電車に乗るときにいつも思うのだが、俺はすみっこの座席が空いていれば必ずすみっこに座る。
全部の座席が空いていたとしても必ず隅っこに座る。
それは何故なんだ?
そして、誰もいない部屋に何もせずに一人でいると不安になる。
それも何故だ?
どうやら、人間は何もない空間を恐れる本能を持っているらしい。
例えば、あなたなら一番乗りに大学の教室にたどり着いたらどこにすわる?
ど真ん中に座るなんてことはないと思う。
まず端の方から座るのではないか?
そして段々と端がうまり、真ん中がうまって行くという状況を目の当たりにしたことがあると思う。
このように人間は空間に対する恐怖感をもっているらしい。
これは言葉にもいえる。
人間と人間との空間においての言葉の沈黙。
それに対して恐怖感を感じたことはないだろうか?
気心のしれた人とならば感じることも少ないだろう。
しかし、そうでない人と同じ空間を過ごし、沈黙状態になると恐怖感を感じやしないだろうか?
俺は確実に感じる。
何もしていなければなお更。
喋ることが好きだし、そういう人間だからかもしれないが、その恐怖をとても感じるのだ。
なるほど、つまりよく喋る人は恐怖を感じ易いがため、なるべくその空間を避けるのだ。
そして、男は多く語るもんじゃねぇって言葉は男はそれくらいの恐怖に耐えられないでどうするんだ!ってことか。
つまり、言葉の少ない人ってのはこの空間に対しての恐怖を感じにくい人なんだな。
そして、その恐怖から逃げたいがために、人と接することを避ける人もいるんだな。
しかし、それは誰しもが感じているのだから、その空間を自ら打破することも考えてみてはどうだ?って思うのは俺だけか?
そんな空間を自ら打破できないようなことでもいいのか?
俺はそれはおかしいと思うぞ。
一人だけの物理的空間に対する、恐怖に耐えられるのはいいことだとは思う。
しかし、人間と人間との空間における恐怖も打破できないようではいかんと思う。
それくらいできんでどうする。
地球上で唯一言語を使用できる人間なのだから、言葉をうまく使用できなくてどうする。
その恐怖感を感じていなければ言葉なんて使えやしないのだから。
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