Exhibition Review

《田中敦子 in Kyoto》 (2/23/2002)
   2/23〜3/30@mori yu gallery
画像つきの展評はこちら。
 
ルドルフ・シュタイナー 100冊のノート展    (3/18/2001)
      3/3〜4/5 @キリンプラザ大阪
 展示を見る前にシュタイナー研究者、高橋巌氏の講演を聞いた。2時からの開演5分前に着くと、席はいっぱいで立ち見も苦しいとのこと。参加費1500円を払ってシュタイナーの話を聞く人が大阪に大勢いることにまず驚き、会場で今風のキレイなおねーさんが多いことに二度驚く。

 「シュタイナーのノートについて」というテーマの今回の講演ではスライドを使ってノートに描かれたものを解説しつつシュタイナーが創設した人智学の説明がなされていた。
その講演内容をここで要約しておくと、

 今回展示されているシュイナーのノートは、1997年に同じくキリンプラザで開かれた(東京ではワタリウムで開かれたよう。未見)展覧会のテーマであった黒板画が人に見せるために描かれたものであったのとは異なり、人には見せない自分のためだけのもの、つまり自分だけの自己対話である。よって、描き方・書き方は雑で判読不明な部分も多々あるが、彼の思想が黒板画や著作として結晶化する前の混沌とした状態にあり、違って意味で興味深いものである。

 スライドで見せた最初のノートには手足を広げた人間の形が描かれており、多くの走り書きの中に大きく「Adam Kadmon」と書かれている。これは神智学の思想における「根源的な始めの人間=宇宙」である。神智学においては一人一人の人間が一つの宇宙であり、人間のみならず植物や鉱物など存在するあらゆるものも本来全て宇宙と同源である考えている。これは中世に展開したユダヤ教のカバラ主義に由来する。ユダヤ人はヨーロッパ各地でゲットーの中に閉じこめられていたため、自己の内面の宇宙を広げようとする神秘主義を深めた。その基本的な教義が「流出説」で、宇宙の創世はそれが存在する前に神の思いがあり、それが高まって宇宙という形であふれ出たというものであり、精神と物質を同源とする一元論である。
 次に樹木の絵が紹介されるが、樹木も人間と同じであり、形態的には先の人間の姿と上下逆になっていることを解説する。すなわち人間の口は体の上部にあるが、植物が栄養を摂取する根は下にあり、人間の生殖器が下部にあるのに対して、植物の生殖器である花が上部にある、というように逆転の構造を構想している。
 また、樹木に蛇がからみついた絵では、樹木(=人間)は本来の生命を表し、そこに「知恵」を象徴する蛇がからみつくことによって、人間が進化し、自己を意識するような人間が育っていくという考えを示している。聖書の中では誘惑者である蛇が意味するのは、神々の思いではなく、宇宙から反逆して独立していく人間の知性であり、いかにすればそれが再び宇宙と結びつくことができるかを探求することが人智学の課題であるという。
 
 シュタイナーの『神秘学概論』では、「感覚」が非常に重要となる。人間とは本来感覚からなる存在で、それが物質の中である部分が強まり、また別の部分が弱まって今日に至ったという。例えば「見る」という感覚の働きは、目から対象物が頭の中に入ってくるだけではなく、同時に人間の内部の生命体が外に出てその対象物へと向かう。例えば、一本の木を見るとすると、同時にそれを見る人の生命体が木に触れていて、触覚のように相互が触れ合うという。
人を見つめると、見つめられた人もその視線を感じるように。つまり、人間は感覚を感じるたびに、自分は一人ではなく外とつながっていることを感じるものであり、その感覚を発達させることこそシュタイナー教育の本質であるという。
 通常の感覚論が人間の内部の感覚の働きのみを論じ、一種のエゴイズムであるのに対して、シュタイナーの感覚は外に出て、外界と一つになり、根本的に人間の感覚とは「共感」であると説く点が会場内でまさに共感を得ていた。

 シュタイナーの絵、すなわち思考の中には、占星術でなじみのある黄道12宮や数字、特に「7」が重要で繰り返し登場する。その他に人間の本性を成す「肉体」「エーテル体」「アストラル体」「自我」などについての説明もあったがここでは割愛する。

 その他の興味深い考え方は、時間や空間に関するもので、シュタイナーによると、人間の真ん中には現在進行している体験があり、その少し前の体験や過去の体験が同心円状にその廻りをめぐり、時間をおって記憶は心の中の環境になるという。その構造は宇宙の真ん中に叡智界があり、その廻りに物質があるのと同じである。
 ゲーテの自然科学論を研究したシュタイナーはそのメタモルフォーゼ論をも取り込んでいる。
ゲーテは、時間はいつ始まったのかという問題に対して、内面世界が外面世界に転化したときに始まると結論する。彼は植物をモデルに生命のプロセスを考えた。植物の種の内側には生命が宿っている。その生命が芽を出して内側の生命が外の世界に向かうとき時間が始まり、根を張り、茎を伸ばし、葉や花をつけ実を結んでいく変化が時間として生まれる、というものである。

 会場から出た三つの質問・感想は、その筋の関係者ではなさそうであるが、どれも的を得たものであった。まず、シュタイナー思想の意義について。教育問題から免疫医学など様々な分野で、既存の近代西洋の考え方を考え直す上で参考になるが、高橋氏個人的にはシュタイナーを研究すると人間が自分がそして生きること自体がすごいものに思えてくる、元気づけられるとのこと。
 感覚論についての共感を覚えたという感想・質問には、日本人は本来、非常に感覚を大切にしていて、香道や茶道や能など、ひたすら感覚を研ぎ澄ます文化を持ち、また人と人との関係も「共感」が基本であった。それが「反感」を基盤とする西洋の近代文化の中にいきなり入ったのできしみを生じている、と答えておられた。

 ゆっくりと言葉を確かめながら分かりやすく話す高橋氏自身は魅力的で、講演の後、会場で彼の著作を買って署名をもとめる行列ができ、会場はさながら人気作家のサイン会と化した。
私も筑摩書房からの『神秘学入門』を買ってサインをお願いしたら、サービス精神からかハングルでしてくださった。(漢字でよかったのに... )

 さて、「100冊のノート展」はというと、会場はキリンプラザらしく4階と6階とに分かれている。展示されているのは、シュタイナーのノート、そのページを拡大し、日本語訳の書き込みを加えたパネルとシュタイナーの著作や講義内容から抜粋した人智学、教育、医学、薬学などに関するテクストのパネル、黒板画が数枚、彼がデザインした医薬品のロゴ、看板、容器など、そして彼が設計したゲーテアヌムの模型(縦横30ー40cmぐらいの小さなもの)で、特に凝ったインスタレーションもなくただ並べられている。
 今回の目玉であるゲーテアヌムは1913年からスイス、バーゼル近郊のドルナッハに彼が自由大学として建設した一つのコミュニティで現在も人智学研究の中心として機能している。
自由学校、大劇場、会議場を兼ねていた第一ゲーテアヌムは1913年から1919年にかけて建設された木造建築である。シンメトリーの中心に大きなキューポラ(物質的世界)と小さなキューポラ(超感覚的空間)が連なっていて、これら二つを結びつけることで「響き合い」が生じるようデザインされたが、1922年の大晦日に火災で焼失した。
1924年から再建し1928年に完成した第二ゲーテアヌムを1925年に没したシュタイナーは見ることはできなかったが、これはコンクリートで2倍の大きさを持ち、現存している。
 シュタイナーは先にあげた植物の生長におけるメタモルフォーゼを建築の成立にも当てはめていた。
建築は創造や表現ではなく「統合」であり、理念にかたちを与えたものではなく、建築自体が理念そのものであるという。よって図面設計に取りかかる前に、熱心に手製の模型の制作を行った。
1919年の講義で、ゲーテアヌムは壁そのものが他の建築と全く異なることを論じている。
「それは間を隔てるのではなく、閉ざされた空間を感じるのでもなく、壁が内的に透明となり、壁が壁であることをやめる、と感じられるように構成されたものである。」
ゲーテアヌムの壁の窓としてガラス・エッチングを採用している。それは日光が差すときに芸術作品となって現れ、壁が自らを否定するという壁についての思想に適合している。
「その前にいる人々は、ミクロコスモスとマクロコスモスが互いに結びついていると感じる。」
そのガラス・エッチングを制作するグラスハウスや暖房所など、有名なシュタイナーの建物は、当時から注目をあびていたらしいが、時代的にもいかにもドイツ表現主義らしい有機的形態で、ドイツにおけるキュビズム理解である絵画の運動との類似性を見せる。
 一点展示されていたガラス・エッチングは、一枚の板ガラスに一定方向の荒いタッチで刻みを入れ、キリストであろうか人物の横顔がプリミティブに描かれていた。これも画家エミール・ノルデあたりとのモチーフの親縁性を感じさせるが、シュタイナーの窓の理念は例えばノートルダム寺院のバラ窓に代表されるようなステンド・グラスにもあてはまるし、そちらの方がはるかに精緻で人間の苦心と努力と信仰心を感じさせるのではないだろうか?

 展覧会のアンケートの解答を何枚かのぞき見たところ、「展示が面白くない」、「内容が難しい」というものが目についた。まさにその通りであり、前もってシュタイナーの思想を勉強しているか、今回のように講演を聴いてからでない限り、展示物とその内容を理解することも感心することもほとんどできないだろう。

 また高橋氏の講演では、ふむふむ、なるほどとシュタイナーに引き込まれそうになるが、例えば医学に関する次のようなテクストを読むと、

「インフルエンザは、視神経のすぐそばに位置する脳の一部が麻痺することによって生じます。脳のこの部分非常に重要なので、それによってからだ全体に影響がおよびます。普通のインフルエンザでは、この脳の麻痺から始まって、人間のどこかが病気になるように進行します。とりわけ、ここはすぐ脊椎に通じていますから、脊椎に伝染します。神経は脊椎から全身へまわっていますから、私達はからだの痛みなどを訴えるのです。」

シュタイナーの人智学はやはり宗教であり、それを信じるか信じないかという一線が目前にあり、私などあっさり及び腰になってしまう。

 シュタイナーは美学にも深く関わっており、ヨーゼフ・ボイスなど彼の影響を受けているアーティストも多いが、美学のアカデミズムでは神秘主義として異端視されている。
今日はシュタイナーの思想の一端を垣間見ることができ、講演を聞き、展示を見た価値はあった。今、読んでいるアメリカの哲学者John Deweyは時代的に重なり、「教育」を重視し、「経験」を人間の基盤としている点で、シュタイナーと重なる部分があり、非常に興味深かったが、デューイの著作には明るく、実直で力強い感があるのに対して、シュタイナーにはやはり独特のおどろおどろしさがほの見えた。
シュタイナーの翻訳者であり日本人智学協会を設立し、その代表である高橋氏は1973年まで慶應大学の哲学科美学美術史教授を勤めていたと紹介されている。たしか、昔、慶応大学の美学研究者が神秘主義にはまって、他の研究者とは議論が成り立たなくなってアカデミズムから出ていった人がいると聞いたことがあるが、その人は音楽と絵画の著作があったように思う。しかし約30年前に慶応を辞された高橋氏は90才を過ぎているようには到底見えないので定年で退官されたのではなさそうであるし、美学会の会員名簿に彼の名前はない。ミステリアスである。
 

 ■ 愛と春の画家 フォーゲラー展  (3/18/2001)
     3/16〜3/27 @大丸ミュージアム・心斎橋
 シュタイナー展を見た後、彼とほぼ同時代に同じドイツに生きた画家ハインリッヒ・フォーゲラーの展覧会を続けて見る。
 絵画作品に限らずどの芸術作品にも、作品を生みだした作者の存在を完全に超越してしまって、彼/彼女の人格や人生から独立して成り立っている作品、つまりまさに自律した作品と、作者と分かちがたく結びついている作品とがあると思う。ヴァン・ゴッホの絵画など、実は前者で、ゴッホがどういう人物であったかなどは全く知らなくてもいいし、あの表面のうねりはゴッホが生み出したのではなくて、絵画によってゴッホがそう描かされたと考えることができる。それに対して、フォーゲラーの作品は後者で、絵画それ自体よりもそれを通して画家がそれを描いた時に没頭していた女性や物語や思想や雰囲気の方に誘い込むタイプの作品である。よって、フォーゲラーの作品は描かれている人物も物も風景もロマンティックで色彩はすがすがしく線描は繊細であるし充分魅力は備わってはいるが、フォーゲラー自身の人格が丸見えで、また常に彼が没頭していたものが、副題の「愛と春の画家」にあるように青臭いので、見ている方が気恥ずかしく、到底じっと見ていられない。自分の思春期の日記を読まされるとこういう感じかも知れない。
 本展覧会はヴォルプスヴェーデ村で若い芸術家コロニーを作った初期のユーゲント・シュティールの作品から社会主義リアリズムへと転向した後の作品と、家具や家のデザイン、本の装丁までほぼ彼の制作活動を網羅している。その中で眼を見張るのは、その思想の転換と女性遍歴である。
まるでおとぎ話の中の住人のようなフォーゲラーを社会主義に走らせ、カザフスタンへと移り住まわせたのは、第一次世界大戦に自ら従軍したものの戦争の悲惨を目の当たりにして皇帝に戦争を終えるように手紙を書いたために精神病とされて精神病院に収監された経験である。それは画家としての地位や絵画のミューズであった妻マルタや子供たちや故国を捨てさせるほど凄まじい体験であったのではあろうが、逆に考えると若い頃のロマンに溢れる愛や情熱は彼が好んで描いたメルヘンのように甘く切ないがはかなく脆いものに過ぎなかったということを示す。
おそらくフォーゲラー自身が生きていたら、初期の作品を見せつけられたり、晩年の作品と一緒に展示されることに抵抗を感じたのではないだろうか。
しかし、「愛と春の画家」という彼の性質は後半の社会主義リアリズムの作品にもあてはまる。社会主義は当時は新しく希望に満ち胸躍る思想であったのだから、それに専念した彼は一生を通じて精神的青春にあったのかもしれない。画家が晩年になると色彩や構成が落ち着いたり渋くなったり、また精神的になったりすることが多いが、フォーゲラーにはそのような典型的な成熟は見られない。孤独と貧窮の中に波乱の生涯を閉じたいうことだが、若々しい色彩と細々とした装飾的部分を全体に配する絵画の特徴は全作品を通して見られる特徴である。彼の万年青春時代は作品にも当てはまり、作品と彼は常に一体であった。
 20世紀最強の宗教は社会主義であったという言葉を聞いたことがある。先のシュタイナーと合わせて、宗教の中に身も心も、作品も人生も没入できる時代がほんの100年前に存在していたことを実感させられた展覧会であった。


 ■ 大阪市近代美術館コレクション展2001 ─美術パノラマ・大阪─  (3/17/2001)
     2/24〜3/25 @ATCミュージアム

本展の構成は
第一景 大阪パノラマ ─池田遙頓の眼─
第二景 点描近代大阪日本画壇
第三景 大正から昭和へ、都市を写す版画 ─織田一磨と前田藤四郎─
第四景 洋画の大阪モダン
第五景 大阪の戦後美術

 副題の「美術パノラマ」は大阪をパノラマ的に表象した絵画と大阪の美術の様相をパノラマ的に展示したという二つの意味をとってつけられたのではないかと思わせる。
第一〜三景までが前者で、第四、五景が後者なのだが、、、苦しい。
大阪の美術の素晴らしさを表すより、大阪と関わりのあるものを寄せ集めるしかないのか、とその乏しさが露呈させてしまうような展覧会だからだ。織田一磨の描く大阪は情緒に溢れ美しいが、「これが大阪?」と思わせる。つまり大阪がかつて持っていた魅力を感じるのではなく、作品のタイトルとなっている地名が、例えば浅草であったり、長崎であったりと大阪以外の街であっても全然違和感なく郷愁をもって受け入れられるのである。
大阪をテーマにしているにもかかわらず、大阪でしか生み出し得なかった作品というものが浮かび上がってこず、大阪との関わり自体希薄な作品も多い。
1960年代から1980年代終わりまでの間に空白があるのも悲しい。
 大阪府の人工あたりの文化的施設の数は全国の48都道府県中、44位だという結果がごく最近産経新聞に出ていた。府立の美術館もなく公立の芸術大学も持たない希有な大都市である上に、大阪府は財政難から計画していた芸術大学や美術館建設の費用を景気対策に回してしまった。確かに芸術を二の次にする行政のあり方は大いに憂うべき問題であるが、素晴らしい作品が生まれないから芸術に興味がないのか、芸術推進に力が入れられていないから素晴らしい作品が生まれないのか、というニワトリが先か卵が先かの議論をしてもらちがあかない。
 大阪に魅力ある独自の芸術が全くなかったわけではなく、今回は紹介されていなかったが、浪華写真倶楽部の活動や「悪魔派」と呼ばれた北野恒富とその弟子の一派など極めて個性的である。それらの個々の作家やその作品やそれらの作品が生まれた条件などを深く研究することによって、大阪の芸術の可能性を引き出すことができるはずであろう。つまり、もし大阪という都市において芸術の発展を望むべきならば、行政に頼ったり、行政を責めたりするのではなく、芸術家の努力とともにいやそれよりもむしろ研究者が努力しなければならない。
 個人的には、悪魔派には島成園や木谷千種など才能のある女性画家がたくさんいて非常に興味深い。日本画は全く素人であるが、いつか調べてみたいと思う。

 補足として、第四景の洋画の大阪モダンの作品はどれもレベルが高く、みんな一生懸命がんばっていたことに感動した。だが、ずば抜けているのはやはり佐伯祐三で、《パリ展望》(1924)はユトリロ&ブラマンクを通過して佐伯独自のスタイルを確立する直前にセザンヌを消化していたことを示しており驚いた。しかも単なる模倣ではなく、セザンヌにはないそのタッチの潔さとドラマチックな黒(建物の影として)の使用に充分佐伯の個性を感じさせ、最も印象に残った作品の一つである。

 ■ オリンピックポスターアート展 ─20世紀の美と感動の軌跡─
     8/19〜9/24@大阪市立美術館[天王寺公園内]
大阪市が、2008年のオリンピック開催地の候補としてオリンピックムードを盛り上げようという企画であることは言うまでもない。
美術館でポスター展というのが珍しいのと、この展覧会のチラシの縦長の変則的なサイズになんとなく期待してしまったが、なんのことはない、これまでのオリンピックのポスターを年代順に並べただけであった。
初期のポスターはオリジナルが少なく、ピクセルが認められる荒いデジタル画像も展示されていたのには驚いた。逆に四隅に画鋲の穴が残るポスターには、人の目にさらされて立派に役目を果たしていたのだなぁというリアリティを感じた。
あとは、予想以上に多くのアーティストがオリンピック・ポスターを制作していることを知ったが、アンフォルメルの画家とオリンピックがどう結びつくのか、不思議な印象を持った。
展示会場の終わりの方など照明が暗すぎて展示物がよく見えないのには呆れた。

「おっちゃんオリンピック一つちょうだい」のポスターは気に入ってる。

 ■ 進化する映像
     11/21 @国立民族学博物館  (8/10/2000)
二つのテーマから成っています。
一つはタイトルにもあるように映像技術の誕生とその進化、
もう一つは映像技術が民族学の発展にどう貢献し、また資料としてこれからどのように利用されるべきか、です。
前者は予想していた通り。映画の前段階のおもちゃのような初期の覗きからくりを実際に楽しむことができます。欧米のアンティークな小箱に懐かしいパラパラ漫画、そしてなぜか東南アジア、バリやカンボジアの影絵の人形もありました。
リュミエール兄弟の映画が上映されたカフェの一室も再現されていて、当時の雰囲気が楽しめます。
ワクワクしながらいくつもの小さな覗き穴をのぞきんこんでいると、
映像の魅力って、大画面でサラウンドのサウンドでいかにリアルに体験できるか、よりも、小さな箱の中で単純だけど愛らしい動きや景色を見ることの方にあるように思われます。
小学二年の時、友人がロサンゼルスのディズニー・ランドのお土産の立体覗きメガネを学校に自慢しに持ってきて、それで見たグランドキャニオンの風景にメロメロになってしまったことを思い出しました。(小さなレンズの奥にひろがる雄大な風景、永遠の時の流れ、というものにすごい憧れを感じ、大人になったら絶対にグランドキャニオンに行く、と心に決め、どこにあるのか百科事典で調べたりしてましたよ。大人になってアメリカには5、6回行ってますが、そう言えばグランドキャニオンには行ってなかった...)

もう一つのテーマ、民族学において記像は、記録という役割から「映像人類学」へと発展して行っているという。ここでドキュメンタリー映画と代表的なその撮影者が紹介されています。彼らの撮ったアフリカの部族の映画などを見ていると、これまた、私が子供の頃は「すばらしき世界旅行」などの民放のテレビ番組でこんな映像をよく見ていたなぁ、と昔を思い出してしまいました。

展覧会の最後にとてもめずらしい企画がありました。それはこれまで一方的に撮影する人の立場で映像を考えていたけれど、撮影される人の側に立って考えるために来場者をビデオで撮影し、それを民博の資料として100年間保存する。撮影される側はそれを自分でよく考えて合意の署名をしてからビデオに向かって展覧会の感想などのメッセージを述べるというものです。
誰がどう見るか、どんな編集をされるかも、それによってどんな解釈をされるかも分かりませんし、自分で自分の映像を見る機会は二度とないかもしれませんが、私はウキウキと署名してカメラに撮影してもらいました。自分が確実にもう生きていない100年後まで自分の映像が残って誰かが見るかもしれないというのは、自分の分身として自分の映像が誰かに会うことであり、それがどんな遭遇であろうと好奇心と期待を感じてしまいます。
例えばキャリー・メイ・ウィームスというアメリカの女性黒人アーティストは人類学という名目で、科学資料という名目で今世紀初めに撮影されたアフリカ部族の写真における問題を作品にしていましたが、案外その時撮られていた人々も無理矢理撮られたのでないならば、写真や映像を見ることはできなくとも、なんとなく楽しんでいたのではないかなと、ふと思いました。

CD-ROM付きの展覧会カタログ1500円もお手頃感があり家でも楽しめます。

 ■ 近作展24 ミロスワフ・バウカ<食間に>
              7/23-9/3 @国立国際美術館 (8/10/2000)
国立国際美術館のホームページにある作品解説を読むとよく分かるのですが、
「生きる」ことと「死ぬ」ことを日常生活の中の素材を使って静かに浮かび上がらせています。毎日の生活の中で忘れられていたり、遠いものと思われているのは「死」の方だけではなくなく「生きていること」も実感することがないように思います。
バウカの作品はそれらを静かに語るような作品。いえ、語るというより読みかけの本の中に忘れていた栞を見つけるような感覚です。

1958年生まれのバウカにとってアウシュヴィッツやホロコーストの影を引きずっている、という解説には驚きます。けれど、キーファーの特に鉛を使ったような重厚な作品とは違い、展示されていたバウカの作品のほとんどは天井からつり下げられていて、一種の浮遊感があり、文字通り宙づりにされていて、重い内容を形式の軽やかさ・浮遊感が中和しているように思われます。
使い古しの石鹸の作品のそばに行ったとき、天井からつり下げられた石鹸にまだ気づかなかった時、その香りの強さに一瞬ハッとしました。美術館の中で石鹸の香りに出会ったことはインパクトがありましたが、その香りもバウカの作品の持つ清潔感ととても合っていました。


 ■ 近作展25 東島毅 
     7/23-9/3国立国際美術館 (8/10/2000)

大画面の抽象絵画。魅力的な作品とそうでない作品とに分かれます。
前者はポスターにもなっている作品を含むどこからか光を現前させているような絵画。
また透明な樹脂(?)を流した作品も生のざらざらしたキャンバスの上に
透明な液体が濡れていて触覚に連動した独特の感情を呼び起こされます。
が、絵の中にボリュームのある形が描かれている作品では、その形に必然性が感じられません。その形が何を意味しているのかではなく、なんでその形じゃなきゃならないのか?と。
展示されている作品全体を通して、地の部分の微妙な色の重なりは丁寧で深みがありますが、図となる形や線にはなんだか雑さや無駄やうるささが感じられます。
サイズや色使いに、月並みな言い方ですが、日本人離れしたところが感じられましたが、ジュリアン・シュナーベルの助手をしていたと聞いて納得。地と図の関係がシュナーベルの絵画と似ています。色使いにはディーベンコーンを彷彿させる作品もあった。光はロス・ブレックナーの影響もあるのか? とにかく、どこかアメリカっぽい作家です。
 ■ 野村浩司写真展 ─AMBIENT─
     8/2-8/20 タンクギャラリー (8/2/2000) 
紹介文によると野村浩司はピチカート・ファイブやCHARA、ヒスブルなどのミュージシャンの
CDジャケットをはじめ、ASAYAN、POPEYEなどの広告や雑誌などの仕事をしている写真家だ
そうで、今回展示されている約20枚の写真はどれも商業プロっぽい。
どこかで見たことのあるようなもの、今風でいかにも雑誌に載っていそうなもので、
目新しい衝撃のあるイメージではない。
それぞれ主題はバラバラで共通性はないが、やや緑がかったロークオリティっぽい色調や
テイストに70年代を彷彿させるという狙いがわかりやすい。
展示方法は約20点の写真をオブジェのような同一の白い円形のフレームに入れて
壁に掛け、それらの間にガス管と電線を張り巡らし、電灯が点滅を繰り返すという、
近未来風とアナクロが混じり合ったインスタレーションであり、写真展というよりは
写真を使った現代美術展といってもよいでしょう。

タンクギャラリーが場所を変えて復活した第1回目の展示ということで気合いが入っている
ようです。以前、「シェ・ワダ」というフランス料理のレストランだった場所で、
奥はカフェになっていてなかなかおしゃれ。少し狭いけれど。
オープニング当日であった8/2はアーティスト本人は来場していなかったもののとてもにぎわっていました。
次回はミック・イタヤ。

 
 ■ シモーヌ深雪 レクチュア+ライブ
    「シモーヌ流 現代芸術のたしなみ方〜謎とからくりを暴く〜」
    7/8(土) 19:00−@book cellar amus  (7/8/2000)
80年代にインディーズのバンドを初め、現在シャンソン歌手であり、ドラッグ・クイーンとして様々なイベント活動も行っているシモーヌ深雪。
まずは、アコーデオンの伴奏でシャンソンを3曲ほど披露し、現代芸術についてのレクチュアへ。
レクチュアと言うより、シ現代芸術やアーティストとの関わりを身の上話的に語っていくというもの。彼自身はたまたま昔からアーティストや芸術に関わる人たちと縁があったのだが、特に芸術に造詣が深いというのではなく、逆に現代芸術の作品に対して「なんでこれが高価な芸術作品なの???」という疑問を持ち続けていたそう。森村泰昌やビデオ作家の寺島真理やキュレーターの長谷川祐子などなど様々な人々との交流を通して芸術に接しつづけ、最近、目からうろこが落ちるように芸術がわかるようになったという。その契機はニューヨークで見たウォルター・デ・マリアとリチャード・セラの作品が持つパワーを感じたことだそうだが、ゴーヂャスを極めるシモーヌが、ギャラリーに土を埋め尽くしたデ・マリアのコンセプチュアル・アートやセラのシンプルな鉄の彫刻というストイックな作品に打たれたということが意外でもあり、納得もできるような。
ちなみに今回の企画をオーガナイズしたのは阪大の美学の後輩で昨年堺市にできた児童会館「ビッグバン」の劇場ディレクターをしていた谷川恵氏。ビッグバンでもシモーヌのライブを企画していました。
子供達はシモーヌをどう受けとめていたのだろうか。
     ■フェルメール展
美術館見学のレポートの概評