梟の詩  
  思えば遠くへ来たもんだ   
 
 
 
                          016号     2003/5/24 (土)
 
 
 
  <九輪草と谷綿木>  
 
 
 

何年ぶりかの北山ハイクに参加した。スカンポの五月例会。
目を覚ますと天気は申し分ない。5時前にお風呂のスイッチをいれ、お茶を沸かし、コーヒーをセットする。ゆっくりお風呂にはいっている間にお母さんが朝飯を作ってくれた。新聞で、今日の試合でサンガは連敗を抜け出せるか、中日は対広島戦の連敗をたちきれるかを確認し、しっかり食べて集合場所である西向日駅に向かった。7時5分前、○さんがいてその後パラパラと集まり5人になった。来た電車に乗って、長岡天神組が乗っているだろうと2両目から最後の車両までぞろぞろと歩き捜したが誰もいない。おかしいぞ、次の電車かな、我々だけで行く事になるかな、あんたが頼りだぞ、……と言い合っていて、烏丸駅につくと、はるか先頭車両から 一人降りてきた。「確認のためもう一人は次の電車でくる事になった。」集合時間が早いし、風呂温泉なしの北山C級コースと言うので、敬遠した人がいて参加者が減って7人になったのかなとすばやい結論がでた。
地下鉄北大路駅からタクシー2台に分乗して桟敷山の麓まで入った。舗装道路が尽きた地点からさらに20分程はいった所まで行ってもらった。おかげで予定より1時間ぐらい節約できたため、その後の行動がとても楽になって助かった。「金額にして一人約300円、缶ビール1本の値段。それでこんなに気持ち良く歩けるとは、文明の利器はすごい。」と言いながらみんな元気に歩いた。
祖父谷峠、城丹国境尾根、飯森山、天童山(ここでお昼)と歩き、茶呑峠からカモチ谷を周山まで下りた。 茶呑峠からしばらく行くと、「台杉の墓場」と見違えんばかりに、巨大杉の根っこがまっすぐ伸びた北山杉の根元にごろごろ転がっていた。良く見ると黒く焦げていた。昔はこの谷にも台杉の原生林があったが、山火事か、切り倒した後火を放って焼き、その後に北山杉を植えたのかと想像した。さらに下ると、川らしくなった水際に、九輪草が濃いピンク色の花をつけ、最初はぽつんぽつんと、下流になるにしたがい群生して咲き誇っていた。九輪草に両岸からおおいかぶさるようにして、淡いピンクの谷綿木が、こちらは豪華に咲いていた。民家のある近くまでこれが続いていた。谷をぬけると殿橋に出た。桂川の源流にかかっている橋でもう周山だった。
間に合うバスを一つ飛ばして、地ビールの飲める店に入った。三種類の地ビールをピッチで注文して、次々に味わった。それぞれ違う味がしたが、最初に呑んだのがいちばん美味しかった。「周山」と言う名前は明智光秀がこの地を治めた時、古代中国の理想の国「周」のようにしたいとつけた名であったと言う説明を頭に入れて、いい気持ちでうとうとしながらバスに揺られながら帰った。