梟の詩  
  思えば遠くへ来たもんだ   
 
 
 
                          024号     2003/10/10(金)
 
 
 
  <思えば長く生きたもんだ>  
 
 
 

 ぼくの誕生日は、12月27日です。去年の誕生日で60歳になりました。還暦ということで特別のお祝いをしていただきました。  子どもの頃、我が家では誕生日を祝う習慣がありませんでした。家庭を持ってから家族からささやかに祝ってもらうようになりました。今回は特別と言うことで、子供たちが 「1泊温泉旅行」を計画し、お金も出してくれました。
 家族以外から誕生日を祝ってもらったということはほとんどありません。12月27日というのは、クリスマスと正月にはさまれているので、学校も休みですし、一年でも一番忙しい時期です。他人の誕生日などかまっていられるかということでしょうか。  
 ところが去年の誕生日の前日26日のこと、分厚い封筒が届きました。何かと開けて見ると、2枚の紙にびっしり書いた寄せ書きが出てきました。おととし高2で担任したクラスの生徒達全員が寄せ書きをしてくれていました。その内容は「誕生日おめでとう。病気に負けず長生きしてください」というもの。とても感激しました。  しかし、いくらおめでとうと祝ってもらっても、たしかに「思えば60までよく生きられたものだ」と思いましたが、他方では「もう60代になったか、人生もたそがれだな」と思う気持ちが正直なところありました。  
 年が明けて正月お誘いがありました。「水彩画のサークルが新年会をやります。60になる人が4、5人いるし、中山さんの還暦祝もするから、参加しませんか。」ぼくはサークルのメンバーではありません。しかし、せっかくお誘いしてくれたので、新年会のつもりで参加させていただきました。そこは個人の家の画廊で、真ん中のテーブルにはごちそうがたっぷり並べてあって、15人が集まりました。乾杯の後、自己紹介をやると、ぼくを入れて還暦を迎えた人が6人もいることがわかりました。そのうちのひとりが、このへんでと立ち上がって、「この場を借りて一言。私と彼とは、これから尊敬しあい、協力しあっていきます。皆さんの前で宣言することで結婚式の代わりとします。今後よろしく。」ぼくはびっくりするとともに、感動しました。ぼく自身は、人生はもうたそがれだと考えていたのに、なんとこれから結婚して人生の再スタートをきると宣言する人がいるわけです。本当に元気をもらいました。
  じつは、二人は高校の時からのうわさの同級生で、卒業後42年にして願いが叶ったことになります。そのあいだ彼はずっと独身だったんですよ。 このとき、彼女の娘さんがされた挨拶がよかったです。「彼は、私の母にぴったりの人です。これで私も安心してお嫁に行けます。」あとは感激のあまり、声になりませんでした。 最近、この娘さんはお見合いをし、結婚されたそうです。そして「娘の花嫁姿を絵に描きました。見に来てください」という展覧会の案内状が届きました。
 さて、今年の夏休み、「ポーランドの文化と歴史にふれる旅」に参加しました。33人の団体ツアーでしたが、平均年齢が68才でした。60才のぼくは若い方でした。しかし皆さん元気で、ホテルに帰り、夕食までのあき時間が1時間でもあるとホテルのプールに行って泳いできます。ぼくはくたびれて寝ていることが多かったのですが。そのひとり、72才といっても見かけは50代にしか見えない人ですが、そのひとが、「私は結婚をし、子育てをし、60才で定年退職をしました。その後やりたいと思っていたことをたっぷりやりました。振り返ってみて、私の人生では60代が最も充実していました」と語ってくれました。60代が最も充実していたと語れる人生は素晴らしい。ここでも元気をもらいました。
 9月になって、高校の同窓会の通知が2つ届きました。学年の同窓会と、クラスの同窓会とです。そのタイトルは「還暦を祝う同窓会をしよう」。みんなで元気を分け合って、これからの人生がんばっていこうと言っているようです。ぼくは学校の仕事があるので残念ながら参加できません。
 今はぼくも、60代が充実した人生になるようにしたいと切に願っています。