梟の詩  
  四国八十八ヶ所巡り   
 
 
 
003号     2002/12/21 (土)
 
 
 
  道後温泉<五十一番寺>  
 
 
 

21日朝目を覚ますと窓に吹きつける雨の音が激しい。雨の中歩くのは辛いし今日はやめて明日にしようかと思ったが、「今日は移動日。松山に着いても雨だったら、坊ちゃん見学して温泉にゆっくり浸かればいい。明日は晴れるらしいし。」阪急バス時刻30分前に飛び起きて出発した。
京都駅前発松山行き高速バスは、7時30分発。切符を買うために並んでいるうちにもうバスが来た。「松山まで大人2枚。往復割引で。」「お客さん、今日の券はありますが、明日のどのバスも満席です。」「往きだけで結構です。帰りはなんとかしますので。」ほんとかなと思いながら、慌ててバスに乗った。
バスはほぼ満席。かなり降る雨の中を行くので窓の外はほとんど見えない。途中2回のトイレ休憩をとり、13時15分予定どうり松山に着いた。あれだけ途中降っていた雨が上がっていた。「私はやっぱり晴れ女だ。今年の行事で雨にあった事がない。」とお母さんは自らの運のよさに満足していた。

バスに乗りっぱなしだったので、とりあえず歩いて体をほぐしたいと、松山城に登った。坊ちゃんとマドンナと校長(?)が門のところで観光案内をしていたのでいっしょに写真をとらせてもらった。今夜の泊まりを道後温泉にしたいのだがと相談すると、「連休の初日だから速めに予約した方がよい。ロープウェイの乗り場の横にインフォーメイションがあるからそこで聞いてみたら。」とアドバイスをしてくれた。松山城からの帰りはリフトで降りた。
道後温泉には大街道から、今時珍しいちんちん電車に乗って行った。終点はからくり時計の前。そのとなりの道後温泉観光会館で玉菊荘という旅館の和室を紹介してもらった。連休の初日だから混んでいるだろうというのははずれ。空き部屋がいっぱいあった。

夕飯までに時間がたっぷりあったので、51番石手寺をたずねた。歩いて片道15分だった。寺域は広く寺宝もたくさんあるとのこと。本堂のうらから山をくりぬき反対側まで続く洞窟があり、マントラというたくさんの仏様がうすぐらい中に並んでいるのは気持ちが悪く、まるで地獄への道のように思えた。

道後温泉にとってかえし、からくり時計の前に戻ったのは5時5分前。ちょうど5時になると、からくり時計が動き出し、2階だてが、まず上に1階のびてマドンナの人形が挨拶し、下にもう1階がせり上がって温泉に浸かっている場面が浮かび上がり、結局四階建ての立派な時計台になった。
この隣には2日前に出来たばかりの「足湯」があり、何人かの客がズボンのすそをたくし上げて気持ちよさそうに足をつけていた。
玉菊荘にもどって、ゆっくり温泉に浸かり、あわただしかった1日の疲れを流した。