アジア・アウトリーチ・AR216

「ガリラヤ湖と死海」

                 あなたはどちらになりたい?



アジア・アウトリーチ・マレーシア主事:エリック・ファン


 イスラエルには二つの海がある。一つは死海、もう一つはガリラヤ湖。これらは地理的に約100 キロメー トルしか離れていない。両方ともヨルダン川の水で潤っている。しかし、自然界の観察によると両極端で ある。ガリラヤ湖はイスラエルで最も大きな湖であり、命に満ち溢れていて、27 の種類の生物やここにしか 棲めない生物がいくつか存在する。ガリラヤ湖のほとりには鳥が群がり、植物が青々と茂っている。

 反対に、死海の水は苦く毒性があるため、その中に命あるものは住むことができない。死海は普通の海水 より約8.6 倍も塩分が高い。このために水の環境は非常に厳しく、魚や草といった生物はここでは生きるこ とができない。同じヨルダン川から水を蓄えているのにも関わらず、なぜこのような違いがあるのだろうか。

 ガリラヤ湖の場合、ヨルダン川からの水がいったん流入すると、その水はまたガリラヤ湖から違うところ へと流れていく。水は単にガリラヤ湖を経由してどこかへ流れていく。このためにその湖の水はきれいで、 生き生きとしており、いのちに満ち溢れている。一方では水を受け入れ、もう一方では水を流しているからだ。

 死海の場合、流入するヨルダン川の水は出て行かずに溜っていく一方だ。水を流していく沢がないために、 そこに蓄えられた水は年間100 万トン単位で蒸発していくと推測されている。水とともに蒸発しないミネ ラルが塩気を生じさせ、いかなる生物も棲むことができない水となってしまう。私たちの人生でも同じこと が言える。受けているばかりで与えることがなければ、いずれ濁ってしまい生きることが難しくなる。

 分かち合えば会うほどに私たちの人生は豊かになり、人の人生を助けることができることによって、心 に喜びが沸き上がる。この働きに長年ついてきた私は、与えることの大切さを教会開拓者やその指導者から学 んだ。彼らが隣人を助けるためにはいかなる犠牲をも惜しまないことを見て驚いている。彼らは自分の人生 を根本から変える永遠のいのちのプレゼントをいただいている。このプレゼントを他のだれかにも渡したく て仕方がなく、一人でもキリストを信じる人が起こされれば、地上の金銭的な報酬にもまさる喜びを受ける のである。隣人を助けることで私たちは生き生きとするのだ。イエスは言われた、「いのちを救おうと思う 者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」(マルコ8:35)

 AO の指導者の中で、特にラウ・タク・シオン牧師は隣人に多くの恵みを分け与えており、私は彼をガリラヤ湖と して例えたい。彼は最も貧しく、離れている村々の牧師たちや働き人たちを指導している。このようなところに住む 人たちは、都会へ出てくるお金を十分に持っていない。そのためにラウ・タク・シオン牧師は旅をして出ていくが、 旅は決して贅沢でもなければ快適でもなく、長期間に及ぶことさえある。彼は長時間、飛行機や電車やバスや時には バイクに乗って行き、整備してある道ではなく、泥や石やほこりまみれの道を通って村々に向かう。彼が宿泊すると ころは5 つ星ホテルでも二つ星ホテルでもなく、マットレスのスプリングがむき出しになっているベッドのある小 さな部屋だ。そこには蚊よけとして蚊帳がおかれているが、多くの場合、蚊は侵入して彼の血で宴を開いている。たい ていはトイレすら設けられておらず、トイレとして使えるような所は地面に掘られた穴なのである。水道が使えない 場合もあり、扇風機もなく、ベッドで横たわると、前に使っていた人の汗のにおいを嗅がなければならないことが ある。しかしもっとも恐ろしいのは食中毒だ。
 このような環境にも拘わらず、「村の牧師やリーダたちが最も研修をしたいと言っているが、もう一度行ってくれ ないか?」と尋ねると、彼は「はい、もちろんです!いついけばいいですか?」と答えるのである。彼は神様からい ただいている恵みを、喜んでまた惜しまずに、隣人の必要のために流したいと願っているのだ。
 神はすべてのよい贈り物の贈り主であられる。私たちの心を広くし、手も広げておけば、神のご性質を描く絵はよ り大きくなる。私たちが自分にとって快適だと思われる量よりも、犠牲的にささげることで、私たちと家族に対して 神様が必ず必要を満たしてくださると信頼し、信仰を表すことになるのである。多くのクリスチャンは水の上にパン をなげることを学び、それを実践したことで、後の日になっていく倍ものパンが与えられることを見てきている。(伝 道者の書11:1)私たちが神に従うことによって、神ご自身が約束を果たされ十分な恵みをくださることはとても大 きな喜びである。
 みことばをいつも覚えておこう。「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取る ことになります。」(ガラテヤ6:9)みことばのあかしは明確だ。受けるよりも与える方が幸いなのである。ガリラヤ 湖も死海も同じヨルダン川の水を受けている。神はまるでヨルダン川のように、ご自身の恵みの御座から満ち満ちた 愛と祝福をもって私たちの心を満たしてくださる。あなたはどちらの湖のようになりたいだろうか。私たちはそれぞ れ神のいのちを受けているが、自分というものを空にしてこそ神のいのちが満ち溢れるようになる。私たちの生涯に は受けて与える良い循環がなくてはならない。私たちがこのように生きることで、私たちの隣人たちも死海のような 状態からいのちを与えるガリラヤ湖の状態へと変わっていくことが出来るからだ。
 「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまで にして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」(ル カ6:38)



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アジア・アウトリーチ・ジャパン・・・アジア・リポート No.216

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JULY - SEPTEMBER 2016.