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能力に適合した躾
 我々は誕生とともに多様な義務と権利が付加され人としての資格が与えられる。
それまでは哺乳類として動物である。

  動物が進化して付帯設備が高度になるに従い人格と品格が向上して普通の人になれる。
この過程が重要であり、母体に命が宿った瞬間からもっと言えばその両親の先祖の履歴を
土台として、胎児であると認識されたときから躾が始まる。
胎児は母体の生活習慣と環境から個人の基礎が形成される。

 誕生して、実質の躾が始まり一律の義務教育環境化で人格形成がはじまる。
この過程では偏見意識は伝承されないが教育現場でないメディアをはじめ周囲の人格の低い
人たちからの情報により、情報理解が出来る年齢から偏見を持つようになる。
言い換えれば、俗語である優越意識を感じたいが為にその言動が出たり、自らの立つ位置より
低い立場を作ったり、特殊能力を用いた嫌がらせ等がはじまる。

 これらは、競争社会における産物で半世紀以前では主流の人格者を除く社会ではゆったりした
その日を楽しく無事に普通に過ごせる思いやり社会を常としていた。

 人権におけるたてまえは無差別であることが優先され唱えられる。
ここで言う無差別とは法令で規制される言動のことである。
しかし、この社会、優劣意識と自分の立場を守る為に“出る杭は打つ”という俗語があるとおり言動は
平静であるが心や頭の中は“怒り”や“おんねん”となっている。

 この矛盾を是正するには競争社会に是非を問うのか?
立場に設置する能力評価制度を疑問視するかは、そのおかれた立場によるところが多い。

 我々は、この競争社会に生存する以上ある程度の怒りや嫉妬からくる怨念が芽生えることは
競争原理の言葉からなくなることは無いが、日本人らしく?さっぱりと相手の能力を認め闘争心を
蓄え再挑戦する過程を導き出し個人がコントロールできるための教育が必要である。

   人権の最終章は理不尽な考え思いはしない!

   自問自答による反省はすべし!

  
 
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