第4回講演会                    1983年11月6日
                         於 尼崎市労働福祉会館
「発達の節目を見つめて」
                京都教育大学 友久 久雄 先生
 
はじめに
自閉症児へのかかわり
社会性発達一才までのかかわり
三才までのかかわり
それ以後のかかわり




 
 
はじめに
 こんにちは!私は現在、京都教育大学の発達障害学科というところにおります。発達障害学科というのは、養護学校の先生とか障害児学級の先生とかを養成しているところです。 学校のことを多少説明しますと、養護学校教諭免許状というのがあるのですが、実際にその免許状を持った先生が非常に少ないというのが現状です。数年前の調査では、その免許は二、三割の先生しか持っておられなかった。
 医者の場合は、免許状を持たない者が医療にかかわることはできませんが、先生の場合は、一般の先生の免許状があれば、障害児にもかかわっておられるというのが現状です。極端な言い方をすれば、三月三十一日までは普通学級の先生だった人が、四月一日には障害児学級の先生になっておられるということがあるのです。それで今、障害児学級や養護学校などの先生の養成が急務となっています。このため各大学に、障害児教育と障害児の心理と障害児の医学と、この三つを柱にして、いわゆる障害児教育の研究と教員養成がなされています。
 自閉症という診断を下したり、治療をしなければならない医師が、自閉の子どもに関わるのは、多くて週に一回、あるいは一ヶ月に一回、場合によっては半年に一回、一年に一回というようなかかわり方しかできません。これに対して先生は、毎日子どもに接することができます。親の次に子どもにかかわることができるのは、学校の先生なのです。
 このことは、親の次に先生の影響が最も強いということです。しかし、先生は教育のジャンルから出ておられるので、考え方としては、子どもを教育しようとする気持ちが非常に強いので、医学的に、心理的な発想はしにくい。比較するのはよくないのですが、例えば、脳性マヒの子どもの場合、外から見てもすぐに問題のある子どもだと解るので、かかわる方もそのつもりになってかかわっていける。けれど、自閉の子どもの場合、身体的にはほとんど問題がない。しかし、現実には家庭で、学校で、非常に問題が大きい。そういう子どもに、医者は原因という方向からアプローチする。
 しかし、先生やお母さんはどのようにすればよいか解らない。いろいろな部分的な解釈で、子どもを見ていくことが多いために、自閉症の子どもが○○法で治った等とマスコミで騒いだりする。果たして、その子が自閉症であったかどうかは解らない。
 残念なことに、自閉症というのは、診断基準も、治療法も、その概念も、すべてがハッキリしていないものだから、誰もが何を言っても、どこからも文句が言えない。例えば、専門家が自閉症と診断しても「どこが自閉症なのですか?」と詰問されたら、返答に窮するでしょう。そういう状態にもかかわらず、自閉症という言葉が盛んに使われ横行する。 そして、一度自閉症と診断されたら、一生自閉症として、子どもも親も生活していく。そういう中で自閉症の子どもと接していく場合、何を中心に考えればよいのか、現実には子どもは日に日に、年と共に変化していく。その変化をどのようにとらえればよいのか、それが大切なことであって、今、これをしたから効果があったというようなものでは決してありません。
 結論から言えば、親にとって大切なことは、子どもの発達を考えながら、子どもに接していくことではないしょうか。そして、もし発達の節目があるならば、節目節目を考えながら接するということです。
 
自閉症児へのかかわり
 1943年にアメリカのカナーが、初めて、情緒的接触の障害を持つ子どもとして、自閉症の子どもの事例を11例報告しました。
 そのとき、カナーが基本的に考えたのが、対人関係に障害があるんだと言うことでした。対人関係に障害があるということは、人に興味を示さないということですが、興味を示さないというのは、お母さんのせいでも社会のせいでもないのです。なぜか解りませんが本来、人に興味を示さなければいけない時期になっても人に関心を示さない。
 次に同一性保持への強迫的要求ですが、常に同じ事を要求する。あるいは特定のことにのみ興味を示す。人には興味を示さないが、物に対しては特別に興味を示す。それも他の子どもと同じように全般的に示すのではなく特定のものにのみ特定の興味を示し、特定のかかわり方をする。意思伝達のために言葉を使わない。対人関係は非常に乏しいが、特定のものに対して示す特定の認知能力は鋭い。これがカナーの一番最初の段階での定義です。それ以後、多くの研究者がいろいろと研究したのですが、結論から言いますと、残念なことに結果は何もわからないということです。
 原因も脳の障害だといわれたり、治療法もいろいろな方法が研究されましたが、研究者の間で一致したものはなく、結局は何も解らないわけです。唯一、解っていることは、子どもたちがだんだん成長していく中で、対人関係の接触が改善され、社会的に自立できる子どももいるし、全く対人関係が改善されないままに、いわゆる、重度の知的障害児のようになっていく子どももいるということが解りました。
 しかし、どのような子どもが、どのようになっていくかは、非常にわかりにくいのです。 一般には、言語能力とか知的能力が影響するのではないかと言われていますが、それもハッキリしません。何も解らないということは、現実に子どもに接している親や学校の先生にとっては大変に困ったことであります。とにかくかかわればよいというものではなく、そのかかわり方の基準が重要なポイントになってくるわけです。その場合、たとえば医者であれば、原因というものを一つの基準としてかかわっていく。対人関係の障害がベースにあるのではないかと考えている医者は、子どもに対して「受容と共感」と言う観点から接していこうとする。脳に障害があるのではないかと考えている医者は「オペラント」と言って、子どもに一番問題のある行動を探し出して、それに対してプログラムを組んで訓練する。
 学校の先生は、文部省の指導要領を基準にして接していく。ところが、お母さんには、原因も指導要領も基準になるものは何一つないわけです。しかし実際には、一才の子、二才の子、三才の子、五才の子、七才の子と接する場合、おのおのの接し方がかわってくる。指導要領のように書かれたものはなくても、ごく自然にそうなってくる。それが発達的なアプローチであり、発達にあわせて接し方をかえていくことで発達の節目も生きてくる。そうなりますと、自閉症の子どもの発達を考えながら接していくということですが、まず自閉症ということが解らないので仮定をしなければならない。対人関係の乏しさと、物に対する興味の強さ、この二つを持った子どもを自閉症と考える。
 自閉症の一見、特異そうに見える独特な行動もよく観察すれば、質的な歪みはほとんど見られなくて、程度の極端さが見られる。しかも、一見、異常に見られる行動も、健常児が持っていないものを持っているというのではなくて、健常児もある時期には必ずその行動をもっている。
 たとえば、自傷行為を例にとりますと、生後数ヶ月の時に枕に頭をコンコンする子どももよく見受けられるし、紙をひらひらさせたり、手をひらひらすることも赤ちゃん時代やその直後にはよく見られるし、それが年齢がいってから出てくるので問題だと言われるのですが、必ずしも質的には問題ではありません。
 このような観点から、自閉症児の発達過程も、健常児の発達過程と本質的には変わらないと仮定します。健常児と本質的に違うとすれば、本質的に違う接し方をしなければならないけれど、子どもをよく見ていると、程度の差や年齢の差は出てくるがほとんど本質的には変わらない。健常児と本質的に同じであれば、同じかかわり方でよい。ただ注意しなければならないことがある。それが発達の節目であります。
 
社会性発達一才までのかかわり
 我々が自閉の子どもに接する場合、基本的な方法や目標というのは、自閉児も健常児も同じ発達過程をたどるので、健常児の発達が参考になる。たとえば、五才になる自閉児がその社会性(対人関係)の発達が二才であれば親のかかわり方は二才の子どものそれを参考にするわけです。
 それでは実際に、親は子どもにどのようにかかわっているかと言いますと、一才までは親が子どもの言いなりになっていると言うことで、これが基本的なかかわりであります。たとえば、六ヶ月の子どもがウンチを漏らしてもお母さんは怒らないし、夜半におなかがすいて泣いても怒らない。子どもが泣けばお母さんはあやし、それでも泣きやまなければお父さんもあやす。家族全体が子ども中心に、子どもに合わせた生活をする。すなわち、全面的な受容が必要です。このように一才までは、非常に特徴のある段階で、一才はまず一つの節目とします。
 親は一才までは全面的に子どもにあわせたかかわり方をしてきますが、一才を過ぎて子どもが歩くようになると、「危ない!」「いけません!」というように禁止が入ってくる。と同時に、一才半になるとオシッコはおまるでと言うように、親側の要求が入ってきます。 ところがそのときに、子どもは全面的に親の要求通りにはできない。このような時期には、親も完全にできることを要求しているのではありません。たとえば、オシッコをしくじっても、まだ小さいからと半分は子どもにあわせている。ところが三才になると、子どもは大人の言うことがかなり理解できるようになってくるので、本格的なしつけの時期になってきます。
 三才児保育のように集団生活が営めるようになってくるのは、社会的ルールが守れると言うことで、社会的ルールが守られるようになると、自閉的な子どもでもそんなに手がかからないようになってくる。
 そこで、今日は、この一番自閉的な子どもに手がかかる時期、すなわち社会性の発達において三才に達するまでの親のかかわりについて説明してみたいと思います。そして、自閉児も健常児と同じように扱った方がよいとして、一才までに一つの節目、三才までに一つの節目、それ以後との区切りかたでお話しします。
 まず一才までですが、健常児の場合、二、三ヶ月で視線があうようになる。別に親が教えなくても自然に視線があうようになり、親が教えないのに微笑むようになってきます。これを社会的な微笑みと言います。
 三ヶ月までの赤ちゃんは、おなかがいっぱいになったときなどに、母親も誰もいないのに、クックッと笑うことがあります。これは自閉の子どもが、一見何でもないときに笑っているのと基本的に同じ事です。ところが、三ヶ月になるときちんと母親に視線をあわせて笑う。この社会的な微笑み、視線があうということは、教えるものではなく、子どものほうから出てくるものだと言うことが、ボルビーなどの、多くの研究の結果言われています。
 子どもが微笑みかけてくるようになってくると、母親は嬉しいのでニコニコと微笑みで返しますね。そうするとまた、赤ちゃんが笑いお母さんも笑う。そこから人間関係ができてくる。ところが自閉症児は、この微笑みや視線をあわすことができない。一番最初に、お母さんが子どもの様子がおかしいと思われた頃、すなわち一才から二才頃は、視線があわない笑わないなどがありますが、それは健常児の二、三ヶ月の時期と同じなのです。
 赤ちゃん時代、不思議とも何とも思わなかったのですが、二、三才になると身体的に大きくなっているのに、言葉も出ないし、激しく動き回るのでおかしく感じられる。その二、三才頃、自閉の一番強い頃、すなわち視線もあわないし、表情もほとんど変化しないときには、親としては「待ち」の姿勢しかないわけで、親の唯一のできることは禁止しないことであり、子どものそばにいてやることであり、自閉の子どもも必ず視線があうようになってくると信じることです。それがちらっとであるか、長い間であるか、人の言うことを聞こうとするようになってくるのは確かです。そしてちらっと顔を見るようになってきたときに、人は禁止をするものでこわいという気持ちで人の顔を見ますが、禁止されていない子どもは、人は何かを自分のためにしてくれるのだという気持ちで見るようになります。それが決定的にその後の対人関係を違うものにしてしまいます。
 待ちの姿勢の時期にこちらが無理に関わっていくのもよくない。健常児は三ヶ月を過ぎるといつも自分の前に現れてくる顔が分かってくる。いつも同じ顔で、いつも同じ足音をした人がやってきて、いつも同じ声でいつも同じ抱き方をする。そして、その人が現れてくると必ずいいことがある。
 そうなると赤ちゃんは、泣いたり笑ったりしてその人を呼ぼうとしたり、目で追ったりする。それを愛着行為と言います。
 それに対して、母親がマザーリングという型で答える。すなわち赤ちゃんが笑うとお母さんが笑う。赤ちゃんが泣くと、お母さんも何となく悲しい気分になる。逆にお母さんがニコニコした顔で現れると赤ちゃんは微笑み、お母さんが悲しい顔で赤ちゃんを抱くと、笑っていた赤ちゃんの顔からも、スーと笑いが消える。
 このように母と子の気持ちは、相互に作用し一体化する。それほどにお母さんと赤ちゃんとは気持ちが通じ合うようになる。
 この気持ちが通じ合うことは、お母さんは、気持ちの上では赤ちゃんの前で赤ちゃんと同じ次元に落ちているということです。赤ちゃんが呼べば、お母さんはどんなことがあってもすぐに赤ちゃんの所へとんでいく。赤ちゃんは自分が泣けば必ずその人が来てくれて、必ずいいことがあると信じる。そこに母と子の信頼関係がしっかりとできてくるわけです。 ところが自閉の子どもの場合は、二、三才になって、視線があうようになり、人に興味がでてくるようになっても、残念なことに体が大きくなっているので、赤ちゃんのように受け入れてもらえず、禁止が入ってくるので気持ちが通じ合わない。子どもは気持ちの通じ合いをベースにして基本的生活習慣を身につけていくものですが、自閉の子どもの場合、子どもが何かをすれば禁止や制限が入ってくるので、気持ちが通じ合うのに時期が長くかかる。
 
三才までのかかわり
 健常児は一才を過ぎると、自分の方から相手にかかわっていく。今まで全面的に受け入れられていた信頼関係がベースにあるので、ごく自然にかかわっていける。自閉の子どもの場合、三才を過ぎて人に関わっていくとき、難しさがともなう。最初の段階で全面的に受け入れられた経験が少ないので、常に不安がつきまとっている。
 このように、人に興味を示しかけたときに、不安を持って接することがないようにということで、よく自閉症児には禁止や制限をしてはいけませんと言われます。しかしそれは、今、お話ししたように、視線もあわないし、微笑みもしない発達段階のことです。
 すなわち、母親も含めて人の関心がほとんど見られない段階の接し方です。多くの自閉症児は、生後三〜四才でこの段階は卒業します。
 一才の節目を越えると子どもは、人を求め自分からお友達のいるところへ行きます。自閉症児でいえば、チラッと視線があったり、今までひとり遊びばかりであった子が、何となくみんなのいるところに行けるようになった段階です。しかし、自閉児は先述したように健常児に比べ、人への関心も薄く、人への不安がつきまとっています。
 身体的には四〜五才を越えているが、社会性(対人関係)はまだまだ未熟であり、何をしていいのか子ども自身にも分からないことが多い。この時期に、親や周囲の人々に必要なことは、今までのように全面的に自閉児にあわすだけでなく、自閉児の特徴をよく知り、その上で自閉児を指導することです。指導するということは、自閉児の言いなりになることではなく、相手の気持ちを理解した上で、こちらの指示を入れるということです。言い換えれば、指示に従えるようにすることです。
 たとえば、我々は子どもがかかわってきたとき、「ちょっと待ってね。」とか「後でね。」など言ってその場をごまかして応えてやらないことがあります。健常児の場合はそれでもよいのですが、自閉の子どもの場合は、何かができるというより、人と一緒にするということの方が大切なのです。たとえば、子どもがトランポリンをしようと要求しているときに、他のことをしても気持ちが通じ合わないのです。
 健常児の場合は、「お母さん、トランポリンかなんわ、頭がフラフラするから。」と言えば、他のことをしても気持ちが通じ合っているので問題はないのですが、自閉の子どもの場合は、物が先行しているので、トランポリンをしようと言ってきたとき、トランポリンがベースになり、それをしないと気持ちが通じ合わない。自閉の子どもの場合は、同じ事を同じようにしていると安定するという特徴があるので、大人が態度を変えると不安に陥ってしまう。
 話はちょっと飛びますが、たとえば時間ですね。キャンプなんかで、予定表に七時に食事と書いてあるとします。我々の場合はみんなで一緒に食事をすることが大切であって、時間のズレなんか問題ではないのですが、自閉の子どもの場合は、七時の食事が七時半になると不安で仕方がなくなる。そんな場合は、こちらがタイムテーブルを最初に示さない配慮が必要になってくる。もし途中で変える必要がある場合は、必ず本人に前もって何度も何度も教えておくことが必要です。
 学校の時間割が変わるときも、前もって子どもに予告して、変わることを子どもに分からせておけば、口で言うほど簡単ではないが、パニックにはならない。そして「守れてよかったね。」とほめてやる。このように子どものことをよく知り、子どもにあわせてやることが大切になってくる。
 突然、周囲の都合で時間割を変え、不安に陥れ、「どうして先生の言うことが聞けないの、あなた駄目ね。」と言われるようなことが増えてくると、子どもとの間には不信感しか残らない。たとえば、名前でも木下と書いて、我々は「きのした」と読みます。ところが、自閉の子は「きした」と読みます。「の」が入っていないから「きした」と読む方が正しく、我々の方がいい加減なのですが、自閉の子がそれを見つけたとき、「変わっているなあ、この子は。」と見る先生と「なるほどなあ。」と共感してくれる先生なら「木下(きした)と書いて木下(きのした)と読むのよ。」と教えられても、自閉の子も納得いくのですが、「変わっているなあ。」と見る先生では、基本的にその次に教えられようとすることが、受け入れられなくなり、教育にならない。
 また、かなり言葉もあり理解力のある子どもに「日記を見せてね。」という。すると、子どもが日記を持ってきてくれたので、開いて見かけると、「読んではいけない。」と怒る。我々にとっては、日記を見るということは日記を読むことであるが、自閉の子どもの場合は見るだけのことで読むことではないのです。だから「日記を見せてね。」と言った次に「日記を読ませてね。」と一つ一つ言ってあげなければいけない。そして、それができれば必ずほめてやる。たとえば、予定が変更される前に何度も何度もそれを伝える。そして、それがパニックを起こさないで受け入れたら「○○ちゃん、分かったのね。」とか「良くできたね。」とほめてやる。
 はじめは大変な努力がいるが、子どもが「何だこんな事でほめてくれるのか。」と感じるようになれば後は簡単です。適当にそのような要求をすればよいのです。
 しかし、うまく指示が通るようになっても、この子には本来大変なことを要求しているのだという気持ちだけは忘れないようにして下さい。できて当たり前になってくると、子どもの気持ちを無視して次々と要求し、ついにパニックを起こさせ、元の木阿弥になってしまいますから。
 このように、この時期は、半受容半指示の時期で、子どもの状態に合わせて指示をしたり、できなくても受け入れたりすることが必要です。
 
それ以後のかかわり
 次に、三才の節目ですが、原則的には三才の節目を越えれば、基本的なしつけはしっかりしなければならないということです。
 この頃のしつけにとって大切なことは、我慢ができるようになるということです。この我慢ができるということは、自分がしたいことを時間・空間的に後ろにずらすということです。たとえば、部屋で子どもが走っているとき「いけません。」と言いますが、それは部屋で走ってはいけないと言うことで、本当に走ってはいけないと言うことではありません。運動場や広場ではしっかり走りなさいということです。このことが自閉症児には、わかりにくいのです。
 そのために必ず「部屋で走ってはいけません、運動場で走ってもいいですよ。」とか「今はいけません。お昼ならいいですよ。」と言ってやることが必要です。そして、走ってよい場所もある、走ってよい時間もあれば、悪いときもある。それは、場所や時間などによって決まるのだということが、わかるように指導するということです。このことは口で言うほど簡単ではありません。
 たとえば、「運動場でなら走ってもいいですよ。」と言っても、朝礼をしていたりして、走ってはいけない場合もあるのです。
 自閉の子は、汎化が非常に難しいので、「このときはこうだからこうなのよ。」といちいち連れていって具体的に示して教えなければならない。
 だから、できるだけ具体的に説明して、教えていくこととともに、常に変化するものを使って遊ぶことも大切です。
 たとえば、粘土遊び!粘土遊びは型が決まっていなくて、何でも作り変えることができるので、自閉の子どもによいのですが、それをさせようとすると、「粘土がついたら嫌や。」とよく嫌がる。ある時、私のところで「汚いから嫌や。」と嫌がる子どもに、学生が「後で洗ったらきれいになるでしょう。」と言っていた。子どももしぶしぶ粘土をさわっていましたが、私はそれを見ていて学生に言いました。「後で洗ったらきれいになるでしょう。」というのでは、粘土遊びは汚い物だという気持ちがついて回り、遊びがどうしても表面的になってしまう。それより「お姉ちゃんと一緒にしようね、楽しいよ。」と言い、それが楽しいものだとわからせていく方が、次の段階へ発展する。ある程度の言語が出てきて、表面的なことはできるが、深まっていかない場合がよくあります。それを突破するためには、日常生活のなかで、「お母さんとしようね。」「お母さんとできたら嬉しいわ。」「この次もしようね。」と言葉と同時に気持ちも入れていく。気持ちが言葉に投入できない場合は、手を握るとか、肩をたたくとか、そうしたことが年齢が大きくなっても必要です。
 子どもは気持ちが通じ合うようになったとき、自然に人の表情を見るようになってきます。注意して人の顔を見るということが言語につながり、人の行動を見るということが順応性につながる。子どもが相手の行動から、その意味をくみ取れるようになるところまで、お母さんはがんばって下さい。
 気持ちが通じ合い、受け入れあう機会が多くなってくると、どこででも受け入れられるようになってくる。相手の気持ちをくみ取ろうとすることが、表情を見ることになり、言語をより正しく聞こうとすることになり、自分の行動を相手にどう伝えたらよいかということを考える基礎になります。
 その基礎がしっかり固まると、相手の嫌がることや要求されていない行動は、自然になくなってくる。相手の気持ちを受け入れようとすることが、自分の要求をおさえることにつながる。同時に、自分が注意されることは、時間や場所を考えれば許されるのだということがわかってくるようになります。
 それがわかるようになると、社会的ルールが守れるようになる。そのためにはまず、具体的な経験が必要であり、具体的な経験から抽象化へと発展させる。
 そして時間・空間の概念が理解できるようになってくると、今までの経験をもとに、自分の行動が周囲に適応し、受け入れられるためにはどうすればよいかわかってきます。
 そこまでお母さんは、苦しいですが、がんばって下さい。そのためには親をはじめ学校の先生・医者・心理その他みんなが手をつなぎ、心をあわせてともに学び、育ち合う気持ちが必要だと思います。
 
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