滋賀県・湖北

余呉駅~賤ヶ岳(421.1m)・山本山(324.4m)~河毛駅

賤ヶ岳 余呉と琵琶湖を 眺めけり

●日  程:2014年8月29日 曇り

●最寄の駅:JR余呉駅<標高:134m>

●歩行時間:5時間25分(縦走:4時間、車道歩き:55分、休憩等30分)

●メンバー:単独

◆行  程
自宅発5:10=加茂駅発5:23=京都駅発6:29=8:15余呉駅8:20→中川清秀墓9:00→9:58賤ヶ岳10:18→赤尾分岐10:57→12:18山本山→12:35常楽寺12:45→登山口12:50→13:45河毛駅14:18=14:34近江今津駅14:40=15:58京都=16:41木津駅着=自宅16:55着

◆山行報告
自宅発5:10
7月に大峰のオオヤマレンゲを見に行って以来、2ケ月近い日が過ぎていた。これじゃいかんと、計画をたて、28日の朝4時に起きたが予報に反して雨、結局1日延期しての出発となった。

京都駅からは通勤時間帯と重なり、米原まで70分程立つことになったが、本が面白かったので苦にならなかった。左手に長浜城、右に伊吹山を見ながら長浜駅で乗り換え、余呉駅で降りる。

余呉駅8:15・8:20
無人駅に降りたのは私を含めて3人だった。内一人は登山姿の女性で、“賤ヶ岳ですか”とお声掛けして話をしているうちにご一緒しましょうということになった。

駅から南へ進んでT字路を左折し、橋を渡ると道標に「賤ヶ岳 観音堂登り口0.3Km、賤ヶ岳岩崎山登り口0.5Km」とあったので、直進して観音堂登山口から取り付く。
ご一緒させていただいた女性は草津在住で登山歴は2年だそうだが、冬の八ヶ岳、春の立山や表銀座縦走など積極的に登られており、楽しいお話を伺うことができた。
やがて道標に中川清秀の墓とあるのを見て立ち寄る。

中川清秀の墓9:00
大岩山の砦跡には立派な石造りの宝篋印塔(ほうきょいんとう)が建っていた。
資料には中川清秀は摂津茨木の城主で、羽柴秀吉と柴田勝家が覇権を争った天正11年(1583)の賤ヶ岳の合戦の際には、ここ大岩山に陣を張っていたが、4月20日早暁、柴田勝家の甥にあたる佐久間盛政の奇襲に遭い、兵数百名と共に全員ここで討ち死にした。しかし、清秀が奮闘する間に秀吉軍は陣営を整えることができ合戦に勝利、清秀の訃報を聞いた秀吉は、涙をこらえ切れずに嗚咽したと言う・・・とあった。

歩道に戻って首洗いの池への分岐を過ぎると平坦地に出て、猿が馬場の標識があった。ここは登山口と賤ヶ岳の中間辺りで、秀吉が佐久間盛政を追撃する際に陣を張った場所と言われている。
猿ヶ馬場を過ぎると杉林に広葉樹が混じり始め、爽やかな風が何とも心地よい。しかし、期待していた余呉湖の展望は得られず、同行の方と“これで余呉湖が見えると最高でしょうね・・・”と云いながら、緩やかなアップダウンを繰り返し、最後に急坂を一登りすると賤ヶ岳山頂に着いた。

賤ヶ岳9:58・10:18
山頂にはリフトで上がってくる人がいるのでは・・・と思っていたが、まだ誰もいなかった。広場にはトイレも整備され、周囲の展望所からは、北に余呉湖。西と南に琵琶湖の展望が大きく開け、南東には伊吹山が高い。

北の余呉湖を挟んだ背後には行市山(659.7m)とその右手に連なる柳ヶ瀬山(439.1m)などが見える。これらの山にはまだ登っていないが、行市山には佐久間盛政、柳ヶ瀬山には柴田勝家が陣を張っていたのかと思うと、想いは戦国時代へと飛んでいく・・・。南方には湖面に竹生島が浮かび、ここから縦走する山本山へ連なる尾根が一望できた。

同行の方はここから余呉国民宿舎の方に下られるので、お付き合いに感謝し、互いに写真を撮り合ってお別れした。

賤ヶ岳から山本山までは7.5Kmと長い。ちなみに、余呉駅から賤ヶ岳までは5.5Km、山本山から河毛駅までは5.5Kmとすると計18.5Kmとなる(ネットでは19.6Kmの記録もあった)。

賤ヶ岳山頂から階段道を少し下ると木之本方面からのリフトが回っていて、男性が一人上がって来られた。再び縦走路に入り展望の利かない樹林の中を延々と進む。尾根の東側の田園風景は時々開けるのだが、琵琶湖方面は全くと言ってよいほど展望はなく、あちこちに立つ「近江湖の辺(うみのべ)の道」の道標が空しく思えてくる。

赤尾分岐(10:57)には山本山まで4.9Kmとあり、そこから15分程進むと樹間に山本山をチラリと見て、九十九折れの坂道を下ると、その先から古保利古墳群の標識が次々と現れる。
解説板によると、古墳時代前期から終末期の132基(前方後円墳8基、前方後方墳8基、円墳79基、方墳37基)が約3kmにわたってほぼ一直線上に分布しているとのことだが、標識がないと見過ごしてしまいそうな感じである。
退屈しのぎにいくつかの古墳を見ながら歩く。最後のF・1号古墳を過ぎるとようやく山本山への登りとなり、馬の蹴跡、二番馬場跡、一番馬場跡を経て10分足らずで本丸跡の山頂に着いた。

山本山12:18・12:20
本丸跡は周囲を土塁で囲われたような地形をしている。本丸跡の先に行くと草地の広場から展望が開けていて、近くなった竹生島を望むことができたが、こちらも木が茂って展望を遮りつつある。

朝日山神社への広い道を下り、途中の常楽寺境内で腹ごしらえしてから(12:35・12:45)、朝日小学校側と朝日山神社の間にある登山口に降りた。

登山口12:50
コミュニティーバスは15時まで来ないことは分かっていたので、河毛駅まで5Km弱の道のりを歩く。私が住む周囲の田圃ではようやく稲穂が出始めたが、この辺りでは黄金の頭を垂れ、稲刈りの終わった田圃も何枚かあった。振り返ると三角形をしていた山本山が饅頭のような姿に変わっていた。

河毛駅着13:45
ここまで寄り道ばかりしてきたが、これで関西百名山は嶽ノ森山、近畿百名山は牛廻山の各1山を残すのみとなった。



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