キッシュ
キッシュッシュといえばキッシュロレーヌ ( Quiche lorraine ) がよく知られている。そのせいかキッシュはフランスが起源であろうと思われているが、
料理書の中でキッシュに似た料理が最初に登場するのはイングランドの料理書The Forme of Curyである。クラストの中にカスタードを入れて
固める料理は同時代のフランスには見当たらない。
1390年のThe Forme of Curyから、
154.肉のクラスタード(パイ): Crustardes[1] of Flessh. XX.VII.XIIII.
ハト、ニワトリ、小鳥を用意して一口大に切る。全ていっしょに、ヴェルジュ、ブロス、そこにサフランを入れて煮る。
パンの中にクラストを作りピンチする。
肉をその中に並べる。そこにカラント、パウダードウスを入れて塩をする。割った卵を布で濾し、シチュウのスーといっしょに混ぜて肉の上にかけ、
蓋をしてよく焼く。サーヴする。
[1] Crustards: 卵とブロス又はミルクで固めた肉又はトリのパイ。カスタードと同意語。
156. 魚のクラスタード : Crustardes of Fysshe. XX.VII.XVI.
ローチ、河ヤツメウナギ、ウナギを用意してピースに切る。アーモンドミルクとヴルジュでシチュウにする。前に述べた様に
ローチをオイルの中でフライする。薄い膜を作りそこに魚を並べパウダーフォト、パウダードウスを振り、カラント、
ダムスンプルーンと一緒に入れる。ギャランティーンを用意してスーをそこに入れる。いっしょに混ぜてパンの中に入れる。焼いてサーヴする。
157.フィッシュデイのハーブのクラスタード: Crustardes of Eerbison fyssh Day. XX.VII.XVII.
ハーブを用意してきれいにしたクルミをたくさん入れて、いっしょに小さく挽く。同量の水とヴィネガーの中で混ぜる。
パウダー、サフランを入れて煮る。
塩は入れない。パンの中にクラストを作りそこに煮ていない魚、少量のオイル、グッドパウダーを入れる。
半分焼けたら魚にスーをかけて焼く。
魚をきれいに仕上げるには卵を固く煮て卵黄を取り出しグッドパウダーといっしょに挽きシチュウと混ぜてサーヴする。
この時代のクラストは、粉を水で練り上げた、蒸し焼きにするのが目的で作った固くて食べられないパイクラストとブレッドクラストの二種類がある。
( ブレッドクラストはホワイトブレッドクラストとブラウンブレッドクラストがある。)上の3レシピを読むとこのクラストは食べる為のクラストで
あること、クックしたフィリングを取り出して食べる料理ではないことからイースト又はビールイーストを使って膨らませたブレッドクラストであろう。
キッシュ:Quiche ( /ˈkiːʃ/ KEESH ) はアルザス地方の方言キュッヘン ( Küchen ) に由来しており、ドイツ語のKuchen~cakeに繋がる。
Alsace-Champagne-Ardenne-Lorraine(フランス国の22州の内の一つ)という呼称がある様に、アルザス地方はフランスとドイツの国境にまたがる地域である。
キッシュの歴史を辿ると、シャルルⅢ世 ( Charles III, 2/18/1543-5/14/1608、 ロレーヌ公( 在位:1545 – 1608 )ドイツ名, ロートリンゲン公カールⅢ世
( Karl III )。ロレーヌ公フランソワⅠ世と妃クリスティーヌ・ド・ダヌマルクの長子として、ナンシーで生まれ。フランス王アンリⅡ世の次女
クロード・ド・ヴァロワ( Claude de Valois, 1/12/1547-2/21/15759 )と結婚 )に行き着く。
ロレーヌ公はキッシュ好きで家計は赤字であったと、給仕長フィリップ・ドゥ・ラレクール ( Philippe de Rarécourt ) は1586年の記録に残している。
今のキッシュに近いレシピを作ったのはヴィンセント・デ・ラ・チャペル ( Vincent de la Chapelle, 1690又は1703 – 1745, フランス料理長である、
彼は Phillip Dormer Stanhope, fourth Earl of Chesterfield ( 9/22/1694-3/24/1773, ロンドン生まれの政治家 ), ウィレム4世
( Willem IV van Oranje-Nassau, 9/1/1711-10/22/1751, オラニエ公、オランダ総督、ネーデルラント連邦共和国7州の総督),
ジョアンⅤ世( João V,10/22/1689-7/31/1750、ポルトガル王国ブラガンサ朝の国王 )、 ポンパドゥール侯爵夫人
( Jeanne-Antoinette Poisson, marquise de Pompadour, 12/29/1721-4/15/1764、ルイXV世の公妾 )等に料理を提供したと言われている。
シャルルⅢ世から二代後の、スタニスワフⅠ世レシチニスキ※ ( Stanisław I Leszczyński , 10/20/1677-2/23/1766、ポーランド王、 リトアニア大公、
ロレーヌ公 ) は4/11/1736にポーランド王になったがポーランドの首都ナンシィに住むことはなくリュネヴィル ( Luneville )、コメルシー ( Commercy ) ,
マルグランジュ ( Malgrange ) で贅沢な時間を過ごした。ヴィンセントはそこで王の為にたくさんのキッシュを作った。
※ スタニスワフⅠ世は、後にロレーヌ ( Lorraine ) と名前を変えた当時ドイツの支配下にあった中世ロートリンゲン ( Lothringen ) で生まれた。
彼が生まれたのは、環バルト海の覇権を巡り、ロシア、デンマーク、プロイセン、ポーランドなどが争った時代であった。スェーデンは
反スェーデン同盟(ロシア、デンマーク=ノルウェー、ザクセン=ポーランド=リトアニア)と覇権をめぐって争っていた。
スタニスワフは若くして27歳でポーランド王に選出され、潔白で有能であり、由緒あるマグナートの家系( magnat, magnate、血筋や富などによって
社会的に高い地位にある人物,貴族 ) に生まれたが人を惹きつけるカリスマ性、政治的影響力が無く、国王には不向きな性格であった。
国王の座、結婚、戦い、余生の場、彼の人生の全ての場面において用意された彼の居場所は、自らが勝ち得た戦果ではなく、傀儡として存在し
、強者から与えられた座であった。
しかも、スタニスワフⅠ世が1766年に亡くなるとロレーヌはフランスに統合されナンシィは首都の座を失い、キッシュはフランス国内に広まった。
それというのも、1200年前半まで神聖ローマ帝国の勢力下にあったロートリンゲンは、1200年後半からフランス王の勢力が浸透し1600年末まで
フランスに支配されていたが、1697年のレイスウェイク条約で神聖ローマ帝国に帰属し、1736年までロートリンゲン公国として神聖ローマ帝国の
支配下に戻った。しかし、神聖ローマ皇帝フランツⅠ世(Franz Stephan von Lothringen, 12/8/1708-8/18/1765、神聖ローマ皇帝(1745 - 1765)、
ロートリンゲン(ロレーヌ)公(1729- 1737)、トスカーナ大公(1737 - 1765)は、ハプスブルク家のマリア・テレジアと1723年に婚約したが、
ルイXV世は結婚を認める条件として、元ポーランド王スタニスワフに公国を譲渡することを要求していた。
スタニスワフはフランス王ルイXV世の妃マリー・レクザンスカ(Marie Leszczyńska、7/23/1703-7/24/1768 )の父に当たり、ルイXV世は
スタニスワフにロレーヌを余生の場として提供しようとしたのである。
1766年スタニスワフの死後、公国はフランスに併合され、1870年から1871年の普仏戦争の結果、ロレーヌの一部がドイツ帝国に併合されたが、
1919年のヴェルサイユ条約の結果、フランスに帰属することになったからである。
ドイツでは1553年にサビナ・ヴェルゼリン (Sabina Welserin ) が Das Kochbuch der Sabina Welserin、Ain pastetentaig zú machen zú allen
auffgesetzten pastetenの中で、キャタラン(カタロニア地方)では1525年のLibre del Loch、Hojaldrarの中で、共にラードを使った
パフペイストリィを載せている。イングランドでは1602年のDelight for Ladiesに,フランでは1604年のLancelot de Casteaにパフペイストリィの
記述がある。ドイツでも恐らく1600年代?にキッシュのクラストはパフペイストになっていたと思われる。
ドイツでは、キッシュにチーズを入れずに作る。ベーコンを入れたシュペッククーヘン( Speckkuchen ) とタマネギを入れたツビーベルクーヘン
( Zwiebelkuchen ) がある。次にツビーベルクーヘンのレシピを挙げておく。
ツビーベルクーヘン : Zwiebelkuchen
生地:
強力粉 150g
ドライイースト 1ts
砂糖 1ts
牛乳 60ml
フィリング:
タマネギ 1300g
べーコン(スライス) 4枚
サワークリーム 400g
卵 4個
中力粉 2TBS
塩 1ts
キャラウェイシード 1/2ts
ボールに強力粉、予備発酵させたイースト、砂糖、人肌に温めた牛乳を入れてよく捏ねる。
約25分間休ませる。生地を直径22cmのスプリングフォルムパンに延ばして入れる。
タマネギが透明になるまで炒めてボール入れる。ベーコンを茶色になるまで炒めて刻む。タマネギと混ぜる。
サワークリーム、卵、タマネギ、ベーコンを混ぜる。小麦粉を入れてとろみを付け、塩を入れて味を調整する。
よく混ぜてドウの上に流し入れる。キャラウェイシードを振って220℃で約1時間、上がキツネ色になるまで焼く。
此処ではスプリングフォルムパンを使って厚さ出したが、鉄板を使ってピザの様に薄く焼いてもよい。スペッククーヘンとツビーベルクーヘンは
共にクラストにパフペイスト、ショートクラストを使うレシピとブレッドクラストを使うレシピがある。
砂糖と牛乳の代わりに水を、ベーコンの代わりにオリーブオイル、生ハム、セージを、サワークリームの代わりにヨーグルトとコンソメを使うと
健康的なランチができあがる。
シュペッククーヘンはドイツの料理書、Back vergnügen wie noch nieからシュヴァーベン地方のレシピを紹介しよう。ツビーベルクーヘンとは
少し異なる形状をしている。
直径26mのタルト型を使う。
シュヴァービッシャーシュペッククーヘン : Schwäbischer Speckkuchen)
材料
強力粉 400g
イースト 30g
ミルク(少し暖めた) 250g
砂糖 1つまみ
バター 60g
卵 1個
塩 1ts
ドリュヒヴァシィナーシュペック
(durchwachsener Speck,赤身肉の入ったベーコン) 400g
フェンネル 2tbs
塩 2tbs
イーストをミルク、砂糖の中に入れて発酵させる。小麦粉の中に予備発酵させたイースト、砂糖、バター、塩を入れて15分間錬る。
30分間休ませる。
丸く延ばして型に入れ、シュペックを角切りにして並べ、上に塩、フェンネルを振って15分間休ませる。220℃で25-30分間焼く。
次は、バルト海東岸に住むバルト・ドイツ人のシュペッククーヘンのレシピ。
http://aphs.worldnomads.com/evelyngrant/53619/photo21_small.jpgから引用させていただいた。結婚式、新年に食べるシュペッククーヘン。
シュナップスを片手に、もう片方の手にはシュペッククーヘンを持って祝福するそうだ。
シュペッククーヘン(ベーコンブレッド): Speckkuchen (Bacon Cake!)
生地:
イースト 28g
ぬるま湯 112g
ミルク 340g
卵 2個
バター 110g
オイル 2TBS
砂糖 1TBS
塩 1TS
粉 560g
フィリング:
生ハム 500g
スモークベーコン 500g
タマネギ 8個
生地を薄く延ばした生地をカップを使って丸く切り抜く。フィリング1tsを生地の真ん中に置いて餃子の様にフィリングを包み込む。
表面に卵黄を塗って175℃で15分間焼く。
一口口に入れると焼けたパンの香りが、次いでスモーキィな塩味の豊かなベーコンの味が、そして香ばしいタマネギの匂いが特徴らしい。
タマネギとスモークベーコンは炒めてから使う。
キッシュのもとの姿をスペッククーヘンとツビーベルクーヘンに見ることができる。3つのレシピは共に長所を持ち、今も残っている理由がよくわかる。
それと共に、スペッククーヘンに限らず、同じ名前の料理であってもドイツの料理は地域によってかなりのバリエーションがある。
( お菓子の歴史で述べたジンジャーブレッドがそうであるように。) これらの料理からドイツは昔から少数民族が多数集まってできた
多民族国家であることも理解できるであろう。
ドイツ語を話すのがドイツ民族でありその人達が統治する国をドイツ国家と言うのであろうか? それならば、スイスやオーストリアは?
今なおドイツという領域は不確かである。
キッシュがイギリスで一般に知られるようになったのは、第二次世界大戦以降、合衆国では1950年代である。