サルトル曰く「人は自由という刑に処せられている」のだ。
全くそうだ。
人は自由だ。
自由を持たないものもいるが、少なくとも日本人は自由だ。
どういう考えを持っていようと、思想だけでは何も侵害されない。
そして、どんな性格になろうと、自由だ。
どんな人間に成長しようが自由だ。
それゆえ、子供の頃に無茶なことをするも自由。おとなしくするも自由。
勉強するもしないも自由。
俺はそのように育てられてきた。
自由であるが故に、自分で責任を負わなければならない。
後悔してからでは遅い。
あの時、ああすればもっと、今より幸せだったのか。
あの時、ああ言えばもっと、今より幸せだったのか。
そんな考えは自由であるが故に発生するといえる。
自由はなかなか辛いもんだぜ。
特に放任は。
自分が人間社会から放任されたと想像してみろ。
相当強い人間でなければ、相当生命力が無ければ、相当生きる術を持っていなければ、今の世の中生きられないだろう。
社会権と言う、国家による自由というものを手に入れたものだから、放任の自由は望まれない。
でも、人は放任を望む。
バランスと言うものが大切なようだ。
しかし、身勝手な話だ。
自分の都合に合わなければ拒否したり、もっとやってくれと言ったり。
非常にわがままだ。
みんなわがままで、自分で責任を負うのは嫌なんだ。
だから、人に任せ、人に依存し、人に責任転嫁する。
実に身勝手だ。
自由なんだから、今ある自由を自分のために最大限活かす努力の一つもしてみろ。
そして、自由だからといって、道徳的に考えて行動しろ。
自由というのは勝手気ままにすることじゃない。
少なくとも、人に依存するならばな。
人に依存している人間はより、自由というものを考えろ。
自由は身勝手に振舞うことか?
俺は自由というのは非常に厳しく、非常に冷酷なものだと考える。
少し、冷静に考えてみるのもいいと思うぞ。
長くても人間の一生だ。長く生きられないんだ。
そして、考えることが出来る環境にあるんだ。
妥協する前に一度踏みとどまって考え、諦める前に後悔しないかもよく考えろ。
なんとなくて決めるな。
自由というのは、そういう鬼気迫る選択をせまっている。
よく自由を考えよう。
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