第8回講演会             1986年5月25日
                   於 洲本市民会館
「子どもの見方と家庭指導」
               神戸大学教育学部 中林 稔堯 先生
はじめに
やりとり遊び
体を動かす遊び
社会自立のために
一貫した指導
年長者への取り組み





 





 
 
はじめに
 ただいまご紹介いただきました中林でございます。私は以前障害児の通園施設に勤めておりまして、また養護学校にも勤めた経験もありますが、今日お話する内容は、そのときの子どもたち、親御さんから教えていただいたことで、実際に子どものことをよく理解しておられるお父さん・お母さんのお役に立つかどうか、心もとない感じがしておりますが、その点はご容赦願います。
 子どもをどのように見ていき、また子どもが示すさまざまな行動をどのように理解し指導するか、できる限り具体的にお話ししていきたいと思います。
 まず、自閉的な子ども、またはハッキリと自閉症と診断された子どもさんは、年齢に達すれば保育所・幼稚園、あるいは障害幼児の通園施設の集団の場に入れて、できるだけ早い時期に適切な指導を受けることが大切だと思います。先生の指導やお友達との関わりの中で成長していく面が多いからです。最近は私立の幼稚園や保育所でかなり積極的に障害のある子どもを受け入れているところが多いです。できる限り子どもさんが小さな時期に適切な指導、あるいは親御さんに対して適切なアドバイス・相談にのってもらえる早期療育システムが必要ではないかなと思います。先日私は神戸のある障害幼児の通園施設にお邪魔いたしまして、園長先生にうかがったのですが、「以前は自閉症の子どもの障害がもっと重かったように思う。本当にもうジッとしていない。いろいろ問題行動を起こし大変だったように思う。ところが、最近の自閉傾向の子どもは、障害の重度さがかなり軽減している。」とおっしゃるんですね。また、養護学校の現場の先生からもそのように聞いています。
 もちろん、これは科学的なデーターに基づいて判断しているのではありませんし、個々に見ますと障害の重いお子さんもいますが、全体としまして、自閉症の障害の理解が進むと共に、就学前教育を受ける機会にめぐまれた子どもが徐々に学齢期に入ってきていますが、就学前教育の効果が少しずつ上がってきているのではないかと思っています。
 このような早期療育のことを取り上げましても、知的障害や脳性マヒの子どもは、運動面や言葉の面で遅れが早期に現れるので発見が早いのですが、自閉症の子どもはそれがかなり遅れ、二才、あるいは三才ぐらいになって、何か動作がおかしい、あるいは言葉が出ない、うまく使えないということで気づかれるようです。そのため、自閉児の早期療育システムを是非今後、自閉症協会を中心にして、兵庫県下に数カ所でもよいから作って欲しいと思う次第です。
 
やりとり遊び
 さて、家庭での子どもの指導についてでありますが、まず自閉症の子どもを、親としてどのように遊んであげ、しつければよいのかわかりにくい、どうしても目の前の子どもに振り回され、気持ちのつながりがつきにくい。目があいにくい、家からよく飛び出す、手を離すと迷子になってしまう。歌を教えたり言葉を教えたりするが、まねをしない、指さしをしない。近所のお友達に遊びに来てもらうけれど、一人で部屋の隅でミニカーで遊んでいる。お友達と一緒に遊ぶことができない。また不思議な癖があって、手のひらをひらひらさせている。着ている服の糸くずを取って糸くずで遊んでいる。また、よその家に上がり込んでトイレを覗いてみたり、テレビのスイッチをつけたりする。同じことの繰り返しばかりしている。というように、自閉症の子ども一人一人がそれぞれ違った特徴を示します。そこで、このような特徴を示す子どもをどのように指導、しつけていくかですが、その前に親と子どもの関係をある程度しっかりしたものにする必要があります。そのためにはまず一緒に遊ぶことから始めるのですが、一日に少しの時間でもよいですから、そのときは親御さんは他のことを一切忘れて子どもと徹底して遊んであげる、子どもの様子を見ながら、子どもの遊びの中に積極的に入って手を出していく。たとえばミニカーを並べて遊んでいたら、お母さんも一緒にミニカーを並べる。いつも同じ並べ方をしていたら少し並べ方を変えてみる。そして、そのときに子どもがどう反応するか、「ギャー」と言って癇癪を起こすか、怪訝な顔をしてお母さんを見るか、ほとんど気にもとめないで遊びを続けているか、もしいやがったら背中でもこそばしてまた遊びを続ける。体を触られるのをいやがる子どもでしたら、背中からあるいは足からと、さわり方を工夫してみるわけですね。もし、走り回って落ち着きのない子どもさんでしたら、こちらも一緒に走り回って子どものまねをしてみたり、時にはぎゅっと抱きしめてあげる。落ち着きのない子どもは、学校でも動き回って指導ができにくいと言われますが、動き回る子どもにも二つのタイプがあります。一つは、その子どもにとって目的を持って動き回っている。よく観察しますと、たとえば、学校中を走り回って水道の栓を見つけてはそこで遊ぶ。だからその落ち着きのなさも、その子どもにとっては意味のある動きなんですね。たぶん、ほとんどの多動な子どもさんが意味のある動きをしているんではないかと思いますが、しかし、一部の子どもはどうしても、この子にとってどんな意味や目的があるのかと、第三者には理解しかねる場合があります。多動といわれる子どももいずれだんだん落ち着いてきて、一つのまとまりのある活動が長い時間できるようになってきます。だから、私は多動というのは、ある意味では子どものすごい生命力ではないかと思います。確かに、そのときつきあう者は非常に疲れます。しかし、それをあまり問題にして叱ったり、たたいたり、あるいは安易に薬に頼ったりするのは考えものではないかと思います。もう少し子どもの人生という長いスパン(時間)の中で、ゆっくりと見ていってあげることも大切です。四・五才の頃、動き回っていてお母さんも先生も困ったという子どもが、思春期あるいは青年期頃から非常におとなしくなつて、動きが少なくなってくることもあります。私は、落ち着きのない子どもより、動きが少なくなる子どもの方が指導は難しくなってくると感じています。たとえ動き回る子どもでも、こちらから積極的に遊びの中に誘い込むのです。もちろんはじめはうまくいきません。しかし積極的に関わる中で、子どもに親の存在を十分認識させるのです。すなわち親子関係を持たないと、お互いが理解できないということなんですね。以前はよく受容ということが言われておりましたが、受容にもそれなりの意味がありますし、子どもによって一部分あるいはかなりの部分必要な場合がありますが、一日中受容ばかりしていては親と子の関係はつきません。幼児期はゆったりと子どもを見守りつつ、時には子どもがいやがっても親が積極的に手を出して関わってあげることが大切です。お母さんが子どもの心を少しつかみかけ、子どもがお母さんと遊ぶことを喜ぶようになってくると目があうようになってきます。また、遊びの中で問題となりますのは玩具ですね。玩具を与えましても玩具本来の遊び方ができない。自動車にしましてもひっくり返してタイヤをくるくる回したり、畳のへりに一台一台並べる。それも順番が決まっている。積み木にしましても、横に並べたり、高く積んだりはできるが、そこから遊びが広がらない。だから、こちらがその玩具本来の遊び方を教えるのです。このことは子どもにとってはいやなことでしょうが、時間をかけてこちらがどんどん玩具本来の遊び方をしてみせる。そして、それらの遊びの中で大切なことは玩具のやりとり、この物のやりとりができるかどうかということが、言葉を話したり、コミュニケーションが成立する上で大切なことです。人と話をするのは、結局は言葉のやりとりなんですね。この原型が遊びの中では玩具のやりとりにあります。赤ちゃんの時はお母さんとガラガラのやりとり、大きくなりますとお友達とボールのやりとりができるかどうか、それが言葉の獲得、コミュニケーション能力の獲得に大切なこととなります。中には水の大好きな子どもがいますが、その水遊びの中にもちょっとお邪魔して、わずかな時間でもコップに水を移して、コップで水のやりとりをしてみる。はじめはどうしてもいやがると思いますが、しかし、何らかの手がかりを見つけて子どもの遊びの中に入っていくことが大切です。
 この物のやりとりの他に、こちらの指示したこと、指さししたことが理解できるかどうか、また子どもが指さしをするかどうか、自閉症の子どもはクレーン現象で訴えることがあると言われていますが、このクレーン現象も指さしと同じ意味を持っています。もし、子どもさんがお母さんの服やスカートを引っ張って、冷蔵庫の上のチョコレートを取ってと訴えたら、お母さんは直ぐにとってあげないで、子どもの手指をつかまえて指さしを教えてあげることが大切だと思います。一般にお母さんは、子どもの少しの表情や身振りで子どもが何をして欲しいか敏感に感じ取られ、時には先回りをやってしまう。そうしますと、子どもはいつまでたってもかわりません。時には、もう少しハッキリ表現しないと相手に解りませんよと言うくらいの気持ちで、子どもの表現手段の次の課題を工夫していくことが大切です。自閉症の子どもはこうなんだからと、すべての面で周りの人たちが容認してしまうと子どもはますます自閉的な症状を定着させ、なかなか変化しないし成長しにくい面があります。
 遊びでこの物のやりとり、指さしができるようになると、もっと遊びをふくらませ、ごっこ遊びや見立て遊びをやっていく訳ですね。昔よく路地で見かけたママゴト遊びというのは、さまざまな生活力を養う遊びではないかと思いますが、このごっこ遊びや見立て遊びの中にことばの基礎になるものがあり、これらを充分経験しないとことばというもの、動作、身振りを通した感情豊かなコミュニケーション能力は獲得できません。
 目と目があう、微笑みかける、注意を向ける、玩具で遊ぶ、物のやりとりができる、指さしをしたり指さしを理解する、ごっこ遊びができる、模倣、まねっこをする。これらのことが言葉の獲得の基礎であり、これらのことは本来、親と子の遊びの中で育てられるものではないかと思います。
 
体を動かす遊び
 そしてもう一つ、遊びの中で大切なことは体を動かすことですね。家の中でも、お馬さん、高い高い、手押し車など、体を動かすことはできます。小さい子どもさんでしたら、毛布の中に寝かせ、お父さんとお母さんが端と端を持って揺らしてあげる。毛布遊びはどの子も好きな遊びですので、他の兄弟姉妹が「僕もして!」と入ってきたら、自閉症の子をしばらく待たせて、順番や待つことを教えていく。また、外へ連れ出すことも非常に大切です。お母さんと買い物に行ったり、山に登ったり、公園に行ったり、長い距離を歩くということは、体力面だけでなく精神面も養います。公園に着けばさまざまな遊具で遊ばす。一般にブランコ・トランポリンを好む子どもが多いですね。ブランコなんかは振りすぎてひとまわりするのではないかと思うぐらい漕いでいますね。そんなときでも一方こちらもブランコの中にも入っていくわけですね。一緒に乗ろうとするものなら非常に怒る子どももいますが、無理して入っていくようにする。トランポリンをポンポン跳んでいる子どもの場合、もしボールをある程度受けられるなら、跳びながらボールを受けさせてみたり、あるいは一緒に乗って交互に跳んでみる。これは遊びですので、気持ちよく遊ばせてあげたいのですが、少しずつその遊びもかえていき、さまざまのことを学習させていくことが大切だと思います。
 体を動かす話をしましたので、ここで感覚統合治療について少しお話しします。感覚統合、この理論はアメリカのエアーズ自身が自閉症児を対象に感覚統合治療を行った報告は、今までに二つあります。一つは1980年に、3才6ヶ月から13才までの自閉症児を一年間感覚統合治療をした結果を発表したものです。それによりますと、10名の内6名は症状がよくなったが、4名はほとんど改善が見られなかったとなっています。そしてよくなった子どもはさまざまな感覚刺激に対する反応が、非常に過敏な子どもであったと言っています。その感覚刺激に過敏な子どもというのは、先ほどの毛布の揺れ遊びでも非常に怖がる子ども、エアーズの言っているのは揺れ刺激(前庭刺激)だけでなく、触覚刺激に過敏な子どもも比較的効果があったといっています。触覚刺激というのは先ほどの子どもと異なり、シャツの袖に少し水がついただけでも着替えたり、人と手をつなぐのをいやがったり、頭を洗ったり爪を切ったりするのをいやがる子どものことですが、そんな子どもに対して有効であったと述べています。エアーズのもう一つの報告としましては、自傷行為(手を噛んだり)や常同行動(手を動かす、体を動かす)の激しかった13才の女の子に、この感覚統合治療をした結果を1983年に発表しています。それによりますと、治療中は自傷行為、常同行動も減少したと報告しているのですが、ところが一年の治療が終わってその後の様子を見ますと、また、自傷行為、常同行動が増加したということなんですね。どのようなタイプの自閉症児にどのような面で、この感覚統合治療の効果があるかと言うことは、まだ一定の理論が出ていないというのが現状です。また、エアーズ自身も決して感覚統合治療が、すべての自閉児に効果があるとは言っていないのです。
 過去にも、現在も、いろいろな理論・考え方・指導法があり、その中には比較的効果のある方法もあるでしょうが、すべての自閉症児に効果のあるベストなものはなく、それぞれの理論にその効用と限界があります。私は、たぶん一番効果があげられるのは、家庭とか保育所・幼稚園・学校生活の中で、自閉症児を取り巻く周りの人がたゆまぬ工夫と努力をして、その子どもにあった適切な指導をすることにあります。自閉症児に対する特別な訓練の難しさというのは、訓練教室でたとえ効果が見られたとしても、実際の生活面にその力がなかなか応用できにくい面にあります。よくお母さんと学校の先生とのやりとりで、「先生、家ではちゃんとできていますよ。」とか、「学校ではちゃんと牛乳が飲めるのに、家で飲めないなんておかしいですね。」と食い違いが見られるのですが、自閉症児は、その特定の人や場所に適応して、他の場面でも同じように振る舞うか応用するかというと、その点は必ずしもそうでないことがあるのです。
 だから、その子を取り巻く人たちが、親・先生・お友達を含めてお互いに努力し、工夫してかかわり、指導していく中で、ずいぶんと成長していくものだと思います。ですからこのような条件をどのように作り出していくかが大きな課題になるのです。
 話を少し戻して、体を動かして遊ぶことの続きになりますが、体を動かすことは非常に大切です。マシュマロのような手をした子どももいますが、そういう子どもは物を持たない、あるいは手で周りの物に働きかけないという問題がありますね。成人施設の先生にお聞きしたのですが、障害のある方の中にも早くして30代ぐらいから、成人病のような症状が最近見られるようになってきたそうです。どのような症状かと申しますと、腰痛ですね、動きがぎこちなくなってきたので、「どうしたの?」と聞くと、「腰が痛い。」と言ったり、あるいはどうも顔色が青くて、内科の先生に見ていただくと、糖尿の気が出てきたり、そういうことが一部指摘されてきつつあるんですね。そういう方の幼児期、あるいは学校時代、どのように指導されてきたのかと見ていきますと、ほとんどこれといった指導をされずに学校を素通りされてきたような子ども、体を動かしていない子どもに、年長者になってから成人病が現れる気配が感じられます。
 
社会自立のために
 「社会的自立の条件として、一番何が大切か?」とよく聞かれるんですが、私はこの点についてまだよくわからないのですが、今まで関わったり、おつきあいしてきた子ども、その子どもが大人になった姿をじっと見ていますと、まず昔から言われていることですが、健康であること、もう一つは幼児期、あるいは学齢期にある程度友達と一緒に遊びができたかどうかということです。友達と遊べるということは、すなわちその後人と一緒に仕事をするという力に繋がっていきます。学校を卒業して、理解のある会社に就職したり、あるいは授産施設でうまくやっている人というのは、まず幼児期あるいは学齢期にある程度友達と一緒にその場におれたり、少しでも遊べた人たちです。たとえ、いろいろなことができたり、文字や計算ができるとしても、そのことにはそれなりの意味はありますが、社会生活のベースにある人間関係がうまくとれないために、会社を辞めたという方が案外多いのです。ですから、子どもが小さいうちはお父さんお母さんは家にこもらずに、できる限り明るい気持ちで外に出ていって、近所の同年齢の子どもの家へ遊ばせに行かせていただいたり、たくさんの子どもに家に遊びに来ていただいたり、近所づきあいが大切になってくると思います。近所の人の中には、なかなか自分の子どものことを理解してくれない方や気のあわない方もあるでしょうが、少しは耐えて、時にはこちらの言いたいことも言って、努力して子どもの友達つきあいをはかっていくことが大切です。そして子どもが大きくなったらできる限り、買い物・電車やバスの乗り方・切符の買い方・改札の通り方などを教え、お母さんが先回りしてやってしまわず、子どもにやらせ、さまざまな経験をさせてあげたいものだと思います。
 次にしつけについて話を進めていきたいと思いますが、まず食事についてです。よく言われることですが、偏食の子どもが多いということですね。確かにそうなんですが、しかし、青年期あるいは大人になりますと、この偏食は相当改善されます。私は自閉症の指導の中で、この偏食指導が比較的効果が上がると実感しています。ある成人施設に行き、食事の様子を見ていてそう思ったのですが、小さい頃極端な偏食だった方が、出された物のほとんどを食べていました。とは言いましても、その子どもはいずれかの時期に家庭や学校で、食事指導をきちんと受けてきたと言うことですね。ただし、ずうっと好き勝手に食べさせてきた、あるいは食べてきた子どもは大人になっても強い偏食を残しています。
 このことからしましても、適切なしつけ・指導・教育をするかしないかということは、自閉症児の成長を大きく左右するものだと考えます。もちろん、中には一部、それ相当な指導、しつけをなさったにもかかわらず、大きな問題を抱えている自閉症の方もおられます。
 なぜ偏食指導をするかということですが、栄養面もさることですが、一番大きな理由は、この偏食指導がすべての親子関係、しつけのベースになっていると考えることができるからです。何よりも大切なことは親と子の心理的な関係にあると思います。「何とか食べていただきたい。」「食べてほしい。」とひたすら懇願するような気持ちと、子どもの方は「それほど頼むなら食べてやってもいいぞ。」、あるいは「お母さんがそんなに言うなら絶対に食べない。」この両者の関係は、生活のすべての面におよんでいく恐れがあります。そしてしつけの面で徐々に難しくなっていくということがあります。おなかが減ったら食べるという、この実に明解な原理を忘れないで、一度や二度食べなくても死にはしないのだから、時にはこちらの毅然とした態度がどうしても必要です。具体的には間食をやめさせる、食事の時間を守らせる、食事の内容を固定化しない。この子はこれしか食べないということで、どうしてもある特定のものにだけするのでなく、いろいろなものを入れておく。基本的には生活を変えていくということです。生活を変えていくと、子どもは徐々に変わっていきます。後は調理法を工夫するとか、時には冷蔵庫の中を空っぽにしてみせるとかですね。一つの事例としまして、学校でやっと牛乳が飲めるようになった。ところが家では頑として飲まない、もちろんはじめはそうなんです。学校で飲めたからといって、そんなにすんなり家庭でもいかないのですが、時間をかければいずれ飲めるようになります。ところで、学校では牛乳は瓶で出されますが、家ではたいていマグカップとかガラスコップですね。それで学校と同じように瓶で出してみたところ、クックッと飲んだという子どももいます。もちろんこれはある子どもに限って言えたことではありますが、私たちの生活は子どもの成長のために、まだまだ工夫して変えていく余地があります。偏食の原因は、嗅覚・味覚の過敏性のためなのかわかりませんが、たいてい偏食の強い子どもは過敏な感覚を持っていますね。だから偏食だけにとどまらず、先ほど申しました手の感覚にも過敏な面があります。
 我々はそのあたりが鈍感ですので、いろいろな食物を口の中に入れても違和感がないのですが、自閉症の子どもは敏感なので、その過敏な感覚をできる限りいろいろな感覚にならして、徐々に徐々に広げていく。本当に調理法を変えましても、野菜が嫌いな子どもの場合、野菜の型がないぐらいすり下ろして、カレーライスに入れても敏感に見分けてしまう。それでも何らかの工夫をして、さまざまなものの感触にならしていくということですね。
 
一貫した指導
 ここで自閉症児の一般的な指導について考えてみますと、よく子どものことを真剣に考えられるがゆえに、いろいろ勉強をされ本を読まれて、何か子どもに非常にあうと考えられる方法が書いてあったから、あるいは話で聞いた、または学校の先生に言われたからといって、急激に、今までやってきたことを手のひらを返すように変えるということはできる限り避けた方がよいと思います。やるなら子どもに無理のないようなやり方で、徐々に変えていくのが基本ではないかと思う。そうしないと子どもがかえって落ち着きをなくしたり調子を乱したりすることがあります。
 そして指導やしつけについては、何がなんでもやらせてみせるといったこちらの頑とした姿勢や態度、気迫といったものが必要ですし、それともう一つの側面は親と子の関係の中でゆったりと子どもがやっていることを見守り、かかわっていくという、この両者の態度が非常に大切だと思います。以前は受容がよいと言われていて、今はどちらかと言いますと、全くそれとは異なる方法、厳しくやらしたらよいというようなことが、一部言われているようですが、私はそれだけではダメだなあと思います。個々の子どもの個性やそのときの状況に応じ、工夫してその両者を上手に両立させていくことが非常に大切ではないかと思う。ただ、がんがんと力任せにしつけてみましても、うまくいったように見えても、必ず何か問題を起こす場合がある。例えば先程の食事の場合でしたら、海苔巻きしか食べない。それもあるメーカー海苔しか食べない子どもがいたとしますと、それではいけないということで、やみくもに力任せに口の中に食べ物を入れて食べさせるわけですが、そういうことをしますと、子どもは恐怖のあまり飲み込んでしまうこともあるんですね。そして結局咀嚼をしないで飲み込んでしまう方法を身につけてしまった子どももおります。そうしますと今度、しっかりと噛むということが大変難しくなってくるのですね。あるいは非常に極端な指導をしたために、子ども本来の表情の明るさが全くなくなってきたという例もあります。逆に、またパニックを出させまいと適当なところでこちらがひいていて、子どもの要求を受容しているだけでは子どもはいつまでたってもその状態から変わらないです。
 私はこのような経験もしました。それは私が養護学校に勤めておりましたとき、夏に兵庫県の北の氷ノ山という山に、子どもたちを連れて登山したのです。お弁当を済ませて今から下山しようとしかけたときに、急に西の方から黒い雲がきて、それと同時に激しい雨と雷がやってきて、そのときの雷のすごさと言ったら、何かまわり全体がピカッと光ってそれと同時にドーンと大きな音がして、やみくもに激しい雨が降り、もう恐怖を通り越していました。子どもたちの中には何名か自閉症の子どももおりました。その中に知的障害の子どももいましたが、ある子どもは教室では「ピカピカ!ゴロゴロ!、かみなりさん。」と言っただけでも、もうギャアギャア、ギャアギャア泣き叫ぶ子どもだったんですが、その子どもが全く怖がりませんでした。こちらも必死の思いで歩いて、下山をし始めたのですが、非常に強い雨で、道もだんだん水が流れ、崩れかかってきていて、何とか早く子ども達をおろさないと大変なことになると、もう必死でした。何をかいわん、そのときの子どもたちの表情はそれは真剣ですね。怖いと言ってしゃがみ込む子どもなんかひとりもいなかったですね。そしてもう一つ私が気が付いたことは、何とか雷の雨雲が通り過ぎてやっとの思いで避難小屋に着いたとき、時間としましてはもう四時を過ぎていたと思うのですが、その頃には西の方からお陽さんが照りかけ、明るくなりはじめて、まあやっとほっとした頃に、おなかも空いたことだろうとビスケットを配ったんですが、そのときに「おやっ」と思ったのは、絶対にご飯以外食べなかった子どもがそのビスケットを食べているんですね。真に子どもというのは、無限の可能性を持っているんだなあーと実感として味わいました。普段無限の可能性と言われても、そんな甘いものではないと言う気持ちがどうしても出てきて、すうっと頭の中に入りにくいのですが、これは私自身の一つの貴重な経験でした。
 自閉症の子どもの中には反響言語、いわゆるエコラリアで話す子どもがいますね。またお話はとっても上手にできても、何度も何度も同じ質問を繰り返し、こちらの同じ答えを期待して、何度も何度も同じやりとりをして、こちらがしんどくなるようなことがあるんですが、そう言う子どもでも冬にマラソンなどをしているとき、本人もしんどくなってきたのか、だんだん真剣になってきて、反響言語がなくなり、急に「しんどい」と言ってみたり、「先生まだ?」と聞いたりすることがあります。あるいは走りはじめの頃は「先生、あれは何であのようになるの?」と、もう子どもは答えを知っているのにいろいろ話しかけてくるのですが、だんだんだんだん、その話がとぎれて顔の表情が真剣になってくる。まあ時には、ある種の追い込む状況、本物の体験をさせるということがこちらもかけ値なしに真剣になり、いわゆる気迫がただよいますので、それを子どもが敏感に感じ取るのかと思ったりもします。
 他に食事の問題としまして、食事の時に人の食べ物に手を出したり、あるいは手づかみで食べたり、気に入らない物があると食卓のものをひっくり返したりする子どももいるようで、そのようになりますと、どうしても仕方なく本人の望むように食事をすすめてしまう面もありますが、少し工夫してご家庭の事情が許されるなら、少し時間をずらしてみて、お母さんがつきっきりで子どもの食事の様子を見、少し状態が良くなってから、家族と一緒に食事をさせるという指導もできるのではないかと思います。
 次に歯磨きの指導ですが、歯ブラシをどう使わせるか、歯ブラシの痛い感触を嫌がって、絶対に口を開けない子どももいますね。また、あの歯磨きのチューブの味を嫌がるという子もいます。歯磨きの方法は今はもうローリング法という方法はあまり言われなくなって、昔ながらの横磨きで、バスー法という磨き方がよいとされています。歯と歯茎の間に粘液性のバイ菌がこびりついているので、そこを小さめの歯ブラシを使い磨きます。歯磨き粉も米粒ぐらいで充分なのです。嫌がる子どもは全くつけなくても良いです。何とか歯ブラシを口の中に入れることから始めるわけですが、これはどうしても幼児期からの習慣ですね。幼児期というのは普通の子どもでも歯ブラシは痛いから嫌がりますね。何か異物感があるし、それで最初は噛まれないように気を付けながら、お母さんの指でマッサージしてあげる。それに慣れてきたらガーゼでふいてあげる。幼児なら仰向けに寝かせ口を開けさせ、歯ブラシを口の中に入れていくことから慣れさせていく、そして歯ブラシ指導に結びつけていくことが重要なことになります。うがいをするのも難しい子どもがいますが、うがいというのもそれほど神経質にならずに、初めは水かお湯ぐらい飲ましておけばそれでよいと思います。
 次に排泄の問題に入っていきますが、知的障害の子どもはその自立が一般に遅れますが、自閉症の子どもはあまり遅れることなく自立します。しかし、特有のいろいろな問題を起こす場合があります。こだわりと特定のものの恐れが原因で、家以外のトイレには絶対に入らないとか、家でもトイレではしない。それもある時期まできちっとできていたのに、急に入らなくなったとかいう子どももいます。また、パニックを起こす子どもで、パニックの途中あるいは直後に失禁をしてしまう子どももいます。また、重度の知的障害を伴う子どもの場合、感覚遊びの延長で自分の排泄物をこねて遊ぶ、あるいはオシッコで遊ぶことがごくわずか見られます。また、大便をした後のお尻を上手にふくことがなかなかできなくて、いつも少しパンツを汚す。また、トイレの和式・洋式にこだわる子どももいます。排泄指導の前提としましては、先程申しましたように、生活リズムを整えることが基本的に大切にします。ある程度の運動をして寝る時は寝る。もう一つは偏食のことですね。偏食の強い子どもはだいたい便秘気味です。偏食が改善されると社会性とか、排泄の面でも便通が良くなるということが見られます。お尻がきちっとふけないという子どものためには、ロールペーパーを使うというよりは、普通のちり紙を用意してあげて、それを折って重ねて置き、その回の便質(硬いか軟らかいか)にかかわらず、5回だったら5回と尻をふく回数を決めるのです。一般にロールペーパーは1回量の判断が難しいのです。
  女子の場合は、特に小さいときから用便のふき方、後始末をきちっと教えておくことが後の生理の指導に役立ちます。また、男子の場合、20才を過ぎてもズボンをおろし、お尻をほりだしてオシッコをしている人がいますが、ある時期になりましたら、チャックをおろし前からする指導をしていかねばなりません。そして入浴の問題もですが、石鹸をタオルにつけて体を洗うということ、あるいはタオルをきちんとゆすいだり、充分絞るということ、男の子ならお父さんが一緒に入ってあげて、体の洗い方を繰り返し繰り返し、何度も教えていく必要があります。意外にも一人で体を洗うことができる人は少なく、多くの人はいい加減な洗い方になっています。
 次にお手伝いのことについてですが、やはり将来のことを考えますと、何でも良いから家のお手伝いをさせることは大切ですね。台所のこと、洗濯のこと、又洗濯物の整理、掃除などがあります。しかし、子どもがお手伝いをしてくれると、よけい時間がかかって又もう一度やり直しをしなければならないということもあるのですが、なんと言っても毎日の積み重ねが大切です。障害の重い子どもの場合、新しい一つのことを身につける、教えるということは本当に大変ですが、一日一日持続させ積み上げていくことが、子どもに生きる力をつけてあげることになり、子どもに大きな財産を残すことになるのではないかと思います。たとえば、お手伝いの中でお掃除のことですが、本来掃除というのは非常に難しいですね。家庭では電気掃除機でやるわけですが、会社・作業所・授産施設で仕事をする場合、ほうきとちりとりを上手に使うことが大切になってきます。勿論、学校ではほうきとちりとりでお掃除をしているはずなんですが、家庭でもほうきとちりとりの使い方を教えてあげて下さい。そのことが現場実習で大きく評価された子どもがいます。台拭きとか雑巾の使い方も、家庭でどしどし教えていただけたらと思います。
 
年長者への取り組み
 いよいよ年長者の問題に入っていきますが、最初にお話ししましたように、数は少ないのですが、思春期になって一時的に調子を崩す子どもがいます。まあ、普通の子どもさんでも、思春期というのは親にとってやりにくい時期なんですね。ただ、思春期と申しましても、ある子どもは小学校の五年生ぐらいから、また別の子どもは中学校の三年生ぐらいからというように、子どもによって多少時期は異なります。それまでなかった発作が出てきたり、あるいは落ち着きがなくなったり、大きな声を出すようになった、奇声を発するようになった、あるいは家で物(花瓶など)を投げるようになった、夜ぐずぐず言って眠りにくくなったとか、そういう問題を示す子どもがいます。私の体験した子どもは、小さい頃はニコニコしたとても表情のよい子どもだったんですが、高等部の一年生になってから、どうしたことか夜眠らなくなって、お母さんは精神科の先生にも相談しました。多分しばらくのことだろうと様子を見ておられたのですが、夜半に大きな声を出したり、お母さんが注意されてもカセットテープの音量を一杯にして音楽を聴き、ご近所にも迷惑をかけてしまい、自治会長さんのすすめもあって、しばらく病院に入院されました。その子どもの場合、調子が悪くなったり、また機嫌がよくなったと二年ほどぐずぐずと続いていたんですが、現在は授産施設で落ち着いて機嫌よく仕事をしています。一部の自閉症児は、このように思春期・青年期に調子を乱すということがありますので、ちょっと注意しておく必要があります。それとともにそのようなときは学校の先生に充分相談し、又精神科の先生に見ていただいて、その指導を考えていくことが大切です。今お話しした子どもは二年間不安定な状態が続きましたが、それがもっと長びくこともあり、短いこともあります。 次に性の問題ですが、障害児に対する性教育のあり方というのは遅れております。今、全国の施設職員の研修会、特に成人施設の研究会において、性の指導をどうするかということがやっと表面に上がってきた段階です。
 お母さんにとって、一番指導の難しいのは男の子の自慰行為、マスターベーションについてです。どうしても、お父さんに登場してもらわねばならないのですが、人前でもかまわずやってしまう場合があるので、ひどい誤解を受けたり非難をされたりするわけですが、自慰行為を覚えてしまうと、そのもの全てをやめさせてしまうのは難しいです。以前はそういうことはみんな蓋をして、先生も親も厳しく叱ってでもやめさせることが暗黙のうちに行われていたのです。しかし、最近はかなり考え方が変わってきて、いまだいたい了解できてきたところでは、人前では絶対してはいけないという約束を徹底させる。施設の場合でしたら、夕食後自由時間にするのだったら先生に言いなさいと、そしてこの部屋でならやってもよいということを約束して、それを徹底させていくというような指導が一部のところで行われています。また、ある施設の先生に聞いた話ですが、部屋で一人になると、一日のうち何度かうつぶせになって床にこすりつけて、どうも自慰行為をしていると思われる方がいました。先生方は、どう指導すればよいか考えられた末、大変な冒険であったわけですが、この子はマスターベーションの仕方を知らないからではないかと、しかし、障害者だからといってやめさせてしまうのが正しいのかどうかということで、思い切って男の職員がマスターベーションの方法を教えたんですね。そしてその方と時間・場所を約束しました。もし、約束を破ったらお仕置きをするということで、徹底させていったわけなんですが、それ以後生活態度がよくなったということです。ただし、これらの指導は子どもの障害の状態、家庭の条件などを十分考えて、指導の手だてを講じる必要があると思います。すべての子どもに応じた一律にこうだという方法は見つけにくいので、さまざまな方法を参考にして、自分の子どもにあった適切な方法をひとひねり工夫する必要があると思います。
 女子の場合は、生理の手当が充分できなくてナプキンを放り出してしまう子どももいるようですが、一つの方法として下着にナプキンを縫いつけておいて、その都度はきかえさせることから指導に取りかかります。家庭と学校が協力して1対1の指導で、きちっと教えていく必要があると思います。
 ほぼ時間がきたようですが、子どもの未来、将来を予測することは非常に難しいことです。心理学や医学がどのように進歩しても、子どもの一年先、二年先がどうなっているかということはなかなか予測がつかないと思います。子どものかかわりの中で、子どもの行動の意味するものをじっくりと時間をかけて見つめていくことが大切です。安易に自閉症の子どもはこうなんだと決めつけないで、親と子のゆったりとした関わりを大切にしながら、これだけはこの子に身につけさせてあげたいと思うこちらの姿勢、毅然とした態度が必要です。これをそのときの状況や課題によって工夫し、絶え間なく子どもを見つめていく目を持てば、子どもは確実に変わっていくと思います。どうかお父さん、お母さん、子どもの幸せのために、また自立のために、学校の先生や私も含めた周りの人たちと共に、たゆまず、焦らず、努力していきましょう。
 
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