第3回講演会                  1982年
於 高砂勤労会館
「自閉症児の治療と教育」
聖マリアンナ医科大学 中川 四郎 先生
零歳から一歳半くらいまでの段階
幼児期段階
小学校段階
中学校段階
義務教育終了後の年長者の段階




 




 
 
零歳から一歳半くらいまでの段階
 自閉症の定義は、最近、初めの頃言われていたのと非常に違って参りまして、昔から言われてきたことからは、180度回転してきています。早期徴候と言って、生まれてから歩き始める頃までに、何らかの徴候が出ている子どもがいる。出ていても、お母様方が気がつかないことがある。たとえば、赤ちゃんの頃、お母さんが抱くと、目があってお母さんの顔をじっと見たとか、または抱くと、抱かれようとしたかを聞くと、お母さんは「ええ」と言うが、第1子の場合、子どもというものが、母親に対して、どんな態度をとるものかよくわからないお母様ですと、異常がなかったように思われるのですが、詳しく聞いてみると、すでにそのとき、多少、何らかの徴候を持っている子がかなりいる。
 だいたい赤ちゃんは、まもなく、目標を持って目の前のものを目で追います。2〜3カ月でものを見ます。それがもしないとすると、何か問題があるお子さんになるし、それから、3カ月位すると笑います。そのときに、お母さんがあやしてもいっこうに笑わない。赤ちゃんを抱こうとすると、抱かれようとする姿勢を示すが、それがなく丸太ん棒でも抱くような感じがする。もし、そうであれば、それは何か赤ちゃんに多少問題があったということになる。8・9カ月になっても、全く人見知りをしない。または人見知りが強すぎる。また、なかなか夜寝ない。昼寝るなど、睡眠のリズムが良くなかったという子がいる。それから9・10カ月、あやすと喜んで、オツムテンテンとか、イナイイナイバア等をすると、非常に喜んでキャッキャッと喜ぶものですが、これがどうも反応しないということが気づかれると、普通の対人関係を持った子とは、ちょっと違うということになる。また、ほとんどの自閉症の子は、立つのは普通にできる。歩くこともよくできる。高いところへ上がったりもする。大きな運動についてはよくできるが、細かい手先・足先を使う運動をするのがうまくない。お母さんに甘えたり、働きかけに対する反応がない。つまり、人間対人間の接触が持ちにくいし、勝手なことをしている。耳が聞こえないのではないかと疑われたりする。この人間関係が持ちにくいということが、大きな特徴になってくる。
 自閉症児の中には、非常に動きの多い子と、あまり動かないこといるが、動きの多い子というのは、本当にめまぐるしくて、今そこにいたかと思うとこっちにいる、そして、どこかへ飛び出してしまうということで、お母さんが苦労なさる。
 
幼児期段階
 自閉症を初めて研究して発表したアメリカのカナーという人は、同一性の保持といって、周囲の状況が変わることが非常にいやである。お母さんの着物が変わったり、自分の遊んでいる部屋の様子が変わったり、お客さんが来たり、新しいところへ行くとか、つまり、新しい状況におそれを持つというのが、特に小さいときに見られる。
 4歳くらいの自閉症児をお母さんが手を引いて歩いていて、雨があがって、水たまりができたので、そこをよけて通った。そして次の日、そこを通ったとき、もう水はないのに、わざわざよけて通ったというくらい固執する。自閉症と言っても千差万別であって、およそ、その共通したものはあるが、一人一人の子どもについては、かなり違いがある。ある子について言えることが別の子には当てはまらない、というようなことが共通しているものもある。幼児の頃については、対人的なこと、ものごとにこだわるということ、もう一つ大事なことは、言語がなかなか出てこない、言葉が出てこないので、相談に来るお母さんが多いのですが、言葉が出てきても、その言葉がひとりごとであったり、意味がわからない言葉をしゃべる、また、テレビのコマーシャルをしゃべるのだが、意味がわかっていっているのか、どうかわからない。ただ、それをまねしていっているだけで、言葉をコミュニケーションとして使わない。
 自閉症児の中には、かなり幼児の頃から言葉を持っている子がいるが、会話としての言葉が非常に少ないのが普通である。言葉が十分に使えないので、動作でお母さんの手を使って、クレーン現象で自分の要求をする子もいます。これは、知的障害児などには見られない自閉症児の特徴である。多少会話ができるようになっても、人称名詞がひっくり返っていたり、何かものをちょうだいと言うときに、あげると言ったり、お母さんの言葉をオーム返しにして使う。反響言語と言うが、知的障害児にはあまり見られない、これも自閉症児の特徴である。時には時間がたってから、時には何日かたってから、前に聞いた言葉を繰り返すことがある。遅滞性反響言語といって、相手に聞かせるための言葉ではない。これが自閉症児の言葉の特徴であって、相手と対応できる言葉になってくれば、非常に発達してきたと言える。ただ、遅れているというのではなく、特殊な言葉の特徴を持っているのが特徴でもある。もう一つ、自閉症児の中には特別なことに非常に興味を持つものがあり、私の知っている例で、4歳児で文字に興味があって、自分の家の前のお店屋さんの看板をみんな読んでしまう。別に教えたわけではないのにみんな読める。また、漢和辞典に興味があって、いつもポケットに入れて見ている。だからその子は辞典に書いてある字がみんな読める。私たちには考えられないくらい、漢字を知っている。しかし、字を使おうとしない。文章を書くとか、綴ることはしない。私が10何年か前に知った男の子は、うどんを使ってABC等の字を書く。私は、この子はずいぶん良くなるのではないかと思ったものだが、いまだに同じようなことをしている。一度何かにとらわれると、非常に固執する。また、数に興味を持って、カレンダーなど数字の並んでいるものとか、また並べるとかに興味を持つ、このように特別なことをやるので、昔は自閉症児は、隠れたある種の才能を持っている、今に独り立ちできるに違いないという仮説を、カナーという人は立てたが、ずっと見ていると、なかなか普通の状況にはなってこない。いろいろな知識を持っているが、単なる興味・知識に止まってしまって、発展していかないところに問題がある。子どもの発達を考えるとき、どんな療育をしたかということによって違ってくるのであって、幼児の頃に言葉をはっきりと教えていくこと、生活習慣の自立、食事とか着脱衣とか排泄とをできるだけ教えるということが大事です。できれば保育園・幼稚園なりに入れまして、集団の中で一緒に同じことをしなくてもいいのです。入った当初は、うろちょろして決して他の子と同じことはしない。勝手なことをして動き回っているので、保母さんは非常に困ってしまう。そしてお母さんについてもらって、飛び出そうとしたら押さえてもらうとか、いろいろやって3・4カ月ぐらいすると、だんだん皆と同じことをやるようになってくる。これはやっぱり集団の力というか、他の子の様子をそれとなく見ている。全く関心がないようにみえるけど、実は見ている。そして、そのうちに他の子と同じことをやるようになるし、中には園では何も言わないけれど、家に帰って幼稚園で唱った歌を唱ったり、また、「○○ちゃんは来なかったよ。」と言ったりする。その子と遊んでいるわけではないんですが、ちゃんと見ているのですね。
 自閉症の本体というものは、最近だんだん解ってきたんですが、何らかの脳の働きに問題がある。脳障害という言葉を使いますと、少しどぎつくて、何か脳に傷でもあるんじゃないか、壊れているんではないかと思うかも知れませんが、そうではなく脳の働きにうまくいかないところがあって、そのためにいろんなことが、十分に感覚認知できない。それと運動がそれに結びついている。私たちは運動するとき、足をどのくらい出したらいいのか、手をどのくらい出したらいいのかを、自分でもって感覚的に知っている。だから出しすぎたり、足りなかったりしないわけです。つまり、感覚によって運動がスムーズに行われる。この感覚にはいろんなものがありますが、まず目ですね、視覚、ものを見る。それから聴覚、音を聞く、臭う、嗅覚、味覚、皮膚の感覚、触った感覚、皮膚の感覚には、触った感覚、痛覚、温度感覚があって、それから筋肉を動かしますと、筋肉の感覚が私どもにわかるわけです。それから関節ですね。関節が伸びてるとか、曲がっているとかは、関節からくる神経が脳にその状態を教えているわけです。それから平衡感覚があります。私が今まっすぐ立っている。傾かないようにうまく自分で平均に平衡をとって、頭の中でまっすぐ立っているように、絶えず修正しているわけですね。これがうまく働きませんと、平均を取ってうまく運動することができないわけです。こういったことがいろんな感覚の集まり、身体の内部、内臓にも感覚がある、胃が痛いとか、お腹が痛いとか、おしっこがしたくなるとか言うのは、いろんな感覚が絶えず脳の方へいっているわけです。それを脳がうまく統合させ、一つにして、その中から必要なものを選択して、そのとき、そのときに応じて反応する、統合がうまくいかないで、バラバラになっていますと、これはどうしていいかわからない。自閉症の感覚というのは、非常に特異で、ある点では非常に敏感であり、ある点では非常に鈍感なんです。これは小さな音でも、自分が嫌だなと思う音は聞こえたりするんです。そして、耳をふさいで嫌な顔をする。そのくせ、大きな声で名前を呼んでも知らん顔をする。特に感覚にはアンバランスなところがあるんです。一般に、自閉症児の働いているのは不均衡なんですね、あるところは非常によくできるのに、ある点ではできない、なぜこんなことができないのだろうかと思うくらいできない。一方ではかなり高い能力のことをやってのける、この不均衡なものが自閉症児の特徴です。
 最近、行動療法という治療法が各地で行われていますけど、これを使いまして、言葉を教えるということをやっていますが、言葉を覚えるということは、発音を覚えても何にもならないわけです。言葉の持っている意味を覚えなくては何にもならないわけです。たとえば、リンゴという言葉は、何を意味しているのかを覚えなければ、言葉を覚えたことにはならない。ただ発音を覚えたにすぎない。それではだめなんでして、そういう発音だけ一生懸命覚えさせても、これは本当に言葉を教えたことにはならない。それでは、リンゴという言葉を教える時に、実物のリンゴを見せて、しかも、一つのリンゴではなく、いろんなリンゴ、大きいリンゴ、小さいリンゴ、形のいびつなリンゴ、これはみんなリンゴなんだよということで、「リンゴ」よと教えていく、概念の形成ということで、つまり、リンゴという言葉は実物のいろいろなリンゴから共通したものを抽出して、リンゴという概念ができてくる、言葉とは、すべてそういうもので象徴するということです。ですからただ一つ、ものを教えるんでなく、このリンゴ、あのリンゴと、いろんな形をもって、絵に見せたリンゴもリンゴであるというふうに、リンゴという言葉はどういうものだということを認知させていくことが大事なのであります。そして、リンゴ・バナナ・ぶどう、そういうものがみんな集まると果物という、さらに上の概念になるわけです。
 そういった言葉の指導、さっき話しました感覚と運動の指導、この感覚と運動は切り離せないものでして、運動するためには感覚が必要だということになりますので、いろんな運動をさせる。その運動はできればお父様が時間を見て、5分か10分、一日のうち走るのもいいですが、台の上へ登ったり降りたり、できればハンモックの中に入りまして揺さぶると、体の平均をとるわけです。丸太か何かを半分に切って、断面が半円になっているようなものに乗っかるとぐらぐら動くわけですが、そういうところへ乗せたり、あるいは一本足の木の椅子を作りまして、その椅子に腰かけさせる。これは調子をとらないと腰掛けることができません。つまり体の平衡を取るような運動というものが大事なのです。さらに平衡というのは、小脳それから前庭というメローというところが耳の中にありますが、そういうところからきている神経からうまく調子をとってやらなければならない。
 自閉症児というのは、先ほど申しましたようにそういう平均を取る運動とか、手を細かく使う運動、はさみでものを切り抜いたり、塗り絵をはみ出さないように塗る。そういう手と目をうまく使ってする細かな運動が苦手な子が多いようです。ですから、これを練習させていくのがいいわけです。豆をつまんで皿から皿へ移すとか、さじを使って皿に移すとか、手先をうまく使う運動が重要になってくるわけです。この平衡運動とか、協調運動、右手、左手で違う動作をする。これが重要で、左右の脳の働きは、左の脳は右の手足を動かす、言葉は右と左の両方の脳によって働いている。
 自閉症の一番の問題は、相手の言葉の意味がわからないということです。言葉の意味の理解がうまくいかないことが多いので、こちらが何か言って向こうが解っているように見えても、本当に言葉が解っているかどうかということをよく確かめて欲しいんです。でないと、相手の解らないことをしゃべっていても、本人が入っていけない。たとえば、新聞を取って来てくれと言う、取ってくる。これは言葉が解る。ところが次にいきまして、あそこに新聞があるから取ってこいと言っても、取ってこられない。つまりあっちの方を指していったから、動作に反応してあれを取ってくればいいと推察したわけです。ですから、ある小学校で鼻という言葉を教えようとしたわけです。これは大事なことで、目とか鼻とか口とか、自分の体の部分の内容を覚えることによって、自分というものの体がわかる。身体の認識というものが解って、自分というものが他人と別にいるんだと、自己認識ができてきます。この先生も鼻ということを教えた。それで、「鼻に触ってごらん。」と言うことが解っていると思った。ところがある授業参観の日、ある人が顔を出すと、ちょこんと指で鼻を触った。つまり顔を出したから触ったので、顔を出すという動作に、鼻を触るという反応が結びついたのであって、「鼻を触ってごらん。」という言葉に反応したのではないということが解って、愕然としたわけです。そういうことが往々にしてありますので、言葉がどのくらい解っているのかということは言えない。言葉は理解から始まる。理解ができなかったら、説対に言葉は出てこない。ですからどのくらい言葉を理解しているかが重要な問題です。
 
小学校段階
 小学校に入りますと、普通学級かちえおくれの特殊学級、あるいは情緒障害児学級、東京都あたりでは、大部分の子どもが情緒障害児学級に通っているわけです。これは通級制と言いまして、普通学級に籍を置いて、週2回ほど、この学級に通っているわけです。そこで、先生は何を教えたらいいか、場合によってはちえおくれの学級に入って、そこで教育を受けている自閉症児もいるわけです。その場合に、私がこういってはもうしないんですけど、日本の小学校の教師で、そう言う自閉症児を本当に教育できる方はまだ少ないんではないか、情緒障害児学級の先生は専門ですから、かなり勉強してやっていらっしゃいます。けれど、普通学級や知的障害学級では、なかなか自閉症児に対する本当の教育がなされていないように思います。それは日本の教育の欠陥で、日本の教育というのは集団教育なんです。ヨーロッパあたりでは個別教育というのが発達していて、1クラスの中である時間に、ある子どもは算数をやっていたり、絵を描いていたりすることが、平気で行われているわけです。その子どもの個性に応じて、教育しているわけです。日本では一斉教育ですね。ですから、普通学級での学習についていけない自閉症児は、その時間は何もやることがない。先生の中には、かなり関心を持っていらっしゃる方がいて、特別に問題を出して絵を描かしたり、簡単な文字を写さしたりしている先生もいらっしゃるんですが、これだけでは不十分です。どうしてもその子どもと、さっき言ったような運動感覚を、みっちりと小学校時代には訓練していくことが非常に重要なんです。ですから、あまり早くから文字や何かを無理に教えても、さっきの言葉と同じです。絵は描けるけれど、全く意味がわからないということが起こってきます。字をたくさん書くし、字もたくさん読めるけれど、その文字を使って文章をつづることができない。日記でも書けるようになってくれば、これはかなり言葉がわかってきた。文字がわかってきたとみていいんです。ただ文字を書いているだけとか、算数にしましても、ただ紙の上での計算をしているだけでは役に立たない。実際の応用問題と私たちは言っていますが、実際問題に当てはめて、数の概念をしっかり覚える。これは買い物なんかを実際にさせて、いくら払ったら、いくらお釣りがきたとか、実際的な数の使い方が重要になってくるわけです。そういうことをやらせるためには、やはり40名の学級ではとてもできませんし、情緒障害児学級で、そういう時間をもってやらせていくことが必要です。文字を教えるにしましても、たとえば「の」という字を教えるとしますと、この場合にただ字を書いて、「の」というだけでなく、これを布とか、ざらざらした紙で切り抜くわけです。あるいは、板に「の」の字の溝を掘ってそれを指で触らせながら、「の」と確認させるわけです。これは視覚と聴覚だけを使うより、はるかに有効なんです。そうしたいろいろな感覚を使って、自閉症児は触覚というのが大事ですから、それを利用して教えていく。そうしたことをやるためには、今の小学校教育でいいのかどうかということを、もう一度お母さん方に点検していただきたい。先生と話し合って、自閉症児の小学校教育とはいかなるものかということを考えることが必要ですし、それから合宿とか運動会とか行事がございますね。小学校ではああした経験が重要です。ああいう経験の中で、皆と一緒に何かやる。共同でやるということも重要ですし、もう一つは自閉症児は抽象機能、たとえばごっこ遊びが苦手なんですが、ごっこ遊びというのは、実際そうでないものをそう見積もってやるわけですから、仮に見積もるということが自閉症児には非常にできにくい。たとえば紙を利用してお金として使う。「これは紙じゃないか、お金と違う。」ということになる。自閉症児には「これを仮にお金とするんだよ。」と言ってもなかなか理解できない。そのためにごっこ遊びができない。これも簡単なことからだんだんとやっていくことが、抽象能力を養うために大変必要なことです。
 
中学校段階
 中学校段階になりますと、一番厄介な問題に、一つは性の問題が出てくる。その頃までにかなり言葉が出て対人関係がついてきた子どもはいいのですが、その頃になっても、まだ対人関係がつかない、言葉も非常にもどかしい、学級内の適応はもちろん一般社会での生活に不安があります。自閉症児というのは、言葉が出ていなくても、さっき言ったように、おきまりの形で生活していくと割合うまくやるんです。朝起きて歯を磨く、顔を洗う、服を着る、カバンを持って学校へ行く。決まりきった毎日ですと、割合適応していきます。しかし、ちょっとはずれますともうだめで、物にこだわる癖はなかなか抜けません。ある子どもは本のページをペラペラめくる癖があるのですが、中学校段階になっても、まだそれをやっている。これは、あまりひどい場合は取り上げてしまわなければなりません。本人があまり不安になるようでしたら、また少し与えてもいいですが、できるだけそれは取り上げてしまって、やらせないようにする。そういうことをやるのは、本人が他にやることがなかったり、何か自分の思うようにならなかったり、欲求不満があったりする場合に、そういう固執行動が現れてくることがあるし、中には、自傷行為といって自分の手を噛んだり、顔を引っ掻いたりすることがあります。
 固執行動が中学校段階でひどくなってくる子もおります。これはひどくなりますと、強迫状態とか強迫行為と私ども精神科の方では言うんですが、何かそれをやらないと気が済まない状態、これは人に脅かされるという状態ではなく、何か自分がやろうと思ったら、それを繰り返し繰り返しやらないと気が済まない。ある子どもはお風呂にはいるのに時間がかかり、洗う順序も決まっていて、一回洗ったんでは気が済まなくて、同じところを何回も何回も洗う。お風呂に何時間も入っている子どももいますし、また、出てから着物を着るのが大変で、いったん着て、また脱いで着直す。それからある子どもは部屋にはいるとき、パットはいらずに、いったん敷居をまたいで入るんですが、また入り直す、外でウロウロしているわけです。このような固執行動が残ったり、出て参りますと非常に困ることがあります。自閉症児が大きくなって、かなり能力があって作業ができたり、職業に就いたりする子どもがいますけれど、その場合、仕事は知的障害児以上にできるんです。やることも正確です。ですが、そうした異常行動があるために困ることが多いんです。これはある作業所の所長さんに言われたんですが、「この子は普通の子の3倍くらい仕事をするんですよ。でも独り言をぶつぶつ言ったりするんで、周りの者が気味悪がって困るんだ。それでお断りしたんだ。」とおっしゃった。だから、そういう子どもを周りの方が理解して受け入れてくださる場所がどうしても必要なんですね。
 もう一つ、先程申しました性的な問題ですが、これはだいたい中学上級生から高校くらいにかけて、目立つ子はかなり目立ってくるんですが、この特徴は普通の若者が異性に好感を持って、まあ恋愛感情みたいなものを持つのとはいささか異なっておりまして、何かまあ絵のようなものがある。異性の歌手や俳優に興味を持ったり、あるいは同級生の女の子に触ったり、そういうことをやりますが、いわゆる恋愛感情とはちょっと違います。ただ、性的な欲求といいますか、これはやっぱり人並みに出てきますので、自慰行為が始まってきまして、それも意味がよくわからなくて、人前でも平気でやったりする子がいます。知能の少し低い子どもさんがよくやったりしますので、人前ではやってはいけないということを教育していかなければいけません。
 次にてんかん発作が起こってくる子どもがいます。だいたい小学校高学年から中学にかけて、てんかん発作が起こってくる子は、だいたい20〜25%くらい、これは脳波を調べれば、その前に脳波に異常が出ているので予測はつくのですが、知能の発達が遅れている自閉症児に、このてんかん発作が出てくる確率が多いです。知能の高い子はあまり起こしません。てんかん発作を起こしてくる、あるいは持っている自閉症児はどうも知能の発達が良くないと考えられます。これは子どもの時、2〜3歳の時、脳波を調べてもらってもわからないです。これは取り方にもよりまして、あの頃は深く眠らせて脳波を取りますから、細かいところまではわからないですが、だいたい7〜8歳以上になってきますと、脳波に異常か、てんかんの波が出てくることはよくあります。私の見る場合でもすぐ薬は出しません。様子を見まして、あまり脳波が悪くなってきて、今度発作を起こすのではないだろうかと心配がある場合、予防的に薬を飲みなさいとお母さんにお勧めいたします。 もう一つは、脳にそういう障害があるということは、脳の発達を遅らせている可能性があるわけですね。その障害が・・・、ですから適当な薬を作って、その障害を押さえていくということは脳の発達をよくするということになりますので、薬をあまり怖がらずに、お使いになった方がいいですね。将来、自閉症児の脳の障害が医学的に解明され、もっと治すいい方法が見つかるかも知れませんが、現在のところ、脳の障害を医学でもっと治す方法はありません。ただ、脳の発達にいいと思われる薬を使ったり、脳の循環をよくすると思う薬を使ったり、害がないという条件の下に使っているわけですけれど、てんかん異常の波を持っている場合は、私は使った方がいいだろうと思いますし、それによって発達が促されるし、行動も落ち着いてくるということもあります。
 
義務教育終了後の年長者の段階
 義務教育を終えまして以後ですね、中学校を終えてどうするかといいますと、養護学校の高等部とかあるいは作業所とか職業指導所とかへ行くことが多いですね。その子どものもちろんそのときの能力によって、かなり違ってくると思いますが、いずれにしましても、社会に出ていって、いろんな人とおつきあいをするということが出てくるわけです。次に自閉症児だけ集める施設ですね。今親の会の方々で熱心に作っていらして、三重県の津にできましたが、こういった施設があちこちにでき、自閉症の施設として、大きくなった年長の方を入れるということは、確かに悪いことではありませんし、もちろん自閉症の療育についてはベテランの方が指導者になってくると思いますし、その点では非常にいいわけですが、これは障害児教育全般について言えることですが、最近の世界の動向は、同じような種類の障害だけ集めているということはあまり良くないと言われてきています。いろいろな種類の障害のある子ども、あるいは健常な子どもを含めた集団の中でやる方がよい。ただし、あまり重い場合は健常な子どもと同じようにできませんから、ある意味では知的障害児と多少一緒にやるとか、まあ、視覚障害、聴覚障害、知的障害、自閉的な子を一緒にして教育しているところもございます。お互いに自分が持っている障害、相手が持っていない障害というもので、いろいろな影響を受けまして、そこで発達が見られるということがあります。自閉症だけ集めるということも、まあ今の日本ではやむを得ないですね。適当なものがありませんから。理念として、自閉症だけ集めるというのはあまり賛成ではありません。
 自閉症の研究家にラターという人がいますが、この人の自閉症児が大きくなると、どんなになるかということを調べた研究がございますが、何とか、社会に入り仕事をやっていけるのは、全体の4分の1、25%くらいだと言っています。しかもそのうち、給料をもらってちゃんと働いているのは、ほんの数%だそうです。あとの4分の3は、特別な事業所へ通っている者が4分の1、家庭に残っているのが4分の1、その残りは、精神薄弱施設あるいは精神病院へ入っていると言っています。これは1973年の研究結論ですので、最近は幼稚園時代からしっかりとした教育、療育ができる時代となってきましたので、おそらく将来はもっと見通しが明るいと思いますが・・・
 自閉症に必要なのは医療と教育と福祉ですが、医療というのは、ただ薬を飲ませるという意味ではないんです。脳にどんな障害があって躓いているのかきちんと診断して、それに応じた教育をやっていくというのが医療の一つの大きな役割です。そういうことをやる先生がやっぱり必要なんですね。ちゃんとした診断評価をしてくれる先生、そういう専門の先生がいらっしゃるところで、適当な年齢、小学校、中学校、高校の年齢で、きちんとした診断をして、できれば教師が親御さんと一緒に方向付けをするということが必要であると思います。一度はやはり、17〜8歳頃にそういう検査をやって、その子が現在どこまで発達しているか、どこに問題があるか、これからどうしたらいいかということを、専門家が集まって親御さんと一緒に話し合うことか必要だと思いますし、そういう施設があることを希望するわけです。
 私は、この親の会の役割というものはいくつか有るでしょうが、一つはそういうきちんとした親の会の守り役、相談役になってくれる医師なり、アドバイスしてくれる人を、親の会で持つということ、そこに行けば何でも相談にのってくれる、是非そういう方を探していただきたい。地域が広いですから、何カ所かにそういう人をつけていただければ非常にいいと思います。もう一つは、親の会の方々が自分の持っている悩み、あるいは疑問をお互いに話し合うということ、これは慰め、勇気をもたらします。私は十数年前に、胃ガンとはっきり医者から言われまして、手術を受けたわけです。そのときに一番頼りなったのは、医者でも看護婦でもない、同じ病気の方です。大部屋にいまして、他の人は私が医者だということを知らないわけです。私にいろんなことを言ってくるわけです。つまり、一番自分にぴったりするんですね。やはり、同じ悩みを共にしている者がそこで話し合ったり、交流しあうということが非常に重要なことで、生きる勇気をつけてくれる。これは先の長い話で、10年、15年、一生、そういうお子さんとつきあって行かなくてはならないのですから、決して、途中で息切れしてしまわないように、まず緊張しすぎてはいけない。余裕を持ちなさい。適当に遊んだり余暇を作ることも必要です。
 もう一つはお父さんに、是非、お母さんに協力してあげて欲しい。お父さんの役割というのは、お母さんを慰めることです。お母さんを支えることです。お父さんはなかなか忙しくて手伝うことができないかも知れませんが、できれば先程言いましたように、時間があれば一緒に運動するとか、多少鍛えるということをやっていただくことも重要ですし、そういう意味で、夫婦の役割をみなさんもご討議いただきまして、こういう子どもたちの将来が少しでも明るくなるようにお願いしたいわけです。
 
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