梟の詩  
  思えば遠くへ来たもんだ      
 
 
 

                          036号     2004/5/23(日)

 
 
 
  <与謝へのスケッチ旅行>  
 
 
  4月にN水彩画クラブに入会して、画面に向かっても、何をどう描いたらよいかわからないし、会の様子もほとんど知らないうちにこの旅行に参加することになった。「ほんとうに絵が描けるのかな」と最初はとても不安だった。また、「朝、早く起きて絵を描く」という話も聞いて、一日中絵を描く生活に耐えられるかという心配もあった。
京都駅の前に集合して、会員14人と6人の特別参加で出発。マイクロバスはきっちり満員。伊根の舟屋が見えると、とうとうやって来たかと胸がどきどき。(この時すでに「バスの中で見たこの舟屋で描く」と決め、すばらしい絵を夜の講評のとき発表してくれた人がいてほんとうにびっくりさせられた。)
港で円くなって、お昼を食べながら自己紹介。 「4時チェックイン、6時夕食。それまで自由に描いてください。絵を描かない人はゆっくり遊んでください。」この言葉に勇気を得て、岬の灯台まで2キロの道のりを、景色を見ながら歩いて行った。すでにバスに乗って先着していた二人が画面を広げ、「傾きかけたこの舟屋が面白い」と書き始めていた。何か僕には難しそうに思えたので、それはさけ、「手前にいか釣り船、遠景に舟屋」に決めて描き始めた。船と舟屋のバランスが取れなくて、消したり書いたり四苦八苦していると、隣で描いていたS氏が「後は乾かすだけです。」見ると、右面が傾きかけた廃屋で、左面が海の向こうの景色で、スケッチ帖を開いた両面を使って一枚の絵にしている。驚いて、思わず愚問を発してしまった。「(真ん中にわれ線が入っていて)これでは発表するとき困るのでは…。」「いや発表するつもりはないからいいです。」3時半をまわっていたので、色づけはあきらめて、一人で引き上げた。(デッサンしか出来なかったのは僕一人だった。)
宿泊旅館は与謝荘。名前のとおり、眺めもよく、食事も良く、テレビもなくて良かったが、風呂だけが狭かった。僕が帰ると、すでに何人か男性は帰ってくつろいでいたが、女性は6時ぎりぎりまでねばって描いている人が多かった。夕食は刺身が美味しく、その残った頭で炊いた汁の味がこたえられない。日本酒だと思って注文したのに、出てきたのが赤米で作ったワイン調の「伊根満開」、体全体にしみわたるような酒だった。(あまりに美味しかったので酒屋さんで一本買って帰った。)
食事の後、幹事さんの司会でテーブルごとのスピーチで盛り上がった。
8時すぎから先生の講評会。一人ひとりの絵を見ながら、なるほどと僕でもわかる言葉で解説を加えてくれる。どの絵も参考になった。9時過ぎには男性8人は全員布団に入って寝てしまった。寝がけに、「女性たちはこれから一杯のみに行くそうだ。元気だなあ…」と言う声を聞いたように思うのだが、どうなったのかな?
朝、5時すぎると当然のようにほとんどの人が起きて、スケッチにでかけた。ぼくは朝の散歩のつもりで昨日とは反対の「かもめ荘」の方に向かって歩いた。湾全体を見たいとかもめ荘の前の石段を上がっていくと、先客に先生がいてカメラをかまえ、「面白いケヤキがあるよ。」そこまで上りきると、すでに人影はなく、そこから見下ろす景色は、あっちこっち向いた屋根が延々と岬まで細く続いておもしろい。次に描くとしたらこれにしようと決めて墓石の並ぶ危ない道を降りた。
朝食の後、岬までの往復一時間がもったいないので、港のコンクリートの上で昨日のデッサンに色を付けた。魚釣りに来た人たちが覗き込んで行ったが、どの人も何処を描いているのかなと不審げに見て離れて行った。
近くで、昨日ドラム缶を描いていたDさんが、今日は赤さびた鉄板を描いていた。
昼食の後、「色を付けてみたのですが…。」と先生に観てもらった。「君の感性で描いた絵ですから、これでいいと思います。僕が手を加える必要はありません。」「これが中山さんの初めての作品です。」みんなから、おめでとうの拍手をしてもらい、やっと一枚絵をかけたかと、このとき最高に感激した。
出発までの2時間半、朝、描こうと決心した場所で数人と一緒にそれぞれのアングルで描いた。楽しい時間はあっというまにたち、またまたデッサンしか描けなかった。
このスケッチ旅行では、結局一枚半しか描けなかったけれども、「これから絵を描いてみたい」という勇気と意欲をもらえた旅行だった。