勉強ってのは、なかなか好きになることができない。
もう何人の人が「偏差値教育なんて・・・」って思ってるか。
まぁみんなの言うとおり、点数で計るのは間違っているとは思う。
でも、それでも点数で計るって事はそれなりに理由があることなんだ。
勉強ができるってことは要領がいいか、頑張ったかである。
要領がよくて、一回やれば、それだけで出来てしまう奴はいるだろう?
記憶力がよくてって感じで。
要領がいいやつは、それだけ期待できるだろう?
仕事もできるだろう?たしかに勉強ができたからって要領がいいとは限らんが、出来ない奴よりは期待できる。
他は、勉強を好きにしろ、嫌いにしろそれだけ頑張った人が点数がとれる。
頑張って出した結果なんだから評価されてもいいだろう?
特に勉強なんてそんなに好きな人はいないんだ。
それなのに頑張れるって事は、それだけ忍耐力があるんだ。
そんな忍耐力のある人なんだから、すぐにきれてしまうやつなんかよりよっぽどいいでしょ?
それで点数で判断されるんだ。
でもね、俺はこんなことがいいたいんじゃないの。
いくら勉強ができても、だめだっていいたいの。
どいうことかっていうと、勉強が出来ても考える力がなけりゃ意味がないの。
ほんとに。
例えば、歴史を覚えてたとしよう。
日本史の穴埋め問題は完璧だぜ!!
年号も完璧だぜ!!
ってやつがいたとしよう。
でもね、歴史上の出来事はなんでこうなって、何でこういうことが起こったんだ?ってことがわかっていない、それを考えなければ歴史をわかったなんていえない。本当の意味で歴史ができるなんて言えない。
歴史は出来自体を理解してなければ意味がないの。
だから、歴史をするの。
すべての出来事にはそれ相当の事由があるはずなんだ。
そういうことを考えられないようならいくら、点数が取れていても意味がない。
わかるかい?
でもね、たくさんのことを知っていればそれだけ、いろんな角度で物事を見ることができるんだ。
勉強ができるってことはそれだけ、色んな角度で見るだけのストックはあるの。
でも、見れてない人っている。
だから勉強ができても意味がないの。
だから出来ない人で考える力がとてもある人も、勉強することを勧める。
自分は考えることが出来るから勉強はしないって人も、もう少しやることを勧める。
それだけ、物事をまじめに、積極的に見ることができるようになるから。
きっとそういう人がたくさんできれば、日本は変わる。
政治に無関心な人は是非政治と法律の勉強をしてみてくれ。
そうすれば、政治にもっと自分が参加しようという気持ちがでてくるよ。
学問をおろそかにしていると、何事にも無関心になるから。
せっかく教育を受ける権利を持っているんだ。
その権利をしっかり有効に使おう。
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