カカシは足を止めた。 周囲を見渡せば、懐かしい里の風景に自分はいる。 過ぎ去った時代、思い出の景色だ。 かつては幾度となく戻れたら、やり直せたらと願ったこともある。 だが、ここにカカシの居場所はない。 望む世界でもない。 先へいく背中が振り返って、心配げに自分をみている。 「どうかした?」 その姿と言葉に、涙が──たくさんの感情が溢れそうになる。 「先生」 自分で声が泣きそうなのが分かった。 情けないとか、忍びのくせにという自分の声が頭の片隅で叫んでいるのも。 「オレ」 それでも、感情が抑えきれない。 ほとばしるように、言葉が溢れた。 「帰りたいですっ」 こんな繁華街の真ん中で、大人が涙声で言うようなセリフではない。 堪えきれず俯いたカカシの耳に、周囲のざわめきが突き刺さる。 「大丈夫」 優しい誰かが手に触れて、そう言った。 きつく握り締めたカカシの右手を、小さく暖かい手がそっと包み込む。 薄く開けた眼が、見上げてくる真っ直ぐな黒い瞳とぶつかった。 根拠のない、子供の慰め。 そう分かっていても、イルカの言葉はカカシにとって何よりも心強かった。 「大丈夫だよ」 膝をつき、腰を落として同じ目線になると子供の小ささをはっきりと感じる。 まだ忍者でもない、本当にただの子供でしかない。 だが今、カカシのよりどころは幼少のイルカだけだった。 帰りたいのは、自分の居場所は、彼の元だ。 「……せんせいっ」 堪えきれず、叫んで腕を伸ばす。 しっかりと抱き込んだ手ごたえはひどく、儚かった。 * * * * * 「……先生っ!」 「はい?」 不思議そうな声と、ぱかりと見開いた目が映す光景をカカシは咄嗟に理解できない。 日暮れた里の繁華街にいたはずだ。 なのに、夕景の中、里近くの丘に寝転んでいる自分。 「……あれ?」 少年時代の自分のように覗き込んできているのは、イルカだった。 すっかり大人に成長した、よく見知った姿の彼に安堵する。 「こんなところで寝入ってるなんて珍しいですね」 「いえ……」 夢、だったのかな。 そう呟く声に、どうかしたんですかと声が掛かる。 「いえ……」 自身でもよく分からない状況に、ただそう答えるしかない。 起き上がり、立てた膝の上で握り締めた手は何を示しているのだろう。 あれがただの夢だった安堵か、それも悔しさか。 自分の考えに沈み込んでいくカカシの手を、そっと暖かい手が包み込む。 「大丈夫ですよ」 「……え?」 「あなたが何を悩んでいるのか、見当もつかないので、ただの慰めでしかないですが……」 それでも、とイルカはあの頃と代わらぬ黒い瞳を真っ直ぐに向けてくる。 「それでもきっと、あなたは自分でそれを解決できてしまうはずです」 「……そうでしょうか」 隣りに座り、自分の手を握ったままの人からカカシは視線をそらした。 とんだ買い被りに居たたまれなくなる。 「オレには、手にあまることばかりです」 「人は、自分で解決できるから、悩むんです。 そうでなければ人のせいにしたり、嘆いたり、無視したりするのが精一杯じゃないですか?」 ああ、自分を信じて立ち向かうってのもありますね。 そう言って、誰かを思い出したのか、くすりとイルカが笑う。 「自分にはどうしようもないことのように見えても、それは物の見方や立場の問題でしかないってオレは思ってます」 重ねた手に力をこめ、イルカはカカシに微笑む。 「諦めなければ、答えは見つかるって」 「……さすが、イルカ先生」 からかうように言ったはずの言葉が、涙声に聞こえたがもうカカシは構わなかった。 「ほんと、敵いませんよ」 今だけは正直にいたい。 「惚れ直しちゃった」 「何言ってるんですか、今更」 照れることもなく笑って受け入れてくれたイルカが、カカシの手を握ったまま立ち上がる。 「さ、帰りましょう。もう日が暮れます」 「はい」 手を繋いだまま立ち上がって歩き出す。 「でも、本当になにやってたんですか? あんなところで」 「イルカ先生、待ってました」 多分、嘘ではない。 カカシはきっとイルカに会う為に、あの場所に居たのだ。 懐かしい、失われた時間に。 「冗談言わないでくださいよ」 夕日せいでなく、すぐ横にあるイルカの頬が赤い。 「ほんとですよ」 「はいはい」 二人並んで歩く道は、何度も行き来した道だ。 かつては楽しいときもあったし、苦しいときもあった。 仲間たちにかこまれながら、孤独と無力感に打ちひしがれながら。 これまでに数え切れぬ程辿り、これから幾度も歩く里へ続く道。 見渡す風景はどこか懐かしくて、新鮮に映る。 「イルカ先生」 そして、彼いる場所へ帰るための道だ。 「ただいま」 いつも任務から帰る度、交わしてきた言葉。 「お帰りなさい、カカシさん」 これから何度でも口にするだろう。 握り返す手の暖かさと強さがある限り。 * * * * * 「そう言えば、昔、不思議なことがあったんですよ」 報告書を提出し終え、道すがらに夕食をどうしようかと話していた中でイルカが足を止めた。 「オレがまだアカデミーに通いだしたかぐらいの頃だったか」 夜の独特な活気を帯びだした繁華街を見据え、思い出すようにぽつりぽつりと語りだす。 「任務の終わったかーちゃ……母を出迎えにいったら、一緒にいた人が泣き出したことがあったんです」 語る言葉の速度で歩きながら、イルカはカカシを見ずに先を続けていく。 「大人の、それも忍者が突然道の真ん中で泣き出すなんて、びっくりしましてね」 「……それ、で?」 「オレがその人の手を、こんな風に握ったら……」 あの時のように、イルカはカカシの手にそっと触れる。 「……その人は、消えてしまったんです……」 ふっと口元が緩んだのは、触れた手が消えずにいる安堵だろうか。 「母たちは、帰るべき場所へ戻ったんだろうって言っていたような……」 曖昧になってしまった記憶に、イルカの眉根が寄る。 「……大丈夫、ですよ」 そんな彼の手を、握り返してカカシはつぶやく。 「ちゃんと、帰ってきました」 あなたの元へ。 |
イルカ君は可愛いし、先生は大人だし、カカシ先生はもたついてるし(笑)
ほのぼのとして温かいお話です。蛙娘。さまありがとうございました〜!
※加筆部分まで掲載させていただきました。