毎度おなじみ上忍詰め所『人生色々』。 その扉を開けると今日は珍しく誰もいなかった。 これなら誰に気兼ねもなく一服出来るってもんだ。 最近じゃあ、分煙だなんだと喫煙者はもっぱら肩身が狭くてかなわねえ。 落ち着いて煙をくゆらせられるのなんて自分の家の中ぐらいだ。 煙草は嗜好品てくらいだから、好き嫌いが分かれるのはわかっちゃいる。 だからこっちだって気を使って外でやるときゃ遠慮っぽく隅のほうでぷかりぷかりとささやかに楽しんでいるってのに。 紅のヤツなんかは、匂いが移るだ煙で汚れるだとそれでも気にいらねえらしくてな。 まるであれだ、芋虫でも見るかのような目を向けて来やがるってんだからこの理不尽さはどうよ。 ったく、思い出すのも腹立たしい。やめやめ。 せっかくのんびり一服できるってんだから楽しまねえ手はねえよな。 窓際の一等席に腰をどっかり下ろして早速一本火をつける。 すうっと深く吸い込むと、じじじとその先が赤く焦げた。 最初の煙をふかして二服目を肺いっぱいに吸い込みゆっくりと吐き出す。 「んー…たまらん」 背もたれに身体を深く預けてのけぞるように仰ぎ見た四角い窓の向こうには、幾分高い位置に青空が広がっていた。 そういや蝉の声もいつの間にかあんまり聞こえなくなってるな。 もう一度煙を吸い込んでから、先っぽのほうにやっとでたよりない原型を残している灰を煙草盆に落とす。 今日の最高気温は30℃とか言ってたか。残暑はまだまだ厳しいってのに、周りはすっかり秋めいてきてるんだな。 「季節は着々と移り変わってるってわけだ…」 そんなセンチな気分に浸りかけた時だった。 ――ガラガラガラッ 無遠慮に大きな音を立てて詰め所の引き戸が開いたのは。 そしてその音同様たいそう無遠慮な男がずかずかと入り込んできた。 「あーっ、あっつい。何なのこの暑さは」 左眼を覆うように斜にかけた額宛と、鼻の上まですっぽり覆った口布という最早見慣れたとは言えかなり胡散臭い風体であらわれたそいつは、はたけカカシ。 「…そんななりしてりゃ、そりゃ暑いだろうよ」 「まあねえ。って、あれ? アスマ一人? 珍しい。紅は?」 なんでそこであいつの名前が出てくる。 せっかく頭ん中から追い出して良い気分だったってのに、一気に滅入った。 「…知らねえよ」 「あ、そ」 それだけ言うと、カカシは俺から二人分ほど空けたところに並んで腰を下ろした。 興味ねえなら聞くな、と言いたいところだが、カカシが相手とあっちゃこんなのいつのものことだ。 しかも、 「暑苦しいんだから、それ以上こっち寄らないでよ」 なんて台詞をしゃあしゃあと吐きやがる。つか、お前がもっと遠くに座れ。 「…誰が寄るか」 いちいちまともに取り合っててもしょうがない。 こいつと来たら、一見人当たりがよさそうなくせに、感心するほど他人に興味がない。 それでいて木の葉でも一二を争う洞察眼の持ち主だって言うんだから世の中不思議な事もあるもんだ。 見えているし覚えているその大量の情報も、ことプライベートで関心を持つというまでには至らないらしい。 と。 突然カカシが、ぴくりと動いた。 (…ああ、一人だけ例外がいたか) 扉の向こうに感じた気配に合点がいく。 程なく『失礼します』と声がかかり、ぴたりと空間を遮っていたそれがガララっと開いた。 「イルカ先生!」 扉を開けた主が口を開くより早く、カカシが声をあげる。 カカシのたった一人だけの例外。 興味の対象の中心であり、そしてその全て。 それがこの『イルカ先生』だ。 いつの間に移動したのか、まだ俺から五メートルほど向こうに居るイルカ先生の横に、そいつはぴったりとくっついていた。 腐っても上忍。 「こんなところまでどうしたんですか? もしかして俺に会いに来てくれたの?」 そりゃもう嬉しそうに、カカシは臆面もなくそんなことを口走った。 初めてこいつのこんな姿を見たときは、そりゃ面食らいもしたが、今となってはこれもまた日常茶飯事。 新鮮さのカケラもねえ。人間ってのはホント何にでも慣れるもんだよなあ。 「…違いますよ。アスマ先生がこちらに居ると伺ったんで」 「えー、アスマですかあ」 睨むな睨むなっ。俺は悪くねえだろうが。 「あ、すいませんアスマ先生」 最早へばりつく体のカカシの銀色の頭をぐいと押しのけてイルカ先生が俺に近寄ってくる。 「おう、なんだイルカ先生」 「この間提出していただいた報告書なんですが、申し訳ありません。受付側で不備の見落としがありまして…」 「そりゃすまん、どれ…」 「ええと、ここなんですが…っわ!?」 「?」 漸く本題、と頭を付き合わせたところで、いきなりイルカ先生がぐん、とのけぞった。 「もーっっ! 書類なんてどうでもいいじゃないですかーっ」 良いわけないだろうが。 大方、イルカ先生が自分そっちのけで俺と話すのが気に入らなかったんだろう、どうやら背後に居たカカシが彼をいきなり引き寄せたらしい。 「ちょっと、カカシ先生! 何するんですかっ。俺はアスマ先生とお話があるんですよっ」 イルカ先生は喧々と怒って見せるが、カカシと来たら口布をしてても分かるくらいに、あからさまに不貞腐れた顔をしてやがる。 …嫌か、そんなに嫌なのかカカシ。お前は幾つだ? 「やですー。俺と遊んで、イルカ先生」 「あそっ…?! って、アンタ何言ってるんですか…」 多少げんなりしたイルカ先生にも、銀髪のクソ餓鬼は何処吹く風でにっこりだ。 「だってー、久しぶりじゃないですか」 「何が?」 「会うのが」 「…誰と誰が?」 「ヤダナア、俺とイルカ先生が、に決まってるじゃないですか?」 イルカ先生にそうなのか? と目配せしてみる。 もし本当にそうなら、久しぶりの逢瀬に野暮はしたくねえしなあと。俺はこう見えて空気の読める良い男だからな。 けれどもが、だ。 どう考えても俺がそんな気を使うほど、こいつらが久しぶりに会ったとは思えない。 カカシはここんとこ長期任務には出てないし、イルカ先生は基本内勤だ。 二人ともが里内に居るのにカカシがイルカ先生を放っておくなんてことがありえるのか。 そもそも俺は昨日もこの二人が一緒にいるところを見た記憶があるんだが。なんだアレは幻か? 「違いますよ、全然久しぶりじゃありません」 首をひねる俺に、イルカ先生がきっぱり言い切って呆れたように尚も続けた。 「久しぶりどころか、たった四時間前には会ってましたよ」 ああ、やっぱりねえ。 「たった、じゃないです。四時間も、ですよ」 しれっと、言い放ったカカシに、あー…あれ、イルカ先生。 今ちょっと切れたか? 切れたなー。 「〜〜〜〜〜っ。何くだらない事言ってるんですかっ!! つか、暑いんですよっ。くっつかないでくださいっ」 確かにただでさえ暑いしな。そんなにがっちり羽交い絞めにされてたらさぞかし耐え難いだろうよ。 なおかつ仕事も邪魔されてるし、そりゃイラつきもするわなあ。 つか、カカシ。おまえ自身さっき暑いってうだってたよな? イルカ先生にくっつくのは平気なわけか? うーあー、でもこれ、こうなると面倒臭えんだよこいつら。 こうってどうだって? いや、だからよ。 イルカ先生がカカシの野郎を適当にいなしてる間はいいんだがな、うっかりイルカ先生まで切れちまうと、収拾付くまでがなー…。 あー、もう説明も面倒臭え。 取りあえず聞いてりゃ分かるから。 はい。 イルカ先生にカカシ先生、成るべく巻きでお願いしますよ。 「!? なんでそういう冷たいこと言うかなっ。大体、暑い暑いって、イルカ先生は俺がくっつくとすぐ言うけどね、あなた子供達には年がら年中平気でぺたぺた触せるくせに、抱っことかするくせにっ! なんで恋人の俺はダメなんですかっ」 「…アンタは子供じゃないでしょうが。容積がかさばってるんだからそんなにくっつかれたら暑苦しいんですよっ!」 「かさばっ…?! そりゃ確かに、俺のほうがイルカ先生よりはちょーっとだけデカイですけどねっ。太ってるわけじゃないですし、イルカ先生が薄すぎるんですよっ!」 「う…っ、薄くて悪かったですねっ! そんなのいちいち言われなくても分かってますよっ」 「ラーメンばっかり食って偏食してるからそんななんです」 「そんなって何ですかっ?! 畜生、気にしてるの知ってるくせにっ。大体俺のこれは美容体型なんです。一般的にはスタイル良いって言われるんですよっ!!」 「アンタがスタイルいいのなんてわかってます。って言うか、一般的って何ですか?! アンタ俺以外の誰にそんな事言わせてんですか?!」 「一般は一般ですっ。誰も彼もありませんよっ。フンッ」 「!!! 誰かに裸見せたんですか?!」 「ええ、ええ、夏場はほとんど毎日見せてますよ。アカデミーで水遁の演習が連日ありますからねっ。海パン一丁でそこら中歩き回ってますよっ!!!」 「ギャーーーー!! イルカ先生の浮気者!! 酷いですよ、俺と言うものがありながらっ!」 「……アンタ、相変わらず人の話ちゃんと聞く気ないでしょう?」 「聞いてますよっ! 信じられないっ。万人の前であんなエロい裸晒すなんて…ふっ、ふしだら千万です!!!」 「ねえ、カカシ先生。今日こそ腕のいい耳鼻科を紹介しますよ。ああ、それより神経科のほうがいいですかねえ?」 「ひっ…酷っ!!」 「…ホント、アンタときたら良いのは顔と腕だけなんだから、全く可哀想な人ですよ」 「なっ?! 何ですかその哀れむような目は?! だったら、そんな俺と付き合ってるアンタのほうがよっぽど可哀想でしょ?!」 「ふざけんなっ! 俺は可哀想じゃねえっ!」 「だったら、俺だって可哀想なんかじゃないですよっ!」 「アンタは可哀想でいいんだよっ」 「良いことありますかっ! 可哀想なのはあんたですっっ!!」 「ちっがーう!」 「違いませんねっ!!」 「違うったら違う!!!」 「違わないったら違わないっっ!!!」 「!!!!」 「!!!!」 あー…何? そろそろ? そろそろですかー? なー、っつうわけでな。ホント、どうしようもねえんだわ、こいつら。 こういうのをアレだよ、それこそ世間一般では『痴話喧嘩』とか言うんだろ。 犬も食わないとかな、やっぱり先人はうまい事言うよなあと思うわけよ、俺は。 「ねえ、アスマッ!」 「アスマ先生っっ!」 「…何だよ」 振るなよ、俺に。 「何だよじゃないでしょ、聞いてなかったの?! 可哀想なのはイルカ先生でしょ?!」 「だから違うって言ってるでしょ?! 可哀想なのはカカシ先生の方ですよね?!」 本当に全くこれっぽっちも下るところの無い話なんだが、そんなに聞きたいってんなら教えてやろうじゃねえか。 「…要はあれだろ、誰が可哀想かっつう話なんだろ?」 「そうだよっ。イルカ先生でしょっ?!」 「カカシ先生ですよねっ?!」 お前らなあ、仮にも先生と呼ばれる職業についてて、こんなのもわからんようでどうすんだ。 俺はおもむろに、じゅっとマッチを擦って、新しい煙草に火をつけた。 「ふーーっっ…」 あー、煙草は良い。 「今この場面で一番可哀想なのは、俺、に決まってるだろうが」 お前らさえ来なければ、少し細くなった雲なんぞ見ながら、もっと穏やかな時間を紫煙と一緒にまったり過ごしてたはずなんだぜ俺は。 それがどうだよ。 「?!」 「?!」 そろいもそろって、ハトが豆鉄砲食らったみてえなアホ面してやがるがな。 考えても見ろ。 聴きたくないのにもかかわらず、どういうわけか聞き飽きた話を、しかも出来上がっちまってるいわゆるバカップルの褒めあいみてえな完全無欠の痴話喧嘩をだ。 その片割れが持ったままの用件が済んでないが為に、そうと知ってて、最後まで聞いてなけりゃならなかった俺がどう考えても一番可哀想だろ。 「…何だ、何か間違ってるか?」 意義のあるヤツは、明日アカデミー校舎裏までちょっと顔貸せや。 |