梟の詩  
  思えば遠くへ来たもんだ      
 
 
 

                          037号     2004/8/31(火)

 
 
 
  <バスで二つの国境を越える>  
 
 
 

8月19日から28日まで「ロシアとバルトの旅」をして、バスで国境を越える初めての経験をした。空港で行なう出入国とは一味違うものだった。

ペテルブルグを朝出発し、ナバルの町でロシアからエストニアに入る事になった。「バルト3国が今年の5月EUに加盟したので、ここではロシア側が大変神経を尖らせているから 、絶対写真を撮らないように。」という注意がまずあった。バスが検問所に着くと運転手に対する取調べが30分くらい行われた。それがパスすると、検査官がバスに乗ってきて、写真と顔を見比べながら全員のパスポートを取り上げていった。次に女性の検査官が麻薬検査犬をつれてバスに乗り込んできて、一人一人の荷物を座席の奥まで入ってクンクンいわせて調べていった。その間に、別の検査官がバスのトランクを開け、我々の荷物を眺めながら運転手とやり合っていた。それが済んでようやく、パスポートがもどってきたところで、「手荷物を持ってバスをおり、トイレに行きたい人はいって,一人ずつ、エストニア側の入国検査を受けて国境を越えてください。」全員の入国検査が済み、バスに乗り、バスが動き始めると、二人の運転手と添乗員が「よかった、よかった」という調子で、ロシア語でしゃべりあいながら笑顔を浮かべていた。2時間45分かかった。昼食後、ナバル城からナバル川をはさんで対岸にそびえる荒れはてたイワンゴロド城をながめ、無事越えられた喜びをかみしめた。
その翌日、モスクワ発の飛行機2機がテロにあい、83人が死亡した。そのニュースをタリンのホテルで朝聞いた時、背筋に寒気が走った。今日からあの国境越えの検査が一層厳しくなっているに違いない、越えていて本当に幸運だった。

エストニアからラトヴィアへ入る国境は、エストニアのヴァルガという町とラトヴィアのヴァルカという町の間を通っている。もともと1つの町に国境が引かれることになったのには複雑な歴史的経過がある。今はまったく平和のようだ。エストニアからの出国についてはなにもなかった。ラトヴィア側の検査官がきて、パスポートを確認して持っていった。その間にトイレに行きたい人はエストニア側のトイレに行ったが満員でさばき切れそうもない。ラトヴィア側のトイレを使わせてもらえないかと交渉した結果、一度越えた国境をもどらないという条件で8人が、パスポートなしで国境を越えた。残りの人たちがパスポートを受け取り、バスに乗って国境を越えて来たのを待って、8人は乗り込んで合流した。「公認で、パスポートなし国境を越えられるのは珍しいですよ」と添乗員に言われた。