った上で戦い抜かなければいけない。
それが、英雄。
それが男だ。
例えば、自分が嫌われるかもしれないからといってその道を閉ざしてはいけない。
その道がいかに辛くとも、栄光の道なのかもしれないのだから。
例えば、自分が責められたからといって、責任転嫁や、正当化をしてはいけない。
責任を逃れれば逃れるほど、失うものは大きいのだから。
いばらの道を避けていては男になんかなれない。
いばらの道を避けて男になろうとしても、男になんかなれるわけない。
いばらの道を裸足で突き進む気持ちがなけりゃ、上は目指せない。
俺はいばらの道を歩くことを忘れていた。
この心意気がなければ上は目指せないと思った。
男気を爆発させて上を目指してやる。
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