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ギルバート8歳の時から私は「ギルバートタイムス」と言う家族新聞を出していました。
其れに載せたエドワードのつぶやき・・・・・・・。
ギルバートとの10年間を振り返って
(ギル10歳の時)
はじめに
ギルバートは今年で満10歳を迎えます。
ギルバート誕生以来、我が家庭は悲嘆の底から出発しましたが、
家族の励ましあいと協力により
(ある時期までは、この中に私は含まれていなかったと思いますが・・・・)
現在では、家族全員がギルバートを
「無くてはならない家族の一員」と考えています。
ギルバートの父親としてこの10年間を振り返ってみると、
ギルバートの存在を否定しようとした時期から、
ギルバートを家族の一員として認めた時期、
更にギルバートをなくてはならない存在と感じている現在に至るまで、
その変化を思い起こせば感慨ひとしおです。
少々、誇張して言うならば、障害児を与えられたことに対して、ある面では、
感謝の気持ちさえあると思うのです。
ここでは、ギルバートが生まれてからの私の心境を、
ありのままにお話したいと思います。
読者の方々の生活環境はさまざまと思いますが、
ここで私が触れる家族の思いやりは共通であり、
何かの参考になればと考えました。
これまで、アニーから「何でもいいから寄稿してくれ」との強い要請がきていましたが、
今年はギルバートが10歳を迎える節目の年でもあり、
新年早々気分を新たに筆をとりました。

父親としての心境の告白
私は、経済的には比較的恵まれた家庭に育ったと思います。
また、小学校から大学、大学院まで、いわゆる一流校といわれる学校に通い、
いわゆる一流企業に就職して、他人から見れば順調ということになるでしょう。
その間、生涯に影響するような大きな挫折感を味わったことは無いと思います。
また、小学校・中学校は選抜制をとる教育大学の付属校であったこともあって、
障害のある人と身近に接する機会などまるでありませんでした。
(アニーの話では、公立の小学校のクラスには軽度の脳性麻痺の子が居たと言います。)
小さい頃から、学力競争の中で育ってきたといえるでしょう。
五体満足など当たり前のことでした。
私にとって、人より劣るということは、恥ずかしいことでした。
したがって、ギルバートが生まれて重度の脳性麻痺であると判ったときは、
それが今後の生活にどういう影響があるのか、
また、今後どうするべきかなどと言うことを、
実感としてとらえることが出来ませんでした。
父親としてどうすべきかと言うことはその時点で考えましたが、
それはあくまで現在の状態を、
壊したくないという気持ち
(幸せであるべきだと言う漠然とした感じ)
以上のものではありませんでした。
ギルバートと一緒に外出することには大きな抵抗感がありました。
今から考えれば、ギルバートは、
ただ我が家のお荷物であるとしか感じることが出来なかったと思います。
この頃はアニーにたいへん苦労をかけました。
それが徐々に変わっていったのは、
一つには、アニーの存在に負うところが大きいと思います。
アニーは、ギルバートが小さい頃から、
ギルバートを通して外部との関わりを持とうとしてきました。
買い物に限らずどこにでもギルバートと一緒に出かけましたし、
また、地域の幼稚園・小学校との交流も積極的に進めてきました。
一方、家庭内では、
能力の有無に拘らず、
ギルバートを他の二人の子供と
全く同等の存在として扱ってきました。
当初、私には何故アニーがこのようにするのか理解できませんでしたが、
これは、周囲の人々に対して、
ギルバートが、”異常”な存在ではない、
ごく”普通”の存在であることを認識させること、
また、二人の健常児に対しては、
ギルバートが”同じ”兄弟であるということを
心の底で理解させることを目標としていたようです。
家族が地域社会において暮らし易い環境を創り出すと同時に、
いずれ二人の姉兄に訪れる
周囲との軋轢を乗り越えさせるための布石だったのです。
ギルバートが小さい頃、
アニーはこう言った自分の考えを私に話しましたが、
ギルバートを受け入れていなかった私にとっては、
この話も煩わしいとしか感じられませんでした。
しかしギルバートが成長するにつれ、
状況はアニーの目指す方向に変わっていったのです。
ギルバートが入学する頃には、
私達の家族が周囲から理解されていると実感として感じられるようになり、
また、兄弟間の絆はギルバートへの思いやりとなって現れてきました。
私はというと、
家族との間に疎外感を感じながら、
変化の状況に目を見張っていたというのが実感です。
そして、
私自身も父親としてギルバートを受け入れ、
家族全員でギルバートを支えていくべきだと考えるようになっていきました。
この頃から、ギルバートに対する接し方が変わっていったと思います。
私の方から、積極的にギルバートに関わっていくようになりました。
不思議な事に、
そのうち、ギルバートと一緒に外出することにさほど抵抗を感じなくなりました。
私が変わったもう一つの要因は、
私の積極的な関わりに対して、
ギルバート自身が応えるようになった事にあると思います。
ギルバートに対して積極的になればなるほど、
ギルバートからの反応も大きなものになっていきました。
私とギルバートの相互の吸引力により、
両者の間の垣根は見る間に氷解していきました。
これは、親子だから当然といってしまえば当然の事かもしれません。
しかし、私にとっては最初の垣根の高さが余りにも高かった・・・・。
また、ギルバートと接する機会が増すに連れ、
それまでの欠点と思っていた事が長所に見えてきたから不思議です。
例えば知恵遅れということは、
学力面では劣りますが
一方では悪知恵が働かないということであって、
ギルバートの頭の中は全くの白紙なのです。
ギルバートは絶対的に純粋な心の持ち主なのです。
このように、
ギルバートの中に価値を見出せるようになったことも要因として大きいと思います。
基本的には、
私の中の価値観が変わったのだと思います。
学歴で代表される表面的な価値観から、
誰にでも長所があり、
その長所は認めるべきだという風に考えるようになりました。
この様に、
ギルバートの存在を認め、
且つその価値を認めるようになってから、
「ギルバートがなくては成らない存在だ」
と思うようになるまで、
時間はかからなかったと思います。
人にはいろいろな価値観があり、
何が絶対的に正しいかということは、
個人に帰着することであると思いますが、
人間的に豊かな価値観を持つ事は
本人にとっても家族にとっても幸せな事だと思います。
一方、ギルバートと暮らして感じている事をもう一つ言わせてもらえば、
障害児だからといって能力を認めず、
ほったらかしにすべきではないということです。
ギルバートのような障害児は、
白紙の上に自分で絵を描きづらいのですから、
親が積極的に関わり
絵を描いていく必要があると思うのです。
アニーは誰からも愛される絵を描こうとしているようです。
私も、今では同じ考えを持っています。
さて、将来的には、
具体的で厳しい現実が控えています。
しかし、家族一丸となって事にあたれば、
自ずから道は開けてくるという気持ちになっています。
ギルバートの成長を見守りつつ、頑張っていきたいと思います。
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おわりに
この原稿を書き始めたとき、
タイトルは「障害児を持って得られる3つのメリット」というものでした。
内容は、ギルバートと暮らしていて楽しいと思う事を中心として少々冗談めかして書き、
それが強がりでないことを示す為に、
私の心境を正直に書くつもりでした。
ところが、書き進めていくうちに、
心境の部分が膨らんでしまい、
冗談めいた部分を入れると
かえってアンバランスな感じを受けるようになってしまいました。
そこで、私の心境部分のみを掲載する事にしましたが、
なんだか堅苦しい内容で埋め尽くされてしまったかんじです。
1992年.新年 エドワードつぶやく
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そして今、
ギルバートが10歳になった時に思いを書いてから、
もう10年が経ちました。
「なくてはならない大切な存在」であることはもちろんですが
ギルバートはより一層自然な存在として
私と共にあります。
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