梟の詩  
  思えば遠くへ来たもんだ   
 
 
 

                          031号     2004/2/21(土)

 
 
 
  <日本海をめざして(5) 海まであと一歩 >  
 
 
 

春になった。歩き虫が体の中で蠢きはじめる。3ヶ月ぶりに日本海をめざして歩いた。
今回は一人なので、飛ばしてみようと、いつもより一つ早い電車に乗って行くこととにした。それと山家から右手に入り山越で梅迫にでるか(距離が近くなる)、今までどうり由良川ぞいに綾部まで下り舞鶴線沿いに梅迫へ行くか、迷ったが安全にということで川沿いに行くことにした。
前日の卒業式にぼくも生徒たちと一緒に卒業させてもらった(3月までは残りの仕事もあるが) 興奮もあって、3時ごろに目が覚めてしまい、もうちょっと寝ないとうとうとしたらもう5時半、あわててとび起き準備をした。
京都駅7時46分発、チョムスキー著の、「ならず者国家」と新たな戦争という本を読み始めたら面白くてあっという間に立木駅までの1時間半がたってしまった。
立木駅に降りた客はぼく一人だけだった。9時21分歩きはじめた。線路沿いの広い府道を行くのだが人も車も誰も通らない。由良川をはさんだ向こうの29号線を車が音を立てて走っているのとは対照的だ。40分で山家駅前を通過。
1キロごとの標識により歩数を万歩計で計ってみると約1550歩、時間にして12分 、これが僕の歩くペースであることが分かった。
山陰線の信号を渡って綾部市街に入ると、由良川で数隻のカヌーが練習をしていた。「あとラスト一往復、1番いい格好で漕ごう」と、岩の上に座ったコーチのメガホンで呼びかけるのんびりした声が響き渡っていた。 丹波大橋を渡りきった所で11時25分、出発して2時間。ここでお茶を飲みおにぎりを2個食べ、ちょっと休憩した。
ここから由良川に別れを告げ、舞鶴線線沿いに29号線を歩いたが車の往来が激しくて危なくてたまらない。線路から離れないようにしながら家が立ち並ぶ生活道路を歩くと、ほとんど車に出会うこともなく気持ちよく歩くことができた。
淵垣という無人駅を12時15分過ぎ、しばらく行くと安国寺と言うお寺があった。聞いたことがある名前だなと思ったら、なんと足利尊氏の像が道路沿いにあり、足利尊氏生誕の地という看板が立っていた。
梅迫駅に12時55分到着。無人駅だけれども駅前広場もあり商店も何軒かある立派な駅だ。はじめの予定ではここまでのつもりだったが、時間もあるし、おにぎりもあと1個残っているので、2時間弱あれば次の駅まで行けるかなと意を決して歩きはじめた。
日陰や山の北側の斜面には雪がまだ残っている。日当たりのよい土手に注意していると、なんとふきのとうが2個芽を出していた。
地図を見ていた時、この辺は線路にトンネルがある山の中 だから、山越えの難所だと思っていた。来てみると下りの連続で、すでに歩き始めて4時間を越えるのにどんどん行くことができた。
綾部市から舞鶴市にはいり、真倉の標識をみて駅はすぐと思ったのになかなか見えてこない。川にぶつかると歩道がなくなってしまい、ふと見ると線路にかかる鉄橋に人が歩けるだけの金網が張ってあった。よく考えないで渡り始めると意外に川は深く、金網を透し下を見ると足がすくみそうになる。 前だけ見て渡りきると、右は道路と隔てる金網の高いフェンス、左は3mもある崖、逃げる所がない。前方はるか150mほどに信号が見えたので、枕木を踏み外さない様に走った。やっと道路に出て1分もすると、今逃げ出した信号機がカンカンと列車が近づいたことを知らせ始めた。
真倉駅に14時40分到着。トイレも自動販売機もない駅だった。汗をかいたシャツを着替え、伊予かんを食べてのどを潤した。15時23分、この駅から乗った乗客はぼく一人だった。(44000歩、5時間20分)
真倉駅の次が西舞鶴駅、後一駅で日本海に着く。