小学校の頃から人前で話すことは緊張して声が震えるので苦手だった。 中高一貫の男子校に入学してもそれは続いて、 授業中はもちろん、それ以外の時間でも、 複数の人と話すとなるとやっぱり緊張して上手く話せなかった。 だけど人と出会うのが嬉しくて、自分を知ってもらいたくて、 また人と仲良くなりたくて、緊張するとかしないとかをならべく考えないようにして、 勢いだけで突っ走っていった。毎日が楽しかった。 高校に入って勉強が中心になってくる。 この頃から勢いだけじゃ乗り越えられなくなってきた。 テスト中は、近くに人がいることが気になって気になって、 皆テストに必死で自分なんか見ちゃいないと分かっていたけど、 すぐ傍に人が居て私を囲んでいる環境に置かれると、 どうしても皆が自分を凝視しているような感覚を持ってしまう。 緊張は常にピークに達する。 そうなると自分のお腹が頻繁に鳴ってくる。 その音が静かな部屋に響く。 『あ、今の音周りの人に聞こえたな・・・・あぁ恥ずかしい。』 お腹が気になって、鳴る音が周りに聞こえていないか心配で、 テスト所ではなかった。 そんな緊張を味わう日々が、高3になると毎日続いた。 毎日がテスト。逃げ出したかった。 農業とかを手伝えば、こんな傍に人を意識することなく生きていけるんじゃないだろうか。 そんな気持ちもあったけど、 高校くらいは卒業しておかないと、 大人になって過去を振り返ったとき後悔するかもしれないと思ったから、 高校だけは出ようと思った。 私の学校は進学校だったから、就職を希望する人はほとんどいなくて、皆大学進学を考えていた。 私はとりあえず高校を卒業することだけを考えていたけど、 周りが皆大学を目指していたのと、親が『大学へ行け!大学へ行け!』と五月蠅く言うものだから 、親に心配や迷惑をかけるのは悪いと感じて、目標もないまま大学進学を目指すことにした。 大学に入ったらやめよう。こんな緊張を味わいながら嫌々ながら生活を送るのは御免だ。 高校に入った頃はまだテストは時々しか無かったから、 少し辛いけどなんとか生きていけるな、って感じだったけど、 高3になると毎日がテストテストで、緊張の連続のそれはまさに地獄だった。 学校外で受けるテストは更に緊張した。 校外で受けるテストは知らない人に囲まれた中で受ける事が多かったから緊張する度合いが半端じゃなくて、 問題に集中することが出来なくて、俯いてお腹が鳴ることだけを気にしていた。 鳴り始めるとそれをおさえようと両手でお腹を抱え込んで出来るだけ無意識になろうとしたけど、 一度他人を意識してしまうと考えないようにすることが出来なくて、 緊張は募り、体はがくがくと震え、いつでもお腹は激しくなっていた。 早く逃げ出したかった。 どうしてこんな辛い思いをしなくちゃいけないのだろう。 高3も2学期になると本格的に受験勉強が始まった。 私も予備校へ通わされる。 志望校は、目標や夢がなくてただ高校を卒業してただ大学進学する、ことだけしか頭になかったからどこでもよかった。 授業中は周りが気になって勉強どころじゃなかったから高望みは出来ないと感じていた。 しかし、親は私を人に笑われない程度の大学へ入学させたかったらしく、勉強に励むように日々叱ってきた。 どうしようかと考えていた最中、新聞記事で高野悦子という作家を知る。 30年前に20歳で自殺した彼女は日記を記した本(『二十歳の原点』他2)を出版していた。 私はそれを読んで彼女の後を追いかけたいと感じるようになる。 彼女が入学した立命館大学入学を希望し、自殺に興味が湧く。 それからは毎日自殺した人の書かれた本を読んでは涙していた。 私は生きていても価値の無い人間だし、 緊張や苦痛から解放されるなら死を選んだ方が楽だろう。 どうやって死ぬべきか。首吊りか、飛び込みか。 夢も希望も目標もない私はその時から生きていることに疑問を感じ始めていた。 勉強の絶対量が大幅に足りなかったため、立命館大学入学は困難になる。 周りが気になって授業に集中出来ないし、 テストでは緊張して頭が真っ白になってお腹ばかり気にしていて 解答用紙に答えを書く状態じゃなかったから、当たり前といえば当たり前である。 どうしようかと考えていた2学期の終わり、推薦で受けた龍谷大学を合格する。 とりあえず大学を合格したので安心した。 3学期に入るとテスト三昧になる。 大学入学に必須なセンター試験を迎える。 どんな時でも極度の緊張とお腹の鳴る音に悩まされていた私に 大衆に紛れてテストを受けることなど出来なかった。 ずっと俯いて両手でお腹を抱え込んで、お腹が鳴らないかと心配する。 解答用紙に答えを書くことなく全ての試験を終える。 その後大学試験本番を迎え、志望校だった立命館を受けたが、 当日、緊張に耐えきれなくなってテスト会場から逃げ出した。 全て終わった。何一つ満足出来る事はなかった。 高野悦子さんと同じ道を歩むことは出来なかった。 だけど、推薦入学だけど大学合格は果たした。 よし。入学して一段落着いたら死のう。 若いままで死ねば綺麗なままでいられるし良いことだ。 大学入学を果たす。 極度のあがり症だった私は人と会話する事が出来ない。友達が出来ない。 また勉学にも興味がなかったから入学しても何もすることが無くて、 孤独を感じる辛い日々を送っていた。 大学に入ると必須という授業があった。その単位を取らないと卒業できないという科目だ。 私はそれを受けるのが嫌だった。その授業は大概四角机でお互いを囲むようにして行われた。 授業は答弁式で行われ、意見をする者は起立して問題を提起する。 順番があって、私も必ず起立して発言しなければならない。 その環境に耐えられなかった。1回生の後期から必須を落とすことになった。 授業がどうでもよくなった私は、 自殺関連の本を読む、パソコンサークルに顔を出す、 学生相談室に行って対人恐怖や孤独を感じていることを相談する、 そんな学生生活を送ることになった。 学生相談室の方には毎日沢山の時間をとって相談に乗っていただいたが、 孤独や不安は治まらなかった。緊張はどこにいてもほどけなかった。 問題は解決しないし日に日に前向きな気持ちがなくなってゆく。 全てがどうでもよくなった2回生始めの頃、引き篭もりを始めた。 生きようという意志が消えた。 何でも便利になった今の時代に私が求められる場所はないだろうし、 物が溢れている今の時代に私は何をすればよいのか分からない。 ただ物を消費してゴミを出して環境を破壊しているだけだと考えると、 存在しない方がましである。 2回生の後期になって、親が心配しだし、クリニックに通うように言われる。 渋々通院を開始したが、 毎週親身になって悩みを聞いてもらったり出された安定剤を服薬しているうちに 徐々に体調が良くなってきて、外出が出来るようになった。 目標や夢がないため、未来が、将来が不安で仕方がなかったが、 またその関係で不眠が続いていたため生活のリズムは崩れていたが、 外出できるようになったことは大きな進歩だった。 元気を、勇気を出して頑張れば新しい何かに辿り着けるかもしれない。 人生が変わってくるかもしれない。 自助グループを紹介する所に電話をして大阪の自助会に参加することにした。 ここで私はたくさんの同じ悩みを持って苦しんでいる人達と出会う。 性別も年もばらばら、無職の方もいれば仕事に就きながら通っている人もいる。 皆、悩みについては、知り合いや同僚には理解してもらえないから、 自分一人で悩んでいても解決の糸口が見えてこないから、 だからこの自助会に助けを求めに来た人達だったから、 お互いの悩みを一緒に真剣になって考えた。 私も多くのアドバイスを頂いたと同時に、多くの友達が出来た。 自助会の活動日以外の日も彼らと一緒に色々な所に出かけたりして、 悩みは消えはしなかったけど楽しい時間を過ごすことが出来ていた。 相変わらず人が怖くてすれ違うだけですぐに緊張して手は汗びっしょりだったけど、 それを我慢して外に出る勇気を持っていた。 私以外にも苦しんでいる人が居ることを知ったことと、 皆私より年上の方ばかりで、そんな方々からまだまだこれから! 生きていれば必ず良いことがあるし、 負けない気持ちを持つことが大切だよと言われて、意志を強く持とうと思った。 自助会に通い初めて数ヶ月、メンバー内でケンカがあったため辞めることになった。 最初は悩みを聞いてもらう場所だったのだが、 いつのまにはここを出会いの場所と勘違いしてくる人が現れて、 そのような人達と会話するのが嫌になったからすぐに辞めることにした。 辞めて以降、また引き篭もりの生活が始まった。 2,3回、大量服薬して半分寝ている状態でバーゲンや本屋に行ってみたのですが、 人と触れ合うだけで神経を使う私は人が怖くなってすぐに帰宅しました。 帰宅後大泣きしました。普通に外出することも出来ない自分がとっても情けなく、辛く感じたからです。 元気な頃は、対人恐怖を我慢して、毎日のように外出が出来ていました。 何度もOff会の幹事をするくらい元気でした。 対人恐怖を見せないように必死に我慢して生きていました。 だけど、耐えることに限界がきたのか、部屋にいることが楽だからか、籠もり始めました。 本当はもっと色々な場所に出かけたいし、もっと色々な体験、経験を積みたいです。 周りは就職して立派な社会人になっている歳。取り残された私はどうすればよいのでしょう。 先行き不安、真っ暗です。 いつまでこんな生活が続くのか、考えると怖く眠れません。 2004 6 14 by swallow |