重く厚く雪雲が垂れこめた空は、暗いばかりで星はない。 降り積もってゆく雪はどうどうと唸りをあげて吹き上げる風に舞い上がり、白く視界を遮る。 この地域一帯が豪雪に見舞われていることも、天候が崩れそうなことも分かっていた。 それでも任務の帰り道に、最短距離だからとこのルートを選択したことを今になってカカシは後悔している。 だが、夜の闇と深い雪に行く手を阻まれ、強い風と寒さにあらゆる感覚器官を遮断されては、もはや山を降りることもできなかった。 それに、遭遇した敵をこのままにはできない。 「……ま、それはお互い様だろーケド」 岩陰に雪洞を掘り、身を隠したところでカカシは一息、そうこぼした。 一応、周囲に気を配ってはいるが、匂いと音は雪混じりの風にかき消され、視界は雪と闇に阻まれて何も分からない。 写輪眼を使えば、チャクラを探ることはできるだろう。しかし、ずっとそうしていることは不可能だった。 なにより、任務帰りのことだ。里へ戻る以外の体力は殆ど使い果たしている。 「あー、寒ぅ」 心底寒いというのに、自分の言葉はやけに白々しく聞こえた。 まるで寒さなど微塵も感じていないような、下手な素人芝居のセリフみたいに。 両手を擦り合わせながら静かに息を吐いた。 口布越しに漏れる呼気は雪洞の中だというのに白くわだかまる。 「ほんと、寒いねえ」 もう一度呟いてみても同じだった。 感情を無くしたのかと思って、とっさに浮かんだ名を呼んでみる。 「いるかせんせえ」 呟いた名前は、会いたい気持ちのせいか思っていたよりひどく甘ったるい声がでた。 さっき、寒いと言った声とは別人。自分でもそう感じ、安堵した。 同時に、呼んでしまったことで、かの人への思いも募る。 「どうしてるかな」 任務先で同じように寒さに凍えているだろうか、それとも里でぬくぬくとしているのだろうか。 どうせなら後者がいいとカカシは思う。 あの人にはいつも幸せでいてもらいたいのだ。 それが忍びという生業ではムリな願いだと分かっているからこそ、出来るだけでいいから。 寒い夜には大好きなラーメンで温まって、軽くアルコールも口にして、ご機嫌で家路を辿る。 熱い風呂にもゆっくり浸かって、湯冷めもしないうちに布団でのびのびと眠って欲しい。 「オレがこんな寒い思いしてんのに」 自身の想像のイルカへ拗ねた声を出してしまうほど、ささやかな幸せの中で生きてくれればいい。 そしてちょっとだけ、自分のいないことを淋しいと思ってくれれば。 「……なぁんてね」 「何が、ですか」 「へ?」 顔を上げると真正面、それもごく近くにたった今、想像していた顔があった。 「なにしてんです?」 ひどく呆れた声を表情で自分を覗き込む人には、見慣れない防寒着を兼ねた野戦仕様の外套こそまとっているが、間違えようもない。 「……いるか、せんせえ、こそ」 それだけ言うのが精一杯。 自分では分からないが、きっと口布越しでも分かるくらい、マヌケな顔をしているんだろうとカカシはぼんやり考えていた。 どこか楽しそうな、呆れたような声でイルカは狭い雪洞へ這い進んできて、隣りに腰をおろす。 「任務ですよ。すぐ麓の村でしてね。まあ、雪ほり、なんですけど」 「雪掘り、ですか?」 「雪放り、です。雪掻きとか雪下ろしとか言ったほうが分かりやすいですかねえ」 「そーうですねえ」 こういった豪雪地帯では、もう雪を掻くとか下ろすとかの次元ではない。 とにかく、邪魔にならない場所へ放るしかない。 そんな説明をするイルカから伝わる温もりに、カカシはこの状況が都合のいい夢でも幻術でもないと実感していた。 「でも、なんで、こんなとこにまで?」 「……この辺で戦闘があったでしょう? 麓に音が響いてたんで、雪崩れでも起きないかって警戒しにきたわけです」 「で、オレを見つけちゃった、と?」 「……はい。もしかしたらって、思ったんですけどね。まさか、アナタだなんて、ねえ……」 明後日の方へ頷くのは、多少の気恥ずかしさからだろう。 薄暗い雪洞の中でも、カカシの目にはいつもより赤みの強いイルカの耳が見えている。 ふと、カカシの脳裏に憧れのシチュエーションが閃いた。 猛烈な吹雪に囲い込まれ、ロッジに取り残される恋人未満な二人が互いの本音を追求しあうこともなく、暖めあう──という、妄想。 思いついた瞬間に脳が沸騰するような目眩に襲われながら、カカシはイルカの肩を抱き、耳元へ囁いた。 「……寒く、ないですか?」 「ええ、これくらいなら平気です」 オレだって中忍ですしね。 「……ですよねえ……」 「一応、零下15度までならこの装備でも一晩過ごせますよ」 朗らかなイルカの言葉に不埒な妄想を一撃で打ち砕かれ、心で号泣しているカカシの返事に力はなかった。 同性なんだしたまには男心も察してくれよ、という愚痴が脳裏に吹き荒れる。 大体、カカシには「男のロマン」というものがあるが、イルカはそういったことに疎いのか現実主義者なのか、二人の思惑はさっぱり噛み合わない。 これでよく、おつき合いなんかできるなあ、なんて儚く思ってしまうのもよくあることだ。 ただ、カカシの傷つきやすい男心を知ってか、イルカはにかりと笑顔を見せる。 「それに、こうして二人でくっついてますし……」 こういう時に、カカシはなんの作為もない、ただ真っ直ぐなイルカ気持ちに触れた気がする。 そして、じわりと熱を帯びる自分の気持ちに気付くのだ。 「くっ、ふ、ははは」 「なんです、急に」 結局、二人の間には一つの気持ちしかない。 雪のように時に押し潰すように重く、軽やかで美しくもある。 「イルカ先生はあったかいなあって」 強く抱きしめて、嬉しそうにいいながらカカシは思った 今は、互いを好きだという気持ちに包まれているだけでいい。 |