両親のこと

私の母は、肝臓病を患って10年間寝たきり生活の末に亡くなりました
国家公務員だった父が定年退職を迎えた年に発病、以来母は闘病生活への突入です。
肝臓から来る痴呆もあり、母とは徐々にマトモに話も出来なくなっていきました。
そんな母を、父は病院にベットを持ち込んで昼夜無くの看病生活です。
食事の世話、お風呂、散歩など全てに置いて、完璧なまでに面倒を見てくれました。
その母も、ちょうど10年目の2月、深夜に風邪が元で呆気なく他界してしまいました。

母から解放された父に御苦労様の労いの言葉と共に、これからは一緒に温泉三昧でもしよう
逝った母には悪いけど、それぐらいは許してもらえるだろう
私は、父親孝行のあれこれを考えていました。
処が、有ろう事か父は母の長い看病生活の間に肝臓病(肝炎)がうつり入院生活の羽目に…
先生に呼ばれて聞いた言葉は 「もう長くないでしょう、いつから発病かも解らないほど病気は進行しています」
頭の中が真っ白になりました。 これは夢だとも思いました。
でも、夢では無かった・・宣告から月日も経たぬうちに父は母の元へあっさりと旅立ってしまいました

 言えなかった言葉

前後しますが、私の両親は実の両親ではありません。
生母が私を産んで間もなく大病を患い、子育て出来なくなったため、妹である母に託したのです。
当時子供の無かった両親は、生母の病気が回復してからも私を育てさせて欲しいと懇願
そんな訳で私は、本来なら叔父、叔母に当る家で結婚までの19年間を育ててもらいました。

何の不自由もなく 3年後に誕生した妹と共に育ちました。
そのお礼を言えないまま、母は逝ってしまったので心残りでした。
両親が健在な頃は、心に思っていてもそうそう言葉にしてお礼なんて言えるものではありません。
父が、もう長くないと知って 今言わなければ一生心の底に穴が空く。。。
そう思った私は、父本人も長くないと悟ったある日 「お父ちゃん、お母ちゃんの子にしてもらってありがとう
お母ちゃんには言いそびれたから、向こうで会ったら絶対に伝えてな」
やっと言えました。 父は 「お礼を言いたいのはこっちや、お前が来てくれたから楽しい人生やった」
その翌日、父は母の元へ旅立ってしまいました。

あれから7年

父は必要以外は喋らない人だった、母は明るい人で何時も笑っていた。
そんな二人の共通点は「人の痛みを知る人となれ、愚痴は言うな、周りを明るくしろ」
性格は違っても思いは一緒のようで、そのような事をいつも聞かされていた記憶があります。
未だに両親を知る人は 「お父さんもお母さんも、誰からも好かれる人でしたね」と言って下さいます。
あれから7年、両親を越える事は不可能に近い私ですが、少しでも近づけるよう努力したいと
思いつつ、今日も走っています。

☆ 二親の 終の棲家に手を合わす エールと取れし風 背に受けて
(ふたおやの ついのすみかにてをあわす エールととれし かぜせにうけて)

愛犬タロウの足跡

タロウが我が家にやって来たのは平成10年の7月の暑い日でした。
6月7日に生まれて一ヵ月半ぐらいで我が家族となったのです。
血統書の名前は【ジギーちゃん】しかし息子が『日本人らしい名前を』と言って改めてタロウと命名です
さあ家の中でタロウと我が家族の生活が始まりました。
3歳までのタロウはやんちゃさんで、家中の網戸・畳・カーテンなどなど…何回替えたことやら(^^ゞ
そんなタロウでしたが、飼い主の欲目だとは思いますが賢い子でした。
散歩は殆どリード無しでしたが、散歩道で十字路や三叉路に差し掛かると
一足早く歩いてるタロウは、家族によって行く方向が違うので『どっちに行くの?』と言うような顔で
お座りして家族の到着を待っていたり、また家の中では息子や主人がガス台に鍋をかけたまま忘れてる時に
焦げる寸前にワンワンと傍へ行って教えてました。
体調の悪い日の散歩は、タロウは私を気遣いながらのろのろ歩いてくれます。

癒されて過ごした掛替えの無い10年
そんな生活がいつまでも続くとは思わなかったけど、別れは思い掛けない形でやってきたのです!

息子が今年の4月に病魔に襲われて入院生活を余儀なくされました。
毎日の病院通いで、帰ったらまずタロウに『今日の○君は元気が無かったわ』とか
『今日は顔色も良かったし快方に向かってる様子やったよ』とか報告です。
そんな息子も何とか退院まで回復して、暫くの自宅療養の末 社会復帰のため慣らし出社の段階となりました。
親としては、それがまた心配の種で会社で具合が悪くならないだろうか…
明日から出社という日にタロウに 『○君大丈夫かなぁ。。。』と言うと
大丈夫!と言わんばかりに話し終えた私の顔をペロッと舐めてくれました。
そして運命の日

平成20年6月29日の朝、いつものように『散歩行くよ』と言う息子の声にタロウは喜んで着いて行ったのです。
出掛ける時に息子が主人に『明日から仕事やからタロウの朝の散歩頼むわ』と言うと
主人が『分かった、タロウ行ってらっしゃ〜い』と送り出す声を私は奥の部屋で聞いていました。
それから30〜40分経った頃、息子が帰って来て『タロウが…タロウが…』
家の近くまで散歩から帰ったタロウは、急に崩れるように倒れ込んで一切動かなくなったというのです。
いつもなら、帰って真っ先に駆け寄ってきて顔を舐めてくれるのに
駆け寄る事もせず、呼び掛けの声に反応する事もなく横たわってるだけで二度と目を開かないタロウ…

10年前の6月に生まれて、ちょうど10年で逝ってしまったタロウ
息子はあれ以来まずまず元気で過ごしています、そんな息子の身代わりのように逝ってしまったとしか思えません。
先生の話では不整脈が出たための急死らしく、大型犬の10歳は天寿全うだとも聞きました。
呆気ない別れだったけど苦しまずに、寝込んで家族に迷惑を掛ける事もなかったタロウ
あんたは最後の最後まで賢い子やったね。
タロウが亡くなったと聞いた近所の人達が押し寄せて、線香の煙がまるで火事のように凄かったこと!
タロウはご近所さんのアイドル的存在だったのです。
今でもご近所さんが、月命日にやって来てはお線香をあげて下さいます。
ネットのお友達にも写真で可愛がって頂きましたね、ありがとうございましたm(__)m

タロウ、10年間の沢山の幸せ・無償の愛を あ・り・が・と・う☆