第2回講演会            1981年4月19日
 
第二回総会 記念講演
大阪赤十字病院精神神経科  川端 利彦 先生
はじめに
遊戯療法のかかわり
三つの障害観
子どもとつきあうということ



 



 
 
はじめに
 私は精神科の医者になって、21年になりますが、初めて、自閉症と呼ばれる子どもに出会ったのも20数年前です。ですからその子どもさんはもう30才近くなっているわけで、振り返って考えると、その間、私自身がずいぶん変わってきたなあと思います。いろいろな子どもとつきあうことによって、お母さんとか子どもを世話する人に接して大きく変えられたと思います。
 まず最初に「自閉症」という子どもがどのように見られてきたか、ご存知のように「自閉症」という名を付けたのはアメリカのカナーという学者なんですが、戦後、日本に「自閉症」といわれる子どもがいるとささやかれ始め、私も「近江学園」に自閉症の子どもがいるということで、出かけていってその子に出会った記憶があります。その当時、「自閉症」というのは二つの考え方で見られていて、一つは最初のカナーの意見と同じように「自閉症」というのは子どもの時に出てくる精神病なんだということで、精神病という理解の中の中から、治療・教育は大人の精神病者に行われている同じ処置がなされ、薬・電気ショック療法・インシュリン療法がされてきたんですが、全く効果がなく、ではどうすればいいのかということになって、ちょうど、その少し前から「自閉症」にもう一つの理解が生まれ、すなわちこれは「情緒障害」だということです。「情緒障害」という言葉を正確に申しますと、その子どもの育ってきた環境の中で”自我”というものがうまく成長しきれなかった、そういった子どものなかのひとつが「自閉症」であるということです。しかし、この自我はほとんどの人が育ちそこねた部分を持っているわけで、特に自我が弱い子どもであるということが強調され、人間関係を回復していく治療、プレイセラピーが唯一の治療だといわれた時代です。しかし、このプレイセラピーもあまり役に立たないんだという考えが根強くなってくる中で、今度は自閉症児は言葉の障害であるから、言葉の治療が一番良いのだと言われた時代になり、その後、どうも言葉だけではなく何か他にもあると言われ始め、ごく最近では自閉症というのは脳の障害だということがごく当たり前に考えられるようになってきている。そこで脳の障害だったら薬が効くんだというわけで、薬が登場してきます。そして今ひとつ脳の障害であれば、そこから出てくる子どもの行動を積極的に変えていかなければいけないということで、行動療法(オペラント条件付け)が大流行し、あるいは感覚運動が必要だという人もあり(代表的なものがドーマン法)またある人は運動機能のアンバランス、指先はうまく動くのに、あるいは高いところに登るのが上手なくせに、何かやると変なやり方になってしまう。そこで”体操療法””水泳療法”と実に様々な療法が登場してきています。
 実は20年ほど前、「日本児童精神医学会」ができて、第1回に私が「自閉症」のことを研究発表して以来、毎年自閉症のことが問題になっていますし、世界中の文献を集めると大変な数になります。しかし、これだけ多くの人が研究してきて何が解ったのかというと、今から40年前の文献を読み直してみても、医学的には何ら新しいことが解っていないんです。それが何故、精神病から情緒障害になり、言語障害になり、脳の障害になったんだろうかというと、脳の障害を例にとっても、脳の障害であることが証明されたわけではなく、あくまでも仮説なんです。つまり、こう考えたら自閉症の行動に説明がつくということなんです。けれど医者が勝手に変えているのではなく、その時代に「子ども」がどんなふうに見られてきたか、実に「人間」がどのようにとらえられているか、すなわちその時代の「子供観」「人間観」がそのまま自閉症児の見られ方につながってくる。つまり自閉症児の治療の背景には、その時代の思想みたいなものが必ずあります。
 
遊戯療法のかかわり
 最初に私が自閉症児に出会った頃は、少なくても珍しい子どもの病気であったわけです。それで私も第1回児童精神医学会で自閉症のことを報告したんですが、その頃は自閉症のことを研究発表すると早く偉くなれるという風潮がありました。自閉症の子どもが診察に来ると大切にし、自分のあいている時間に予約し、遊戯室ではゆっくり見るというようなことを多くの人がやってました。その名残が今も続いているわけですが、医者の方は、自閉症のことを研究しても偉くなれないということで、そろそろ自閉症離れをしていますが、10年ほど前から大学院や大学の学生が私の所にやってきて、卒論のための指導を頼むという訳なんです。心理学の方では、今なお珍しい病気で面白いから立派な論文が書けるだろうということなんです。
 私自身、研究のためというのが一つありましたが、ちょうど、その頃、「遊戯療法」が流行していまして、おそるおそる子どもと一緒に遊んでみるわけです。最近”遊戯療法””精神療法”というのは下火になっていますし、私自身批判的なんですが、そのときの「遊戯療法」は私にとって大きな意味があったと思っています。医者というのは診察室にデーンと座っていて、来る患者さんに言葉をかける、あるいは聴診器を持って同行するだけなんですが、遊戯療法で子どもと出会うのは全然違うわけです。子どもは病院に来たという意識は持っていません。おもちゃはあるし、面白いところにやってきたという感じで、勝手に遊び始めるわけです。そこで私が「どうしたの?」と聞いても振り向いてくれません。それで私の方から「何して遊ぼうかなあ。」なんて話しかけていかなければなりません。私は今までそうした経験は全くなかったし、大学の医学教育の中で子どもとの遊び方を習ってこなかったし、本当に困ってしまい四苦八苦したわけです。遊戯療法という一対一のつきあいが始まったわけですが、一週間1回、あるいは、2回というやり方で続けたんですが、子どもがいっこうに変わらないわけです。走り回っている子どもは何回来ても走り回っているし、水に興味のある子、砂に興味のある子はそれだけなんです。その頃遊戯療法にいろいろなやり方があることを知って、いろいろやってみたんですが、そんな「やり方」がおかしいぞと思えてくるわけです。というのは、子どもをジッと見ていて、子どもの主体性に任せなさいということで、何もせずに一時間が過ぎてしまいます。ところがもうたまりかねて、子どもを抱きかかえて、くるくる回したりしてこちらも一緒に遊んでしまう。「治してやるんだぞ」ではどうにもならず、子どもと本当に遊んでしまう。すると今まで知らん顔をしていた子どもが、くるくる回しをしたりすると、上からパッと私の顔を見てくれるわけです。この子が顔を向けてくれたということで、「ほうっ」と近づけたり遠のけたり、ひょいとおろすと知らん顔していってしまうけれど、またぱっと私の方へ手をさしのべてきたんです。またやって欲しいんだなと、その時初めて、「この子とつながったんだ」という実感があり、それまでの私の子どもの見方が変わってくるわけです。自閉症だからどうしょうとかいうことでなく、その子とどういうところで遊んでみたり、出会うかということなんです。それで週1回の遊戯室での出会いでは物足りなくて、「この子は家でどんな遊びをしているのか?」「食事の時、どんな食べ方をしているか?」と気になり、家に行ってみたくなり、病院の帰りや日曜日に出かけることが多くなり、ある子どもがやっと学校へ入れたと聞くと、学校へとんでいったりしました。すると今までと違った子どもの姿がそこにありました。そして、その時初めて解ったんです。あまり効果がないのにお母さんが一生懸命プレイルームに子どもを連れてくるのが、その頃は、保育園・幼稚園・学校、どこへも自閉症児は入れてもらえなくて、ほとんどの子どもが就学猶予・免除になっていたんですね、週に1回か2回の病院の遊戯室が楽しみになっていたんですね。そうしたお母さんたちの中から、親の集まりを作ってみようということになり、全国に先駆けて、「大阪自閉症児親の会」というのができたんです。自閉症児親の会の最初の要求は、「遊戯療法をする場所を増やしてください。」という遊ぶところの要求だったんです。そうなると、遊戯室ではなく、幼稚園とか学校の終わった後とか、あるいは日曜日借りられないだろうかということになって、先生方とも話し合って、(その頃は幼稚園や学校も今ほど管理体制が厳しくなくて)借りることになって子どもたちが集まって、学生なんかも来てもらい遊ぶことをやってみたわけです。そのときから私は障害児としての自閉症児に出会ったと思いますし、病院へ来る自閉症の子どもなんて、ごく限られていたんです。そういうところの障害児の出会いというのは、少し余談になりますが、今年は国際障害者年になっています。国連の委員会の記録を見てみると、一般に障害というと身体の障害のことしか考えない人が多いが、心的に病んでいる人、あるいは精神面で遅れているというような問題をみんなが知るような活動を起こさなければならないと言っています。私は大変良いことだと思ったわけで、障害者の運動とか障害者の問題に関わってきている人が、障害者のことをごく当たり前に、「身体障害者」と言っているわけです。それでは「精神障害者はどうなるんだ」といろいろ言わなければならない。そしたら「そんなこと考えたこともなかった」とか「あれは別なんだ」という人がいて、「そんなことはない」といろいろ腹を立てなければならないことがたくさんあったわけです。
 
三つの障害観
もう一つは障害というものを三つの側面に分けるということです。一は、精神的・身体的に何か機能の障害があるということ、二は、そのために今の社会の中で生きていくのに能力の障害がある。三は、社会で生きていく上でいろいろの不利益を被っているということ、社会的不利をハンディキャップといっているわけです。
 国際障害者年で、まずきちっとしなければならないことは、障害者をよくするとか、機能的にどうこうすることではなく、何か能力の不足があれば、今の社会で生きていく上に不利になる。そういった社会のあり方を変えていくことです。もう一つは、今の社会は障害者向けに全く作られていなくって、文明が進めば進ほど障害者が生きにくくなってしまう。そうした社会は健全な社会とはいえない。老人は老人ホームへ行けというような考えは、人間として健全な考え方ではないといっています。私はこれらのことに共感を覚え、私自身、自閉症児との出会いの中で、こうしたことに納得できたわけです。医者が自閉症を何とか治してやろうなんて思っている間はだめなんだ、子どもの生活、今、子どもがこんなふうに生きていく上でどんなふうな不利な条件をもたらされているのか、また周りからどのように見られているのか、目を向けていくことが大切だと思います。そして「自閉症」という言葉自体が、子どもを生活自体から見直すという見方を邪魔しているような気がするんです。
 今から10年ぐらい前に、大阪市の児童相談所や他の機関の人たちと大喧嘩し続けたことがあるんです。母親が学校のことで相談に行くと、「学校は無理だから児童相談所へ行きなさい。」行ってみると、今度は「あなたのお子さんは医療ケースだから病院へ行きなさい。」と言われるんです。児童相談所のような福祉の機関で、子どもの生活のことを考えない。子どもは学校へ行かなくてもよいのか、毎日の生活はいったいどうするんだということがまず大切で、その上で医者が専門的に持っている知識をその子にどう生かせるか考えるべきで、それを自閉症は「医療ケース」だと決めつけている。そんなことで喧嘩したわけです。その頃から私どもの病院では「自閉症」という言葉を一切使いません。たとえば学校の先生から、「この子は自閉症と違うのか」という問い合わせがあったとき、私は「自閉症であると理解することによって、どのようにこの子の教育にプラスするとお考えですか、それよりもこの子のありのままの姿を理解する方が大切なんではありませんか。」って言うんです。
 私たち医者はどうしても症状、病気として見がちなんです。例えば自閉的な子どもの中に、小さいとき自分の手を噛んだり他人の手を噛む子どもがいますね。しかし、これは何も自閉的な子に限りません。お母さん方なら、どんな子どもでも噛む時期のあることをご存知ですね。誰かの手をきゅっと噛む、何か気に入らないことがあると自分の手を噛む、それが私たち医者の間で話題になると、「噛む症状か。」「噛む症状は自閉的傾向の子どもに多い。」ということになり、噛む症状に効く薬まで出てくるわけです。こうなってくると、子どもが噛んでいるという本来の意味が見失われてしまっています。噛むことの得意だった女の子がいました。その子はいろいろな事情で精神科の医者に預けられていたんですが、10才頃熱を出して倒れたんです。「おかしいぞ。」ということで、調べてみると虫垂炎が手遅れになっていたんです。痛みを感じないのか、歩き回っていてひっくり返ったときは、腹水がたまって大変だったんです。私の所に来たときは手術の傷跡がたくさんありました。その子は言葉が少しあって、何かというと「浣腸、浣腸」と言うんです。手術後、浣腸されたことを覚えていて言うんですね。最初、看護婦が夜着替えさせるのもされるままだったんですが、3ヶ月すると着替えさせて欲しいときに、パジャマを持って詰め所のあたりをうろうろ始めたんです。その頃から「噛む」という行為が始まったんです。すなわち、その子は着替えさせて欲しいのに、看護婦が忙しいので「後で」と言う。そうするとガブッと噛む、その後だんだんエスカレートしていって、自分の手を血が流れるほどきつく噛んだり、周りの患者さんも噛まれるので困ったなあと思っていたとき、一人の看護婦が「あの子はこの頃になって、やっと人とつきあってみたいと思っているみたい。普段はゆるく噛むけれど、放っておいたり、無視したりすると、きつくガブッと噛む、噛むことがあの子の人間関係の出発点ではないのかなあ。」と考えたんです。そこで彼女が「あんた急にかまんといてね。噛むときは前もって言うてよ。」と言ったんです。するとそれから、その子は噛む前には必ず「噛むでぇー」と言うようになったんです。すると周りの者もその子の顔色を見て、機嫌のいいときは「それ!逃げろ!」と患者さんと一緒に逃げたりしたんですが、その看護婦がやはり困るなあということで「今はダメ!」というと「明日噛むねん」と言うことになり、その後看護婦が着替えさせ、おやすみを言う前に、「もう噛んだらダメよ。みんな痛いんだから。」というと、「明日噛むねん」「いや明日もかまん方がええ」という状態が11才から14才、実に3年間も続き、もうダメかと思ったほどですが、彼女はとにかく噛むことを卒業したんです。その間に何があったか、人とのつながりがぐんぐん広がってきて、熱が出て寝ているときなんか、脈を診て「薬をあげようか」と立とうとすると「おって欲しい」と言ったり、看護婦が本を読んであげると、ジッと耳を傾けていて、2年ほどするといつも読んでもらっている「赤ずきんちゃん」を覚えていて、独り言を言ったり、「これ何?」「時計持ってる?」「今何時?」と質問を始め、だんだん込み入ってきて、「明日の四時は何洗い?」など聞いてくるわけです。私が何のことか解らないので、「何、言うてるの?」と聞き直すと、手洗いだったりしました。「噛む」ということを症状として、薬で抑えようとしたら、ダメだったんじゃないか、「噛む」ということが人とのつながりあう第一歩なんだと周りが受け止めた中で、いくらかんでもよいというのではなく、「今はダメ」と受け入れてから禁止していったことが実に良かったと思っています。
 
子どもとつきあうということ
 私は今話したようなことをふまえて、一番大切なことは、まず子どもとつきあってみることだと思います。自閉症の子どもが目の前に現れると、ほとんどの人が自閉症の勉強から始めようと本を一杯集められます。それ自体無駄であるとは思いませんが、出発点がそこにあるというのは根本的に間違っていると思います。本なんか読まなくても、子どもとつきあってみる方がずっと勉強になります。どういうことかというと、子どもとつきあうと、まず子どもに対して腹を立てます。そして、同じ子どもがすっとんきょうなことをしたら思わず笑い出してしまう。いつになく違うことをやれたら涙を流して喜ぶ。そんな怒ったり、泣いたり、笑ったりする中で子どもとのつきあいがあるわけで、子どもの世話をしていく場合、大人の都合によって、子どもをどうにかしょうというのではなく、子どもの側に立って、どうしてやればよいのかということを発見していくことができるんだと私は思います。お母さんの中には行き詰まったとき、簡単に直ぐに専門家の所に相談に行かれる方がありますが、専門家が登場するとろくなことはありません。専門家の言うことは、余程日常生活の言葉に翻訳しないと意味を持ちません。自閉症という言葉一つにしても何の意味もないわけです。「この場合、これこれこうだから自閉症なのだ。」と言われてはじめて意味を持ってくるのです。専門家の言葉をどんなふうにその子の生活の中に引き込んでいくか、それはお母さん一人ではできないと思います。そこでお母さん方同志のつきあいを大事にしなければと私は思うのです。それもよそいきのつきあいではなく、本音を出し合って、一緒に子どものことを考えていく、そんなつきあいが大切だと思います。
 私は自閉的な子どもと長いことつきあって、いろいろなことに気がつきました。自閉的な子ども、なぜあえてそう言うかというと、やはり成長していく過程でのある難しさを持っている子どもなのです。脳の障害であるとか、言語障害であるとか、そんなのはどうでもよいのです。とにかく自分の世界を持つのに必死なのだ。自分の世界を広げていくというのがとても難しい子どもなのだということです。だけど「こんな子どもは自分の世界を広げるのに無関心」だという人がありますが、これは絶対に間違いだと私は思います。その子どものやり方で自分の世界を広げようと思っているのだけれど、どうにもならなくて、砂いじりしかしないか、ガラスをがんがん叩くことしかしなくなったのであって、決して子どもはこれでいいと思っているわけではないのです。子どもとつきあっていると解るんですが、急に芽生える時期があります。風呂の中で洗っていると、今まで物を洗っているみたいだったのが、気持ちよさそうに体をもたせかけてきたり、怪我をしても今まで泣かなかったのに泣き出す。あるいは何でも物のにおいを嗅ぎ始めるとかいろいろな発見があります。
 そういうときに「ああ、この子は世界が広がり始めたんだなあ。」というふうに見なかったら、その子はやっぱり閉ざされてしまうのです。最近、私の所に小学5年生の養護学校に行っている自閉症の女の子が来ました。お母さんに「何で今頃病院に来たのですか?」と聞いてみると、「学校の先生が、この子がイライラして落ち着きがないから勉強ができない。とおっしゃるので、安定剤が欲しい。」と言われる。子どもを見ると紐をぐるぐるまわしながら、廊下へ出たり入ったり、机の上の珍しい物を手に取ってみたり、私が聴診器を持つと、さっと取り上げて振り回したりする。私が「貸して」と言って聴診器を当てると、その子は初めて座って服をあげるんです。「ちっともイライラしていないじゃありませんか、すごく楽しんでるみたいですよ。」とお母さんに言ったのです。その子は4年生の中頃まで何もしないぼんやりした子どもだった。時々ウロウロしたり、電話帳をペラペラめくるぐらいだった。5年生の夏頃から変わってきて、あれは何だ?これは何だ?と、取ってみたくなる。行動範囲がだんだん広がってきて、世界が広がってきているのであって、イライラしているのではないのです。ところが子どもとつきあったことのない医者は「イライラして落ち着きがないですねぇー。」と安定剤を直ぐに出してきます。その時期に安定剤を飲ませると、ぼんやりして、じっとしているでしょうが、大人になって、同じような行動が出てきて、困ることになってしまいます。
 以上のようないくつもの経験をふまえながら、今、私は20才を過ぎた自閉症と言われていた人たちと何人もつきあいがありますが、家がクリーニング屋さんで手伝いながら、年1回の合宿を楽しみにやってくる。あるいは授産所に行っていて、週1回は必ず遊びにやってくる人がいます。合宿の前になると、平素ほとんど言葉がないのに、「キャンプ、キャンプ」と言います。「キャンプで何が面白いの?」と聞くと、「ソフトボール」と答える。その子は皆とソフトボールをやってもウロウロするだけで、「おまえ、ライト守れ。」と誰かに言われると、その方へ行くのですが、すっと向こうへ行ってしまう。「違う。そこへ立ってるねん。」するとジッと立ってニコニコしていて、ボールが飛んでいくと「あっちへ行った。」なんて言うわけです。これでは何もならないみたいですが、その子はちゃんとソフトボールに参加しているわけです。授産所の職員に聞いてみると、キャンプから帰ると毎日、「キャンプでソフトボールした。」と言っているそうです。その子の場合、親・兄弟が彼を一人の存在として認め、その関係を保ってきたことがよかったし、時々「どうしてる?」と訪れてくれる友達関係があるんです。そんなふうにその子を認め、一緒にやっていくということが大事なんだなあと思うのです。思春期の頃にどうにもならない危機みたいなものがあり、あるお父さんは「もうどうにもなりません。」と精神病院に入れることを考えていたんですが、同じような子どもを持つ地域の若いお父さんに「そんなことはダメ!」と言われ、小学校の先生、中学校の先生と話し合い頑張って、今はその子は中学校を卒業し働いています。そうかと思うと、23才になる人ですが、小さい頃、大学の先生なんかから「これぞ、自閉症の典型だ。」とお墨付きをいただいたような子どもだったんですが、幼稚園にも行けたし、切り紙細工が上手でポスターのような絵も上手に描くし、言葉もずいぶんあり、プラモデルなんかも上手にしたんですが、養護学校の高等部までいき、その後どうにもならないということで、授産所へ行きだしたんですが、爪かみが指かみになって、どの指も血だらけ、どこにでも唾を吐く、豊かなその子の広がりの出発点になるようなものが見失われたような気がするんです。能力の点でできていた子どもがダメになる。どうしてなのかと考えてみると、「これぞ典型的な自閉症」と騒がれたことも大きな要因になっているんだと思って、大いに反省しています。もっとその子とつきあって、両親と話し合っていれば、こんなことにならなかったのにと、いまだに思っています。
 
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