梟の詩  
  思えば遠くへ来たもんだ   
 
 
 
                          023号     2003/9/21(日)
 
 
 
  <アンネのバラとコルベ神父のバラ>  
 
 
 

8月下旬ポーランドを旅行した。
旅行から帰ると、例のごとく、何日間は旅行ぼけが続く。
そんなある日、学校の花壇に目をとめると、バラが4本植えてあって、それに札が下がっていた。夏休み前からそれに気がついていたが、札に何が書いてあるか見ようともしなかった。もしやと思って目を近づけてみると、やっぱり、1本には
「アンネのバラ」、もう1本には「コルベ神父のバラ」と書いてある。その時、旅行で見学したアウシュビッツ強制収容所でみた光景と言葉が思い出された。
「アンネがいた棟はここでした。」
「コルベ神父が身代わりになり餓死の刑を受けてなくなられた部屋はここです。」だから、てっきりアンネはここアウシュビッツで死んだと思いこんでいた。
しばらくして、19日、新聞に、「アンネ・フランクの最後の地ベルゲンベルゼンを訪ねて」という記事が載っていた。それによると、アンネ一家はオランダの隠れ家からポーランドのアウシュビッツに送還され、そこで姉と二人だけベルゲンベルゼン収容所に送られ、そこが解放されるわずか数週間前、45年3月、水溜りに顔を突っ込んで死んでいるのが発見された。
「アンネの日記」を読み、それをもとにした劇も2度ぐらいは見ているはずだが、
現地に行って見聞してくると、気がつかなかったことが見えてくると言うことを
思い知らされた。