姫路ブロック20周年記念講演会
1996年5月26日(日)
「自閉症三十年の考察」 石井 哲夫先生
 
はじめに
自閉症の難しさ
受容的交流療法
こだわりの意義
援助者として
 





 
 *「精神薄弱」については、「知的障害」と置き換わらないところがあり、そのまま使用しています。
 
はじめに
 ご紹介いただいた石井でございます。
 この兵庫県の姫路ブロックで大変熱心に自閉症のいろいろな実践を重ねて、もう二十年になったという事をお伺いして大変感慨深いものがあります。
 私もこれまで自閉症一本やりできたわけですけれど、最近は保育とか痴呆性老人のことも少し心がけてきております。それはやはり国の福祉政策が在宅支援という方向に動いてきておりまして、在宅支援には障害の別なく、また老人とか子どもに関わることも福祉の課題として、地域が担っていかなければならないわけでありまして、そういう意味でできるだけ幅の広い活動を地域で行えるように、少し先走っているかもしれませんが考えているわけです。
 それにしても結論から申し上げますと、自閉症のように非常に困難な課題を抱えている人が福祉政策の中心に入っておりませんと困難な課題を切り捨ててしまうということになってしまうわけです。国では今、通所施設を身体障害・知的障害・自閉症も含めて総合的に行おうということをいっております。地域で自閉症はどこへ行ったらいいか分からないとか、知的障害の施設はあるけれども身体障害の施設はないとか、またその逆とかいうような状態では福祉の手が行き届かない、というのが国の考えです。けれども私はそうした動きの中で中央児童福祉審議会の障害福祉部会で強く主張したことは、「自閉症という存在を基本的にきちんと受け止めないと、こうした通所の援助というものは成り立たないのではないか」ということです。
 そういう意味で新しく出ました通所施設検討部会の結論の中に『自閉症などの困難な障害については、その経験者の意見を十分に聞くように』というような一項目が入ってきております。そのような形で私のこれからの仕事を進めていきたいと思っております。
 
自閉症の難しさ
 ご承知のように自閉症に関わってきている研究者も今はたくさんいるわけであります。 この間も児童青年精神医学界の大会の中で、私を名指しにある人が「どうも石井なんてのはけしからん。受容ということで子どもを甘やかしてひどいようなことをやってきたにもかかわらず、最近は強度行動障害のことをやっているのはおかしいんじゃないか。」というようなことを言われました。それに対してかなり若い精神科のお医者さんが「今頃、何でそんなことを言ってんだ。時代遅れもはなはだしい。受容ということの本当の意味を理解しないで、また強度行動障害の研究もかなりすすんできているにもかかわらず、そういう一面を捉えた言い方をしているようではダメだ。」と、かなり弁護をして下さった方がいました。このことで私は最近の児童精神医学は健全な方向に来ているんじゃないかと思っています。
 かつては児童精神医学が少数であった頃があります。そのときには児童心理学者の研究に対して、児童精神医学者が批判的であった時期もあり、社会福祉施設では自閉症の療育はできないと言う人もいました。
 その頃、ちょうど自閉症施設について第一種自閉症施設の活動に対して、第一種自閉症施設が増えない、しかも精神病院に併設されている、ということで教育とか心理の人たちをもう少し吸収するようなことを考えなくてはならない、という主張がその頃の親の会の人たちからありました。そこで国では精神薄弱施設を転用して、第二種自閉症施設を作り、その人たちの主張というものが功を奏したわけですけれども、残念ながら実際には精神薄弱児施設を転用したということによって、その後の自閉症施設というものが縛られてしまうわけです。そしてこれまた全国で第二種自閉症施設も増えない。増えないどころか減っているという状況があります。
 自閉症がともかく難しいのは、その内面的な精神機能というものを研究することが難しいというところにあります。そこで一足跳びにいわゆる生物学的研究というものが行われるわけですけれども、生物学的研究自体も人間を研究材料にするということでなかなか難しいわけで、亡くなられた自閉症の人たちの遺体解剖で脳の状態を見ていく、でもそれほど機能的にはっきりした、いわゆる器質的な違いというものを見つけることはできない状態にあるわけです。
 自閉症の人たちでともかく一番難しいのは、人と率直に話をするように育ってこないところでありまして、そういうところにお互いの意思の疎通を欠いてしまっているということがあるわけです。やっとこの頃、ドナ・ウィリアムズさんが『自閉症だった私へ』という本、この題名は訳者の河野さんの翻訳で本来の題名は『Nobody Nowhere』ということですが、結局そういうドナさんが自分の体験を事細かに記した本を書いてくれたことによって、我々が手探りで行ってきたことがだいたい間違ってなかったんじゃないか、というふうになってきたわけです。
 ともかく自閉症に関わって長い間研究してきたという人は非常に少ないんですね。私もあの時あきらめないでよかったと思うことがあります。実は私は平井信義先生や田口先生に、特に平井先生にはいろいろお世話になって、平井先生の勧めで自閉症の子ども達に関わるようになってきたわけです。私は実際にこの自閉症の子ども達に取り組んでみて、この子達と関わるには施設しかない、ということで施設を作ったわけです。今は施設を否定していますけれど、当時はむしろ通所の施設ではきれい事しかできない、本当に寝食をともにしなければ分からないんじゃないか、という考えで施設を作ったわけです。
 そして私は自分なりにこの人達にくっついていかなければしようがないじゃないかと言うことで、あきらめずについてきたわけです。
 最初、全国自閉症親の会が出発した頃は、実は私が所長をしている「子どもの生活研究所」の人たちや平井先生のところでお世話になった人たちが中心だったわけです。そして事務所は「子どもの生活研究所」に置いたのですが、その後プレイセラピーの批判が起こり、私の考え(受容的交流療法)も誤解されたのです。
 1975年、昭和でいいますと50年代になって、マイケル・ラターやローナ・ウィングあたりが自閉症は脳障害であることを指摘した頃からです。自閉症が最初に記載されたのは1943年アメリカのジョン・ホプキンス大学のドクター・カナー博士によってですけれども、それとほぼ同じ世代で翌年の1944年にオーストリアのウィーン大学のアスペルガー先生が「自閉症」というものを取り上げたわけですね。それでそういうことをずっと進めてくると、アスペルガー先生の記載した「自閉症」とカナーの記載した「自閉症」は違うんじゃないかと、というようなことを議論していく中で、どうもカナーの方でも「それは環境性の障害じゃないか」「後天性の障害じゃないか」という言い方をしてきた訳なんです。
 そこで「親の育て方が悪いんじゃないか」とか「親を見るとどうも冷たい親が多すぎる」とかいうことを言って、親の顰蹙をかったわけです。親御さんもたいへん気の毒だったと思いますが、長年そういう変な意味で批判された、私と同じように批判されたわけです。私も甘やかすから子どもがおかしくなると言うような端的な言い方には抗弁してきたわけです。
 そのうち行動療法というものが現れてきて、いろいろと条件付けをしたり、厳しい教育をすることによってのみよくなるんだ、というようなことを言い始めて学習理論を振りかざしたわけですけれども、心理学者の中でもそういう学問上の闘いが始まったわけです。ですから学会などではシンポジウムだと私と梅津君がよく引っぱり出されるとか、私と小林君が引っぱり出されるとか、あるいは山口君のような精神薄弱児の教育中心の人と共に引っぱり出されるとかいろいろありました。
 しかし、大きな団体として日本愛護協会が発足したり、いわゆる精神薄弱者育成会が親の会として発足していく中で、だけど自閉症施設をやらざるを得ない。自閉症施設連絡協議会を作らざるを得ない、自閉症親の会を作らざるを得ないという現実があったわけです。また教育でも、「特殊教育」というものが戦後、亡くなられた三木先生などによって主張されたのですけれども、この三木先生の門下の中でも私などをはじめとして、そうした精薄教育論に飽き足りないという人は造反していく訳です。そういう中で情緒障害教育というものが発足するんですね。
 文部省では、なぜ情緒障害教育と言い、自閉症教育と言わないのかということが長年疑問になってきているわけですけれども、それは官庁の持っている、ある種のこだわりというものがあるからなんですね。いろいろなことが入ってきますけれど、基本的にも養護学校の教員が自閉症が何の障害かということの理解がなされていない。また先生方にも非常に努力はされていますけれども、ご自分の教育技術の中に自閉症の子ども達が入ってこない。自閉症に関わるためには心理療法的な技術というものが必要になってくるのですが、教育現場にはそれらが入り込んでこない。そういうところに難しさがある訳なんですよね。だからよく言っているように、療育に関わる人が精薄教育をベースにして自閉症に取り組んだ人と教育相談をベースにして自閉症に取り組んだ人との間に違いが出てくるというようなことがありました。また後に情緒障害児短期治療施設というものが全国にできるようになりましたけれども、そうしたところで勉強してきた人と精神薄弱児・者施設で働いてきた人とにまた違いが出てきている、そういうことがあるわけです。
 ですからいろいろと学問なり、実践なりのケースというものをたどってきますと、「なぜ、この人は分からないのか」というところに、その人を金縛りにしている過去の経験とか、その人が植え付けられてきた学会のスタンダードというものがあるんですね。そういうところから親の会の方々、また自閉症児・者をお持ちの親の方々が、学校の先生やドクターやサイコロジストに会って、どうも違うんじゃないかということでいろいろ悩まれるわけですね。
 また、行政はそれを強く意識して、自閉症についての学説が一本化されないことには援助のしようがないと言って頑張ってくれない。歴代の厚生省障害福祉課長でこの問題について積極的に取り組んでくれた人がいます。まあひとりと言ってしまってはたいへん失礼ですけれども、印象に残る人としては今、宮城県知事をなさっている浅野さんですね。浅野史郎さんは我々の言っていることを聞いてくれて、「自閉症、自閉症、と言って自閉症を特別だ、なんて言っているけれど、自閉症の状態像もいろいろなのだから、自閉症のどこが問題かと言うことをはっきりさせなければいけない。」と言うことで「強度行動障害」と言うんですね。この間もちょうど保育の会がありまして宮城県に行きましたが、その際仙台に行って、夜浅野さんに会ってきました。浅野さんがいろいろ話してくれた中で、「まあ先生、細い道だけれども踏みしめて歩んでゆけば、やがて太い道になるんだから」ということを言って慰めてくれました。
 ここで私が主張したいことは、自閉症の人たちはおそらく今の学説では、脳にある種の障害があるということになるんでしょう。その機能的障害ということをドクターは言っているわけですね。それで機能的障害と言っているけれども、現実に私たちが自閉症の人たちと関わってきて、何が障害なのかというと、具体的な行動障害というものは、脳の障害が現れてきてはいるんでしょうが、イコールではないんじゃないかと思えるんです。つまり自閉症は純粋培養して大きくなったんではなくて、自閉症の人たちはやはりそこで生まれて、親との関係、家庭の中で生活経験を重ねてきたわけですね。親との関わりができていておかしくなったならば、これは親も問題だというんですけれど、親とあまり関わり合わない子ですから、そこのところで関わらないことによって生じてくるひずみというものがある。また周りの大人が躍起になって関わろうとして、いろいろと圧力を加えることによって生ずるストレスのようなものもあって、そういうものがやはり自閉症の行動障害の原因だと思うのです。
 また、その脳の障害であるということだけで、「脳の障害なんだから、脳をよくしなければ駄目だ。」と言って、長年薬の研究をやっていますよね。私も薬の研究をしている人を知っていますけれど、全く効かないというわけではないけれど、やはりある種の条件というものがあって、自閉症といっても非常に多様ですから、そういうある状態の時には効くといえるのではないでしょうか。
 先日ある先生が訪ねてこられたときに、その先生が薬の研究をしておられるので、私が「いったいどういうときに効くんですか」と聞いたら、「生まれてすぐ自閉症だと分かったら、24時間以内に強力に薬を投与したら、かなり効く」(笑)と言うんですね。
  「そんなこと言ったって分からない」と思ったんですけれど、そういうふうに言ってはいけないので、「では、それじゃなるべくそれをわかるようにしましょう」という話をしましたが、早期診断というのは、やっぱり生まれてすぐの診断をしなければならないのだな、と思うわけですね。(笑)
 でも本当に一歳前でも、よく自閉症のことをわかっている人が関われば完璧に早くわかりますね。一〜二ヶ月でわかるのではないでしょうか。私はそういう点では自閉症の研究というか、自閉症の臨床的体験というものは、より多くの人にやってもらいたい。保健婦さんにもやってもらいたいし、それから特に産科の先生、看護婦さんに自閉症を理解してもらいたいと思います。
 それから「学校の先生は基本的に自閉症を教育できなかったら、学校の先生ではない」と私は学研の本に書いたのですけれど、教師という者は自閉症のように難しい子どもを教育できなければ、よき教師とはいえない、『俺について来い』と言ってついてくるような子は誰でも教育できるんです。親だってできるんです。というようなことを言ってだいぶ物議を醸しだしたのですが、これくらい気が強くないとこの世の中は生き抜いていけない訳です。
 
受容的交流療法
 ですから私は「ずっと受容です」と言うと「おまえは本当に変なやつだ」と言われるのですけれど、私は受容に交流というものをくっつけたわけです。つまり、受容というのは「ただ好きなようにやっていればいいですよ。座敷でおしっこしたって、水まいたって、それはその本人が望んでやっていることだから、何かの意味があることだから自由にさせておこう。」とかいうようなことは絶対に言いません。
 私はそんなことはやめさせて、「ここではダメッ」と言って、外へ連れていくとか、トイレへ連れていくとかいうことをやる。当たり前なんですね。
 ただ、そのときに「してはいけないことをわからせるために厳しくはっきり対応した方がよいという意味でお尻を一つでも叩いてやれ」という考え方には賛成しません。そのときに大切なのはダメということがその子にわかればよいという立場です。わかるようにしなさい、ということです。それは本人が体罰を受けることにより、親から離れていって、親の居るときには見えないところでおしっこをする、押入の隅でするようになっても困るわけですから。
 だからその時にどうにかしてその子に言って聞かせてわかせるような関係を作れ、ということです。要するにその人との関係障害というところが自閉症の最も困難な障害であるということは誰だって気づくはずですね。親だって気づくはずですよね。でもなぜか親御さんはこういうことに気づかないで、「ともかく厳しく叱った方がいい」とか「叩いてでも分からせてください」ということがあるんですね。
 また認知障害というと、何か目が見えない人と同じように考えて、「いや、ものが見えてないんですね。」というようなことを言う方がいるんですけれど、決してそうではないんです。見えても見なければ見えない。だから見ようにも見方が分からない。だからやっぱりその辺の因果関係は分からない。なぜこういうことになっているのか分からない。
 例えば(演台の花に触れながら)、これはどういう物か言ったときに「葉っぱ」だとか「さわって気持ちがいい」とか「見て非常に楽しい」とか言いますよね。見て楽しいと言っているときには見ているだけですが、さわって楽しければさわるわけです。中には引っ張って抜いちゃって、その手応えがたまらなく、快いとかなればみんな抜いちゃいますよね。だから感触の世界で生きている子ども達にとっては、直接さわっていじって何とかするという、ちょうど一歳代の子どもがいろいろ物に触り出す、発達的にはそれとよく似ているんですね。だから、その発達段階に長くとどまっている人として考えたときに、やっぱりそれはなかなか難しい。じゃ、さわる物をうんと考えてやるしかないのではないか、ということになるわけですけれども、うっかりさわられても困る物もあるわけですね。だから家では「いけません、いけません。」と言うことが多いですから、しょっちゅう自閉症の子は叱られる。ひどいときにはぶたれる。そういうふうに虐待される。考えてみれば気の毒です。居場所がないのですからね。
 「だから、まず自閉症の子が居心地がよいような家庭を作ってください。」というようなことを言うと、「そんなこと言ったって先生、今住居をやっと確保したのにそんなことはできっこないです。」とおっしゃる。けれども、例えば「水遊びをする場所」というものを考えてやったっていいじゃないですか。水遊びをさせたってちっとも悪いことはないじゃないですか。
 ただし、水遊びも人間関係が育ってくること、お互いに折り合いというものをつけられるようになるのです。今チョロチョロと手を洗っていても別に差し支えないし、それが今のその子にとって必要ならさせたらいいじゃないですか。水遊びをさせたってちっとも悪いことはないじゃないですか。
 「水遊びなんて必要ですか?」と言われるけれど、自閉症の人たちは精神的にものすごく疲れやすいですから、そういう自分の感触の世界というものがあることによって、やっと気持ちがなごむ、落ち着く、ということがあるんですね。
 皆さん方も自分がひどい病気になってみないとわからないとは思うのですが、僕はずいぶんひどい経験をしています。痛み止めにモルヒネを使われてフラフラしだして、精神的に非常につらい状態というものを経験しました。その時に何かパッと自分のとりついた感触というものによって気持ちがなごむという体験があったのです。「アッ、これだ」と思ってね。自閉症の子はきっとこんな形ですがりついているんではないかと思います。あれほどしつこくこだわりがあるというのも、何かそこに意味があるんじゃないかというふうに思っているんです。
 このように自分の体験も含めて臨床的にいろいろと自閉症に付き合ってみると、痛いほど自閉症という人たちの精神活動の障害の厳しさというものが分かってくるんですね。何であんなにとぼけたように、能面みたいにそっぽを向いて無表情になっちゅうんだろうと考えたとき、嫌なものに対して関わりたくないと思ったら、そっぽを向かざるをえないじゃないですか。何か物を握って離さない、何か一生懸命持って、汚くなるまで持って口に入れたりする。どうしてかというと、それでやっと気持ちが落ち着く。そうなったら、それはもう親より大事なお守りなんだというふうに言わざるをえないじゃないですか。自分の顎を叩いたり、頭を叩いたりして傷つけて、どこがいいんだっていうけれども、そういうことによってやっとひどい不安とか恐怖の淵から逃れようとしている、と言うふうに見たら一概にやめさせようとしたり、叱ったりできないと思います。
 そういいながらも何とかかわりになるような、自分の顔を傷つけなくても済むようなことができないだろうか。でもそれにはそういう不安を解消するという積極的な努力をしなければならない。そしてそれは人間がやるしかない。物によって満たされないものは人間によって守るしかない。私はそういうふうに思うんですね。
 ですからできるだけ子どもにとって居心地のいい状態というものはどういうものか考えてほしいのです。中でも特に親は大事ですね。親の気持ちが荒れ果てていると子どもも落ち着きがないですよね。両親を支えるということをやらなければいけない。学校の先生にしてもそうだし、私たちもそうだと思うのです。本当に私たちが治療をやるのは、子どもをよくするというよりも、両親がやっと自分の心の重みを、重い心をちょっとでも支えてくれる人が現れた、ということで気持ちが楽になる、そういうところにもあると思うのです。
 中にはそれまで髪を振り乱して、もう本当に櫛もかけなかったような人がお化粧をして現れたときにこんなにきれいな人だったのかというふうに思え、びっくりするような親御さんが何人もいます。こういう仕事をやってよかったなあと思えるときです。
 また、治療というものは総合的に考えなくてはいけないのです。子どもを全体的にとらえることなく部分的に子どもの癖を直して、直ったからよかったなんて言うのではなくて、それではまた違う癖が現れる可能性が十分考えられるわけです。
 行動療法が悪いというわけではなくて、基本をちゃんとふまえた行動療法、基本をちゃんとふまえたTEACCH、そういうものをやることについては私は反対していません。
 日本自閉症協会でもTEACCHの講習会はやりますけど、基本的に人間として理解し、人間として自閉症を育てるということはどういうことかという、その検討をしなければならないと私は思うのです。ですから最近、研究部会でそういう新しい研修講座を開いてもらうようになったということは意味があると思うんですね。
 ショプラーとも何回か話をする機会がありましたが、どうも違うと思うのは、私たちが大事にしているのは、自閉症の『心』なんですね。行動障害というけれど、その中にはいろいろ自閉症の癖、特徴がというものがあるのですが、なぜ、そうしているのかということを考えた場合、「それは脳の障害があるから、そうしているんです。」ということでは説明にはなりません。発達障害という重荷を背負ってこの世の中を生きてゆく、この人達が「こうせざるをえなかった」ということを私たちは大切に考える。そこのところがどうしても食い違うのであります。
 もちろんアメリカでショプラーが行っている実践はすばらしいと思うし、こういった地域ぐるみで自閉症が受け入れられるというのは理想ですね。私たちも真似しなければいけないと思います。だけど私たちはまず東洋人、アジア人なのですね。その一国として、アジアに共通している人間を大切にして、そして一緒に暮らすというそういう基本的な姿勢を持たなければいけない。こういうふうに思っています。そしてその時に細々ながら言っていることは自閉症とはこうなんだよ、今言ったようないろいろなことは本人達はやむをえずやっているんですよ。というようなことを言っていますけれど、嫌で、逃げて、防衛してやっていることを私たちはそのまま放置するわけにはいかない。
 「おまえが好きでやっているんだから、しょうがないじゃないか」「顎を叩こうと、跳んで歩こうと、それはおまえの勝手だ」と、放置するわけにはいかないのです。
 「それについては多動性症候がある。多動性症候群である」とか言って、そういうことを客観的にとらえ研究することは必要ですが、私とか、学校の先生がただ「これは、多動性症候群です。」と言って『それで終わり』というのではどうにもならないわけです。
 多動性というのはどうして起きているのか、またそこのところでどういうふうに我々が対応すれば、それが落ち着くのか。また落ち着かなくても、それなりにこの子として気持ちが安定していくのか。そのように実際にいろいろ取り組んでみますと、私は精神科のお医者さんの見解とは違って、多動性というのはその人の精神的な体制が多動となっているように思えるのです。多動というのは精神的な体制がそう作られてしまっているから、この体制を変えるために、その子が認知的な意味で集中できるような状況を作っていかなければならない。それには、話は常に繰り返し出てきますけれど、人の力によって関わっていく。ブースに入れたり、それからある意味でその子に目隠しをすることではなくて、人の力で注意の焦点が定まるような教育をすることが大事だというふうに考えています。
 そして、もっと言うならば、自閉症の子どもが多動にならざるを得ないということは、刺激に焦点を当てて集中することが困難である。つらいということです。ですから自分から他の刺激を排除して一つの刺激に制限することができないということになるならば、そういう他の刺激とこの刺激とを区別するための方法を考えていけばいいわけですね。時に他に音のするものを出してみたり、それがその子の好みの物であっても「さあ、これをやるんだよ。こっちで音がしているけど、気にしないでこっちをやるんだよ。」ということをやっています。
 
こだわりの意義
 あの子達が私たちと違うなあと思うのは、一度つらい、嫌な思いをすると、そのことを非常に長く自分の中にとどめているということです。杉山さんという若い精神科医は”タイムスリップ”というように言いましたけれど、本当にこの子達は空想の世界の中でその嫌なことを思い出して、時ならぬ時に大声をあげて叫んだり、頭を叩いたりする。
 「これは何だ」とか「どこが狂ってんだろう」とかいうふうに言うのですけれど、これはやはりある状況の気配から、過去の困難なこととか嫌なことに入り込んでしまって、自分が空想の世界の中で囚われてしまっているのですね。
 ドナ・ウィリアムズの本の中にもそういうことが何回も出てきています。自分の忌まわしい記憶とか、そういうものに自分が縛られている。そういうところが普通の人には分からない、だからおかしいと言われることがあるわけです。
 止めても止めても同じことをする。机の引き出しや戸が気になって、開いていれば閉めたりそういうものにこだわる。何でこんなことをするのかというと、ともかく自分が落ち着けない。自分の中で作られた記憶の世界と違ったものがあったときに自分がそれをどうしても我慢することができないということがあるのですね。
 それと同時に、それが何かといえば、そういう自分の中に作られた、いわゆる一つの形の体制というものがその人そのものなんです。その人の「自己」なんです。
 だからこだわっているものを一挙にやめさせてしまうということは、その人の「自己」をつぶそうと努力している教育者なのだ、というような考えも成り立ちます。こういうふうに仮説というものはいろいろと成り立つわけです。絶対、これが正しいというわけではないのです。ただ物事はそうやっていろいろ考えながらやっていかなければならないということです。ひとりの人間として生きていくこの自閉症の人がなぜこういうことにこだわるのか。それは私という人間がとっている過去の生活の中にも、それに近いことはいろいろあるはずです。
 だから教育者の中でも熱心な人であればあるほど、誤った間違いをおかすということもあります。それはその人は自分のプライドを大事にして、相手のプライドを大事にしないことです。自閉症の子にもプライドがある。自己主張がある。自尊心がある。だけどそれを傷つけて、自分のプライドの方を優先させる。
 「俺の言うことを聞かない、おまえは何なんだ。おまえはなんて不遜な人間なんだ。」こういうふうな姿勢だけれども、教育というものは本来相手を生かすことですから、「相手を生かせない教師は何なんだ。」というふうに反対に自閉症の人は問いかけたらどうでしょうか。
 この頃「本人発言」なんてことをいろいろ言いますが、大人に仕掛けられたような場所で、本人発言をいくらやっても、それは私たちの参考にはならない。ものを言えない人の言葉に耳を傾けるということが大事なのです。自閉症の人は表現ができない、言葉の発達が遅れる、ということはいろんな意味があるのだろうと思いますが、事実としてそうなのですから、それを大事にしなければならない。
 また、よくしゃべる自閉症の子もいます。なぜあんなにしゃべるのかというぐらいに。でもそれが本当にきちんとした会話にならないのです。むしろ誤解を生むようなことを遠回しによく言うのです。
 「おまえはこうじゃないの」と言っても「そうじゃない」ということが多いのです。
 ともかく自閉症の人たちの比喩たとえ話のあげ方なんかはわかりにくいことがたくさんありますよね。
 「僕は優れた交通巡査になりたい」なんて言われても全然分からないですよね。
 「本当にお巡りさんになるの。」なんて聞く人がいるんですよね。しかし、そうではなくて、よく本人に聞いてみると、その人は自分が施設の中で先生のお手伝いをして、みんなにいろいろ言って聞かせたり、何かをやりたいということをそういう表現にしているんですね。だから「そうしたら、交通巡査になるには先生とよくお話をして、先生がどういうことを言おうとしているかを分かるようにしないといい交通巡査にはなれないよ。」というと、「ああ、そうだね」というように素直にその子に受け止めてもらえるわけですが、「おまえ、それはお巡りさんになるなんてとても無理だよ。だいたい学校を出なければいけないし、施設にいて学校なんて出られないよ。」なんて見当はずれのことを言うと、もう絶対その人とは話そうとしませんよね。だから、「Aという人物は要注意人物である」ということがインプットされてしまうと、その人達には絶対交通巡査になろうということを言おうとしなくなってしまいます。
 自閉症の人は非常に人を見分けるのも上手ですね。誰に言えば話が通じるかということが分かって、そこへ話に行く。毎年二月ぐらいになってくると、自閉症の人から時々手紙が来たり、いろいろ注文が来るようになります。
 例えば「○○先生を僕の組からはずさないでください。」なんていうことです。ちょっときれいな先生に対して、その留任を僕のところへ陳情にくるわけです。僕が一番権力を持っていることを知っているわけですから、そういう事前運動をやるわけです。
 どこから伝わったか知れませんけど、職員よりも早く公表前の人事の情報が伝わったりするんですね。こういう優れた能力をもっと建設的に使ってくれればいいんですがなかなかうまくいかされなくて残念です。
 だけど私は、この人達の内的な世界はものすごく豊だろうと思うのですね。よくFCと言っていますが、ファシリテーティッド・コミュニケーションという技法があります。これについては大嫌いだっていう人もいますが、私は悪いことを代弁しないで、良いことを代弁してくれるならいいじゃないかと思っているのです。私の施設でも、片倉先生とか阿部先生においでいただいて指導を受けています。
 例えば、お父さんを殴ってしまった子がいたのですが、その子が職員との筆談を通して、「なぜか私は父親を殴ってしまった。これはたいへんすまないことだと思っている。こんなことをしていたのでは、親が嫌うのは当たり前だ。これからはそれを直さなければいけない。」言うはずがないとみんなはいうんですけれど、ちゃんと代筆されて手を添えて書かせるとこういうことを書くのですね。それでお父さんにこれを見せて、こういうことを言っているけれど信じられますかと聞いたら、お父さんはすごいことにはらはら涙をこぼして「そうか。こいつがこんなことを考えているとは私は夢にも思わなかった。」と言いながら泣いているということは、やっぱりジーンと響くものがあるのですね。だから若い職員の教育の時によく話をするのは、「世の中に自分で自分の感じだけで、こういうことはありっこないとかいうようなことはやめろ。意外とよいこともあるんだ。」と言うことを言っています。
 実は私もそれを真似して、FC、石井流のファシリテーティッド・コミュニケーションというものをやっています。それはどういうものかというと、「さぞかしあなたは大変だろうな」「本当はこう言いたいのだろうけど、言えないんじゃないのだろうか。」とか「こういうふうにしてくれたらいいと思っているけれど、してくれないのでいやなんじゃないだろうか。」とか、そういう勘ぐっていうやり方なのです。だから本当のファシリテーティッド・コミュニケーションではないわけです。だけど当たるときはあるんですよ。それでウンウンとうなずく子が何人か出てくるのです。
 つまり私たちでもモヤモヤして自分の気持ちをうまく表現できないような状態で暮らしているときにちょうど誰かが「あなたは、こうじゃないの。」と言ってくれたときに「あっ、そうだ。」というふうにひらめくではないですか。ふだん付き合っている人は「あなたはさぞかし、こうだろう。」と言ってくれます。
 こういう例もありました。今まで私と一緒に喜んで海へ行って泳いでいた女の子が、ある時もう絶対に海へ入らない。私は仮説として、学校の先生が(と言って、学校の先生に嫌われるのですけれど)でも僕は学校の先生が何かの時にこの子をプールに突き落としたのではないだろうかと思ったのです。それでお母さんに聞いたら、「ええ、実はそうじゃないかと私も心配しているんです。」とおっしゃるんですね。それで私はそのことしょうがないから、その子はしゃべれない子ですけれど、海で遊べなくなったり、プールで泳げなくなったのはきっと嫌なことがあったのだろうと、「プールに誰か、ワッと言って落としたんじゃないか。」と言ったら、もうワーッ、ワーッ、とものすごい勢いで叫ぶわけですね。私はこれは何かご機嫌を損じたかなと思って、「ヤア、そういうことは人間によくあるんだよ。僕だって小さいときに突き落とされて嫌だなと思ったんだよ。だけどプールはいいよ。水遊びはおもしろいよ。また嫌だけど我慢して、足をプールに入れてみようよ。先生と一緒にプールで遊んでみようよ。」と言って、紙芝居を描いて、「プールの遊びを楽しんでいる○○子ちゃん、プールヤダヤダと言って逃げ回っている○○子ちゃん。先生はこっちのプールで楽しんでいる○○子ちゃんになってもらいたいんだよ。」と手を変え、品を変え、お話ししたんです。そうするとウンウンとうなずくんですね。それで今度はプールへ連れて行ったんですけれど、2時間ぐらい入らないんですね。僕もだんだん年を取って体も冷え性で、プールもあまり長く入り続けられなくて、出たり入ったりしながら、もうこれで最後にしてやめようと思っていたときに、私が何気なく足をバチャバチャってこういうふうにやるとおもしろいんだよというと、自分の足をプールに入れてパチャパチャってやって、それから立ち上がって一回り回ってプールに入ってくれたんですね。それからまたプールが好きになってくれたわけです。
 ですからもしこの子を放って置いたならば、ずっと海にも入らない、プールにも入らないという状態になっていたわけです。
 だけど教育でそうやって、いちいち一つ一つ考えを思いやって、代弁してやってくれと言ったって、やってくれないですからね。本当にそういう意味でFCというのは悪い代弁でなければ僕は賛成なんです。それで一生懸命子どもに関わっている人、親もそうだと思いますが、その人達がいろいろ代弁してやって、「○○ちゃんはこうなんですよ」「今こうなんですよ」「こうなんだよね」と言って、ウンウンって言えるような感じに是非してほしいなというふうに思っているわけです。
 
援助者として
 そういう点では私は援助者としては、私自身あまりいい人間だとは自分では思っていないのです。欲も強いし、いらいらしやすいし、本当にダメだなあと思うのですけれど、自閉症の人と関わるときには、自分が神様みたいに気持ちが大きくなるのです。職員達はよく見ていて、その気持ちの何分の一か、何十分の一かでも私たちに向けてくれたら、どんなに私たちは幸せかなんて言うんです。職員に対してはひどい態度をしていて、自閉症の子にはニコニコしているというのでは本当はいけないのですけれど、いうならば自分の問題点というものがこれほどひどいということを自閉症の人たちは教えてくれるんですね。僕は自閉症の人たちは神の使いだなんて言って、たいへん喜んでいますけれど、自閉症の人たちは迷惑な話だと思っているかも知れません。
 私は職員について自分が援助者として自分を確立していくということを何とか若い人にも分かってもらいたいと思っています。そういうことで研修をいろいろ厳しくやっているわけですが、私はやはり山中鹿之助のように「我に艱難辛苦を与えたまえ」と月に祈った。(そんなことを言っても若い人には分からないでしょうけれども)そういうふうな気持ちで困難な人に関わるということが、援助技術を育てることになるのだと思っています。教育の力を育てるということは困難な人を教育していくということで、自分の言うことを聞いて、先生を尊敬しています。というような人は別に教えなくても、自分でいろいろモデルを掴まえますから勝手に良くなります。だけどそっぽを向いて遠ざかっていく人を引き留めて、「こっちへ来てよ」と言って関係を付けていく、そういうことが教育では大事だと思います。
 私がこの姫路ブロックの分科会のテーマを見て、たいへんいいなと思ったのは「関係作り」というのが第一分科会でありますね。それから「学ぶ」というのが第二分科会のテーマですね。第三分科会では「生活のあり方」。これはまさに、自閉症の人たちと一緒に暮らしている人たちが考えたテーマだろう、というふうに思っています。
 「受容的交流療法」と自分で言っているのはですね、「受け入れる」と言うことが誤解されることがあるのですけれど、「ひとりの人間として、存在して生きていく、その人生をどう思うのですか。認めるのですか。認めないのですか。」と言うことです。
 そう問われれば認めるでしょう。援助しようとしているんですから。だから、「自分の子どもとして生まれたけれど、自閉症だから私は縁を切る。」という人はいないでしょう。親だったらやっぱり一緒に自分の子どもとしてみていく。存在をまず認めるということは、基本的に受け入れるということです。否定することではないんですから。
 とかく私たちは自分と違うものを受け入れないという状態が多いと思います。私は自閉症の子の親ではないから、自閉症の親の人たちの本当の気持ちは分からないと思います。ですからたいへん失礼なことを申し上げるかも知れないけれどお許しください。普通の子どもと自閉症の子どもが我が子として両方いて、ともかくはじめのうちはたいへんだなあと思うのは、どちらかというと自閉症の子だと思いますよ。最初はね。でも関わっていくうちに親として「この子を私が何とかしなければならない。」という気持ちが作られてくると思いますね。
 結局それは大事なひとりの人間として生まれてきた存在というものを本当に大切なんだとして受け入れることから始めることだと思います。
 なぜ「受容」という言葉が嫌われやすいのか、「わがままにするから」「甘やかすから」「放っとくと廃人になるから」「強度行動障害も甘やかしたから」などとよく言われますけれど、私の施設へ来ている強度行動障害の子どもの過去の生育歴を調べてみると、厳しい訓練を受けてきた人たちが多いのです。
 そういう事実関係をきちんと確認していくべきだと思います。例えば、私が設置運営している通所施設の「めばえ学園」とか「袖ヶ浦ひかりの学園」「袖ヶ浦のびろ学園」の現実を見ていただきたいのです。確かに見栄えの悪いところはありますし、お叱りを受けてもしょうがないのですが、これは本当に受容で甘やかしたからこうなったんだとは誰もおっしゃれないはずです。
 この間も私の施設で百人もの自閉症の人が一堂に会して「春を楽しむ会」という行事を行いました。交替でお餅つきをして、ついたお餅を皆で食べます。部屋に残っている子はひとりもなくて、全員が参加しました。ひとりだけ、ちょっとお餅つきの音を嫌って逃げた子はいましたけれど。このような光景を見ていると、人間として育っていく人たちは、このようにごく普通の行事ができるようになるのだということが分かってもらえると思います。
 私の施設の強度行動障害棟というのは、一番きれいなところです。一番新しいところで、いってみれば生活のしやすい南向きのいい場所に建てました。そこに4名の人が措置されています。
 例えば精神的なストレスからくる脱毛症といって、丸坊主の女の子が来ました。三年経過した今、髪の毛が生え、すっかり女の子らしい姿になりました。そして表情もおだやかで落ち着いて過ごしています。
 私はこれらの実践を踏まえた上で、いろいろな考え方について検討していくべきだと思います。ただ受容というだけでは誤解されることもあります。放っといて良くなることはありません。「わがまま」にして良くなることはありません。ただ「わがまま」ということの定義はまた別問題だと思いますが。
 ただ私が言いたいことは「人間関係」というものが大事だということです。受け入れるということは基盤として相手の存在を尊重する事なのですが、大事なことは受容というのは相互的受容でなくてはいけないということです。こちらが相手の存在をだいじにすることによって初めて相手も私を受け入れてくれるのです。それによってお互いの意思疎通とか要求の交流というものができる。それを「受容的交流療法」と言っているわけです。
 今まで、発達障害の教育とか福祉で大きな問題だったのは精神薄弱児の問題ですね。今は知的障害児と言われていますが、知的障害という名前を付けて、「知的障害の子はどうしたらいいんですか。」と聞かれても誰も返事をしてくれない。ただ精神薄弱という名前がいけないから知的障害と言っているだけです。ですから、「知的障害って言うのはどういう障害なんですか。」これを私は尋ね続けたいと思うのです。同じように「自閉症っていうのはどういう障害なんですか。」と言ったときに、自閉という語感が与える誤解というものがありますから、これもきちんと説明しなければいけないと思っています。
 厚生省の心身障害研究で、あるかなり有名な実践研究者が重複障害の範疇の中に「知的障害に伴う自閉」というような定義をしたときに私は疑問を感じ、「その定義はおかしいのではないか。『知的障害に伴う』といって知的障害を主障害にするのはどういう根拠でするのか。」というようなことを言ったことがあります。
 障害という診断を付ける場合には、その障害に対して何とかしなければならない、私たちの福祉援助とか療育というものを前提にして障害の分類をしなければいけない、分類してもいいけれど、診断をするということは必ず治療に結びつかなくてはいけない。その場合に治療に結びつかないような診断は、切り捨てに過ぎないと思います。だから私があえて言うならば、「自閉に伴う知的障害」と言うべきで、そういう重複障害なら分かる、ということです。
 それならば自閉という症状への対処はあるわけで、今言ったように、私は関係を育てることだと思うのです。関係を育てることによって、その人の生活の仕方が変わってくるのではないか。それは間違いないですね。
 だからもっとわかりやすく言えば、ADLという肢体不自由の方の生活構造というものを自立させていく、という考え方を知的障害に持ってきたことがまず大きな問題であると考えます。そこではセルフヘルプという有名ないわゆる「社会性の発達」という概念というものが成り立ってくるわけです。
 それで私はそういったことはむしろ自閉症を含めて考えてもらいたい。自閉症を考えるならば、セルフヘルプではないのですね。どうしたら彼らのクオリティ・オブ・ライフ、いわゆる「生活の質の向上」をもたらすかということです。生活の質が基本にあって、セルフヘルプがなければいけない。セルフヘルプという自立をもとにしたクオリティ・オブ・ライフというのは間違っていると言わざるを得ない。
 ですからそういうふうな福祉の考え方が教育の悪い考え方を移行させているわけです。だから「○○学園」、私たちも「ひかりの学園」とか「のびろ学園」とかいって無意識に使っているけれども、学校に準じた福祉施設だ、という考え方が強いのですね。だから、福祉施設は発展しなかったと私は思っています。
 福祉というものは生活をよくする、関わりをよくする、そういう療育的な場であると考えなければいけないのです。ですから生活の質を向上し、そのためには人間関係を育てていくことが福祉の基本的援助であり、それは施設でなければできない。
 家族で行き詰まっているから施設があるのだ、という発想をきちんと持つことによって、社会的に認知する。そしてそこで獲得された理論とか技術というものを一般の通所施設なり家庭なりの生活のプラスになるように持っていく、という発想をとることが必要である。これが私たちのこの頃の考えです。
 そういう意味で私なりに実践を積み重ねて参りましたが、大切なことはまずできるだけ子どもの自我というんですが、その人の判断というか、求めるものを明らかにする。その中でどうやったらその人がよりよい選択ができるか、よりよい判断ができるか、という療育者側からの介入を行います。そういうところに交流の意味があります。
 そして社会の中に施設があるということについて、施設というものは建物があるというのではなくて、施設の中には職員集団がいる、保護者がいる、そして利用者がいるのです。その人達が一体となって、この人達が必要な生活を作るための、そういう発見をする、開発的な研究をする、実践をする、ということがあって成り立つわけです。ですから福祉施設というものは人の集まりであり、そういう人の知恵とか、人の考えとか、人の善意というものが濃厚に働くような場所にしなければいけないと思います。そしてそういう活動こそ、まさに施設であり、その活動を社会の中にどうやって持ち込んでいくかという、その戦略を施設が考えなければいけないというふうに考えているわけです。ですから「施設は人間の愛情と工夫の砦だ」と私は思っています。
 そしてそれを社会の人たちにあなた方と同じ人間がこういうふうに苦労して生活しているのですよ、ということを分かってもらって、受け入れてもらうような活動を展開する。 今私自身が開発してきたのは「選択的作業療育」と言って、その人が選択できる作業、何でもいいと思いますよ。パンを作るのでも、織物を織るのでも、いろいろな陶芸作品を作ってもいいし、椎茸の原木運びをしてもいいし、何でもいいのです。ただそこで大切なことは自分はこういうことがやりたい、あるいはやらなければならない、ということを本人が納得して、自分が求めていくような、そういう方向で療育に関わる者は援助していくことが必要だと思います。
 「自己選択による」ということが、「自分が関与する」ということが、生活者として大切なことであることを忘れないでほしいのです。
 そして私たちはそれを援助する者として代弁し、共に生活をする。共生ということ、一緒に生活するということは、自分の人生をその人達と共にあるというふうに位置づけるということですね。
 だから私はよく言うのですが、「私から自閉症を取り除いたら、出涸らしみたいになっちゃうんじゃないかな。」と。
 私がやはり、充実していられるのは、また非常に困難な病気を乗り越えられたのは、私にはやるべきことがあるという思いでした。自分が育ててきた自閉症の子どもの一人一人の顔を思い浮かべたときに、自分がこういうことをやれて良かったと思うし、今後ももっとやりたいと思います。そういう私自身の生命力の源泉というものがこの仕事にはあったのだということを再認識したわけであります。
 以上、皆さんの20周年にふさわしいお話ができたかどうか分かりませんが、まだなお実践を続けている者として、この30年を振り返ってみてお話申し上げました。これでお話を終わらせていただきたいと思います。
 
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