最近は街中でいろんなおかしなことを見かける。
若者に限らず、中高年の人もそうだ。
明らかに人に迷惑をかけたり、明らかに自分本位の行動をとってたり、さらには犯罪行為じゃないのか?というようなこともある。
そしてそれを見てもほとんどの人は見て見ぬふりだ。
おかしな世の中だ。
 
 
人のすることには無関心なのだろうか。
まぁ注意したり、止めたりしたら何をしでかすのかわからないような人がごろついてるからわからんでもない。
実際俺も注意したら殴られたことあったし、俺の親戚のおじさんも殴られたという。
まだ殴られただけならいいけど、逆上した奴はほんとに人を殺しかねない。
それだから、注意する人も減るだろう。
 
 
 
それでなくても、最近は間違ったこと、おかしなことを注意できない奴が増えている。
例え、殴られないだろうとわかっていても、出来ない奴がいる。
俺の周りには腐るほどいた。
 
 
まぁ人に指摘する時はいずれにしても勇気がいるだろう。
最近の奴は自分の非を指摘されたりすると、耳を塞いでしまうやつもいるし、指摘する人には近づかないでいようとしたりする。ようするに干渉されるのを避ける。
そのくせ、人の事に関してはさんざんに言う。
こんな腐った人間が多いんだ。
 
 
道徳的に間違ったことを指摘すると言うのは勇気がいることなのか?
社会的欲求というものを充たすためだけに、多くの自己を喪失しているとは思わないか?
まぁ全く何も思わない奴もいるだろう。
しかし、多くの人はそうではないはずだ。
何かおかしなことを見つけたら、指摘する優しさと言うものがあるはずだ。
そんな優しさを持った人が少ないのか?
いや決してそうではないはずだ。
目をつむっているだけだ。
 
 
勇気が必要だというのなら、その勇気を養う必要があるのではないか?
もっと人と人とのつながりは大切じゃないのか?
上辺だけじゃなくつながれることはあるはずだ。
 
そして注意されたからと言って耳を塞ぐな。逆上するな。
それはその人の優しさだ。
その人独特の道徳観であったりするかも知れないが、人の話は聞けず、人には迷惑をかけるのに人から干渉されることのない自由を求めるな。
人は皆、放任されることを望み、干渉されることを望む。
この二つの矛盾の中で生きているんだから、そのことを考えて行動するんだ。

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