タルトタタン

 

 

 

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タルトタタンを作り出したのはフランスロアール渓谷の、ラモット=ブーヴロン ( Lamotte-Beuvron ) 、ホテルタタンを1888年に設立し切り盛りしていた姉妹、キャロライン ( Caroline,1847-1911 ) とステファニィ( Stéphanie, 1838-1917 ) である。1894年頃には周辺では評判のタルトだったようだ。公には1903年のシェール県地理学会広報 ( de la Société Géographique du Cher ) に記載されたのが最初である。

 

タルトタタンの起源については;

「人付き合いが悪いが料理の上手いステファニィのお得意は、サクサクとしたクラストにキャラメル味がする、口に入れると溶けるようなアップルタルトであった。その日は狩りのシーズンで立て込んではいたがいつものようにタルトを作り始めた。焦げる匂いがして初めて、リンゴをバターと砂糖の中に入れていた事に気がついた。急いでペイストリィをリンゴに被せてオーブンに入れた。クラストとリンゴがひっくり返っていたが、構わずそのまま焼いてしまった。しかも冷まさずに出してしまったがホテルのお客様に評判が良かった。」という話が伝わっている。

 

ステファニィ直筆のレシピは残っていないが、近所に住む親しい友達であったマリー・サウチョン ( Marie Souchon ) が書き残した手書きのメモが残っている。日付がないが恐らく記録された一番古いレシピであろう。レシピにはホテルのキッチンで見たままの様子が投影されている。

そのレシピとは;

銅製の型、石炭の強い火を用意する。火を型の上にのせる。バターを錬って型の底に塗り砂糖を振る。ピピン ( King of the Pippins ) 又はカルバイルアップル( Calville Blanc d'hiver ) を切る。型の中に入れる。層にしてできるだけたくさん入れる。砂糖をたくさん振ってリンゴを覆う。小麦粉、バター、水でドウを作る。厚さ1mm位にできるだけ薄く延ばしてリンゴを覆い、型の周りのドウを切りそろえる。ドウを使わないときは別のもので蓋をする。焼けたらサーヴィングディッシュで受けてひっくり返す。暖めて食べる。

キャロラインが1911年に、ステェファニィが1917年に亡くなった後、ポウルベスナード( Paul Besnard ) 1921年にフォー・デ・カンパーニュ( four de campagne ; 左写真 ) を使ったタタンを考案する。フォー・デ・カンパーニュはブリキの蓋が付いた型で、ストーブの上にのせて蓋の上に熱い石炭をのせる。周りを石炭で熱して調理する道具である。


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深さ6cmの銅引きの型の内側にバターを塗り、砂糖を1cmの厚さに付ける。4つに切ったリンゴを入れて更に砂糖を振り入れる。バターを所々に入れる。コインの厚みに延ばしたフレイキィなドウで覆う。フォー・デ・カンパーニュの蓋をして火の上にのせ、蓋の上にも火のついた石炭をのせる。2025分間焼いて、ナイフでドウを少し持ち上げて焼き具合を確かめる。リンゴがキツネ色になって砂糖がキャラメル化していたらできている。サーヴィングディッシュを被せてリンゴが上になるようにひっくり返す。暖かい内にサーヴする。黄色いところに赤い筋が入ったピピンを使うと上手いタルトができる。ピーチを使っても良い。

 

これと似たレシピを自分の母が妹のために189293年の間に作っていたと、フェロル ( Férolles ) から20マイル離れた町に住むフランソア・ジャリ ( François Jarry ) が語った。内容は一言一句同じであったが、「鋳物の型で、上と下から焼けるように蓋の上も石炭を置いて………これがリンゴをクックしている間にキャラメル化させるには非常に大切である。」という詳細な説明が追記されていた。( タタン姉妹が周りの人達の意見を聞きながら、レシピをすこしずつ改良していた様子が伺える。)

 

上の3つのレシピを総合して、タルトタタンが生まれた経緯を勘案すると次のようになる。

ステファニィが最初に作ろうとしていたアップルタルト ( 従来のアップルタルト ) は、空焼きしたクラストの上にアップルソースを広げ、その上に皮を剥いてスライスし、砂糖をまぶしたリンゴをきれいに並べ、オーブンに入れてリンゴの表面に焼き色を付けるというものである。

この過程でバターと砂糖の中に1/4に切った皮の付いたリンゴが入っている可能性はあるのだろうか?あるとすればこれから作るタルトの準備のために材料であるリンゴと砂糖、バターを入れ物に入れておいた。と言うことだろう。リンゴを入れる訳だから少し深めの入れ物かも知れない。

左は彼女が使っていたレンジである。一番下に石炭や薪を入れて燃やし、中央がオーブンになっている。一番上は熱く熱せられて鉄製のアイロンを置いてアイロンをかけたり、鍋を置いてスープを作ったりした。写真にあるような鍋の中にバターと砂糖、リンゴを入れて放置していたのであろう。砂糖が焦げる匂いに気が付いてあわてて用意していたクラストを被せたようだ。( 今のところこれ以外の案が思いつかない。)

周りでは評判のタルトであったが、そのレシピは姉妹が生きている間に公表される事はなかった。「食通界のプリンス」の異名を取る20世紀の美食家キュルノンスキー ( Maurice Edmond Sailland, 10/12/1872-7/22/1956 ) 1926年版の "La France Gastronomique" の中で「オルレアン近郊のラモット=ブーヴロン周辺」と指摘したうえで「ラモット=ブーヴロンの未婚の夫人が作る有名なアップル又はペアタルト」は文句の言いようがないほどに際立った旨さであると述べている。

1930年代になり、パリで有名なマキシムのメニューに上るとタルトの名声はさらに高まった。

レシピの入手経路には興味ある話がある。マキシムの長年のオーナーであったルイ・ヴォーダブル( Louis Vaudable8/25/1902 – 4/29/1983 ) によれば、「若い頃に狩りをするためにラモット=ブーヴロンに行き、そこで小さなホテルを営んでいる初老の夫人達に出合った。メニューにあったタルトがとてつもなく美味しかったのでキッチンスタッフに訪ねたがすげなく拒否された。私は諦めずに庭師として雇って貰った。三日後、キャベツも植えることができない私は首になったが、キッチンから秘密を聞き出すには十分であった。レシピを持ち帰り自分のメニューに "Tarte des Demoiselles Tatin"  ( タタンという名の結婚していないの夫人のタルト ) を加えた。 ヴォーダブルは1902年に生まれ、姉妹は1906年に身を引いて1911年と1917年に亡くなっている。一方マキシムは1893年にマキシム・ガイヤール ( Maxime Gaillard ) がビストロとして始め、大きく発展させた店を1932年にヴォーダブルが購入している。( 10才にもならないヴォーダブルが狩りに行き、庭師に雇ってもらいしかも首になるまでの3日の内にレシピを聞き出したとは。言うべき言葉が見つからない。)

 

すばらしいタルトを作りだしたのは確かにタタン姉妹ではあったが、タルトにタルトタタンと名前を付けたのはヴォーダブルであり、此のお菓子を高く評価したのは美食家キュルノンスキーであった。姉妹の死後残ったのはパリのレストランマキシムと有名フランス料理家キュルノンスキーの名である。姉妹は料理書を出すことも、レシピを公表することもなかった。お菓子に名前を付けることもなかったからである。

 

一般的なタルトタタンのレシピを記しておく。 ( 直径25cmのマンケ型1個分 )

 

ドウ:

小麦粉     1 1/2 カップ

塩       1/2ts

砂糖      1tbs

バター     112g

冷水      1/4カップ

 

フードプロセッサーに入れて粗いコーンミール状にする。水を入れてまとめ、冷蔵庫で1時間休ませる。

 

フィリング:

グラニィスミス    6

バター        112g

砂糖         1/2 カップ

 

鍋にバター、砂糖を入れて溶かし、その上にリンゴ入れて揺らしながらクックする。砂糖がキャラメル化してキツネ色になったら火から下ろす。ブリゼ生地を鍋よりも大きく、4mmの厚さに延ばし、リンゴに蓋をする。生地の縁をリンゴの中に折込む。175°で約2030分間焼く。熱いうちに取り出しディッシュの上にのせる。冷めないうちに又は室温に戻したタルトにホイップクリーム、クレームフレーシュ ( Crème fraiche ) 又はアイスクリームをのせる。

(タタン姉妹のレシピとは、クラストに砂糖、塩を入れる。リンゴの種類が異なる。リンゴの皮を剥く?点が大きく異なる。)

上の記事は一部を除いて、次のサイトからそのほとんどを引用させていただいた。

http://www.tartetatin.org/home/history-of-the-tarte-tatin

 

タタン姉妹は、当初リンゴをスライスしてクラストの上にきれいに並べて焼く伝統的なフランスのアップルタルトを作っていたようだ。それを、恐らくマンケ型のような型を使って1/21/4切りにしてキャラメライズしたリンゴを使うようになった。リンゴとクラストのバランスを計って、フィリングにはリンゴ、砂糖、バターだけを、クラストには水とバターだけを使った。リンゴの香りを生かした、非常に優れた、まれに見る秀作と言える。

 

フランス料理を合衆国に紹介したジュルア・チャイルドらはマスターリング・ヂ・アート・オブ・フレンチ・クッキング ( Julia Child , Mastering The Art Of French Cooking ) の中で三つのアップルタルトを紹介している。アップルタルト( Tarte aux Pommes )、ノルマンディアップルタルト ( Tarte Normande aux Pommes ) 、残る一つはタルトタタンではなく「タタン姉妹のタルト ( La Tarte Des Demoiselles Tatin 」と紹介しており、好感が持てる。( 括弧付きでアップサイドダウン アップルタルトとあるのは頂けないが。)

 

突然だが、クレオールクックブック ( The Original Picayune Creole Cook Book1901年から4版目の1910年版を引用した。) にあるフランスの香りが濃く残るアップルパイ ( Tarte aux Pommes ) は、「空焼きしたクラストの上にクックしたリンゴ ( シナモン、メイス、オールスパイス、水、バターでクックした)を入れて、上に薄いクラストをのせて縁飾りする。オーブンに入れて焼く。砂糖を振ってサーヴする。」というものである。このレシピは現在のアメリカンアップルパイと変わらない。クレオールは(フランス人と奴隷の混血の人々)を指し、ニューオーリンズには多くのフランス人とクレオール人が住んでいる。( ニューオーリンズはフランス人によって1718年に設立され、1722年にはフランス領ルイジアナの首府となった。1763年パリ条約によりルイジアナはスペイン領となるが、町はフランス系住民が多く宗主国スペインの影響はほとんど見られない。1801年ナポレオン皇帝がルイジアナをフランスに返還させたが、財政上の必要から1803年アメリカ合衆国に売却した。) この地に住む人達が自分達の文化残そうと作ったのが上で引用した料理書である。

 

ジュルア・チャイルドらが書き残したタタン姉妹のタルトを引用する。

 

ショートペイストリィ;

小麦粉          1カップ

グラニュー糖       1TBS

塩            1/8ts

バター          4TBS

ショートニング      1 1/2TBS

冷水           2 1/2-3TBS

 

フィリング;

新鮮なリンゴ       4ポンド

グラニュー糖       1/3カップ

シナモン         1ts

 

バター          2TBS

ベイキングディッシュ   9-10 21/2インチのディッシュ

グラニュー糖       1/2カップ

溶かしバター       6TBS

 

ヘビィクリーム又はクレームフレーシュ  2カップ

 

リンゴの芯を取り、皮を剥いて1/8インチにスライスする。ボールに入れて砂糖、シナモンをまぶす。ベイキングディッシュにバターを、特に底に濃く塗り、砂糖を半分振りかける。リンゴを1/3入れてバターを1/3振りかける。残しておいたリンゴの半分を入れてバターを振りかける。残りのリンゴ入れてバターを振りかける。残りの砂糖をリンゴの上に振りかける。

 

190度にオーブンの温度を上げておく。

ペイストリィを1/8インチに伸ばし、ベイキングディッシュに敷きこむ。リンゴを入れて、ペイストリィの淵を内側に折り込む。4-5か所1/8インチの長さに切れ目を入れる。45-60分間焼く。

焼けたらすぐにサーヴィングディッシュに載せる。リンゴに薄キャラメル色が付いていないと粉糖を振って数分間ブロイルする。暖かい内にクリームを添えてサーヴする。

 

もうお分かりでしょう。合衆国に入ったアップルタルトは急速に変化し、現在の姿に近づいてゆく。「グルグルと混ぜて焼くだけ」という変化にしか見えないのだが、これは偏見だろうか?