第7回講演会                 昭和60年6月23日
  「年長自閉症者の現況と将来の展望」  佐々木正美先生
                       於 加古川市総合福祉会館
 
 
はじめに
TEACCHの取り組み
意味理解の悪さ
親が一番の療育者
自閉症治療教育の基本的原則




 
 
はじめに
 ご紹介いただきました佐々木でございます。たいへん大勢の方がお集まりのご盛会にお招きいただきましてありがとうございます。今日いただきました演題は年長自閉症の人の問題でございまして、まだまだ未知の領域で、これからどういうことが予測されるかについては十分わかっていない問題でございますが、私の勤めています法人が、来年20周年を迎えまして、従いまして現在私のところへは、二十歳それ以上の方が、たくさんお見えになっていますので、その方々の実状や、今後我々がどのような取り組みを考えているかお話しして、今日のお役目を果たしたいと存じます。率直に申しまして、私は20年前ごく最近まで、自閉症がこんなに困難な障害だとは思っても見ませんでした。小さいお子さんをお持ちの方にはショッキングなことでしょうが、私自身、もう少し易しい治療や教育問題の解決、あるいは障害の改善や克服に手だてがあり効果があると思っていました。私自身が書き続けてきました日記やメモ・カルテを時々ひもといてみますと、あのころはあんな甘い感覚でいたんだな、あんな幻想を持っていたんだなという思いがございます。私の先生、上出先生は東京大学の精神科の助教授を長年なさり、今、東京児童相談所センターの所長をなさっていますが、障害をシビアに、厳格に冷徹な目で科学的に見る先生でして、今から二十年ほど前、当時我が国では、自閉症は親の養育の誤りによってできる対人的な反応性の情緒障害であるというふうに考える人の多い中で、「そんな生やさしいものではない、おそらく脳の障害だろうね」と、推測的にかもわかりませんが、明言なさっていました。その先生ですら、四十一年頃、当時は多くの子どもの就学猶予免除というのがごく常識の時代で、学齢期前後の子どもが、多く私たちのディケアに通ってきていましたが、そういう子ども達を前に「佐々木君、この子ども達が二歳ぐらいから自分のところへ来てくれていたら、もっと早く自分たちが本気で治療的に手がけることができたら、きっと何とかしてやれるんだけど、この子ども達の将来をうんと明るくしてやれるんだけど」というふうにおっしゃった記憶があります。それに遡ること十年、ウイーン大学のアスペルガー教授は、自閉症というのはすばらしい能力をうちに秘めている。、「ウィーン大学の教授の中には自閉症の人がいっぱいいる」と、講演でも論文でも発表しました。それらの人は第一次世界大戦がいつ始まって、いつ終わったかさえ分からないほど、自分たちの研究に自閉的に没頭している。自閉症というのは、そういう性質、人格の偏りにしか過ぎなくて、その内面には非常に豊かな学術的、芸術的才能を持っているという意味合いのことを言いました。我が国でも、そのようなことをおっしゃった先輩、パイオニアがたくさんいらっしゃいます。
 
TEACCHの取り組み
 今、我々は一歳台から手がけることができます。この8月、横浜市が市立の地域療育総合センターを作って、私たちの法人に業務を委託してくださり、今は超早期の療育プログラムが実行できる時代になりました。けれども私は今、きわめて早期からお預かりして、その人達が青年期を迎えたとき、障害が劇的に改善されるか、あるいは障害そのものが消えてなくなってしまうかと思うほどの、いい治療技術、手段方法を持っていません。大勢の仲間と協力しあい、それなりに、一生懸命二十年近く取り組んで参りましたが、そんなに生やさしいものではないと実感しております。年長の自閉症をお持ちのお父さん、お母さんは、私の申し上げていることがよくご理解いただけると思います。最近学校教育を終えた自閉症の人が、現在どのような生活をしているか各地で調査が行われるようになりました。アメリカでは二十歳以上、日本やヨーロッパでは十八歳以上、各地でいろいろな人がいろいろな治療を長年行ってきてどれくらい成果が上がったかという調査でもあります。その結果、ごく大ざっぱに報告いたしますが、施設の収容率、すなわち、家庭や地域社会でもはや生活できなくなってしまったら、お母さんの病気、お父さんの死亡、両親の離婚、あるいは障害が非常に重く、あるいは異常行動が非常に多くとか、いろいろな理由からですが、いづれにしろ家庭や地域社会での生活が困難になって、施設で生活している人の率は、アメリカ各州では39〜72%、州によって40〜70%、全体の平均は確か55%(1974〜82年にかけての調査)英国では50%(1976年)、しかもこの傾向は年々高まっていく気配を見せ、学校教育制度や治療機関の様々な違いがあるにせよ、いづれも50%もの人が学校教育を終えた段階で施設に入所してしまうことは、かなり困難な障害だと言わざるを得ません。我が国では欧米より十年遅れて自閉症問題がスタートしましたので、本格的な調査はまだないでしょうが、学校を終えた自閉症の十八歳以上の人が、どれくらい家庭や地域社会でいい生活ができているか、なかなか難しい問題があると思います。さっき言いました数字はちょっと悲観的に聞こえますが、アメリカの39〜72%という数字に一つだけ例外があります。ノースカロライナ州です。自閉症問題の詳しい方ならばご存じのエリック・ショプラー先生のおられる州です。あの州だけが5〜8%の人が施設や病院を出たり入ったりしているだけで、90%以上にも及ぶ人が社会生活を可能にしているのです。これは桁外れのすばらしい数字です。治療や教育のプログラムには目を見張るものがあります。幼児期から青年期に至るまで州をあげて全体に組織化され、お母さんやお父さんに自閉症を理解してもらうための講義・研修会、幼児教育の専門家・学校教育の専門家・卒業後の指導の方も、社会福祉士・ケースワーカー達、ご両親が病気になったりその他の理由で家庭生活が困難になった方をグループホームでお世話いたしますが、そこのケースワーカー達、そういう人たちが一緒の機会に研修するのです。ノースカロライナ州では、すべて同じアイデアのもとに一貫したシステムの中で、自閉症児がずっと長い年月、家庭でも地域社会でも、学校でも病院でも同じ治療や教育が行われています。いろいろな考えの人があちこちにいて、それぞれがやっていないのです。自閉症の人にいろいろな考えの人が、いろいろな方法でいろいろなことをやるという、これほど大きな弊害はありません。さてこれからが本論でございます。
 私どものところへはたくさんの年長自閉症の方がお見えになっています。状態の良い方、悪い方、障害の重さの個人差があります。持って生まれた障害の重い軽い、それによって成人期の状態が、良くも悪くもなる。これも現実です。言葉もなく誰が見ても重いと感じる人でも、家庭では比較的安定した生活ができていたり、日常生活、会話にも何ら不自由なく高等学校まで行けた人が、今家庭でひどく困っていらっしゃったり、単純に障害が軽い重いは判断できない問題があります。これから私どもがいろいろな因子をもっと調べなければなりませんが、今少しでも分かっていることの一つは、いろいろな治療機関や施設を走り回った方は、まず間違いなく悪いです。それは自閉症という障害の本質を考えれば分かります。一貫性のないほど悪いことはないのです。自閉症はいろいろなことを自分で組み立てたり、習ったことを他に応用したりする能力はありません。他の障害の人より悪いです。お母さんに習ったこと、先生に習ったこと、病院で習ったこと、そうしたことに一貫した姿勢がない場合、一つとしてプラスにならず混乱するばかりです。ノースカロライナ州の良いことは一貫性のあること、それだけです。それだけと言ってそれをするのがたいへんなんです。
 我が国では、学校の先生・通園施設の先生・幼稚園・保育園で障害児を扱っている先生が、一緒に勉強しようとする機会はありませんし、やろうと思っても法的に保障されていませんのでたいへん困難です。乳幼児検診は衛生局で行い、障害が発見されると民生局、学校にはいると文部省・教育委員会、卒業後の問題は労働省、その間には何の連携もございません。ところがノースカロライナでは、エリック・ショプラー教授のもとに、一つのシステム、スティトワイドプログラムが州全体のプログラムになっていますから、州を五つに割って、五つの地域のセンターの中のどこかにつながれば、診断から評価・教育プログラムまでずっと一貫してやってもらえるのです。自閉症の場合は我々も長年やってきてついに思ったのですが、どんな専門家でもある時期だけ子どもを治療教育するやり方はできるだけ避けた方がよいですね。幼児期の二年間を何名かを一生懸命やります。そしてまた次の二年間を何名かの子どもをまた一生懸命やりますというやり方より、何名かの子どもを生涯ずっとやっていく方がいいのです。どんな方法が最善かということは今日簡単には申し上げられませんが、一貫しないやり方ほど悪いことはないのです。ですから私は数年前から新しい方を拝見するのをやめました。今まで見てきた方を今後もずっと見ていこうと思います。新しい方を無下に拒絶するわけではございませんが、私がお母さんとあるいは先生と、こういうふうにして一生懸命やっていきましょうとしてきた子ども達を、他のところへ預けたりすることが、どんなにその子どもを苦しめるか、それまでやってきたことをどんなに無意味にしてしまうか、強く気付いてしまったからです。そういう意味では、お父さんとお母さんに期待することが絶大でございます。1982年に、ノースカロライナ州のショプラー教授と、そのチームを訪ねる機会がありました。十人ほどの仲間と一週間近く滞在して、いろいろな方法を聞き、いろいろなビデオや、写真やレポートを見せていただき、いくつかの施設・学校・グループホームなどを見せていただきました。そういう中で感じたこと、ショプラー教授のおっしゃっていることは、ノースカロライナ州には専門家の手を何一つ借りないで、親が育て上げた例がいくつかある。
 
意味理解の悪さ
 自閉症が治ったということではありません。社会的に自立する能力を身につけたということです。ところが、専門家だけで育て上げたという人はひとりもいないそうです。ここでございますよ。皆さんに申し上げるのは!あっち、こっちかけずり回っても駄目なんでございますよ!それよりお父さんかお母さんが家でじっくり間違いない方針で育てるのがよろしいですよ。あっちの専門家にこんなことを頼ろう、こっちの専門家にこんなことを頼ろうと巡り巡っても、その専門家の間に何のコミュケーションもなければ、自閉症にとっては混乱でしかありません。混乱でしかないんです。自閉症という障害はそういう障害でございます。簡単な事例で申し上げますと、簡単な会話が十分にできるレベルに達した子どもにヘッドホンを使って、右耳と左耳に違う言葉を聞かせてみます。最初右耳に「リンゴ、ミカン」と聞かせます。そしたら「リンゴと言った。ミカンと言った。」ちゃんと聞こえています。左耳にまた、「リンゴ、ミカン」を聞かせます。ちゃんと聞こえています。ちゃんと聞こえていることを確認し、右の耳にミカン、左の耳にリンゴ、あるいは右の耳に象、左の耳にキリンと聞かせます。大多数の自閉症児は一つの音しか聞けません。大部分の普通の子どもは両方聞こえます。あるいは目の前に二枚の絵を見せます。電車でも犬でも、その子どものよく分かっている絵をぱっと2、3秒見せます。ほとんどの自閉症の子どもは一つしか答えられない、二つ答えられるのはずいぶん優秀な子どもです。運動障害のある自閉症は滅多にありません。手と足は自由に動きます。それなら縄跳びができるかといえばほとんどの方ができません。跳ぶだけならできます。トランポリンの得意な自閉症児は珍しくありません。紐を持たせておくとくるくると廻して遊んでいる子もいます。紐を廻す力や跳ぶ力があっても縄跳びができないのです。両方の動作を脳の中で組み合わせることができないのです。
 こちらから聞こえたこととあちらから聞こえたことを脳の中できちんと処理することができない。上肢の運動と下肢の運動をバラバラにならできます。ところが組み合わせることができない。こういうことが自閉症児の最も特徴的な障害でございます。ある時、全くといっていいほど日常生活に不自由しない能力の高くなった中学生のお母さんがおっしゃっていました。その子どもはよく指導訓練されていて、お母さんと毎日、一時間・一時間半勉強する習慣がございます。習慣化すればしないでいられないので熱心にいたします。ある時お母さんが「さあ、次をめくってください」とおっしゃったんですね。ノートか本のことだったんでしょうね。ところが少年は洋服の袖をめくっていたんですね。お母さんは袖をまくっていることに気がつかなかったので、「ほら、急いで!早くめくりなさい。」と叱るようにおっしゃったんです。すると少年は大急ぎでさらに袖をめくりあげたんですね。ノートや本をめくるということと袖をめくるということの意味が脳の中でなかなかつかないのでございます。絶対つかないんじゃないんでございますよ、その少年があるときお母さんに「映画にいこう」と言ったんです。自分から映画に誘うなんて、しかも看板で見たのか映画の題まで教えてくれて、初めてのことでもありお母さんは嬉しくて踊るような気持ちで、少年と映画館に行きました。少年はとても楽しそうに映画を見ていました。するとピストルで撃たれるシーンが出てきたそうです。撃たれた人が倒れて出血したそうです。血の流れるのを見て少年は、「お母さん、あの人かさぶたはいだの?」と言ったそうです。少年は怪我をしたりしたとき、かさぶたがとても気になって、すぐにかさぶたをはがす癖があったそうです。小さいときはそれを食べてしまう癖があったそうです。お母さんは「かさぶたをはがしてはダメ!血が出るから」、「かさぶたをはがしたらダメよ、血が出てきますよ」と教えておられたのですね、少年はピストルで撃たれた人もかさぶたをはがしたから血が出てきたと思ったらしいんです。彼にすれば自分の持っている知識を総結集して映画の場面を解釈しているのでございます。出血するということは転ぶか、ナイフで切るか、かさぶたをはがすか、自分の経験したこと以外知識のないことは考えないのですから、ピストルで撃たれるってことは解りっこないのです。相当に能力のある人でさえこうなのです。出血するということはどういうことかわずかに限られているのでございます。めくる、まくると言葉の中には袖をめくるという意味しかないのです。一つの言葉はいくつもの意味があることは我々は自然に覚えてくるのですね。タオルのことをお手拭きと言ったりしますね。教えられなくても解ることですが自閉症の場合、このことの解る人はそうたくさんいらっしゃいません。こういうことが無数にございます。例えば、お母さんの写真を見せて、「これだれ?」と聞くと「お母さん」と答えます。テストでわざとするのですが、髪の毛のところだけ切り抜いて「これ、だれ?」と見せるのです。まず自閉症の人は誰だか解らなくなってしまいますね。毎日見慣れているお母さんですら髪の毛を取っただけで解らなくなってしまうのです。もちろんそうでない方もいらっしゃいますが多くの方がそうなのでございます。もっと事例をあげてお話しすればおわかりいただけると思いますが、いづれにせよ物の本質的な意味理解が極端に悪いのが自閉症の障害です。本質的意味理解の悪さには様々な程度がございます。今お母さんが怒っているらしいというような感情認知のできる方からほとんどできない方、相手の立場になってある程度考えられるように認知理解の良くなる人とまるっきりできない人、そこに至るまでの場面や状況などの意味理解は非常に悪いです。自閉症の人はですね、同時に認知障害とよく言います。自閉症というのは障害が軽くなってきた人に対して我々がいろいろアプローチしてみて、初めてこんな障害だったのかと解ってくるのでございまして、障害の重い方、障害がまだ未分化の方についてはどういう障害なのかこちらにも解りません。いろいろなことに相手が応答してくれるようになって、こんなことを考えていたのか、こんなことが解らないのかということが解ってくるのでございまして、お話しできない子どもはもっと解らないだろうと想像するしかないのです。一枚の絵を見せます。家族みんなでピクニックに行ってみんなでお弁当を食べているような誰が見てもこれはピクニックだと分かるような絵です。「これ、なあに?」と聞くと「川だ」、「これは橋」、「これは木」「これは小鳥」、「これはお父さん」と答えてくれます。「何しているの?」と聞くと、「お弁当を食べている」というように答えてくれます。個々ばらばらになら言えるのですが、全体で「この絵は全部で何をしているのですか?」というと答えられないんですね。同時失認と言います。こういうことは随所にございます。いずれにしろ自閉症の人は本質的な意味理解が悪いのです。意味理解が悪いとものは形で覚えるしか仕方がありません。例えばトイレット。お母さんが小さいときに何回も何回もトイレに連れていっておしっこをさせている。あるいは食事、手づかみで食べないでお母さんに叱られながら教えられる。なぜトイレに行っておしっこをするのか、畳の上ではいけないのか、意味は分かりません。形で覚えるわけです。なぜ手づかみでご飯を食べてはいけないのか解らないまま形で覚えます。一般の子ども達は直ぐにそういうことが意味として解ってきます。自閉症の子ども達は形でしか解らない部分がありますので、形の決まったものでないと身に付かない、頭に入らない、目に入らない傾向があります。自閉症児が目に付けるものは、いつもだいたい形の決まっているものから始まります。だからテレビのコマーシャルをよく見るんでございます。ニュースはタイトルだけ見てニュースの中味を見ないのはそういう理由からです。中味は毎日変わっていますから、ガソリンスタンドのマークが好きです。トイレットの入り口の男女のマークも好きです。信号機や横断歩道も好きでよく絵に描きます。いつも決まっているからです。カレンダーの数字はいつも同じに並んでいるから好きなんです。算数や計算が好きだから、数の概念があるからじゃございませんよ。ところが足し算や引き算は要領を機械的に習えば形を覚えますから、計算が素早くできる子もたくさんおります。ひらがなよりカタカナや漢字が好きな子が多いのは形がすっきりしているせいでございます。ひらがなを覚える前にアルファベットを覚える子どももいっぱいいます。ずっと形が決まっているからでございます。日本語もできないのに英語ができるんですよとおっしゃいますがそうじゃないんですよ。お話ができないのに歌が歌えるとおっしゃいます。そりゃ歌えますよ、歌は決まり文句なのでございます。皆さんだってドイツ民謡とかアメリカ民謡の一つや二つはご存知でしょう。けれどそう簡単にドイツ語やフランス語は話せませんね、歌は易しいです。言葉ではないんでございます。門前の小僧がお経を読むのと同じで、意味なんか分からなくても歌は歌えるのです。ですから自閉症児がものを覚えるとき、形できっちりとものを伝えることが大事なんでございます。一貫性が大事なんです。ある先生は簡単だから「ズボンもパンツもみんな脱いでトイレに行きなさい。」と言います。お母さんは「ひざまでおろしてトイレに入りなさい。」と言います。こうなるともうできなくなってしまいます。叱られるともう行かなくなって漏らしてしまいます。ここが難しいのです。トイレの話一つがこうですから、すべてのことがそうなのです。だからあちこち駆けめぐってはダメなんです。ある先生のところへ行ってあることを習います。そしてそのことがそこでは身に付きます。だけどそれは特別なことが身に付いたと思われては間違いです。本質的にはコマーシャルを一つ覚えたこととそうかわらないのです。応用不可能なことをあるパターンとしてその場で身につけただけに過ぎないのに、もっとできるようになるかとかけずり回りますが、そんなものではありません。
 
親が一番の療育者
 ショプラーが専門家でありながら、専門家が育てた自閉症児はひとりたりといないけれど、専門家の手を借りないで親だけで育てあげたケースがあるというのは、自閉症児の本質をよく知っているから言える言葉なのです。親は親なりの自分たちのやり方しか教えられないし、それが自閉症児には大きな安らぎです。お母さんが「お醤油」といい、お父さんが「醤油」と言っただけでもう解らなくなる自閉症児はたくさんあります。お母さんの言うとおりの言葉を使えばよろしいのでございます。最初に覚えた言葉を使わなくちゃあいけないんです。お母さんが「タオル」と言い、お父さんが「お手拭き」と言ったのでは通じないのが当たり前でございます。全然違う意味を持っていると本人は思っているのですから、ノースカロライナ州の非常に優れたところは、その子どもを今見ている人の間で、日常使う言葉をちゃんと統一してあるんです。お母さんが靴を履くとき「靴」というなら「靴」、「靴を履きなさい」というなら「靴を履きなさい」と、将来応用力が出てくれば別でございますが、自閉症児にとっては解る言葉で解るような指導をされていることが大きな安らぎなんです。解らない指導のやられ方をされますと、ダウン症児なら「僕解らない」と言ってくれますが、自閉症児は絶対に言ってくれません。どう言ってよいのか解らないのですから、ただ一つ「イヤ!」としか言いません。どんなときでも拒否の場合は「イヤ!」なんです。どうしていいか解らないから混乱し、すごいパニックになってしまう。するとこちらの方もどう対応してよいか解らなくなって、火に油を注ぐようなことをやいやいやってしまって、よけい難しくしてしまうことがよくありますね。しかし、自閉症の人はコツをのみこみますと、比較的、いろいろな領域は易しいんだなあと思うことが私どもにはあります。一度ついた習慣は消えにくいのですが、いくつもの習慣、能力、意味というのが柔軟にダイナミックにつきません。臨機応変ということができないので、今日あそこへ行って、こうするんだということを百も承知して、そのとおりのことが用意されていて、それをやっていれば一番安定するのでございます。だから、日常の毎日の生活をきっちりとおつくりになるとよいと思います。能力が高くなった、言葉が達者になったと理解されても良いと思いますが、応用がきくようになってきますから、そう杓子定規にならなくてもよいのですが、日常生活での会話がほとんどできない言葉のない状態の時は、できるだけ日常生活の習慣を青年期にきっちりおつくりになるとよいです。朝起きてから夜寝るまでです。たとえばパジャマのまま顔を洗うか、洋服に着替えてから洗うか、こんな些細なことまで、できるなら決まっている方が安定します。「作業所に遅れるからパジャマのまま洗いなさい。」とか、「今日はゆっくりしているから洋服に着替えてから洗いなさい。」とやられると、もう混乱するのでございます。障害が重ければ重いほど、未分化であればあるほど、生活のリズムパターンをきっちりと作ってあげることが大切です。自閉症児が一番混乱するのは自由時間です。何をしていいのか解らないのですから、自由時間と言えば聞こえがよろしいのですが、誰も何もかまってあげない時間です。我々にとっては、自由時間というのは自分の好きなことをしていればいい、好きなことができるからいいのでございますよ、ところが自閉症児はする事がないのでございます。たいがい禁止されることです。水道の水をジャージャー流すとか、壁をごりごり削るとか好きなことをさせてもらえない訳、自由時間というのは異常行動というか我々の困る行動の発生する時間でございます。青年期自閉症で安定している方は、間違いなく自由時間の過ごし方をちゃんと身につけている人、よく指導されている人でございます。私どものところへお見えになる方の中で、安定している方の多くは、お母さんができるだけかまってあげていますね。青年期になっても「ほらお茶碗を洗うからいらっしゃい。」「お母さんが洗ったら水切り台の上に置くんですよ。」とか「洗濯物を取り入れるから手伝いなさい。」と次から次へと一定の仕事の役割を与えていらっしゃるんです。子どもと接する時間の一番多いお母さんが毎日の生活習慣をびしっと作ってあげなくちゃあダメなんです。習慣がきちんとできている状態で安定するのでございます。そしてその習慣が、習慣の内容の良い方を予後がよいと呼ぶわけです。困った習慣を身につけている人を予後が中程度だと、習慣が何か身に付かないでその都度混乱している人が最悪だというふうに分類されるように思います。毎日工場に勤め、決められた仕事を見事にやっている人がいます。時間がくるとぱっと家に帰り一休みして、お母さんが用意してくれているおやつを食べてレコードを聴いて、しばらくするとお母さんの洗い物などお手伝いをして、時間がくると雨戸を閉めて、テレビを見る。決まった時間に寝て、また明日決まった時間に起きて会社に行き同じことを繰り返す。周りの人にとって非常に生活しやすい青年です。ところが毎日毎日山手線に二周しないと気のすまない青年がいるんです。毎朝、ご飯を食べると直ぐそれに乗りに行きます。二周して二時間して帰ってきます。帰ってくると電車の時刻表をノートに書くんです。はしからはしまできっちり写します。書いている途中で、一定の時間がくると今度は地下鉄に乗りに行くわけです。毎日毎日、お母さんは興奮されたり暴れたりパニックになられたりするよりはよいと言われています。27歳の青年ですが、予後がいいとは言えませんが、一緒に生活するぶんには困らない点でまあ中くらいです。ところが習慣がなくて、何かのはずみで何一つ身に付かなかった人、ちょっとのことで気に入らないと怒りを繰り返し興奮の多い人、これはもう最悪でございまして、何とか早く施設に入れてほしい、鎮静剤がほしい、睡眠薬をください、精神病院に入れてくださいということを繰り返しているんです。大ざっぱに三つに分類しましたが、中間の方もいろいろな程度でございます。山手線にぐるぐる回っている青年と毎日杓子定規で工場へ行っている青年と、意識としてどれくらいの違いがあるかということは解りません。どちらもそれをしないと気がすまないからやっているだけかも知れません。
 
自閉症治療教育の基本的原則
 自閉症治療教育のごく大ざっぱな基本的原則は、どのようないい日課、生活習慣をつくってあげるかということ、これにつきると思います。これは小さいときから、その年齢なりの習慣をつくっていくかということが大切だと、よく私は申します。日常の生活習慣をきちんと教えになるってことが大事なんです。どんなことでも必ずできることから始めることです。何をするにも必ず目標をお持ちになることです。習慣的に教えることですから行き当たりばったりではダメです。根気のいい方がうまいんです。こちらも固執、執着でございます。やり始めたらもう時間厳守、いつも同じような時間に同じような言葉を使って同じようなことを教えるんです。そして自閉症の能力は習慣化されたことだけが能力だと思ってくださっていいです。青年期になればこのことが本当にはっきりしてきます。習慣になってないことは全く能力ではないんです。習慣になるまで教えたことが治療であり指導なんです。多くの場合よほど熱心ないい先生でないとものを習慣化するまでは教えてはくれません。その時その時ベストは尽くしてはくださいますが、そのことがきちっと習慣になって定着しているかどうかは別の問題でございますよ。努力することはあれこれやることではなく、わずかなことでもよいから習慣になるまで教える。そうして積み重ねていくわけです。年齢の小さいときは24時間の習慣でございます。まずはディリーライフウィクリーで、だんだん大きくなるにつれて一週間のプログラムに変わってきます。私はパターンという言葉があまり好きではございませんので、習慣という言葉を使いますが、結果として同じかも知れません。先程お話ししました、工場へ勤めている青年と山手線をぐるぐる回っている青年の動機は同じかも知れませんが、周りの人々が、その人と生活するための安心感には雲泥の差がございます。このようにいい習慣の上に新たな習慣を少しずつプラスアルファーしていくのが指導の原則でございます。そういう習慣化をきちんとつけるためにはお母さんの力がとっても大事でございます。私はあえて申しますが、70〜80%はお母さんの力だと思います。治療者や教育者や福祉課やその他の人が援助できるのは20〜30%です。直接大きな影響力を与えられるのは家族の人ですが、その人の家族が大きな働きをするのにしやすいように専門家がどうするかというのが、今日我々の仕事だと思っています。家族の人が燃え尽きないように専門家がどのように工夫するか、ノースカロライナ州では非常にすばらしいプログラムができていて、お母さんを中心にプログラムが組まれます。生活の日常習慣は家庭中心に成り立つんです。家庭以外には子ども達は学校に行きますが、一日数時間で、日曜祭日は休みですし、夏休みも冬休みもあります。ところが家庭にはお休みはありません。どんなに名教師でもひとりの子どもに接しられるのは三年ぐらいでしょう。我々はひとりの青年に十年も二十年も接しますが、それは一週間に一回とか、一月に一回でございます。お母さんは毎日十何時間、くる日もくる日もでございます。影響力の大きいのは当たり前のことでございます。そのお母さんに一本確固たる姿勢がなくて、養育方針がなくてはうまくいかないのが当然です。しかも一貫性という点ではお母さんが舵取りなさらなくてはいけません。どうぞお母さん、「今度の先生はあたりだった、はずれだった」とおっしゃらないでください。影響力はそんなに大きくないんでございますから、だからあまりキョロキョロなさらない方がいいんです。向こうに何とかいい方法を開発した先生がいる、その先生のところにそっくり預けられずっと見てくださるならいいのですが、一年二年かあるいは三年くらいという程度だったら、大した影響はございません。そこでのエッセンスをお母さんが上手に抜き取ってこられて家庭でおやりになることなんです。全然違った環境に二年後行ったら、そこでやったことはほとんど消えていますよ、青年期の自閉症をお持ちの方が過去を振り返ってごらんになねとよーく解ります。それぐらいに脳の中に蓄積されていかないんです。統合していかないんです。はずれの先生からだって少しは得るものがあります。あたりの先生からやや多くのものが得られます。いい医者からは少し余分に得るものがあります。あまり意欲のない医者からはわずかなものしか得るものがありませんが、それはお母さんが貯金して集めればよろしいです。お母さんがやるんでございますよ、そのお母さんを支えるのはもちろんお父さんでございます。ノースカロライナ州に言わせますと、お母さんお父さんを支えるのは近所の人であり、お母さんを支えるのに最も力になるのはお父さんの親戚の人だという言い方をしています。お父さんの親戚の人がお母さんに励ましの連絡をくれたら、これはお母さんにとっては勇気百倍なんです。「こんな家系はうちにはなかった。」なんて言われてごらんなさい。こんなに力のでないことはございません。お母さんが中心ですので、お母さんが燃え尽きてしまわないために、ご夫婦仲がいいこと、ご近所づきあいがいいこと、親戚づきあいのいいこと、お母さんの親戚からお父さん側の親戚の理解があることが望ましいです。最後に私は長い年月自閉症のことで私なりにいろいろ苦労してきまして、ここにきて自閉症の人は意外にいい仕事が根気よくできるんだなあと思います。やさしい仕事ではなく難しい仕事がです。複雑だけれどパターンが決まってくるんです。一種の技術職ですね。そういう職業を与えて職親さんによく理解を求めて指導していただきますと、金輪際休まない、不良品を出さない、むしろ優良社員ですね。そういう人が横浜市にはたくさん出てきて参りました。私ども神奈川県はこういう人達を雇用してくださる職親さんを開拓してまわっております。この十年あまりの間に努力しまして二百社か二百二十社くらいになったと思いますが、中小企業の中でも小企業の方ですが、自閉症や精神発達遅滞の人を雇用してくださるようになりました。ですから我々の療育センターではもう何百人もこの職業リハビリテーションに成功している青年を見守りつつあるわけです。この数年の間に、意外とこんなことがよくできるのか、こんなに几帳面にまじめに作って、他の職員より不良品を出さない、いつか私はスライドか何かにフィルムして、かけねなしで優良社員として表彰された表彰状の写真を一覧表にしてお見せしたいぐらいです。どうか皆さんも、青年期の自閉症の人にしっかりと日常生活のいい習慣を付けておいてあげてください。いい習慣とは家の中の手伝いだと我々ケースワーカーは言います。雨戸の開け閉め、ポストに郵便物を取りに行く、重い荷物の運び役、お布団の上げ下ろし、食器の片づけ、掃除機をかける、雑巾掛け、お風呂を洗う、そういうことを一つでも二つでも自分の家庭の役割として身につけていく、こういうことが何もないまま高等学校を卒業してもダメでございます。きっと高等学校の勉強についていくのがたいへんであまりお手伝いさせなかったからでしょうが、風呂掃除をしているよりは英語の勉強をしている方がいい、誰だってそう思います。ところがそれは本人のペースでしか物事ができない。周りの人と協調して何かをすることをしない習慣になっています。自分のペースでなら百科事典や広辞苑を見たり、世界地図を見たり星座を眺めたりできますけれど、これでは社会的なリハビリは全くできません。いい習慣とは、家庭の中で上手になってくれたときには、お父さんやお母さんが助かるということをですね、一つでも二つでも、簡単なことでもいいから身につけておくことだと、我々のケースワーカーは言います。まあこんなことで参考になりましたかどうか解りませんが、私の話を終わらせていただきます。
 
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