梟の詩  
  思えば遠くへ来たもんだ   
 
 
 
002号     2003/1/18 (土)
 
 
 
  <有馬温泉>  
 
 
 

すかんぽ(つくしクラブ保護者OB会)の一月例会は、六甲から有馬温泉へ。温泉につられて、実に10ヶ月ぶりに参加した。
前の晩、無事温泉までたどりつけるかなと思いながら準備した。朝おきると雨。 山行きは無理かなと思いながらも朝食だけはまにあうように食べた。7時の天気予報は好転する見こみ。よし行くかと、おにぎりも水筒も持たず家を飛び出した。長岡天神駅に集合すると、「中山さんが来たので行くといってきた人は全員集まりました。では出発します。」ぼくのように迷った人はいないみたいだった。
御影駅で降り、コンビニで、お茶とおにぎり3個とミニようかん2個を買って、みんなの後を追って出発した。
白鶴美術館の横をとおって、石切道を登った。阪神大震災の後は見られず、六甲大洪水(昭和15年)の記念碑の近くに、10階建てのマンションが急斜面に建っていた。地震が来てもほんとにだいじょうぶかなと不安を感じさせる。
石切道の登りは急で、汗をかくたびに一枚づつ服を脱いだ。2時間あまりで凌雲台についてお昼。お昼の準備をしているうちにどんどん気温が下がってきて、着れるものをみんな着ても寒く、売店のストーブにあたって暖を取った。作りたてのアツアツのラーメンを腹に入れると、ようやく落ち着く事が出来た。神戸の町並みが霞んではいたが見えた。あらいぐまが3匹、台の下に食あさりに来てうろうろしていた。
極楽茶屋跡から紅葉谷をいっきに有馬温泉まで下った。北斜面の道なので雪が残っていて、道はそれが凍りつきつるつるしていた。神経を使い使い降りていて、膝が痛くなりかけやばいなと思っていたとき、後ろで、危ないという声がした。ふりむくとKさんが、浮石に乗ってバランスを崩し、がけ側の薮の中へ突っ込んでいく所だった。幸いすぐ下の木につかまり、下まで落ちるのは免れた。「3時間くらい歩くと体のあちこちの油が切れてくるんですよ。」とバランスをくずした理由を説明していた。
有馬ロープウェイ乗り場を少し下りた所で炭酸せんべいを買った。どの土産やさんでも売っているところを見ると名物らしい。買った後で判った。
12月オープンしたばかりの外湯「金の湯」へ行った。有馬の湯には2種類ある。無色透明で炭酸泉の「銀泉」と、空気にふれると赤錆色になる含鉄強塩泉の「金泉」とがある。金泉をひいたのが「金の湯」。3時過ぎ行ったのに客でごった返していて、特に男子湯は15分待ちだった。温度の高い(たぶん43度ぐらい)赤くにごったお湯に浸かっていると疲れが湯の中にしみだしていく感じだった。たっぷり浸かった後シャワーで冷たい水をかぶり又湯に浸かるというのを3回繰り返した。湯から上がって飲んだビールのおいしかったこと。 いい気分で電車に揺られながら帰った。夜そのまま寝ても体がほかほかしていた。