プディング

                       

 

 

プディング 中英語ではpǒding, podding, pudding, pudingと綴り、詰め物にする首肉、内臓肉、ソーセージの一種を指し、古フランス語boudin , bodin ( ブーダン;
血液を材料としたソーセージ ) に由来する。ラテン語botellus(ソーセージ、小腸 )が語源である。

BC86に編まれた『オデュッセイア』の第18歌に、『アンティノオスは、「夕食のために取っておいた、脂身と血を詰めた山羊の胃袋が二つ、火の上にのっている。
強い方の勝った奴にその中の好きな方を取らせてやろう・・・・・・・・。」』とあり、
プディングはギリシャ時代に既にあった。又古代ローマの料理書アピキウスには;

 

[60] LITTLE SAUSAGE BOTELLUM

 Botellum を作るには固ゆでした卵黄、チョップした松の実、タマネギ、リーク、挽いたパイン(?)、細かいペッパーを腸に詰めてワインとブロスの中でボイルする。」とある。これ以降のプディングを
追ってみると;
アピキウスから約千年後のca.1420年の, BL Harley 279 [Hrl.Cook.Bk.] の中に通常プディングと訳されている” Papyns ”があるが、材料である腸や胃、その中に入れる肉類がレシピには
なく、歴史上の流れからみるとこの料理は古代ギリシャ、ローマ時代からつづくプディングとは系統が異なるようだ。

 
.xx. Papyns
きれいなミルクと粉を用意してストレイナーで漉す。それを火にかけ、しばらくボイルする。それを取り出して冷やす。卵黄をストレイナーで漉して 
そこに砂糖を適量、塩を少量入れて固くなるまで火にかける。しっかりとボイルしてよく混ぜる。デイッシュの上に広げて直ぐにサーヴする。
 
1597年刊のトーマス・ドーソン ( Thomas Dawson )のザ・セカンド・パート・オブ・ザ・グッド・ハウスワイブズ・ジュエル
 ( The Second part of the good Hus-wiues Iewell. ) でプディングは;
 
プディング( Pudding 
パセリ、タイムを細かく刻み。仔ウシの腎臓を茹でて周りの脂を取っておく。冷ましてプディングに入れる脂の大きさに刻む。骨髄を刻む。 
挽いたブレッド、カラントを用意する。デイツを細かく刻み、卵を固くローストする。卵黄を取り出して細かく刻み上のスタッフィングと一緒に混ぜる。 詰める量に応じてペッパー、クローブ、細かく刻み、卵を固くローストする。卵メイス、サフラン、塩を入れる。全卵を6 個容器の中に割り、卵と同じ量のスタッフィングを入れて一緒によく混ぜる。それをハギス又は腸の中に詰める。コトコトとよく煮るとおいしく仕上がる。
 
ハギスとプディングに入れるスタッフィングが供用されている点に注目したい。それではハギスのレシピはどうかというと;
 
ハギスプディング ( Haggas pudding )
仔ウシの内臓を茹でて細かく切る。それを同量のビーフの脂を同じように細かく切る。挽いたブレッドを適量入れる。そこに卵黄を7個、 
卵白を 23個、少量のクリーム、ローズウオーターを34スプーン、少量のペッパー、メイス、ナツメグ、 砂糖を適量入れて弱火で煮る。 
ウインターセイヴォリィ、パセリ、タイム、少量のペニーロイアルを肉に入れる。
 
この料理書が世に出た1596年はどういった時代であったのか。 スコットランドの歴史について述べておこう。 何故歴史にまで触手を
伸ばさねばならないのかという疑問については、追々明らかになるだろう。
 
BC 1000年頃に、大陸からケルト系のピクト人がスコットランドに移住する。そこにBC 43年ローマ軍が侵入する。 83年の グ
ラウピウス山の戦いでローマ軍がピクト軍を破るがスコットランド全域を支配するまでには至らなかった。 そして407年 ローマ軍が撤退する。
その後スコットランドの北西部をスコット人、北東部をピクト人、南部をブリトン人とアングル人が支配した。 843ケネス 
(ケネス・マカルピン、Cináed mac Ailpín810858/2/13 )がスコットランド西部に 建国したダルリアダ王国の王位を継ぎ、
ヴァイキング、ピクト人勢力を征服し、スコット人との統合をはたしてアルバ王国を建国した。 スコットランド王国が創設した。
 

一方ブリテン島南部にはフランス王国の諸侯であったウィリアム征服王( ウィリアム1, William I, 10271087/9/9 ) 1066年、イングランド王に即位し1071年、

北部のスコットランド王国への侵攻を開始する。以降、両王家には婚姻関係が結ばれ和議が図られるが、イングランドとスコットランドとの争いは止まず

12001300年にかけて、スコットランド独立戦争が起き両国間の緊張が続いた。1314, バノックバーンの戦いでロバート・ブルース( ロバート1,

Robert I,1274/7/11- 1329/6/7、スコットランドの国王) がスコットランドの大部分を再征服した。

イングランドとアイルランドの女王であるエリザベス Elizabeth I, 1533/9/71603/3/24 )には後嗣がなく、後継者の指名をしないまま1603/3/24日午前2時~3

、リッチモンド宮殿
 で死去した。エリザベスの首席顧問官バーリー卿の息子ロバート・セシル ( Robert Cecil, 1st Earl of Salisbury, 1563/6/1/-1612/5/24 )

すぐに王位継承権を持つスコットランド王ジェームズ
[1] Charles James Stuart, 1566/6/191625/3/27 )と秘密交渉に入り数時間後、セシルと枢密院は

、スコットランド王ジェームズ
世をイングランド王であると宣言した。メアリ・ステュアートが叶えられなかったイングランド征服の夢を、息子のジェームズは

無血で叶えることとなった。これでイングランドとスコットランドの紛争は一息ついた。


[1] スコットランド王ジェームズ世はメアリ・ステュアート Mary Stuart, スコットランド女王、1542/12/81587/2/8、スコットランド王ジェームズ世とフランス貴族ギーズ公家出身の

王妃メアリー・オブ・ギーズの長女
)と2番目の夫であるダーンリー卿ヘンリー・ステュアート( Henry Stuart, Lord Darnley1545/12/71567/2/10 )の一人息子である

 

これが、1597年のイングランドの料理書の中に「ハギス」を入れることのできた理由である。そんな馬鹿な、と思われるかも知れない。又、答えありきでその理由を
誘導しているのではないかと勘ぐらずにはいられないかも知れない。私もそうだった。実はあと一例?ある。それはフォルム・オブ・クーリィの中で見ることができる。

これを見つけて確信を得る事ができた。料理の名前が政情に影響されて変化してきたということに。

 

1381年に書かれたフォルム・オブ・クーリィの中でハギスはフロケモイルの名で登場する。フランス語のfranchemute ( 牛の第二胃)に由来するフロケモイル,  fronchemoyle

という名をハギス料理に付けたのである。スコットランド料理、ハギスにフランス名を付けてイギリス料理として紹介しているのはどのように解釈すべきだろう。

1430年代に書かれたHarleian MS.279には、このフロケモイルがハギスというレシピ名で登場している。1381年から1430年の間に何かが起こったと考えずにはいられない。

実権を弟のロバートに握られフォークランド宮殿で謎の死を遂げた(餓死させられたと言われている)長男を失ったスコットランド王ロバート (Robert III, 14 August

1337 – 4 April 1406 )
は、長男デイヴィッドの死が幽閉時の監督責任者であった王弟オールバニ公ロバート Robert Stewart, Duke of Albany による暗殺であると疑い、

1406年、三男のジェームズ( James I, 1394/12/10-1437/2/21 )をフランスへ逃がそうとする。ところがその航海の途中、イギリス勢に拘束され、イギリス王ヘンリー世は、

この若い(名目上の)スコットランド王をウィンザーに留め置くのです。ジェームズが捕らえられた事を知った父ロバート
世は失意の内に1406/4/4に世を去る。

(次男ロバートは幼少期に既に亡くなっている)


人質生活が長くなるにつれて、フランス戦線で圧勝したヘンリー世はその余裕からジェームズを厚遇し、さらにヘンリー世が急死してヘンリー世が即位すると、

イングランド国内の混乱からイングランドはフランスとその同盟国であるスコットランドに一定の配慮を行う必要が生じ、ジェームズはさらに厚遇され高等教育をも

受けるようになる。実権を握っていた叔父オールバニ公が
1420年に亡くなると、スコットランド側はジェームズの身代金、4万ポンドを支払い、14245月にようやく

スコットランドへの帰国が叶う。すぐにスコットランドのスクーン修道院で戴冠式を行い、正式にスコットランド国王として即位する。イングランドの捕虜となっていた

ジェームズは最終的には賓客扱いにまで厚遇される。イングランド貴族の娘達との交際も認められ、ジェームズはヘンリー
世の従妹でジョン・オブ・ゴーントの孫娘

であるジョウン・ボーフォートと恋に落ちる。そしてスコットランドへの帰国に先立つ
142422日にロンドンのサザーク大聖堂 Southwark Cathedral で挙式を

行ったのである。

このレシピが書かれた1381年は、スコットランドがイギリスと敵対するフランスと組み、イギリスにとっては手の焼ける存在であった。ところが1406年から1424年は

スコットランド王であるジェームズを自らの城に囲い、しかも従妹のジョン・オブ・ゴーントの孫娘と結婚させたのである。
1420年代はハギスをフロケモイルと

名付けねばならない時代ではなかったと考えられる。

 

1381年に書かれたレシピ、フォルム・オブ・クーリィから;

15. フロケモイル( Afronchemoyle )

卵白、挽いたブレッド、ダイス大の羊の脂を用意する。ペッパー、サフランを挽いて羊の胃袋の中に入れてよく煮る。薄く切りデイッシュに入れて飾る。

1430年代に書かれたレシピHarleian MS.279から;


 
羊のハギス (.xxv. Hagws of a schepe. )


内臓、脂を茹でる。細かく切る。ペッパーを挽き、サフラン、ブレッド、卵黄、生のクリーム又はミルクを一緒に混ぜる。羊の大きな胃袋に詰めて煮る。サーヴする。

 

Harleian MS.279にはもう一つ、興味あるレシピがある。それは次のアーモンドのハギスであるが、その前に「ハギス」とは何者なのか述べておこう。

 

hagis (n.) Also -as, -es, -eis, -ws, hagges, agis, hakkis.と様々に綴られるhagisは恐らく

[Prob. from haggen v. Some forms show influence of hakken v. AF hagiz is no doubt from ME.] Late Middle English: probably from earlier hag 'hack, hew', from Old Norse hǫggva. 

hag, hack ,hash, hache ( 細かく切るの意 ) を元にした言葉であろう。少なくともフランス、ラテン経由の言葉ではなさそうだ。イングランドにおけるプディングが

ローマ帝国の料理の流れを受け継いでいるとまでは言えないにしても、スコットランド、ノルディック諸国の影響を受けている事は間違いないだろう。

 

アーモンドのハギス ( Hagas de almondes. )

卵を卵黄と卵白を用意してストレイナーで漉してきれいにする。ポットに入れてブロスで煮る。固く煮た卵黄を取り出す。細かく切る。砂糖、ジンジャーパウダー、
塩を卵黄に振る。ストレイナーで漉す。ポットに入れてボイルする。取り出して冷ます。細かいピースに切って(パンに脂を挽いて)卵を割って広げる。その上に
ピースを置いて周りを折り込む。四隅を平たくしてひっくり返す。取り出してサーヴする。

 

このアーモンドのハギスは将来生まれるスイーツプデイングの原型であると言える。1480Noble Boke of Cookryにも同じものが登場する。しかしそのあとは上で述べた

1597年のThe Second part of the good Hus-wiues Iewell. までは姿を消したままだ。

 

1660年刊のロバート・メイのThe Accomplisht Cookではブレッドプディング、ライスプディング、アーモンドプデイング、シナモンプデイング、オートミールプディング、

レバープディング、クリームプディング、シェイキングプディング、クエイキングプディング、シヴェリッヂプディング、ブラッドプディング、骨髄のプディング等々数え

切れない程のプディングが出現する。この中にはハギスプディングも含まれている。
この料理書以降、ハギスの名は姿を消し、プディングが数多く多彩な姿を現すように

なる。プラムプディングが顔を出し、プディングはヴィクトリア朝時代にかけて多様化していく。
ブレッドアンドバタープディング、ブラックプディング、

ヨークシャープディング、チョコレートプディングなど、メイン料理からデザートまで、その種類は多岐にわたる

 

1672年のハナ・ウーリィ (Hannah Wooley ) のThe Queen-like Closet or Rich Cabinet にハギスプディングとオートミールプディングのレシピがあったので引用する。

 

261. ハギスプディング( Haggus Pudding. )
仔ウシをボイルして骨を取り除く。細かくミンスする。卵45個、卵白を半分、挽いたブレッド、ローズウオーター、砂糖、少量の塩を入れて固くする。カラント、
スパイス、刻んだハーブを適量、骨髄又は細かく刻んだ脂を入れて腸に詰める、ボイルする。




                                     

                                             Haggus


262. オートミールプディング( Oatmeal Pudding. )

オートミールを温めたクリームの中に一晩浸す。細かくミンスしたハーブ、卵黄、砂糖、スパイス、ローズウオーター、少量の塩、骨髄、バターを入れてよくボイルする。

ローズウオーター、バター、砂糖を添えてサーヴする。


食事となるプディングとスイーツが完全に分かれたことが理解できる。ハギスは元のハギスらしい姿を取り戻した。

プディングは、多様な蒸し料理のジャンルを指すようになり、今ではゼラチンやコーンスターチで固めるタイプの料理もその形状からプディングと呼ばれるようになった。

これ以降のプディングの変化については別の機会に、個別に述べることにしよう。

 

 

参考文献

 

高津春繁 訳 オデュッセイア ちくま世界文学大系2 1971  Joseph Dommers Vehling, Apicius 1936

BL. Harley 279 ca.1420

Thomas Dowson, The Second Part of The Good Hus-wives Iewell 1597

Satoh Yosinori, The Forme of Cury, translation 1390

Noble Boke Of Cockry 1480

Hannah Wooley, The Queen-Like Coset of Rich Cabinet 1672

Robert May, The Accomplisht Cook 1660-85