11月5日・・・ほんとの瞬間 11月6日・・・ゲゲゲの鬼太郎
11月7日・・・破滅 11月9日・・・エアロ
11月10日・・・サイン帳 11月14日・・・パンチ
11月16日・・・一連の流れ 11月18日・・・役割
11月19日・・・責任 11月20日・・・プライド
11月28日・・・自慢
「ほんとの瞬間はいつも死ぬほど恐いものだから
逃げ出したくなったことはいままでなんどでもあった」
THE BLUE HEARTSの「終わらない歌」の歌詞である。
今までこの、ブルーハーツが言うほんとの瞬間が俺にはあったのかはわからない。
どんな瞬間がほんとの瞬間だろう?
高い買い物をする時
自分の気持ちを告白する時
人の前に立つ時
何か大きな決断をする時
今まで俺にブルーハーツがいうほんとの瞬間が何度来たのかはわからない。
でも、俺の勝手な解釈では何度も来ている。
それがブルーハ―ツほんとの瞬間であるなら、確かに恐い。
逃げ出したくなったことは何度でもあった。
逃げたこともあった。
逃げずに立ち向かったこともあった。
でも、俺が思うほんとの瞬間というのは逃げてもいいが、逃げてしまったら絶対に自分のものにならない。
逃げずに立ち向かったことで、俺は今の俺でいる。
自分には出来ない。出来る人は羨ましいとか言って腐ってる人はいるだろう。
そんな人はほんとの瞬間から逃げてしまっているのではないか?
出来る人は、才能があったりする人もいるが、それなりにほんとの瞬間にぶつかったはずだ。
それが、見えないだけで。それが、自分よりも早かっただけで。
はじめからそんな瞬間が無い人なんていないんだ。
ゲ・ゲ・ゲゲゲのゲ〜朝は寝床でぐ〜ぐ〜ぐ〜
楽しいな 楽しいな お化けは死なない♪病気も何にもない!
何で寝床で寝てるだけで楽しいんですか?
何で妖怪の話なのに、お化け?
ゲ・ゲ・ゲゲゲのゲ〜 夜は墓場で運動会
楽しいな 楽しいな お化けにゃ学校も試験も何にも無い!
墓場でできる運動会の種目は何ですか?
どんな種目?
俺が思うつくのは、障害物競争、〜m走、リレーくらい。
他にどんな種目があるんでしょう?
へへへ へへへ へ・へ・へ〜
お化けの世界はなぁ
へへへ へへへ へ・へ・へ〜
あるさお前の家の側
言うこときかない悪い子は夜中迎えにくるんだよ
確実に大人の陰謀です。
昔、俺もビビらされました。
言うこと聞かないと枕返しが枕を返しにくると思ってました。
親の思う壺です。
お気に入りのアーティストのCDに傷がいってブルー。
何年も前に買ったコンポの中に入れてたらなんか、出てこなくなりやがったから、コンポは壊れてもいいからCDを返せ!!って感じで暴れてたらCDに傷いった。
あぁーーーーーーーー
むかつくよ。
CD入ったままこわれんなっちゅうねん。
せめて出してからこわれろっちゅうねん。
今、傷がいったから音とびしないか聞いてるけど・・・
音飛んだらこの怒りはどこにぶつければ?
どっかに怒りをぶつけることは頭悪いか・・・
落ち着け!!俺!!
こんな時は背筋を伸ばそう!!
いや深呼吸だ!!
いや、両方一緒だ!!
意味わからん文章かいてるぞ!!
・
・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・
よし!落ち着いた。
最近、うちのプリンタを買い替え、スキャナーを購入した。
プリンタは非常にいいね。
カラリオのフチなし印刷できるやつ。
きれいな印刷です。
スキャナーはまだ様子見てる。
初めて使う故まだよくわかってない。
これから、使い方を学んでいくぞ。
はい、何もない日記みたいになってしまいました。
アホです。
おれアホです。
中学校の頃無駄に自転車で徘徊してた頃くらいアホです。
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
音とびするとこ発見!!!!
こんなん音とびどころじゃない!!
音楽聴けない!!
はぁーーーー・・・・
うにょらー!!
とっぴろきー!!
あんだもんどもんでごんど!!
まんでぃごれんどらんど!!
本日非常におもしろい光景をみた。
ヤンキーらしき人物が乗った車のエアロの部分に、段差がぶつかり大破していた。
いつか、そういう場面を目撃するんだろうと思っていたが、今日初めてお目にかかった。
なんていうか本当におもしろかった。
なにがそんなに面白かったかというと、壊れていただけなら
「あー壊れたんやー」
って感じで見ていたと思う。
しかし、その車はマイカルに入ろうとしていた時、ほんとに小さな段差によってエアロが壊されたのだ。
さらに、壊れているエアロはかろうじて引っ付いており、車が進むと引き摺られるのだ。
そして、その車は進むのだが、マイカルの警備員と、助手席に乗っていた女がおり、エアロを持ってちょこちょこ進んでいた。
その時の運転手の顔はとてもせつなそうで、車までが切なそうに見えた。
人の不幸は密の味とはよくいったもんだと思った。
俺、性格悪いのかな?
11月10日
小学校や中学校のとき、卒業間近になるとクラスの女子にサイン帳というのを書かされた。
高校卒業の時にはぱったりなくなっていたのは何故だろう?
まぁ大学生になってから、キャンプカウンセラーというのをするようになってから、またたくさん書くことになったのだが・・・
それにしても、サイン帳の質問項目は非常に多く、答えにくい。
はっきり言って、今だから答えられるような質問項目もある。
小学生の時に「私を芸能人に例えると・・・」
などという質問には答えられなかった。
まぁきっと小学生対象にしたものじゃないんだろうとは思うけど・・・・
そのサイン帳の思い出で中学生の時、ある女子から書いてといわれて嫌々書いたのがあった。
それにはほんとに酷い内容を書いたのを覚えてる。
あなたの将来の夢は?
なんでおまえにいわなあかんねん。
私の第一印象は?
そんなもん覚えてるはずがないやろ。印象うすいのに。
あなたの20年後は何をしている?
確実にあなたのことを忘れてる。
こんなことを書いたのを覚えています。
一人だけやけど。今謝れるならあやまりたい。
そして、20年後もまだそのことを覚えてそうです。
今7年たったけど、完璧に覚えてるし・・・・
ごめんね。
あのころの僕は幼かったの。
幼稚だったの・・・・
許してね・・・・・
女の人のボールの投げ方は変なことが多い。
投げてもらったらわかる。
とても脇が開いてる。
なんで?
うまく投げる人はいる。
そういう人は、なんかしら野球なり、ハンドボールなりをかじってたりする。
しかし、パンチは違う。
本気で打ってもらってみよう。
異常にすきだらけである。
打つときは脇が開きすぎである。
ファイティングポーズは思いっきり手の甲を見せる。
なぜか?
なんか、テレビで言っていたが、女性は昔から、こぶしを武器に戦うことがなかったため、どう動かしていいのかわからないらしい。
そういえば、小学校の頃女の子が喧嘩をする時は、引っ掻いたり、手のひらで叩いたりだ。
拳を握り締めて繰り出すことなんてなかなかなかった。
でも、それだけの理由?
そんなもん?
じゃあ男の子はどうだろう?
確かに変な人はいる。
でも、結構少なかったりする。
だけど、小さい頃拳を使って喧嘩をしていたわけじゃないみたい。
でもまだ女の子よりはましだ。
なぜなんだろう?
知ってる人教えて。
髪を切りに行った。
いつも髪を切りにいくと、店員さんは必死に何かを喋ろうとしてくる。
「今からどこか行かれるんですか?」とか、
「学生さんですか?」とかに始まる。
まぁこういうことならばみんな聞かれたりするんだろうと思うけど、これは俺だけだっていうのがある。
俺は肩幅が広い。
自分でも思う。
小さい頃から水泳をやっていたため、まるで肩にハンガーが入ってるかのような肩だ。
それが、店員さんには絶好の話のねたなのだろう。
いつも
「ラグビーかなんかやってはります?」
って聞かれる。
で俺は、
「水泳を昔やってました。」
って答える。そしたら
「あ〜俺もやってましたよ」とか「あっ泳げるんですか?」
というような一連の流れが発生する。
その一連の流れが本当に煩わしい。
何か他の話題で攻めて来い。もっと他にあるだろう?
それはマニュアルか?考えろ!!
昨日、めでたくキャンプカウンセラーという活動を卒業した。
たくさんのものを与えてくれた活動に感謝している。
そして、その活動に感謝の気持ちを還元したく後輩に思っていたことを伝えた。
素直に伝えた。
その事柄を理解してくれたメンバーは何人いるだろうか?
聞いていた人はわかってくれました?
俺の伝えたかった真意ってものをこのページでひっそりと・・・
「役割」
人にはそれぞれ、集団社会の中で役割というものがあると思う。
その役割ってものを自分で見つけ、それを果たすのが必要だと思う。
そして、その役割ってのはどんな社会にも存在する。
例えば、家族のなかにも、クラスの中にも、友達同士の中でも。
自分の役割がわかりやすい人っていると思う。
俺なんかは知ってる人が思うようにわかりやすい。
でも、わかり易いのは昔からその役割を確立してきたからであって、自分でもどういう役割なのかを理解しているから、わかりやすいのだと俺は思っている。その役割にはまるには、自分では努力してきたと、自負している。
役割に気付かずに生きてきたら、きっと大変である。自分の役割がわからずに色んな事を求められるからである。何から何まで出来ないと、人から認められにくい。
だから、ある一つの社会の中での自分の役割はなんなのかを考えて生きることは大切だと思う。
「責任」
責任を放棄してやりたいことをやるのは自分勝手である。
集団社会の中で、誰かが責任を放棄すれば、誰かがその責任をかぶることになるのだ。
日本人というのは、おそろしく他人に依存している。
誰かに責任を託せばそれで、自分の責任はなくなると考える傾向にある。
その責任をすべてかぶってしまうような人ははっきり言って損をする。
そういう人がいないと、世の中うまくいかないのだろうが、無責任な人は一生偉そうなことを言う資格はない。
まわりを見渡せば、たくさん責任放棄をしている人がいるのに気づくと思う。
例えば、いじめを間のあたりにし、「俺は注意した」と言っている人。
例えば、後輩が間違ったことをしていると思っていながら、注意しない人。
例えば、誰かがやらないといけないことがあるのに、誰かがやるというまでほって置く人。
たとえはいくらでもでてくる。
誰しもが当てはまることがあると思う。
それだけ人に依存しているのだ。だったら、少しでも責任感というものをもとうではないか。
「プライド」
俺はプライドが高い。
それは、いい風にも聞こえるが悪い風にも聞こえる。
プライドが高いことは融通が利きにくいものだが、プライドを高く維持するのは大変だと考える。
俺は昔からプライドが高いのだが、そのせいで、色々損してきたこともある。
しかし、それは俺を支えてきたものでもある。
プライドが高かったから、自分自信を高めることができた。
アイデンティティーの確立にも大きな役割を果たしたといえる。
どんなことにでも、どんな職業にでも、どんな時にでもプライドを持つことが生きる上で大切ではないか?
自分のやっていること、職業にプライドをもっていなければ、続かないと思う。
自分でプライドを持つことで、責任感も生まれ、自分のやることに自信がもてる。
低いプライドではあらゆることに屈してしまう。
俺はこれからも崇高なプライドを持ち、自分を高めたい。
なんで、人は自分の知識を回りに言いたいもんなんだ?
例えば俺が、問題集をやっていたらまずそれに興味を持つ。
まぁそこまではいい。
そこから、自分は出来るぞ!!ってことを見せたいらしい。
自分も一緒に問題をやりだしたり、自分の知識を出すだけだしたら、満足になり去ってゆく。
もちろん、自分の出来ないようなことならば、すぐさま逃げるのだが・・・
まぁそんなもんだろうな。
自分のことをすこしでもよく思ってほしいことからそういうことが起こるんだろう。
俺にもそういうとこある。
多分みんなそういうとこがあるでしょう?
それはきっと自慢したいんでしょうな。