窓の辺りが薄藍色に染まるのに気づいて身を起こした。
夜の深い深い紺よりもやや淡いその色は、夜明けがそう遠くないことを無言で知らせている。 ベッド下の床に散らばった衣服を身につけ、音を立てずに台所へ行き、冷茶をコップに注いで一息に飲み干す。 空になったコップにもう一度冷茶を注ぐ。これは呆れるほどに強情なあの人の分だ。 コップを手にしたままベッドに戻り、スプリングが音を立てないようにそっと腰掛ける。 「…先生、お茶いる?」 躊躇いもせず囁いたのは彼が起きているだろうという確信があったからだ。 長時間触れていた体温が離れても、油断しきって寝ているような人ではない。 ベッドに寝ているイルカを腰掛けたまま覗き込むと、案の定射るような視線がカカシ目掛けて飛んできた。 「……いりません」 掠れきった声は無機質に響く。 シーツに散らばる漆黒の髪は彼の気性を表すかのように真っ直ぐで癖がない。出会った頃より随分伸びたなと、一房手に取り弄ぶ。 すると業を煮やしたのか、上掛け布団が大きく揺れた。 「さっさと…出て行けっ」 おやおや、とカカシは悪びれることもなく呟く。癇癪で中身がこぼれるのも困るので、 とりあえずコップをベッドから少し離れた場所にある机に置く。そして先程と同じようにベッドに腰掛け直した。 「そんな掠れた声で怒鳴られても、いつもの威厳は全然ありませんねぇ」 上掛け布団が揺れた瞬間に、全身くまなく散った鬱血の跡がちらりと見えた。 「立てないんでショ?あまり意地は張らないほうがいいよ、先生?」 「うるさいっ!元はといえばあんたのせいでしょうっ」 ベッドに伏したままカカシを睨みつけるイルカの瞳には、怒りと屈辱、そして憎悪が宿っていた。 二人は…恋人同士では、ない。 下忍たちを受け持つことで知り合ったイルカ。 上忍に媚びることなく自然体のイルカを気に入ったのは自分。時折彼を誘って飲むこともあった。 友人というほど親しい関係ではなく、顔見知りというには少し近しい関係。均衡が崩れたのは中忍選抜試験の時だった。 『ナルトはアナタとは違う!アナタはあの子たちをつぶす気ですか!?』 『口出し無用!アイツらはもうアナタの生徒じゃない。…今は…私の部下です』 イルカに対して、自分でも信じられないことに感情的に言い返していた。自分とは相容れない何かが彼の中にはある。 (面白い) そう気づいた瞬間、自分の中の暗い感情が蠢くのを感じた。――夜の暗闇を駆けていたあの頃に封印したはずの。 …その後、上忍の権威を振りかざしてイルカを犯した。里内でそのような横暴が許されるはずが無いことも承知の上で。 それは今にまで続いている。思い出したようにイルカの家を訪れ、無理矢理に抱くようなこの関係にイルカは疲れているはずだ。 抵抗されるのを捻じ伏せるのも、感情と裏腹に快楽に喘ぐ姿を見るのも、情交後のイルカの瞳に憎悪が宿るのも、全てに興奮する。 もしも誰かにお前は壊れていると詰られるならば、きっと自分は頷くだろう。 三代目のジジイは目敏いから気づいているのかもしれないが、それはそれで構わないと思う。 もしもイルカとの関係が明るみに出たとしても、せいぜい里外任務に飛ばされるか、暗部に逆戻りか。 (それか、イルカ先生に殺されるのが先か) イルカのベッドの下には、大振りの忍刀が備えてあるということをカカシは知っている。 情事の最中、時折ベッドの下を気にするそぶりを見せている。おそらく無意識なのだと思うが、忍びならではの反射神経で、良く鍛えてあると感心する。 のこのこと身一つでイルカ宅へ赴く自分よりも、彼はよほど忍びらしい。 そして、本気になればイルカはカカシの隙をつける程度の実力は持っている。 (いつか殺されたりしてね、オレ) それも一興だと、カカシはせせら笑う。 これはゲームだ。――イルカが耐えられなくなるまで続くゲーム。 (……いつまでお人好しでいられるの、先生?) どんな形であれ、自分は確かに恋をしている。 暗い愉悦に静かに浸りながら、カカシはベッドから立ち上がり窓のカーテンを開けた。 薄藍色の空は更に薄い色となり、僅かに赤が混じっている。じき夜が明けるだろう。 |