義旗の元 酌み交わすのは玉の杯 たなびく紫煙は水面の霧か 舞い散る花に未練は無いと 笑むその姿は誇りし信念 幾年共に戦場駆けた 君はただ 別離の言葉も告げぬまま 雨落つ藍の空に消ゆ 悲しみがけぶるように漂う弔いはしめやかに行われ、生者と死者の境界をはっきりと分ける。 儀式が終わると墓前は静けさに覆われた。既に日が沈み辺りは薄暗く、参列者は皆家路に着いたらしい。 きっとそれぞれがそれぞれの居場所で悲しみに沈むのだろう。 夜を見計らったように一人の男がやってくる。それは里支給の喪服に身を包み、片手に酒瓶を持ったイルカだった。 墓碑と向き合うように地面に腰を下ろしたイルカは酒を杯に注ぎ、墓前に供えた。 「……悪い人ですね、紅さんを泣かすなんて。」 最初に出た言葉は、よくわからない詰りの言葉。 続く言葉を見つけられず、イルカはもう一つ用意した杯に自ら酒を注ぎ、ぐいっと飲み干した。 猿飛アスマはイルカにとって兄のような存在だった。両親を九尾によって喪い、幼くして天涯孤独の身となったイルカにとって 頼れる存在は三代目しかいなかった。彼もイルカを孫のように可愛がってくれた。 だが、あの激動の時代、火影は政務に外交にと彼方此方を飛び回っていて、子供らしく甘えることはなかなか出来なかった。 そんな当時、多忙な火影の代わりに世話を焼いてくれたのがアスマだったのだ。 『お、イルカ!よく来たな』 いつも泰然とした姿で笑う彼は、見た目に似合わず頭を使ったゲームが好きだった。将棋と碁を教えてくれたのはアスマだった。 『今日は負けねぇ…』 生来の負けず嫌いの気性で、何度もアスマに挑んでは負けたものだ。経験を積んでもなお、圧倒的にアスマの方が強かった。 ――のんびりと煙草を咥えながら、縁側で将棋や碁を楽しんでいるのが似合う人だったのに。 「せーんせ。俺にもお酒分けてー?」 「……相変わらず神出鬼没な男ですね、カカシさん」 褒めてませんよ、と釘を刺すのは忘れない。座り込んだまま、背後に立つカカシに視線を向ける。カカシはイルカの隣に無言で座った。 いつもと変わらない飄々とした態度。だが、身に着けているベストやくないホルダーなどがいつもより重そうに見えて、イルカは一つの仮説を立てる。 「先生、お酒ー」 「残念でした。今手にしてるこれが最後の一杯なんですよ」 「けちー!」 いつもの自分たちのやり取りに、安堵した。 「先生もアスマとは親しかったんですね。」 オレ、あいつがガキ共預かってからの付き合いだと思ってたんですけどね、とカカシは苦笑する。 「ええ、幼い頃から面倒を見ていただきましたから」 そのまま二人沈黙したまま、祈りのような時間が過ぎる。 本当に、自分は彼に与えてもらうばかりで、何も与えることは出来なかったのだと思う。 里の指導者として絶大な信頼と尊敬を集める火影を父に持ったアスマが、心の中でどんな思いを飼っていたかはわからない。 父と比べられたこともあっただろうし、憎んだこともあったかもしれない。 きっとアスマならそんな感情なども上手く抱えて、何事もないかのように悠然と佇むのだろう。 もう、三代目のしゃがれた笑い声が執務室に響くことも、アスマが紫煙を燻らせることもない。 アスマとの将棋の対戦成績が、これ以上増えることもない。 無言のまま、イルカは最後の一杯を飲み干した。確かに臓腑に染み渡る感覚はあるのに、肝心な酒の味がわからない。 「泣けばいいのに」 カカシがぽつりと呟く。その表情はただ静かで。 「……まだ泣けませんよ。それよりあんたのが酷い顔をしてる」 「オレも、泣けませんよ」 カカシにとってもアスマは無二の親友だった。カカシを『ありのままのカカシ』として接してくれる数少ない人物でもあったのだ。 上忍待機所や受付所で見かけるカカシの隣には、いつも楽しそうな顔をしたアスマが並んでいた。 イルカは横に並んで座っているカカシに寄り添うように体を預け、カカシの肩に頭を乗せた。 ほんのりとカカシの体温を感じることが出来て、生きていることに改めて安堵する。 「馬鹿みたいですね、俺たち忍びって…」 忍びでなかったなら、ありのままの感情で大声を上げて泣けたかもしれないのに。――それでも、忍びでなければ出来ないこともある。 空が白み始める。朝の空気に紛れた微かな人の気配に、イルカがふと顔を上げた。 「……あいつら、連れて行くのって、もしかしてあなたですか?」 「…ええ」 さっさと立ち上がったカカシには一つの揺らぎもない。 「オレは紅とは違います。あいつのためには泣いてやれないし、俺が出来ることはこれくらいですが、それでも」 自分がやるべきことは、一人心の中で墓前に誓った。 「――どうせイルカ先生も…これから忙しくなるんでしょう?あんたただの中忍じゃないし」 「…ええまぁ」 おそらくアカデミーでの教師業の傍ら、暁についての情報収集が主な任務となるだろう。裏方としてやることはたくさんある。 イルカもまた立ち上がり、そっと朝露で湿った墓碑に手を伸ばした。 (アスマさん、今はあなたのために泣けない。…でも、全てが終わったらまた酒を供えに来ていいですか?) …きっとその時はしんみりと泣くから。 「…それじゃあオレは行きますよ。いつ里に帰れるかわかりませんけど、とりあえずあいつらの面倒を見なきゃなんで」 妬けるなぁ、などとぶつぶつ呟くカカシが少し面白くて、イルカは表情を緩めた。 シカマルやチョウジ、いの――アスマの育てた忍びたちがアスマの遺志を継いでゆく。 「ご武運を」 静かに祈りの言葉を告げて、イルカはカカシに口付ける。束の間視線が交錯し、言葉よりも鮮やかに想いを物語る。 合わせた唇が離れ、二人は別々の方角へ歩き出した。 カカシは里と外界を繋ぐ門へ。イルカは五代目の待つ執務室へ。 空は藍色から白を経て蒼色へ。愛する女を愛で包んで哀しみに染めて。 ――願わくば、あの人に訪れた眠りが穏やかなものであることを。 |