
八幡の風景
八幡というと皆さんはどこを想像しますか?
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今回のきまま旅は、京都府八幡市です
「八幡」というと、郡上八幡、近江八幡に代表される「はちまん」
製鉄所でにぎわった北九州の「やはた」が有名ですが、
ここ京都には「やわた」があります。
なかなか面白い街ですのでご紹介します。
京都府八幡市。大阪府と京都府の府境に位置するベッドタウンであるが、
その名からわかるとおり、石清水八幡宮の八幡に由来します。
鉄道は京阪電鉄が走り、八幡市駅が中心となります
(ただ、今はこの駅を止まる急行の本数も減り、お隣の枚方市の樟葉駅からバス便を利用する人が多いようですが・・)

それはさておき、八幡市はいろいろな旧跡が残ります。
八幡の風景〜その1 旅の安全祈願2題
【その1】石清水八幡宮五輪塔 別称「航海記念塔」
八幡市駅から徒歩約5分
細い路地の奥に突然どでかい石の塔が姿を見せます。


この石塔、重要文化財で高さ6.08メートル、幅2.44メートルもあります。
下から「地、水、火、風、空」と表現しています。
平安時代末期 尼崎の豪商が日宗貿易の帰途、海上でシケにあったが
その洋上で石清水八幡宮に祈り続けたところ無事に帰国できたことを喜び、
1171〜4年ごろに建立されたものと伝えられています。
以来、航海安全の祈願に訪れる船乗りが増えたといわれます。
(ただ、正確な刻印がなく、正確な史実はわからないそうです)
【その2】飛行神社
これは知る人ぞ知る神社
二宮忠八という人物をご存じでしょうか?
日本航空機の父と言われる人物です。
明治時代、日本で最初に飛行理論を研究しましたが、アメリカでライト兄弟が先に有人飛行を成功させたことで
更なる研究を断念しました。
その後、飛行機事故により命を落とす事故が多くなることに心を痛めた忠八は
大正4年飛行神社を創建します。
ギリシャ神殿風の神社は違和感ありますが・・

奉納された絵馬は、神社そのものでした
娘さんがCAで、その航行安全祈願や
多分彼氏がパイロットでその航行安全祈願というような内容のものが見られました。

八幡の風景〜その2 らくがき寺
正式名称は「単伝庵(たんでんあん)」

奥にある大黒堂というお堂がユニークで、その内部の白壁が願いを託した落書きで埋まっています


八幡の風景〜その3 安居橋(あんごばし)
市街を流れる、放生川にかかるそり橋が風情をかきたてます。
周りは、公園として整備されています。

八幡の風景 その4〜走り井餅
もとは大津の名産でしたが、明治43年八幡の地でその伝統が引き継がれました
(包み紙にも、東海道五十三次 大津宿に見える走り井餅の絵が使われます)

形が特徴的ですが、その昔、大津追分の走井の水で刀鍛冶(三條小鍛冶宗近)が刀を鍛えた故事から
刀の荒身を表しています。

八幡の風景 その5〜男山ケーブル
石清水八幡宮参詣にはとても便利なケーブルカー

しばし、映像をどうぞ(しかし、録音に失敗してしまいまして、無音です・・ 汗 )
八幡の風景 その6〜竹
八幡の竹といえば、エジゾンが白熱電球を発明した時に使用した素材として世界的に有名
駅前にも大きな竹のオブジェがあります

男山に登ると一面の竹林が見られます。


駅前にもエジソン胸像

男山にもエジソン記念碑が建ちます

石清水八幡宮への参道は昼間でも鬱蒼とし、森林浴気分に浸れます。


八幡の風景 その7〜石清水八幡宮
八幡といえば何といっても石清水八幡宮!
日本三大八幡といわれます(あとは諸説ありますが、宇佐神宮、筥崎or鶴岡といわれます)
清和天皇の世、八幡大神の御神託で都に近い男山の地に移座し国家を鎮護するということが由来です
社名の石清水はもともと男山に鎮座していた石清水山寺に由来します。
その前に、男山の展望台からの眺望(木が鬱蒼としていてあまりよく見えませんが・・)

参道を歩くと朱塗りの本殿が見えます

そして最後の風景は男山周辺から少し離れます。
八幡市駅からバスに乗ること約20分弱
浜上津屋に着きます
そこから歩くこと約5分
八幡の風景 その8〜流れ橋
本当の名前は上津屋橋といいます
時代劇の撮影などでもよく使用される木製の橋の姿が目に飛び込みます。

特徴的な形をしていますが、木津川が氾濫してもいいように流れることを前提につくられている、ユニークな橋。
流されても、あとでまた組立られるそうです。
古いように見えますが、作られたのは昭和28年のこと
それまで使われていた渡し船の代わりにかけられました。
(その当時から木製の流れ橋でした)
過去、記録が残っているだけでも16回の流失記録があり
最近では平成16年に流失しています。

これだけまわって約4時間
さまざまな顔を見せる八幡です
一度お越しになってみてください。
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