アジア・アウトリーチ・AR222

ラザロ牧師の ブータンでの働き

ラザロ・デルパリ

 ブータンの景観は驚くほどに美しくその静けさは比類な いものだ。特に奥地にある村々や町には近代文明は未だ届 いておらず、その自然な景色は目がくらむほどに魅力的だ。山や谷を流れるいくつもの自然な川から生じる霧がまだ誰 にも手をつけられていない森林を覆っている。荒らされる ことがないままの本来の純粋な姿を保っているブータンの 大自然は人々の心を安らかにする。

 私はインドとの国境に近い村に生まれたが、このように 美しい国に生まれたことは祝福だと考えている。出身の村 は貧しくそこには裕福な人は住んでいなかった。裕福な生 活を知らずに生きていた私たちはとても幸せだった。何か 持っていないものを欲しがるというようなこともなく、心 配のない生活を送っていた。私の名はラザロ・デルパリ、 ヒンズーの背景をもつブータン人だ。1985年にイエスを 救い主として心に受け入れ1988年に受洗した。

 私は9歳のころに癲癇(てんかん)を患い、一日に5、6回もの発作によって苦しむようになった。私の手は感覚 を失い、思うように動かすことができなくなった。手や腕 をまったくといっていいほどに上げることさえできなかったである。私の両親は良い医者にかかれるようにと願って 財産を惜しみなくささげた。ところがそのような苦労もむなしく、私の状態は改善することなく発作はなくなることがなかった。発作がおこると私は床でからだをたたきつけ ながら激しく震えたので場合によっては打撲が重症化する ことがあった。私の両親は考えられるあらゆる治療を試し た。また、私が奇跡的に良くなるために動物をいけにえと してささげる儀式を試みた。ところが、私の症状が一向に 良くならないことを見た両親たちは、あきらめて希望を失 い、何もできないまま私は死んでいくだろう、と考え始め た。私の友だちをはじめ近所の人々や親戚までもが、私に はもはや希望がなくこのまま死ぬだろう、と思っていた。ブータンの文化では生と死は人生の一部として受け入れら れているが、私の両親はそれを受け入れられず取り乱して しまった。私は両親が泣きながら、どこかに神がいるのな ら息子をいやして救ってほしいという声を聞いた。

 そんなある朝、見知らぬ人がやって来て、両親が取り乱 しているのを見て、何が起こっているのかを尋ねた。母は 泣き崩れながら私の状態を彼に伝え、助けてくれる人がいたら教えてほしいと思った。この男性は両親に次のように 答えた「私は薬を持っていないし魔術師でもないが、確か な方法がある。イエス・キリストを信じるならあなたの子 どもは救われる」。

 両親はこの男性のことばを信じて、私を彼に託した。し かし、もし私が死ねばその責任は彼にとってもらうことを 伝えた。それで私はブータンとインドの国境付近にある小 さな教会へと連れて行かれ、そこで牧師や牧師の姉妹が私 のために祈ってくれた。牧師たちは泣き叫びながら私のい やしのために神様に祈った。私のことをほとんど知らない この人たちがなぜ私の生死にここまで関心を持っていたの かがよく分からなかった。牧師のヨゲンドラ・バスマタリ、そして姉妹のトレシュ・ライは続く数日間祈り続けた。結 果、神は答えてくださり私は完全にいやされた。私は神様 の力によって取り扱われた。いやされた後も村には戻りた くなかったので、ヨゲンドラ牧師と一緒に暮らし、イエス について、そしてイエスに仕えることについて学びたいと 願った。私の両親はヒンズー教徒だった。そのため、ヒン ズーの神々を捨ててイエスを信じてクリスチャンとなった 私は家に帰っても歓迎されることはない。それで私はヨゲ ンドラ牧師とその姉妹と一緒に暮らすことになり、村々を 訪ねては牧師が開いていた伝道集会で神様に仕えた。十分 に成長してからは私が伝道集会を任せられるようになり、 あかしをもって福音を伝えると大勢のたましいが救われて いった。

 私は自分の生涯を神様にお仕えするためにささげ、ブー タンの僻地にまで福音を届けて行こうと決意した。ブータンの僻地にある村々への伝道者となることは非常な困難が 伴うことだ。それは、険しい山道や危険な谷を何百キロも 歩くことを意味するからだ。そのために大きな町などで宣 教することを選ぶ伝道者たちも少なくない。しかし、私は ブータンの僻地にある貧しい村々に住む人々に福音を届 け、未伝の所に出ていく使命を受けていた。長い時間をか けて歩き、やっと到着した村で1時間ほど福音を伝える と歓迎されるどころか敵視されることが多くあり、落胆す ることもある。私の話の内容がキリスト教についてである と知った途端に、急ぎ足でその場を去る人やひどいことば を浴びせながら出ていく人もいる。ブータンでは公な伝道 は禁じられている。そのために、政府からのスパイがあら ゆるところで見張っており、私は注意深く伝道しなければ、捕まって投獄されてしまう。しかし、これらの中にあって も、一人でもイエス・ キリストの福音に心 を開いてくれる人が いれば、この労苦は 無駄になることはな い。

 ブータンは霊的な 暗闇によって覆われ ている。キリストの光が必要とされている。私とともにブー タンの人々のために祈っていただきたい。私や私の家族や 私たちの働きを祈りで覚えてほしい。イエス・キリストの 福音によって人々の人生が変えられていくために、協力や 支援してくれているアジア・アウトリーチに感謝している。 一緒にならばブータンはキリストのものとなるだろう。



アジア・アウトリーチ

アジア・アウトリーチ・ジャパン・・・アジア・リポート No.222

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