ハムレット

 

ハムレット』(Hamlet)は1100年末サクソ・グラマティクス Saxo Grammaticus, 1150 - 1220中世デンマーク歴史家 )が編纂した北欧伝説『デンマーク人の事績Gesta Danorum 』の3巻-4巻にあるデンマークの王子の物語を下敷きとしている。ハムレットは、5幕から成り、1600年から1602年頃に書かれたと推定される。正式題名は「デンマークの王子ハムレットの悲劇」(The Tragedy of Hamlet, Prince of Denmark)であり、4000行を超え、シェイクスピアの中で最も長い戯曲である。又、主人公ハムレットの名前は『デンマーク人の事績』の主人公「アムレート」( Amleth )のアナグラムと考えられている。

 

あらすじ

デンマーク王が急死する。其れからひと月も経たない内に、先王の弟、王子ハムレットの叔父クローディアスが王妃ガートルードと結婚。デンマーク王に即位する。ハムレットは、その事実に衝撃を受ける。デンマークのエルシノア城では、夜ごと、ものものしい警戒が行われていた。というのも、ノルウェーとの緊張が日増しに高まっていたからである。夜な夜な父の亡霊が現れると張り番の従臣から聞いたハムレットは、先王の亡霊に会い、叔父のクローディアスに毒殺されたと聞く。復讐を企てたハムレットは狂気を装う。王と王妃はその変貌ぶりに戸惑いを隠せない。それを、宰相ポローニアスは娘オーフィーリヤに恋い焦がれてのことだと推測する。父に監視役を命じられたオーフィーリヤ。その様子を王とポローニアスは物陰から窺う。ハムレットは自分が監視されていると気付き、オーフィーリヤに冷たい言葉を投げつける。

城を訪れた旅役者に、父王殺害の状況と同じ筋立ての芝居をやらせる。クローディアスは動揺し、上演を中断させる。クローディアスは身の危険を感じ、二人の付き添いをハムレットにつけてイギリスに行かせることに決める。王妃ガートルードの部屋でハムレットは、国王に無礼を働いた罪をガートルードにとがめられる。その様子を盗み聞きしていたポローニアスを王クローディアスと勘違いし、ハムレットは刺し殺してしまい、その死体を運び去る。

王妃は王に、ハムレットがポローニアスを殺害したことを報告するが、ハムレットは死体の隠し場所を語ろうとしない。王クローディアスは、ハムレットを即刻イギリスに行かせることに決め、付き添いの二人にハムレットを処刑する旨の国王への親書を持たせる。

父を失い、ハムレットに去られたオーフィーリヤはショックで発狂する。オーフィーリヤの兄レアティーズは、ハムレットがポローニアスを殺し、王クローディアスの命も狙っていると知らされる。オーフィーリヤは狂った末に川で溺死する。レアティーズは父と妹の復讐を心に決める。

イギリスに向かったハムレットから、友人ホレイショーの元に手紙が届く。途中で海賊の捕虜になって、帰国している途中であった。デンマークに戻ってきたハムレットはホレイショーに、船上でイギリス国王への親書を開封し処刑されるのは付き添いの二人だと書き換え、その直後に海賊に襲われたと話す。帰国したハムレットとホレイショーは、オーフィーリヤの納棺の場に遭遇。オーフィーリヤの死に動転するハムレット。大げさに嘆くレアティーズに耐えられず、ハムレットは彼の前に躍り出る。レアティーズもまた、仇であるハムレットに掴みかかる。

ハムレットはレアティーズからの挑戦を受け、剣の試合をすることになる。試合はハムレットが優勢であったが、レアティーズの毒の剣で突かれて乱闘となり、どちらもその剣で負傷する。
一方、王クローディアスの用意した毒の盃を知らずに飲んだ王妃ガートルードが倒れ、命を落とす。毒のせいで息絶え絶えのレアティーズは、自分の剣に毒を塗っていたこと、また王のせいで王妃が毒殺されたとハムレットに語る。ハムレットは毒の剣で王を刺し、とどめに毒杯を飲ませ、王を殺害する。レアティーズとハムレットは和解するが、レアティーズは息絶える。その後ハムレットは、ホレイショーに、自分の立場をまだ知らない人々に釈明してくれと言い残して死ぬ。

 

第一幕第二場

 

HORATIO

My lord, I came to see your father's funeral.

 

HAMLET

I pray thee, do not mock me, fellowstudent; I think it was to see my mother's wedding.

 

HORATIO

Indeed, my lord, it follow'd hard upon.

 

HAMLET

Thrift, thrift, Horatio the funeral baked meats Did coldly furnish forth the marriage tables.
Would I had met my dearest foe in heaven
Or ever I had seen that day, Horatio!
My father!--methinks I see my father.

 

 

 

 

實は、御父君の御葬儀を拜し奉らうとて參りました。

 

 

はて、弄《なぶ》るまい。多分、おふくろの婚儀を觀やうためであらう。

 

 

さうおっしゃれば、間も無う御慶事。

 

な、それ、儉約!儉約!葬式に用《つか》うた其炙肉《あぶりにく》をば其まゝ婚禮の膳部へも廻す冷いもてなし。 あんな有樣を見る程なら、怨《うらみ》重なる讐敵《かたき》と天上で逢ふたはうがましぢゃわい! 父上が……父の顏が見ゆるやうぢゃ。

 

the funeral baked meats は日持ちの良いミートパイ。葬儀、死を予兆させる場に、脳裏に浮かぶのはパイクラストと棺桶の両方の字義を持つ「coffin」である。この場合は高さのある、日持ちがするミートパイと考えるのが妥当だろう。スウェーデンとの緊張が深まる中、デンマーク国内にあって、倹約するのは当然のこと。葬式のために作ったミートパイを婚礼に使うのは仕方のないこと。逆であればハムレットの怒るのも理解できるのだが。何を置いても、ハムレットは叔父が母親と一緒になったことが気に入らないようだ。しかし「the funeralbakedmeats葬式 焼く 肉体」とは何とも忌まわしい言葉の羅列ではないか。これが婚礼のテーブルの上にのせられたのだ。これからのハムレットの行方を(観客に向かって)暗示している。

 

「今日の観客は目が、イャ、耳が肥えていそうだから、この三つの言葉をゆっくりと、噛みしめながら、舞台を睨め付けながら口から吐いてやろうか。」 役者は台詞を吐き出す。観客は今までに何度も幾度も同じ場面を耳にしてきた。そのせりふを、今日の役者はどのように台詞を吐くのか、待ち受けている。

芝居の進行が観客と役者の「思い」の遣り取りで進んでいく。両者が場面を汲みすることで成り立っている場面が数多くある。役者のアドリブではない、シェイクスピア自らが仕掛けたシーンがある。特にこの「ハムレット」では多い。勢い余って時空を飛び越えた「台詞」が飛び出すこともある。

急にお話が変わるが、落語を台本で鑑賞するのは自ずと限度がある。だからこそ、今私が書いているような、「落語の落ち」を説明するようなことになるのだけれど。これが又私にとっては面白い。読まされている方々には一体ドウなのかは定かではないが・・・・・・・続けよう。

 

観客のシェイクスピア劇に対する関心の高さ・深さは、日記に書かれた文面からも明らかである。サムエル・ピープス ( Samuel Pepys, 2/23/1633-5/26/17031600年代に活躍したイギリスの官僚。王政復古の時流に乗り、一平民からイギリス海軍の最高実力者にまで出世した ) は生きている間に何度シェイクスピアを観たのであろうか。彼が1/1/1660-5/31/1661年の9年と5ヶ月間に書いた日記には、ハムレット観劇だけで5回ある。

 

8/24/1661

まっすぐにオペラハウスへ行きそこでハムレット、デンマークの王子を観た。非常に良かった。中でもベタートン ( Thomas Patrick Betterton, ca. 1635 –4/28/1710, イギリスの男優 ) の王子役は想像以上だった。 

 

11/27/1661

大尉フェレールとムーア氏それに私は劇場に行きそこでハムレットを観た。非常に良く演じられていた。

12/5/1661

ディナーの後、馬車で妻と一緒にホワイトホールへオペラを観に行った。ハムレット 観た。申し分のない演技であった。

5/28/1663

家に帰りそこでクリードとあった。一緒に食事をした。その後、船でロイヤル劇場へ行った。しかし満席で座る余地がなかった。そこでデュークハウスに行きそこでハムレットを観劇した。演じたのはベタートンではなくゴスネルであったが堪能した。 

 

                    図

 

 デブドン社 (Davenant’s company ) はロンドン中心部カムデン区ホルボーンのリンカーンズ・イン・フィールズ に新しい劇場、ヨーク公が後ろ盾となってデュークハウスを1660年に設立した。ウイリアム・デブドン卿がマネージャーを務めた。

The Duke's Company's Dorset Garden playhouse, designed by Christopher Wren, seen from the river. From en:Image:Dorset Gardens riverfront.jpg Firts uploader Bishonen Category:London 

 

8/31/1688

ホワイトホールの財務会館に行った。そこで少し仕事をした。そこからデュークハウスへ行き、妻と、デブ、メアリィ・マーサー、バテリエールそしてそこでエイチ・フューアーと会い、いっしょにハムレットを観た。ベタートンが全てを演じ切ったが、一番の場面はかって男優が演じた中で最も優れていたと思う。

 

「良かった、優れていた。」だけでは、グルメのリポーターが「旨い!」としか言わないのと同じで、内容はさっぱり伝わってこないが、日記からはシェイクスピアを何度も観劇に出かける人々が相当いたことは理解できる。

 

更に「ハムレット」の内容に進む前に、シェイクスピア時代の、イングランドとデンマークの関係はどうだったんだろう、という関心が湧いてくる。どういう思いで、観客はデンマーク王子劇を観ているのか。みている観客に対してシェイクスピアはどのように答えようとしているのか。1600年時代の両国の関係をこの際知っておく必要があると感じる。突然どうしたのかと思われるだろうが、この脚本をもう少し読み進むとデンマークの文字が23回、イングランドは21回登場する、イングランドを意識した演出になっている。気になるところだ。

 

ハムレットの舞台となったデンマークは、700-1000年にかけてユトランド半島を拠点にシェラン島、フェン島、スウェーデン南部に影響力を持っていた。1000年初めの30年間にカヌート王(Canute / Cnut / Knut I995-11/12/1035ノルマンデーン人で、イングランド王デンマーク王ノルウェー王を兼ねた )がデンマークとイングランドを支配した。1300年後半にはマルグレーテMargrete I, 1353-10/28/1412 北欧連合王国の実質支配者でカルマル同盟1397年にデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3王国間で締結された物的同君連合。を締結し、デンマークノルウェースウェーデン北欧3国を支配した。)により大国が築かれた。

 

1520ストックホルムの血浴を契機に、1523スウェーデンがカルマル同盟を脱し独立、スウェーデンとの300年にわたる抗争が始まった。伯爵戦争15341536)でクリスチャンが勝利したことにより、宗教改革が行われデンマークはルーテル派の国となった。クリスチャン1626ドイツ三十年戦争に介入、敗退したことからデンマークの衰退が始まる。そして、トルステンソン戦争16431645)においてスウェーデンとの戦いで、完全にデンマークは小国へと転落した。(スウェーデンに、ノルウェー領のイェムトランド、ハルイェダーレン、ハッランドを割譲。エーレスンド海峡の自由通航権及びゴットランドを割譲。また、神聖ローマ帝国司教区であるブレーメンフェルデンを放棄した。)

シェイクスピアの時代のデンマークは没落の一途を辿る国であった。

一方、イングランドでは清教徒革命の結果、議会以下国民の間では絶対王政は廃れたとの認識があったが、国王が強権を試みたため、議会は人身保護法(チャールズⅡ世のカトリック擁護政策に対し、議会は、1673年に官吏と議員を国教徒に限るという審査法(審査律)を制定後、1679年に、人身保護法(人身保護律)を改正し、国民を不当に逮捕しないことを定めた。)を制定し、法によらない不当逮捕の禁止を明文化させた。

デュー・プロセス(due process of law、法に基づく適正手続の保証)の確定である。さらにカトリックの者が公職に就くことを禁止した審査法(カトリックや非国教徒など国教会に従わぬものに重いペナルティを課すのが基本方針。)を制定し、王を牽制した。

 

イングランドは王と議会の、一進一退の攻防を繰り返してはいたが、前途に光の射す、道筋が見えていた。王権に対して議会の優位性が徐々に確かなものになっていたからだ。以上の様な状況下で「ハムレット」は上演された。

第一幕第三場

 

The canker galls the infants of the spring,
Too oft before their buttons be disclosed,
And in the morn and liquid dew of youth
Contagious blastments are most imminent.
Be wary then; best safety lies in fear:
Youth to itself rebels, though none else near.

OPHELIA

I shall the effect of this good lesson keep,
As watchman to my heart. But, good my brother,
Do not, as some ungracious pastors do,
Show me the steep and thorny way to heaven;
Whiles, like a puff'd and reckless libertine,
Himself the primrose path of dalliance treads,
And recks not his own rede.

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

LORD POLONIUS

Affection! pooh! you speak like a green girl,
Unsifted in such perilous circumstance.
Do you believe his tenders, as you call them?

OPHELIA

I do not know, my lord, what I should think.

LORD POLONIUS

Marry, I'll teach you: think yourself a baby;
That you have ta'en these tenders for true pay,
Which are not sterling. Tender yourself more dearly;
Or--not to crack the wind of the poor phrase,
Running it thus--you'll tender me a fool.

OPHELIA

My lord, he hath importuned me with love
In honourable fashion.

LORD POLONIUS

Ay, fashion you may call it; go to, go to.

OPHELIA

And hath given countenance to his speech, my lord,
With almost all the holy vows of heaven.

LORD POLONIUS

Ay, springes to catch woodcocks. I do know,
When the blood burns, how prodigal the soul
Lends the tongue vows:

 

 

 

 

春の幼い花の蕾葉まだ咲かぬうちに虫に食われ、人もうら若い水の出花の春先には、とかく根を枯らす毒気にふるる。かんまへて油断するまいぞ。用心は万全の策。若い時分には我から誤つ。傍らからは誘わずとも。

 

 

その教訓を、妾の心に見張り役にして、きっとその通りに守りませう。したが兄上、不品行な牧師たちは、他人には天へ往けというて険阻な荊棘路を教へておき、自身は放埒な人たちも同様、おのが訓へを守りもせず、あだ美しい花の咲く自堕落な道を通るとやら。そのようなことをなされますなや。

 

 

 

 

 

おやさしい!わっけもない!此の道の怖いことを夢さらしらねげの其処女らしい言草わい!其方は其....約束とやらを真実ぢゃと思うているか?

 

さァ、どう思うてよいやら。

 

はて、教へてやりませう。こりゃ、其方は嬰児も同じぢゃぞよ。そのような約束をば、正真正銘の金貨同様に、やがて支払うて貰われ様と思うは。これからは万事に一段と気兼ねしやれ。そうでないと.....斯う洒落のめしては洒落の息が切れそうぢゃ......俺を阿呆者に為かねぬわい。

 

でも王子さまは、ちっともみだりかましい御様子はなう、真実らしうおっしゃって.,,,,,

 

へゝ、らしうでもあらうかい。はて、馬鹿な!

 

.......偽でない証拠にとて、ある限りの誓言をばなされました。

 

そ、それが阿呆鳥を捕らへる罠じゃ。血のくわッと燃えるものを火と思ふは誤り、光る程に熱はなく、剰さへ約束にている最中にさへ消えるものぢゃ。

  

オーフィーリヤを心配して兄のレーヤーチーズと父親のボローニヤスの忠告が続く。プリムローズは「青春の始まり」を指す花言葉、ウッドコックは「豊かな個性」を意味する鳥言葉。

「美しい」の花言葉を持つ花はたくさんある。デイジー、クレマティス、アリッサム、アメリカン・カウスリップ、ストック、ハーニーサックル、ハイビスカス、オミナエシ、アマリリス、イヌサフラン、キバナコスモス、タチアオイなどがある。何故ここで「プリムローズ」なのか?

 

                     図 

ここに出てくるプリムローズはメマツヨイグサ( evening primrose : ヨーロッパ原産の( Oenothera biennis を指している。「メマツヨイグサ」の花言葉は「良識に反する」である。メマツヨイグサの咲く小径  (primrose path ) は「放埒な暮らし」を意味する。それはこの花が夕暮れに、暗くなってから, 黄色い花を咲かせるからである。「宵待草、(Oenothera odorata」といえば我々になじみがある。白い花を咲かせるもの「月見草、(Oenothera tetraptera, 花言葉は移り気」、赤い花を咲かせるもの「夕化粧、(Oenothera rosea)、花言葉は後援のない功績」上の3つは南米原産である。

 

                     図

 

woodcock, ウッドコック、Scolopax rusticola 」は正確には「ヤマシギ」でチドリ目シギ科に属する狩猟鳥である。我々が想像する鳥島の阿呆鳥ではない。中世初期から、高貴な鳥、身分の高い人たちが召し上がる食鳥のイメージが、恐らく1600年代のイングランド人にも残っていたのだろう。「罠, springes」という言葉はまさにその高貴な鳥を捕らえんとする、悪辣な、手段を選ばぬ「仕掛け」であり、「罠」という言葉は、矢のように心を射す言葉である。 

 

花と鳥で観衆の心を捉えたシェイクスピア劇は更に続く。

 

 

 

二幕二場

 

LORD POLONIUS

Away, I do beseech you, both away:
I'll board him presently.

 

Exeunt KING CLAUDIUS, QUEEN GERTRUDE, and Attendants

Enter HAMLET, reading

 

O, give me leave:
How does my good Lord Hamlet?

 

HAMLET

Well, God-a-mercy.

 

LORD POLONIUS

Do you know me, my lord?

 

HAMLET

Excellent well; you are a fishmonger.

 

LORD POLONIUS

Not I, my lord.

 

HAMLET

Then I would you were so honest a man.

 

 

 

ポロ

いざ、あちへ入らせられい。兩陛下とも、いざ〜。すぎに物を申掛けて見ませう。

 

王、妃、侍臣入る。

 

ハムレット本を讀みながら出る。

 

はれ、お許《ゆる》されませう。ハムレットの御前には、如何わたらせられまするな?

 

ハム

おゝ、堅固ぢゃ〜〜。

 

ポロ

手前を御存じでござりまするか?

 

ハム

うん、よう存じてをる。魚商ぢゃ。

 

ポロ

ではござりませぬわい。

 

ハム

なりゃ、せめて彼奴《あいつ》程の正直者であって欲しい。

 

 

王クローディヤスと王妃の意向を汲んで従長ポローニヤスがハムレットに話しかける。「手前を御存じでござりまするか?」の問いに対して「魚商ぢゃ。」と答えるハムレット。

fishmonger:魚屋」は「fleshmonger: 肉を扱う者、即ち売春仲介者、人の弱味につけ込む者 」を暗に示す。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・??????? この説明にはどうもしっくりこない。違和感が残る。

 

賢明なる諸氏は気が付かれていると思うのだが。私のシェイクスピアを読むという行為は、細い登山道からどうやら獣道に入ってしまったようだ。このままの調子でハムレットを読み終えれば、おそらく詰まらぬ結果を招くに違いない。

魚商を含めた、シェイクスピア戯曲の中の、意味ありげな言い草に込められた意味を探ることと、花や鳥に込められた意味合いを知ってシェイクスピア劇の深層を探ることとは異なる見方をせねば、新しい局面を覗くことはできないと「今になってやっと」気が付いたのだ。「いわゆる意味ありげな言い草」にはきっぱりとした訳があることに。

 

「魚商ぢゃ。」を観衆はどう捉えていたのだろうか。どうもこうもない。言葉の意味をしっかりと捉えていたし、シェイクスピアもそのつもりで書いていた。決して聴衆に解らない、言語学者でなければ気の付かない言葉を使ってはいないはずだ。解らないのは我々なのだ。それを示す証拠を示しておこう。

下に掲げるものはシェイクスピア劇(だけではないが)が上演された劇場である。年代は劇場の設立年を示す。1-2年の誤差はあるかもしれないが、ほぼこの頃に作られた。

                             


The Red Lion        1567       

The Inn-Yards       1574

The Theatre         1576            

The Curtain         1577

Newington Butts     1580

The Rose           1587

The Swan           1595

Blackfriars          1596             

The Globe           1599

The Fortune         1600                       The swan 1596 by Johannes de Witt

The Red Bu     1604

ヨハン・ウイットはオランダの旅行者で
1596年にスワン座を訪れて、その内部を書き残した。オリジナルの日記は失われたが、友人であるArend van Bucheが複製画を自身の日記に残していた。

      

上の他にも数えきれないほどの劇場が作られたと思われる。上図は1595年創設のスワン劇場である。燧石(フリントストーン)で葺かれた屋根と周りの3,000席の客席はマーブルカラーで塗られた太い木柱が支えていた。作られてから1年後に描かれたもので、忠実に当時の姿を伝えていると思っていいだろう。この劇場はレッドライオン座から30年ほど経っているので立派な作りになっているが、1574年のイン-ヤード座の名前からも想像できるように、当初はチャペルや建物の中庭で演じていた。建物は役者達が芝居やその準備をする処。周りの桟敷席はお金持ちの席。舞台の周りは、下々の、私のような者の立見席。ぽん引きもいれば娼婦もいる,もちろん魚屋もいる。芝居に気を取られている隙に懐を狙うスリもいる。飲んだくれもいれば、女衒もいる。詐欺師もいれば、いかさま師もいる。

大勢の観衆からお金を取って芝居を見せていたのである。意味不明の言葉を吐く訳がない。それにこの劇場の数である。台本が芝居の開幕に間に合わない。海賊本も出ただろう。場末の芝居小屋主が大きな芝居小屋へ行って急いでセリフを書き写すこともあったろう。観客受けを狙ってセリフを書き換えたこともあったに違いない。しかし血の滲むような(?)目的はただ一つ。受けなければ小屋が立ち行かなくなる。面白くなければ木戸銭が踏み倒される。

 

サムエル・ピープスはホワイトホールやデュークハウスへハムレットを観に行ったと前項で書いた。政府の要人やロイヤルファミリィは、いかがわしい、下司な場所には行かない。馬車や船に乗ってホワイトホールやデュークハウスやハンプトンコートに行く。その他、四つある法曹院 ( Law school ) に行って観た。インナーテンプル ( Inner Temple )、ミドルテンプル( The Middle Temple , グレイテンプル ( Gray’s Temple )、リンカーンテンプル( Lincoln’s Temple )である。そこで語られた台詞もおそらく我々が立ち見で聞くのとさほど違わなかったろう。なぜそんなに受けたのだろう。役者たちがこの時代に棲むイングランド人の内なる声を代弁していたからである。魚はただの魚ではなかった。ましてや気の触れたまねをしているハムレットの迷い語ではない。しっかりとした意味合いを持った言葉である。

 

「当たり前のことを、何を今更長々と。」といわれるかもしれないが、このことをはっきりと認識したことはこれからシェイクスピアを読み解く上で、私にとって大きな武器となったと思うのです。当時の人々の思いを掘り起こすことが、シェイクスピアを読み解くことにつながると信じることができたのです。

 

本筋に戻るとしよう。

 

ハムレットは見張り台の高台で亡き父王ハムレットの亡霊から、今はデンマーク王となった叔父クローディヤスによる謀殺の事実を告げられる。ハムレットの言葉を借りれば、「あらゆる記憶を拭い去って,我が頭脳の巻中には、只尊霊の厳命ばかりを、余事をまじへず記留めん。おおさ、天に誓うたぞよ! あさましき非道の女性! …… たぐいなき大悪人!」と復讐を父に誓った。

 

HAMLET

Follow him, friends: we'll hear a play to-morrow.

 

Exit POLONIUS with all the Players but the First

Dost thou hear me, old friend; can you play the
Murder of Gonzago?

 

First Player

Ay, my lord.

 

HAMLET

We'll ha't to-morrow night. You could, for a need, study a speech of some dozen or sixteen lines, which I would set down and insert in't, could you not?

 

First Player

Ay, my lord.

 

ハムレット

從《つ》いて往きゃれ、明日は劇を觀うぞ。

 

ポローニヤスに從《つ》いて俳優長《ざがしら》の他、皆々入る。

こりゃ〜、師匠。「ゴンザゴー殺し」をば演じておくりゃらうかの?

 

俳優長

はい〜、畏《かしこ》まりました。

 

ハム

明日の晩に演じてほしい。事によったら、十二行乃至十六行程の白《せりふ》を予が書下して插入れようと思ふが、 何と諳誦《おぼ》えておくりゃらうかの?

 

俳優長

はい〜、畏《かしこ》まりました。

 

 

旅回りの役者に「ゴンザーゴ殺し」を演じるように命じる。一座が演じるのは、もともとあった出し物「ゴンザーゴ殺し」にハムレットが台詞と所作を付け加えた、午睡の横たわる男の耳に毒を注いで殺すという明らかに先王暗殺の様子を示すものであった。芝居を見せてクローディヤスの様子を探ろうと鼠おとし ( Mouse-trap ) 仕掛けた。

 

KING CLAUDIUS

What do you call the play?

 

HAMLET

The Mouse-trap. Marry, how? Tropically. This play is the image of a murder done in Vienna: Gonzago is the duke's name; his wife, Baptista: you shall see anon; 'tis a knavish piece of work: but what o' that? your majesty and we that have free souls, it touches us not: let the galled jade wince, our withers are unwrung.

 

Enter LUCIANUS

This is one Lucianus, nephew to the king.

 

 

OPHELIA

You are as good as a chorus, my lord.

 

 

HAMLET

I could interpret between you and your love, if I could see the puppets dallying.

 

OPHELIA

You are keen, my lord, you are keen.

 

HAMLET

It would cost you a groaning to take off my edge.

 

OPHELIA

Still better, and worse.

 

HAMLET

So you must take your husbands. Begin, murderer; pox, leave thy damnable faces, and begin. Come: 'the croaking raven doth bellow for revenge.'

 

LUCIANUS

Thoughts black, hands apt, drugs fit, and time agreeing; Confederate season, else no creature seeing; Thou mixture rank, of midnight weeds collected, With Hecate's ban thrice blasted, thrice infected, Thy natural magic and dire property, On wholesome life usurp immediately.

Pours the poison into the sleeper's ears

 

HAMLET

He poisons him i' the garden for's estate. His name's Gonzago: the story is extant, and writ in choice Italian: you shall see anon how the murderer gets the love of Gonzago's wife.

 

何といふ表題《けだい》ぢゃな?

 

ハム

鼠おとし。はて、如何《どう》して?比喩《たとへ》ぢゃ。ヴィエンナであった弑逆を仕組んだので、 大公はゴンサゴー、妃《みだい》はバプチスタと言うて、やがて解らせられうが、 怖しい奸計《わるだくみ》の話ぢゃ、が、かまうたことはない。陛下にせい、誰れにせい、 心の潔白な者には不相關《かけかまひのな》いこと。脚《すね》に傷有《も》つ馬こそ跳ぬれ、 こちの脊骨は……

 

惡漢《わるもの》ルーシエーナスに扮したる俳優出る。

あれは王の甥のルーシエーナスといふ奴ぢゃ。

 

オフ

筋語役のやうに、何事も善う御存じでござりますなァ。

 

ハム

おゝさ、ぢゃらついてゐる操人形《あやつり》さへお見せやらば、汝《おこと》と情人《よいひと》との胸の中をも、 見事ときあてゝ見せうぞ。

 

オフ

ほんに、まァ、鋭いお口。

 

ハム

此鋭さを鈍らせようとしたら、大唸《おほうめ》きに唸《うめ》かずばなるまい。

 

オフ

ま、善うも又惡うも。

 

ハム

さういうて夫を迎へにゃならぬわ。……やい、殺人者《ひとごろし》、はじめい、百癩、其醜い面を止て、 早う始めい。さゝ、怨を晴らせ、と大鴉《おほがらす》の、啼く聲も皺枯るゝ。

 

ルシ

心は黒く夜も黒し、藥も利きて手も冴えたり。折もよしや人も無し。汝眞夜中の暗《やみ》に摘み

て、 三たび魔王《ヘケート》の呪詛《のろひ》に萎《しほ》れ、三たび毒氣に染みぬる草の臭き液《しる》よ、 汝が怖しき天然の魔力を以て、すぐにも健かなる命を奪へ。と毒液を眠れる王の耳に注ぐ

 

ハム

彼奴《あやつ》は王位を奪はうために園内で王を毒害しをる。王はゴンザゴーというて、眞實有った話ぢゃ、 巧妙《たくみ》なイタリー語で綴ってある。やがて彼殺人者《ころしたやつ》めが妃を騙《たら》して手に入れをる。

 

「ゴンザーゴ殺し」とは何だろう?

少し調べれば解るが、ゴンザーゴ殺しという事件はない。これにまつわるシェイクスピア研究は相当になされているが、これといった明白な答えはない。こんな時は「俯瞰」つまり、立体的に斜めから鳥瞰すると、全体像が浮き出してくる。

 

ゴンザーゴ殺しに関係する情報を上の台詞から取り出すと次のようになる。 

 

イタリアの公爵ゴンザーゴ、Gonzago

毒液を眠っている耳に注がれて殺害された

犯人は王の甥のルーシエーナス、Lucianus

公爵の妻の名は、バプチスタ、Baptista 

 

先ずイタリアの公爵ゴンザーゴについて;

イタリアの公爵の中でゴンザーゴの名を持つのはウルビーノ公である。ウルビーノ公国は1443年から1631年まで、現在の北イタリアマルケ州北部に存在した。1213年に設立されたウルビーノ伯は教皇によりウルビーノ公とされ、公国は当初モンテフェルトロ家に統治され、その後、デッラローヴェレ家が引継いだ。1631年にウルバヌス世(1623-1644)によりウルビーノ公国行政区(レガツィオーネ)として教皇国家に併合されるまで存在した。

 

ウルビーノ公国188年間の歴史(下記にで示した)の中で毒殺された公爵は二人、フランチェスコ・マリーア世・デッラ・ローヴェレ ( Francesco Maria I della Rovere, 22 March 1490 – 20 October 1538 ) フェデリーコ・ウバルド・デッラ・ローヴェレ( Federico Ubaldo della Rovere, 16 May 1605 – 28 June 1623 ) である。

 

デッラ・ローヴェレ家が関与した、短期間内に起こった二人の毒殺事件。事件が持ち上がった時代性に注目した。公爵継承に不自然な点が見られる。特にフランチェスコ・マリーア世の死は不自然である。

 

1508-1516: フランチェスコ・マリーア世・デッラ・ローヴェレ 、教皇ユリウス ( 1443/12/5-1513/2/21ローマ教皇, 在位:1503 - 1513, 本名はジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ ) は父方の伯父に当たりウルビーノ公に推挙された。ユリウス世が亡くなるとメディチ家出身の新教皇レオ世は、1516年にウルビーノ公位を甥のロレンツ・ディ・ピエロ・デ・メディチ Lorenzo di Piero de 'Medici, 11492/9/12-1519/5/4イタリアフィレンツェ僭主 ) に与えた。

フランチェスコ世・ゴンザーガ Francesco II Gonzaga, 1466/8/10-1519/3/29 )と、フェラーラエルコレ世・デステの娘イザベラ・デステ ルネサンス文化の庇護者として名高い )との間にできた長女、エレオノーラ・ゴンザーガ Eleonora Gonzaga, 1493/12/3- 1570/2/13 )と結婚した。エレオノーラは母親と同じく文芸の振興に熱心で、ピエトロ・ベンボジャコポ・サドレートバルダサーレ・カスティリオーネトルクァート・タッソらの人文主義者と親しく交際した。

1516-1519: ロレンツォ世・デ・メディチ (  Lorenzo II de' Medici  ) は叔父である教皇レオによりウルビーノ公に叙任。1519年にロレンツが早世し、レオ世も1521年に急逝したため、フランチェスコが復位し、ウルビーノは教皇領の中のデッラ・ローヴェレ家の所領として残った。1517年の一時期フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレが並立した

 

イタリア戦争時 14941559ハプスブルク家 神聖ローマ帝国スペイン )とヴァロワ家 フランス )がイタリアを巡って繰り広げた戦争 )でフランチェスコはヴェネツィア共和国配下の将軍であったが、新教皇クレメンス メディチ家出身 )はデッラ・ローヴェレ家を無視したため、1527年、神聖ローマ帝国軍のローマ略奪に対して介入しなかった。フランチェスコは1520年代後半に起きたパヴィア征服で活躍し、ヴェネツィア共和国側について戦った。マルケにおける教皇庁の勢力に逆らい、長男グイドバルド世とジューリア・デ・ヴァラーノ( マルケの僭主の一族 )の結婚を成立させたが、1538年、ペーザロで毒殺された。

 

1508-1538: フランチェスコ・マリーア世・デッラ・ローヴェレ ( ロレンツォ世の死後に復位 ) ヴェネツィア共和国側。

 

1539-1574: グイドバルド世・デッラ・ローヴェレ ( Guidobaldo II della Rovere ) マリーア1世の後を継ぐ。教皇庁によりファノ知事に任命された。

 

1574-1621: フランチェスコ・マリーア世・デッラ・ローヴェレ ( Francesco Maria II della Rovere,  1631 ) グイドバルド世の後を継ぐ。

 

1621-1623: フェデリーコ・ウバルド・デッラ・ローヴェレ ( Federico Ubaldo della Rovere )。父の後を継ぐが若くして亡くなる。毒殺された噂があるが確かではない。

 

1623-1631: フランチェスコ・マリーア世・デッラ・ローヴェレ、息子の死後に復位するが男の後継者いなくなり、1625以降: 教皇国家に帰属した。

 

 

犯人、ルーシエーナス、Lucianusについて;

アロイシス・ゴンザーガ ( Aloisio Gonzaga , o anche Aluigi, Loysio, Luigi, Luigi Alessandro1494/4/20-1549/7/19Luzzaraルッザーラ)に生まれる。)を候補に挙げることができる。彼は神聖ローマ皇帝カール世の元で傭兵隊長を務め、1537から1540の対オスマン帝国との戦いに参加。ヴェネツィア( フランチェスコ・マリーア )もイスパニア王国および神聖ローマ帝国のカールと一緒に参戦している。ルイージ・ゴンザーガはフランチェスコ率いるパルマを包囲する教皇軍に参加するも1538年、公爵の理髪師と共謀してウルビーノ公の耳に毒を注ぎ入れて殺したと言われている。長男グイドバルド世とジューリア・デ・ヴァラーノ( マルケの僭主の一族 )の結婚を教皇庁に逆らって成立させたのが要因であるとされるが、教皇、皇帝両者が真相を秘匿したため推論の域を出ない。

 

妻の名、バプチスタ、Baptistaについて;

フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ Federico da Montefeltro, 1422/6/7-1482/9/10、イタリア・ルネサンス期のウルビーノ公国の君主であり、教皇領ミラノヴェネツィアフィレンツェなどの傭兵隊長として活躍する一方、周囲に多くの文化人を集め、ウルビーノ宮廷に優雅なルネサンス文化を栄えさせた。フェデリーコとも呼ばれる。その名はヨーロッパ中に知れ渡っていた。バッティスタ・スフォルツァ Battista Sforza1446 - 1472 )は、フェデリーコの妃。Baptistaに近い名にBattistaを引っ張り出したが事件当時の年代と合わない。

 

15381021日に毒殺されたフランチェスコ・マリーア世・デッラ・ローヴェレ ( Francesco Mria Della Rovere, 1490/3/22-1538/10/28, ウルビーノ公 ) の妃は女傑イザベラ・デステの長女エレオーノーラ・ゴンザー ( Eleonora Gonzaga, 1493/12/31-1570/2/13 ) である。Personaggio dal carattere deciso e dalla controversa personalità, il G. manifestò questi aspetti non solo in occasione degli episodi criminali di cui venne accusato e nella conduzione delle operazioni belliche cui prese parte, ma persino in quel suo personale interesse per l'arte e le lettere, verso le quali non disdegnò di volgere le proprie energie nonostante la sua trentennale attività di soldato.

 

教皇-国王間の軋轢について;

ウルビーノ公国 Ducato di Urbino )の最初の公爵はモンテフェルトロ家のオッダントニオ・モンテフェルトロ ( Oddantonio da Montefeltro , 1428 – 22 July 1444 ) であり、1213年に神聖ローマ皇帝フレドリック世から公位を受けている。

ロミオとジュリエットでのモンターギュ家とカピューレット家との確執でも明らかなように、教皇派と皇帝派とのつばぜり合いがここでもある。この時代はウルビーノ公爵家の相続を見ても時の教皇の力がそのまま現れる世の中である。

 

劇中劇「ゴンザーゴ殺し」をマウストッラップのエサにして、クローディヤスを捕らえようとしたハムレットであったが、果たしてうろたえる王の姿を見てハムレットは、毒殺の確信を得る。賢明なる読者諸君は、もうおわかりであろう。「トラップ」に掛かったのは、王だけではなかったことに。

 

劇中ハムレットは俳優長に「ゴンザーゴ殺し」を演じるように依頼する。

イングランド人にとって「ゴンザーゴ」は異国のニオイのするどこかで聞いたことのある、確かどこかの公爵家で毒殺事件があったような気のする程度の知識は持ち合わせていただろう。

ハムレットの言葉に対して俳優長は、いとも安易に「はい〜、畏《かしこ》まいりました;Ay, my lord.」と答える。いつもの出し物であるかのような気安さである。これに我々を含めハムレット劇を観戦の人たちは騙された。真相は上で述べた通りである。ハムレットは人々の記憶の中にある不確かな事象をうまく利用したのである。ゴンザーゴは毒殺された公爵の后あるいはその母の、ヨーロッパ中に名のしれた著名人であり、バプチスタはフェデリーコ世の名でこれまた名だたる君主の妻の名(のようで)あった。

シェイクスピアはどこからこの知識を仕入れたのであろうか。パオロ・ジョヴィオ Paolo Giovio1483/4/19-1552/12/11、イタリアの医師、歴史学者、伝記作家、聖職者。)の著書などを参考にしたと考えられる。パオロ・ジョヴィオは有名人の伝記、イタリア戦争の記録を残したことで知られている。彼らの知識を使って、いまに生きる人々が持つ知識の半歩から一歩先を戯曲の中で指し示したのである。

 

マウストラップに掛かかり、縛り付けられた我々はなおも舞台に釘付けだ。

 

忘れていたが、舞台になった場所ヴィエンナ(ウィーン)は イングランド人が、何とか、頭の片隅にあった遠い外国。しかし全く知らない地名、ウルビーノよりも毒殺の事件の起こったイメージを膨らませやすい地名であった。

逆に言えば、この頃のイギリス人にとっての世界観はこの程度であったと言えるだろう。 

 

第四幕五場

父を亡くした、しかも恋人であるハムレットが父を殺した。五場ではオーフィーリヤが、ホレーショーに伴われて登場する。この場でのオーフィーリヤの歌をまとめて取り上げ、歌一つ毎に説明をしてゆこう。そこからシェイクスピアの意図を探ろうと思う。

 

OPHELIA (Sings

How should I your true love know
From another one?
By his
cockle hat and staff, And his sandal shoon.

 

QUEEN GERTRUDE

Alas, sweet lady, what imports this song?

オフ (歌ふ)

そして殿御の其 扮裝《いでたち》は?
杖に草鞋に一しほ目だつ
笠につけたる帆立貝

 

あゝ、オフィリヤ、其歌の意《こゝろ》は?

 

「貴方の愛をどうして解らずにいられましょうか」と歌った後、コンポステーラへ向かういでたちを唱う

雨風を防ぐ幅広い、一目してそれと分かる巡礼用の、ホタテ貝を正面に付けた帽子。水筒代わりのひょうたん、長旅に必要な防備を兼ねた杖と丈夫な靴は、聖ヤコブが眠る地への巡礼の旅姿である。巡礼者はフランス各地からピレネー山脈を経由し、スペイン北部を通ってコンポステーラへと向かった。

 

813年、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ( 現在のスペインのガリシア州ア・コルーニャ県の都市で、ガリシア州の州都 )で隠者ペラギウスが天使のお告げを受け、星の光に導かれてヤコブの墓を発見したとされる。墓の上には大聖堂が建てられた。当時のスペインは、イベリア半島におけるレコンキスタの最中であった。イスラムと闘っていたキリスト教勢力を守護する、又はキリスト教徒がイベリア半島を制圧する行動のシンボルとして崇められ、聖ヤコブはスペインの守護聖人とされた。聖ヤコブはスペイン語でサンティアゴ( Santiago )であり、コンポステーラ( Compostela )は墓を指す。巡礼は、(一番古い記録は)951年に始まり、レコンキスタが終了したとき、百年戦争、三十年戦争による混乱によって一時衰退したが現在も続いている。ハムレットを観劇している人達も盛んに巡礼に参加していた。

                        

                        http://www.indigogroup.co.uk/edge/pilgrim.gif

 

中世のカトリック教会では「コンポステーラ」は贖宥状 indulgentia1500年代、カトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書。免罪符、免償符 )であったことに注目したい。

 

OPHELIA

Say you? nay, pray you, mark.

Sings

He is dead and gone, lady,
He is dead and gone;
At his head a grass-green turf,
At his heels a stone.

 

QUEEN GERTRUDE

Nay, but, Ophelia,--

 

OPHELIA

Pray you, mark.

Sings

White his shroud as the mountain snow,--

 

Enter KING CLAUDIUS

 

QUEEN GERTRUDE

Alas, look here, my lord.

 

OPHELIA

[Sings]
Larded with sweet flowers  Which bewept to the grave did go  With true-love showers.

 

KING CLAUDIUS

How do you, pretty lady?

 

OPHELIA

Well, God 'ild you! They say the owl was a baker's daughter. Lord, we know what we are, but know not what we may be. God be at your table!

オフ

え、何とおっしゃります?はて、まァお聽きなされませ。 (歌ふ)

今は此世になう方ざまよ、
足にゃ墓石、頭上《つむり》には
いつも緑の八重もぐら。

お、ほう!

 

いや、なう、オフィリヤ……

 

オフ

まゝ、お聽きなされませ。
(歌ふ)

雪と見るよな蝋かたびらよ……

 

王クローディヤス出る。

 

あゝ、あれを御覽じませ。

 

オフ

(歌ふ)

花でつゝまれ、涙の雨に
濡れてお墓へしょぼ〜と。

 

オフィリヤよ、どうぢゃ、無事かの?

 

オフ

あい、おかたじけにござります!梟といふ鳥は麺麭屋《ぱんや》の娘であったといな。 今日の事は分れど、明日はどうなることやら。こなたのお茶の間へは神さまがござらしゃりますやうに。

 

「梟といふ鳥は麺麭屋《ぱんや》の娘であったといな They say the owl was a baker's daughter. )」とオーフィーリヤはなにやら意味深長なことを呟く。これはキリストにまつわる逸話の一つでこの時代の人たちがよく知っていた内容だ。

主キリストがパン屋に入った。身なりを見て哀れに思った店の女主人がオーブンの中にパン生地を放り込んだ。パン屋の娘は、大きすぎると半分にした。パンはとてつもなく大きく膨れ上がった。娘はそれを見て思わず叫んだ。「ホーホーホー」と。フクロウが其処にいた。

 

「今のことは分かるけれど、一足先は、どうなることやら分からない。( we know what we are, but know not what we may be. ) 」とパン屋の娘になぞらえてオーフィーリヤは歌う。「キリストはパンはもらったわけで、それが少し小さくなっただけだ。そこは超能力者、パンの大きさくらい自由に変えられる。何ら問題はないはずなのに、フクロウに変えられるなんて、間尺に合わない話だ。」と娘と同様、観客も感じただろう。( 信仰一辺倒ではないこの頃の人達の心情は、ロミオ3に挿入したバラッド,  54A:チェリーツリー・キャロルで語られている。参考にされたい。)

 

KING CLAUDIUS

Conceit upon her father.

 

OPHELIA

Pray you, let's have no words of this; but when they ask you what it means, say you this:

 

Sings

To-morrow is Saint Valentine's day,
All in the morning betime,
And I a maid at your window,
To be your Valentine.
Then up he rose, and donn'd his clothes,
And dupp'd the chamber-door;
Let in the maid, that out a maid
Never departed more.

亡父を思ふと見えた。

 

オフ

どうぞな、もう何にもいはいで。したが、もし何の事ぢゃと問ふ人があったら、ま、斯《か》ういはしませ。
(歌ふ)

あすは十四日ヴァレンタインさまよ、
門《かど》へ行こぞや、引明方に、
ぬしのお方になろずもの。
それと見るより門《かど》の戸あけて、
ついと手を取り引入れられたりゃ
純潔《うぶ》の處女《むすめ》ぢゃ

戻られぬ。

 

 


歌の中の乙女はヴァレンタインデイの朝早く、男の窓辺に近づく。何故なら、(歌によれば)ヴァレンタインデイのその朝に最初に見た乙女が、男がヴァレンテインデイに選ぶ恋人 ( To be your Valentine ) になれるからだ。起きた男は衣服をまとい部屋へと続くドアを開けた。部屋に入った純潔の處女娘は、部屋を出るときはもう元の娘ではなくなっていた。

 

KING CLAUDIUS

Pretty Ophelia!

 

OPHELIA

Indeed, la, without an oath, I'll make an end on't:

Sings

By Gis and by Saint Charity,
Alack, and fie for shame!
Young men will do't, if they come to't;
By cock, they are to blame.
Quoth she, before you tumbled me,
You promised me to wed.
So would I ha' done, by yonder sun,
An thou hadst not come to my bed.

はて、いぢらしいオフィリヤ!

 

オフ

え、實《じつ》!誓文なしに、つゝともう歌ふてのけょ。
(
歌ふ)

ほんに思へば、思へばほんに、
なんぼ殿御の習ひぢゃとても
そンれはあんまりどうよくな。
わしを轉《ころ》ばすッィ前までは
きッと夫婦というたぢゃないか、
と怨む女子に無情《つれな》い男。
おれも誓文その氣でゐたが、
一夜寢て見て氣が變はった。

 

オーフィーリヤの歌が終わると、父の死を知った兄のレーヤーチーズが宮中に乱入する。一騒ぎあった後、再びオーフィーリヤが、前よりもいっそう取り乱した狂気の体で登場する。シェイクスピアは、「リヤ王」同様、狂人を花とともに登場させ、花に狂人の「思いを」語らせる。( 花毎にその意味合いを説明しているのがリヤ王の場合と異なる。)「リヤ王」は1605年に、「ハムレット」は16001601年に執筆された。「ハムレット」には先に執筆された慎重さ(?)があるのだろうか。

 

LAERTES

This nothing's more than matter.

 

OPHELIA

There's rosemary, that's for remembrance; pray, love, remember: and there is pansies. that's for  thoughts.

 

LAERTES

A document in madness, thoughts and remembrance fitted.

 

OPHELIA

There's fennel for you, and columbines: there's rue for you; and here's some for me: we may call it herb-grace o' Sundays: O you must wear your rue with a difference. There's a daisy: I would give you some violets, but they withered all when my father died: they say he made a good end,--

Sings

For bonny sweet Robin in all my joy.

レヤ

たわいの無いのが、こころあるより百倍ぢゃわい。

 

オフ

さァ、こゝにまんねんかうがある。萬年も替らぬしるしの記念《かたみ》ぢゃ。 これはお前へ。いつまでも忘れいでや。それからこれが胡蝶草ぢゃ、物を思へといふぞや。

レヤ

狂氣の中《うち》にも訓《おしへ》がある。忘れいで物を思へとは有理《ことわり》。

 

オフ

さァ〜、(王に對ひ)御前《こなた》にはういきやうの花と小田卷草 (妃に對ひ)お前には返らぬ昔を悔み草ぢゃ、妾も一つ取っておこ。 これをば安息日のめぐみの草ともいふぞや。おゝ、着け方は更へてぢゃ。 それからこれが雛菊。お前には、をば與《おま》したう思ふたれど、 父者《てゝぢや》がお死にゃったら悉皆《みんな》萎《しほ》れてしまうた。 めでたい往生ぢゃと言うてぢ。.....

(歌ふ)

わしが好きなは、あのロビンさん。

 

ロビン;Robin はエリザベス時代、「 ペニス を示す隠喩であり、この歌はオーフィーリヤの抑圧された欲望を現している。前述の  「神:cock も同様の意味を持つ。

 

オーフィーリヤはバラッドの中に、巡礼姿、フクロウはパン屋の娘の逸話、ヴァレンタインの日の出来事、性的な露骨であからさまな表現を散らした。とりとめもない、しかし、意表を突く言葉の羅列に観衆は度肝を抜かれたり、喝采(?)を送ったりの中で芝居は進行してゆく。観衆の心を一つに繋ぐものが存在するはずだ ( と思う ) それは、「 とりとめのない、そして統一性のない 」話を一つに集約する、誰もが昔から知っている聖書の中の一節だ。

 

旧約聖書の中の詩篇、第102篇から。これを書いている詩人は、志し半ばで、今まさに命が尽きようとしている。新バビロニアの王ネブカドネザル世( Nebuchadnezzar, 在位BC605-BC562 )が、ユダ王国のユダヤ人達をバビロニア地方へ捕虜として連行し、早や数十年が過ぎ去った。来る日も来る日も奴隷としての生活が続く。主がシオンの繁栄を回復されるのはいつであろうか。詩人はその時を待ち焦がれ、詩を書いている。旧約聖書、詩篇より。

 

102

苦しむ者が思いくずおれてその嘆きを主のみ前に注ぎ出すときの祈り

 

102:1主よ、わたしの祈をお聞きください。
わたしの叫びをみ前に至らせてください。
102:2
わたしの悩みの日にみ顔を隠すことなく、
あなたの耳をわたしに傾け、
わが呼ばわる日に、すみやかにお答えください。
102:3
わたしの日は煙のように消え、
わたしの骨は炉のように燃えるからです。
102:4
わたしの心は草のように撃たれて、しおれました。
わたしはパンを食べることを忘れました。
102:5
わが嘆きの声によって
わたしの骨はわたしの肉に着きます。
102:6
わたしは荒野のはげたかのごとく、
荒れた跡のふくろうのようです。
102:7
わたしは眠らずに
屋根にひとりいるすずめのようです。
102:8
わたしの敵はひねもす、わたしをそしり、
わたしをあざける者はわが名によってのろいます。
102:9
わたしは灰をパンのように食べ、
わたしの飲み物に涙を交えました。
102:10
これはあなたの憤りと怒りのゆえです。
あなたはわたしをもたげて投げすてられました。
102:11わたしのよわいは夕暮の日影のようです。
わたしは草のようにしおれました
102:12
しかし主よ、あなたはとこしえにみくらに座し、
そのみ名はよろず代に及びます。
102:13
あなたは立ってシオンをあわれまれるでしょう。
これはシオンを恵まれる時であり、
定まった時が来たからです。
102:14
あなたのしもべはシオンの石をも喜び、
そのちりをさえあわれむのです。
102:15
もろもろの国民は主のみ名を恐れ、
地のもろもろの王はあなたの栄光を恐れるでしょう。
102:16
主はシオンを築き、
その栄光をもって現れ、
102:17
乏しい者の祈をかえりみ、
彼らの願いをかろしめられないからです。
102:18
きたるべき代のために、この事を書きしるしましょう。
そうすれば新しく造られる民は、
主をほめたたえるでしょう。
102:19
主はその聖なる高き所から見おろし、
天から地を見られた。
102:20
これは捕われ人の嘆きを聞き、
死に定められた者を解き放ち、
102:21
人々がシオンで主のみ名をあらわし、
エルサレムでその誉をあらわすためです。
102:22
その時もろもろの民、もろもろの国は
ともに集まって、主に仕えるでしょう。
102:23
主はわたしの力を中途でくじき、
わたしのよわいを短くされました。
102:24
わたしは言いました、「わが神よ、
どうか、わたしのよわいの半ばで
わたしを取り去らないでください。
あなたのよわいはよろず代に及びます」と。
102:25
あなたはいにしえ、地の基をすえられました。
天もまたあなたのみ手のわざです。
102:26
これらは滅びるでしょう。
しかしあなたは長らえられます。
これらはみな衣のように古びるでしょう。
あなたがこれらを上着のように替えられると、
これらは過ぎ去ります。
102:27
しかしあなたは変ることなく、
あなたのよわいは終ることがありません。
102:28
あなたのしもべの子らは安らかに住み、
その子孫はあなたの前に堅く立てられるでしょう。

 

緑で示した箇所が、オーフィーリヤが歌った内容と重なっていると思う。例えそうではなかったとしても、舞台に引き込まれている観客の心の中に、ボクサーが打ち込むボディブローのように、重く心の中に、オーフィーリヤが歌うたびに「 詩篇 102篇の苦しむ者が思いくずおれてその嘆きを主のみ前に注ぎ出すときの祈り」が沈み込んでいく。仮にそうだとしたら、シェイクスピアは余程の「曲者」だ。

オーフィーリヤに、テレビのコマーシャルの背景に流す、目には見えないけれど、心の中に入り込む サブリミナル効果 を狙って、セリフを喋らせているとしたら、まさにシェイクスピアは超人と言える。ここでは断定せずに、単なる仮説として述べておこう。この後続く 「 シェイクスピアを訪ねて 」の中ではっきりとした証拠を掴むまでは。

 

少し寄り道をしてしまった。再びオーフィーリヤのセリフに注目しよう。

兄レーヤーチーズにはローズマリー ( rosemary )-記憶とパンジー( pansies )物思いの徴を現す

ローズマリーを指して「that's for remembranceいつまでも忘れいでや」と呼びかけ、そして、パンジーを示してThere's pansies, that's for thoughtsそれからこれが胡蝶草ぢゃ、物を思へといふぞや。」とシェイクスピアは間違いなく思いが伝わるように、解説付きでオーフィーリヤに喋らせた。

ここで言うパンジー ( Viola tricolor )は園芸種ではなく、サンシキスミレを指す。花言葉は「私を思って下さい」である。

                     図

王に対してはウイキョウ ( fennel )-力、オダマキソウ ( columbine )-愚行の花を示す。            

 

                    図

妃に対してはヘンルーダ ( herb-grace o' Sundays )-後悔、ディジー( Bellis perennes、ヒナギク)-潔白、ヴィオレット-貞節の花を掲げる。



                図

                   

ヘンルーダを指して、「we may call it herb-grace o' Sundays:お前には返らぬ昔を悔み草ぢゃ、妾 《わたし》 も一つ取っておこ。」 と、妃に対しては亡き王に対する裏切りを、自らにはハムレットへの秘めた思いに対する「後悔」を表している。




                     図

ヴァイオレット ( Viola odorata, ニオイスミレ, スミレ科スミレ属の耐寒性多年草。) は、西アジア、ヨーロッパ、北アフリカの広い範囲に分布する。バラ、ラヴェンダーと共に香水の原料花として、古くから栽培されている。

 

「リヤ王」と同様、登場する花の季節は春から夏、晩夏と様々で、「ハムレット」の設定された季節ははっきりとは示されてはいないが、おそらく秋であろう。秋に咲かない花々を舞台に登場させる手法はそれほど驚くには当たらない。

 

舞台は, 役者と観客との死闘の場であるとするシェイクスピアは、さらにとんでもない世界へと我々を導いていく。

 

 

 

 

ハムレットのシリーズも今回で4. になったが、オーフィーリヤの私が抱いていたイメージとは異なる違和感のある、何かを隠している、その「何かに」もっと早く気付くことができなかったのかと、ここにきて思っている。少なくとも、( 例えば ) スワン座の前面に陣取っていた観客達の頭の片隅を、一幕三場のオーフィーリヤのあのメマツヨイグサの話が出た段階でうっすらと「少し変だ。」という思いがかすめたに違いない。

 

したが兄上、不品行な牧師たちは、他人には天へ往けというて険阻な荊棘路を教へておき、自身は放埒な人たちも同様、おのが訓へを守りもせず、あだ美しい花の咲く自堕落な道を通るとやら。そのようなことをなされますなや。」という一幕三場のセリフは、今にして思えば引っかかる。

 

三幕一場にきてその謎の一部が解ける。場所は城内の一室。王、妃、ポローニヤス、オーフィーリヤ、ローゼンクランツ、ギルゼンスターンが登場する。

オーフィーリヤを囮に、ハムレットの乱心がオーフィーリヤに対する恋の悩みかそれとも他に理由があるのか確かめようする。物陰に隠れた者達を、知らぬ振りのハムレットが言葉を発する。

「世に在る(今のままでいるべきか)、世に在らぬ(それともそうではいられぬか)、それが疑問ぢゃ。:To be , or not to be: that is the question.」に始まる台詞から、ハムレットが続ける「以前は和女《そなた》を可憐《いとし》いと思ふてゐた。:I did love you once., オーフィーリヤが「眞實、妾《わたし》も其やうに存じてをりました。:Indee my lord, you made me believe so.」と答える。逍遙は「可憐《いとし》いと思ふてゐた。」と訳したが、ここは素直に「性的関係」があったと捉えたい。何故なら腹に一物置くクローディヤスは、はっきりとハムレットの言葉を妄言ではないと見破っている。

 

更に思いを決定的にしたのは、四幕五場(ハムレット3)でオーフィーリヤが吐いたあの言葉だ。「そして殿御の其 扮裝《いでたち》は? 杖に草鞋に一しほ目だつ笠につけたる帆立貝。」。その前に一言囁いた How should I your true love know  From another one? 」を素直に言葉通り、「あなたの真の愛をどうして別の一人と、見分けることができましょうか」と読むべきであった。「別の一人」とは、ハムレットであることは明白だ。だからこそ、その後で贖宥状を得るための旅に出ると歌ったのだ。しかし旅に出ることは叶わない。パン屋の娘よりも重い咎を背負ったオーフィーリヤは罪の意識に苛まれる。

 

続いてヴァレンタインで歌った、「それと見るより門《かど》の戸あけて、ついと手を取り引入れられたりゃ、純潔《うぶ》の處女《むすめ》ぢゃ戻られぬ。;Then up he rose, and donn'ddressedhis clothes, And dupp'd (lifted) the chamber-door; Let in the maid, that out a maid Never departed more.」はすべて過去形 ( 赤字 ) で語られている。娘はオーフィーリヤであり、彼はハムレットである。

ここで観客ははっきりと、二人の性的な関係を知った。さらにそれに止めを刺したのが、正気を失ったオーフィーリヤが思わず漏らしたバラッドの一句。「わしが好きなは、あのロビンさん;For bonny sweet Robin in all my joy.」であった。

 

先に進むこともできず、後戻りもできないオーフィーリヤは死を選ぶ。オーフィーリヤが残したダイイングメッセージは、王妃ガーツルードから、花を介して語られる。

 

QUEEN GERTRUDE

There is a willow grows aslant a brook,
That shows his hoar leaves in the glassy stream; There with fantastic garlands did she come Of crow-flowers, nettles, daisies, and long purples That liberal shepherds give a grosser name, But our cold maids do dead men's fingers call them: There, on the pendent boughs her coronet weeds Clambering to hang, an envious sliver broke; When down her weedy trophies and herself Fell in the weeping brook. Her clothes spread wide; And, mermaid-like, awhile they bore her up: Which time she chanted snatches of old tunes; As one incapable of her own distress, Or like a creature native and indued Unto that element: but long it could not be Till that her garments, heavy with their drink, Pull'd the poor wretch from her melodious lay To muddy death.

斜に生ふる青柳が、白い葉裏をば河水の鏡に映す岸近う、雛菊、いらぐさ、毛莨《きんぽうげ》…… 褻《みだら》なる農夫《しづのを》は汚らはしい名で呼べど、 清淨な處女《むすめ》らは死人の指と呼んでをる…… 芝蘭《しらん》の花で製《こしら》へた花鬘《はなかづら》をば手に持って、狂ひあこがれつゝ來やったげなが、 それを掛けうとて柳の枝に、攀《よ》づれば枝の無情《つれな》うも、折れて其身は花もろともに、 ひろがる裳裾にさゝへられ、暫時《しばし》はたゞよふ水の面。 最期《いまは》の苦痛をも知らぬげに、人魚とやらか、水鳥か、歌ふ小唄の幾くさり、 そのうちに水が浸《し》み、衣も重り、身も重って、歌聲もろとも沈みゃったといの。

 

 

このあたりがシェイクスピアの演出の上手いところで、舞台設定が難しいところは、演出と演技でカバーする。いや、逆手に取ってさらに大きなイメージを膨らませる工夫を仕込む。その分、俳優の演技にそのしわ寄せがいくが、逆に言えば、役者が実力を発揮できる場でもある。

「リヤ王」にも同じ場面があった。ドーバーを望む場所でエドガーが父グロスターに言い聞かせる、「さあ、着きました。動かないで。あの底まで覗き込むと、恐ろしくて目がくらむようだ。空中を飛んでいるカラスも甲虫くらいの大きさに見える。崖の中ほどにぶら下がって浜セリを摘んでいる人がいるが、恐るべき仕事だ。頭くらいの大きさにしか見えない。海岸を歩いている漁師もネズミのようだ。沖合いに錨を下ろしている帆船も艀(はしけ)のようだし、その艀もブイくらいになって、小さすぎて見えないくらいだ。」と。

実際はドーバー近くの土の上で、グロスターに飛び込ませるのだが、二人の役者はまるでそこが崖の絶壁にいるかのように演技をする。見ている観客も舞台の上にいる役者が真っ逆さまに落ちていくかのような錯覚に陥る。そのような演技が役者には要求されているのだ。役者と観客との死闘の場でもある。

 

ここも同様で、セリフだけで、オーフィーリヤが水藻の中に、衣服が水を吸って水間に漂って死んでいる様子を描き出さなければならない。王妃ガーツルード最大の見せ場である。オーフィーリヤは、下で述べる花で作った頭飾りを身に付けて水面下に沈んでいる。



                  図

       シダレヤナギ、( Weeping willow, Salix babylonica

       花言葉は悲嘆。

 

キンポウゲ( Crow flowerbuttercups, spearworts, water crowfoots キンポウゲ属 Ranunculus )は、キンポウゲ目キンポウゲ科の植物の一属。キンポウゲ属の種はラヌンキュリンという成分を含んでおり、それが分解されるとプロトアネモニンという有毒物質となり、皮膚炎を引き起こす。バイカモもキンポウゲ属である。花言葉は恩知らず。

 

イラクサ(Nettle Urtica doica )花言葉は、中傷。

 

 

デイジー(DaysiesBellis pernnis

花言葉はそのことについて考えよう、無邪気な。

 

 

ロングパープル(Long purpleOrchis muscular)。

又は ( Arum maculatum ) との意見もあるがここではロングパープルを採用しておく。ロングパープルの花、アルム・マクラツムの花はいずれも性器に似ていて、褻なる農夫の言葉を借りるまでもなく淫靡である。花言葉は性愛。

 

時代は下がるが、1845年に描かれた、シェイクスピアの花を描いた絵を紹介しておこう。図には(柳)、キンポウゲ、イラクサ、デイジー、ロングパープルが描かれている。

真ん中の花が柳であろうが、種類が特定できない。ウィーピングウイロウの一種だろうか?)

 

Published by Day & Haghe, London, 1845 Bookseller Image

The Flowers of Shakespeare: Willow, Crow Flowers, Nettles, Daisies, & Long-purples from Hamlet.

 

 

五幕一場から;

墓掘り男が言うように、身分が良ければ自殺であってもキリスト式の埋葬がなされた。

それが「さればいやい、これが檢視方の御定法ぢゃ。;Ay, marry, is't; crowner's quest law.」と一方の墓掘が答える marry は聖母マリアを指し、軽い同意、誓約を意味する。crowner は方言で検視官、coroner のこと )。キリスト教の中身が次第に変化していく様が見て取れる一場面である。

 

更に墓掘りの話は続く。会話は不思議な方向へと進み始める。話の順に要点を書きだすと次のようになる。

墓掘りは「一年三百六十日の中《うち》で、予《わし》が此仕事にかゝったは、 先のハムレット王樣がフォーチンブラスに勝たっしゃりました日でござります。」と答える。

その日は王子ハムレットの生まれた日でもあった。彼はここデンマークに子供の頃から30年いるという。 ( とすれば墓掘りは3537歳くらいか ) 子供の頃に葡萄酒をかけられたヨリックの髑髏を拾い上げて、「これ、此髑髏《しやれこつ》は、 二十三年も土の中に入ってをりますのぢゃ。」と喋る

これだけだと驚くことはないが、ハムレットも髑髏を手に取って「見せい。はれ、不憫なヨリック!……ホレーショー、予《わし》は此者をば存じてをったが、 戲謔《むだぐち》にかけては眞《まこと》に窮極《きわま》る所を知らぬ、いや、拔群な竒想《おもひつき》に長じた奴。 予《わし》をば幾千度も背に負ふて歩いたものぢゃ。」と語りかける。これだとヨリックが亡くなったときハムレットは7歳であり、現在のハムレットは30歳ということになる?

 

ハムレット1.で「勢い余って時空を飛び越えた「台詞」が飛び出すこともある。と述べたが、これがその一つである。セリフが時空を超えるのは、これが初めてではない。一幕三場で既にその前兆があった。少し長い引用になるが、赤く染めた部分が「思考が飛ぶ」部分に当たる。観客の側に立って、ハムレットの心情を組して演技すれば当然の成り行きだ。父を亡くし、いまだ若い母が叔父と仲良くしているのを見れば、ヴィッテンベルクの大学生であるハムレットの気持ちとしては理解してやりたい気分にはなるセリフだ。

 

「臭い穢《きたな》いものゝみが一面にはびこってゐる。 かほどにならうとは!御逝去の後只二月!……いや、まだ二月にもなるまい。 あのやうな比類《たぐひ》稀なる國王!( 中略。)離れがたげにも見えさせられた母上が……一月も經たぬうちに……いや〜、もうそれを思ふまい。 ……あゝ、脆きものよ、女とは汝が字《あざな》ぢゃ!……たった一月!  中略。) 一月も經たぬ間に?空涙に摺りあかめた瞼《まぶた》の色さへもあせぬうちに。」と僅か一月に満たない月日の経過を、あっちに行ったり、こっちに来たりと思考が定まらない。

 

一場では、ひと月をふた月と言っている。だが上ではひと月ばかりのサバ読みではない。大学生であれば、おそらく17-18歳。それを30歳と言っているのだ。

なぜこのような表現が許されるのか?あるいはできるのか。それは同じ場のすぐ後のセリフを聞けばわかる。そのまま引用しておこう。

 

First Clown

Cannot you tell that? every fool can tell that: it was the very day that young Hamlet was born; he that is mad, and sent into England.

 

HAMLET

Ay, marry, why was he sent into England?

 

First Clown

Why, because he was mad: he shall recover his wits there; or, if he do not, it's no great matter there.

 

 

HAMLET

Why?

 

First Clown

'Twill, a not be seen in him there; there the men are as mad as he.

それをお前樣知らしゃらぬかいの?どのやうなあほうでも知ってをるがや。 若ハムレット樣が生れさっしった日ぢゃ、それ、氣が狂うて此間イギリスへ遣られさっしたハムレット樣の。

 

ハム

うん、さうか?何でまたイギリスへは遣られたのぢゃ?

 

はて、氣が狂うたによって。彼國《あそこ》にゐめされば、定、正氣にもどらっしゃらうず。 復もどらっしゃらぬてゝ、關《かま》ふことはおりない。

 

ハム

なぜぢゃ?

 

彼國《あそこ》ならば目立つまいがな、傍《あたり》が皆な狂人ぢゃによって。

 

墓掘りが答えて言う「彼國《あそこ》ならば目立つまいがな、傍《あたり》が皆な狂人ぢゃによって。 」この言葉は、この時代のイングランドの世相、イングランド人の意識を代表している。今もこの考えはさほど変わらないと見えるがそれはさて置き、このセリフは劇場全体に笑いの輪を巻き起こしたであろう。「自信と誇り」、見方を変えれば「上から目線」。少し変わった、周りとは異なる目線を意識しながら自らの行動を決める。そんな風潮を誇る空気感がイングランドには漂っている。

会話の中にアレキサンダーが出てきて、シーザーが登場する。そこでハムレットが対等に話そうと思えば、30歳にもなろうというものだ。1718歳では様にならない。一場は一場、五場は五場である。

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

ハムレットのシリーズも今回で4. になったが、オーフィーリヤの私が抱いていたイメージとは異なる違和感のある、何かを隠している、その「何かに」もっと早く気付くことができなかったのかと、ここにきて思っている。少なくとも、( 例えば ) スワン座の前面に陣取っていた観客達の頭の片隅を、一幕三場のオーフィーリヤのあのメマツヨイグサの話が出た段階でうっすらと「少し変だ。」という思いがかすめたに違いない。

 

したが兄上、不品行な牧師たちは、他人には天へ往けというて険阻な荊棘路を教へておき、自身は放埒な人たちも同様、おのが訓へを守りもせず、あだ美しい花の咲く自堕落な道を通るとやら。そのようなことをなされますなや。」という一幕三場のセリフは、今にして思えば引っかかる。

 

三幕一場にきてその謎の一部が解ける。場所は城内の一室。王、妃、ポローニヤス、オーフィーリヤ、ローゼンクランツ、ギルゼンスターンが登場する。

オーフィーリヤを囮に、ハムレットの乱心がオーフィーリヤに対する恋の悩みかそれとも他に理由があるのか確かめようする。物陰に隠れた者達を、知らぬ振りのハムレットが言葉を発する。

「世に在る(今のままでいるべきか)、世に在らぬ(それともそうではいられぬか)、それが疑問ぢゃ。:To be , or not to be: that is the question.」に始まる台詞から、ハムレットが続ける「以前は和女《そなた》を可憐《いとし》いと思ふてゐた。:I did love you once., オーフィーリヤが「眞實、妾《わたし》も其やうに存じてをりました。:Indee my lord, you made me believe so.」と答える。逍遙は「可憐《いとし》いと思ふてゐた。」と訳したが、ここは素直に「性的関係」があったと捉えたい。何故なら腹に一物置くクローディヤスは、はっきりとハムレットの言葉を妄言ではないと見破っている。

 

更に思いを決定的にしたのは、四幕五場(ハムレット3)でオーフィーリヤが吐いたあの言葉だ。「そして殿御の其 扮裝《いでたち》は? 杖に草鞋に一しほ目だつ笠につけたる帆立貝。」。その前に一言囁いた How should I your true love know  From another one? 」を素直に言葉通り、「あなたの真の愛をどうして別の一人と、見分けることができましょうか」と読むべきであった。「別の一人」とは、ハムレットであることは明白だ。だからこそ、その後で贖宥状を得るための旅に出ると歌ったのだ。しかし旅に出ることは叶わない。パン屋の娘よりも重い咎を背負ったオーフィーリヤは罪の意識に苛まれる。

 

続いてヴァレンタインで歌った、「それと見るより門《かど》の戸あけて、ついと手を取り引入れられたりゃ、純潔《うぶ》の處女《むすめ》ぢゃ戻られぬ。;Then up he rose, and donn'ddressedhis clothes, And dupp'd (lifted) the chamber-door; Let in the maid, that out a maid Never departed more.」はすべて過去形 ( 赤字 ) で語られている。娘はオーフィーリヤであり、彼はハムレットである。

ここで観客ははっきりと、二人の性的な関係を知った。さらにそれに止めを刺したのが、正気を失ったオーフィーリヤが思わず漏らしたバラッドの一句。「わしが好きなは、あのロビンさん;For bonny sweet Robin in all my joy.」であった。

 

先に進むこともできず、後戻りもできないオーフィーリヤは死を選ぶ。オーフィーリヤが残したダイイングメッセージは、王妃ガーツルードから、花を介して語られる。

 

QUEEN GERTRUDE

There is a willow grows aslant a brook,
That shows his hoar leaves in the glassy stream; There with fantastic garlands did she come Of crow-flowers, nettles, daisies, and long purples That liberal shepherds give a grosser name, But our cold maids do dead men's fingers call them: There, on the pendent boughs her coronet weeds Clambering to hang, an envious sliver broke; When down her weedy trophies and herself Fell in the weeping brook. Her clothes spread wide; And, mermaid-like, awhile they bore her up: Which time she chanted snatches of old tunes; As one incapable of her own distress, Or like a creature native and indued Unto that element: but long it could not be Till that her garments, heavy with their drink, Pull'd the poor wretch from her melodious lay To muddy death.

斜に生ふる青柳が、白い葉裏をば河水の鏡に映す岸近う、雛菊、いらぐさ、毛莨《きんぽうげ》…… 褻《みだら》なる農夫《しづのを》は汚らはしい名で呼べど、 清淨な處女《むすめ》らは死人の指と呼んでをる…… 芝蘭《しらん》の花で製《こしら》へた花鬘《はなかづら》をば手に持って、狂ひあこがれつゝ來やったげなが、 それを掛けうとて柳の枝に、攀《よ》づれば枝の無情《つれな》うも、折れて其身は花もろともに、 ひろがる裳裾にさゝへられ、暫時《しばし》はたゞよふ水の面。 最期《いまは》の苦痛をも知らぬげに、人魚とやらか、水鳥か、歌ふ小唄の幾くさり、 そのうちに水が浸《し》み、衣も重り、身も重って、歌聲もろとも沈みゃったといの。

 

 

このあたりがシェイクスピアの演出の上手いところで、舞台設定が難しいところは、演出と演技でカバーする。いや、逆手に取ってさらに大きなイメージを膨らませる工夫を仕込む。その分、俳優の演技にそのしわ寄せがいくが、逆に言えば、役者が実力を発揮できる場でもある。

「リヤ王」にも同じ場面があった。ドーバーを望む場所でエドガーが父グロスターに言い聞かせる、「さあ、着きました。動かないで。あの底まで覗き込むと、恐ろしくて目がくらむようだ。空中を飛んでいるカラスも甲虫くらいの大きさに見える。崖の中ほどにぶら下がって浜セリを摘んでいる人がいるが、恐るべき仕事だ。頭くらいの大きさにしか見えない。海岸を歩いている漁師もネズミのようだ。沖合いに錨を下ろしている帆船も艀(はしけ)のようだし、その艀もブイくらいになって、小さすぎて見えないくらいだ。」と。

実際はドーバー近くの土の上で、グロスターに飛び込ませるのだが、二人の役者はまるでそこが崖の絶壁にいるかのように演技をする。見ている観客も舞台の上にいる役者が真っ逆さまに落ちていくかのような錯覚に陥る。そのような演技が役者には要求されているのだ。役者と観客との死闘の場でもある。

 

ここも同様で、セリフだけで、オーフィーリヤが水藻の中に、衣服が水を吸って水間に漂って死んでいる様子を描き出さなければならない。王妃ガーツルード最大の見せ場である。オーフィーリヤは、下で述べる花で作った頭飾りを身に付けて水面下に沈んでいる。

シダレヤナギ、( Weeping willow, Salix babylonica

花言葉は悲嘆。

 

キンポウゲ( Crow flowerbuttercups, spearworts, water crowfoots キンポウゲ属 Ranunculus )は、キンポウゲ目キンポウゲ科の植物の一属。キンポウゲ属の種はラヌンキュリンという成分を含んでおり、それが分解されるとプロトアネモニンという有毒物質となり、皮膚炎を引き起こす。バイカモもキンポウゲ属である。花言葉は恩知らず。

 

イラクサ(Nettle Urtica doica )花言葉は、中傷。

 

 

デイジー(DaysiesBellis pernnis

花言葉はそのことについて考えよう、無邪気な。

 

 

ロングパープル(Long purpleOrchis muscular)。

又は ( Arum maculatum ) との意見もあるがここではロングパープルを採用しておく。ロングパープルの花、アルム・マクラツムの花はいずれも性器に似ていて、褻なる農夫の言葉を借りるまでもなく淫靡である。花言葉は性愛。

 

時代は下がるが、1845年に描かれた、シェイクスピアの花を描いた絵を紹介しておこう。図には(柳)、キンポウゲ、イラクサ、デイジー、ロングパープルが描かれている。

真ん中の花が柳であろうが、種類が特定できない。ウィーピングウイロウの一種だろうか?)

 

Published by Day & Haghe, London, 1845 Bookseller Image

The Flowers of Shakespeare: Willow, Crow Flowers, Nettles, Daisies, & Long-purples from Hamlet.

 

 

五幕一場から;

墓掘り男が言うように、身分が良ければ自殺であってもキリスト式の埋葬がなされた。

それが「さればいやい、これが檢視方の御定法ぢゃ。;Ay, marry, is't; crowner's quest law.」と一方の墓掘が答える marry は聖母マリアを指し、軽い同意、誓約を意味する。crowner は方言で検視官、coroner のこと )。キリスト教の中身が次第に変化していく様が見て取れる一場面である。

 

更に墓掘りの話は続く。会話は不思議な方向へと進み始める。話の順に要点を書きだすと次のようになる。

墓掘りは「一年三百六十日の中《うち》で、予《わし》が此仕事にかゝったは、 先のハムレット王樣がフォーチンブラスに勝たっしゃりました日でござります。」と答える。

その日は王子ハムレットの生まれた日でもあった。彼はここデンマークに子供の頃から30年いるという。 ( とすれば墓掘りは3537歳くらいか ) 子供の頃に葡萄酒をかけられたヨリックの髑髏を拾い上げて、「これ、此髑髏《しやれこつ》は、 二十三年も土の中に入ってをりますのぢゃ。」と喋る

これだけだと驚くことはないが、ハムレットも髑髏を手に取って「見せい。はれ、不憫なヨリック!……ホレーショー、予《わし》は此者をば存じてをったが、 戲謔《むだぐち》にかけては眞《まこと》に窮極《きわま》る所を知らぬ、いや、拔群な竒想《おもひつき》に長じた奴。 予《わし》をば幾千度も背に負ふて歩いたものぢゃ。」と語りかける。これだとヨリックが亡くなったときハムレットは7歳であり、現在のハムレットは30歳ということになる?

 

ハムレット1.で「勢い余って時空を飛び越えた「台詞」が飛び出すこともある。と述べたが、これがその一つである。セリフが時空を超えるのは、これが初めてではない。一幕三場で既にその前兆があった。少し長い引用になるが、赤く染めた部分が「思考が飛ぶ」部分に当たる。観客の側に立って、ハムレットの心情を組して演技すれば当然の成り行きだ。父を亡くし、いまだ若い母が叔父と仲良くしているのを見れば、ヴィッテンベルクの大学生であるハムレットの気持ちとしては理解してやりたい気分にはなるセリフだ。

 

「臭い穢《きたな》いものゝみが一面にはびこってゐる。 かほどにならうとは!御逝去の後只二月!……いや、まだ二月にもなるまい。 あのやうな比類《たぐひ》稀なる國王!( 中略。)離れがたげにも見えさせられた母上が……一月も經たぬうちに……いや〜、もうそれを思ふまい。 ……あゝ、脆きものよ、女とは汝が字《あざな》ぢゃ!……たった一月!  中略。) 一月も經たぬ間に?空涙に摺りあかめた瞼《まぶた》の色さへもあせぬうちに。」と僅か一月に満たない月日の経過を、あっちに行ったり、こっちに来たりと思考が定まらない。

 

一場では、ひと月をふた月と言っている。だが上ではひと月ばかりのサバ読みではない。大学生であれば、おそらく17-18歳。それを30歳と言っているのだ。

なぜこのような表現が許されるのか?あるいはできるのか。それは同じ場のすぐ後のセリフを聞けばわかる。そのまま引用しておこう。

 

First Clown

Cannot you tell that? every fool can tell that: it was the very day that young Hamlet was born; he that is mad, and sent into England.

 

HAMLET

Ay, marry, why was he sent into England?

 

First Clown

Why, because he was mad: he shall recover his wits there; or, if he do not, it's no great matter there.

 

 

HAMLET

Why?

 

First Clown

'Twill, a not be seen in him there; there the men are as mad as he.

それをお前樣知らしゃらぬかいの?どのやうなあほうでも知ってをるがや。 若ハムレット樣が生れさっしった日ぢゃ、それ、氣が狂うて此間イギリスへ遣られさっしたハムレット樣の。

 

ハム

うん、さうか?何でまたイギリスへは遣られたのぢゃ?

 

はて、氣が狂うたによって。彼國《あそこ》にゐめされば、定、正氣にもどらっしゃらうず。 復もどらっしゃらぬてゝ、關《かま》ふことはおりない。

 

ハム

なぜぢゃ?

 

彼國《あそこ》ならば目立つまいがな、傍《あたり》が皆な狂人ぢゃによって。

 

墓掘りが答えて言う「彼國《あそこ》ならば目立つまいがな、傍《あたり》が皆な狂人ぢゃによって。 」この言葉は、この時代のイングランドの世相、イングランド人の意識を代表している。今もこの考えはさほど変わらないと見えるがそれはさて置き、このセリフは劇場全体に笑いの輪を巻き起こしたであろう。「自信と誇り」、見方を変えれば「上から目線」。少し変わった、周りとは異なる目線を意識しながら自らの行動を決める。そんな風潮を誇る空気感がイングランドには漂っている。

会話の中にアレキサンダーが出てきて、シーザーが登場する。そこでハムレットが対等に話そうと思えば、30歳にもなろうというものだ。1718歳では様にならない。一場は一場、五場は五場である。

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

「一場は一場、五場は五場である。」と言い放ったが、ハムレットを演じた役者の歳からハムレットの年齢が推測できないだろうか。「ハムレット-1」でサムエル・ピープス ( Samuel Pepys, 2/23/1633-5/26/1703 ) がベタートン( Thomas Patrick Betterton, ca. 1635 –4/28/1710 )演じるハムレットを8/24/1661に観劇したと述べたことを覚えておられるだろう。そうであれば、その時ベタートンは26歳であったことになる。幸運なことに作者は不明であるが、サムエル・ピープスが見たであろうベタートン演じるハムレットの姿(左)が残されていたのでここに紹介しよう。

ベタートンはチャールズ世の廷臣姿でハムレットを演じている。姿、顔から年齢が読み取れればと思ったが残念ながらはっきりとしない。余談であるが、このときオーフィーリヤを演じたのがメアリー・サンダーソン(Mary Saundersondied 1712)であり、イギリス初の舞台女優である。彼らは1662年に結婚した。又、ハムレットが肩飾りのついた仕着せ、縁反帽、かつらを付けて演じるようになったのは後になってからである。

                       

                 English Restoration actor as Hamlet, c1661

 

「ハムレット」では時間が空を駆け、卑猥な言葉が飛び交い、意味ありげなセリフが劇内を駆け抜けるが、劇の芯となるものは不動の姿勢を保っている。元の物語( 『デンマーク人の事績』の3巻-4巻のデンマークの王子の物語)である。そこに様々な物語や詩が貼り付けられている。一番大きな出処となっているのは聖書である。今回は聖書にスポットを当てて「ハムレット」を眺めようと思う。

 

「さて彼のヴィッタンバーグの大学へ再び赴かんの思立は、予の最も好まぬ所, : For your intent In going back to school in Winttenberg, It is most retrograde to our desire:」とクローディヤスが一幕二場でハムレットがヴィッテンベルグ大学の学生であると観客に告げる。

 

  ヴィッテンベルク大学は1502年、ザクセン選帝侯フリードリヒ世が設立した。マルティン・ルターが進学教授を務め、贖宥状の大量販売に疑義を唱え、プロテスタントを産み出すきっかけとなった大学である。このヴィッテンベルク大学内の聖堂の扉にルターは「95ヶ条の論題」を掲示した。彼は、1512年に神学教授に就任すると、1517年に当時のカトリック教会の免償理解に疑義を呈して文章、提題(テーゼ)を発表した。95ヶ条の論題 95 Thesen)は、正式名称を『贖宥状の意義と効果に関する見解』と言う。

 

ハムレットはヴィッテンベルグに絡んだセリフを五幕二場で述べている。

何の〜。前兆なぞを氣にゃせぬわい。雀が一疋落つるにも天の配劑。今來れば後には來ず、 後に來れば今來う、よし今は來ずとも、いつかは一度來うによって、何事も覺悟が第一ぢゃ。 殘してゆく世が我世でなくば、早う死なうとも何の事も無いわ。棄てゝおきゃれ。;Not a whit, we defy augury: there's a special providence in the fall of a sparrow. If it be now, 'tis not to come; if it be not to come, it will be now; if it be not now, yet it will come: the readiness is all: since no man has aught of what he leaves, what is't to leave betimes? Let be.

 

人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決まっている。神は無条件に救済する者を選ぶ。神の救済は神の一方的な恩寵である。」というのが予定説の骨子である。「全ては神の意図に従って動かされている。」と言い換えることもできる。逍遙は「天の配剤:providence」と訳している。ハムレットのセリフはカルヴァンの言葉そのものである。

 

旧約聖書、士師記(ししき)は、ヨシュアの死後、サムエルの登場までのイスラエル人の歴史を語るもので、他民族の侵略を受けたイスラエルの民を、「士師:イスラエル歴代の英雄達」が救い出す記録である。その士師記の第11章を一部分引用する。読んでいただくと二幕二場のハムレットのセリフの中に登場する「エフタ」に纏わる事情がわかる。ハムレットのセリフは士師記からの引用で、当時の観客は「エフタの娘」と聞けばオーフィーリヤの姿を思い浮かべたであろう。

 

士師記第11

11:1さてギレアデびとエフタは強い勇士であったが遊女の子で、エフタの父はギレアデであった。 11:2ギレアデの妻も子供を産んだが、その妻の子供たちが成長したとき、彼らはエフタを追い出して彼に言った、「あなたはほかの女の産んだ子だから、わたしたちの父の家を継ぐことはできません」。 11:3それでエフタはその兄弟たちのもとから逃げ去って、トブの地に住んでいると、やくざ者がエフタのもとに集まってきて、彼と一緒に出かけて略奪を事としていた。 11:4日がたって後、アンモンの人々はイスラエルと戦うことになり、 11:5アンモンの人々がイスラエルと戦ったとき、ギレアデの長老たちは行ってエフタをトブの地から連れてこようとして、 11:6エフタに言った、「きて、わたしたちの大将になってください。そうすればわたしたちはアンモンの人々と戦うことができます」

 

・・・・・・・ (中略) ・・・・・・

 

11:30エフタは主に誓願を立てて言った、「もしあなたがアンモンの人々をわたしの手にわたされるならば、 11:31わたしがアンモンの人々に勝って帰るときに、わたしの家の戸口から出てきて、わたしを迎えるものはだれでも主のものとし、その者を燔祭としてささげましょう」。 11:32エフタはアンモンの人々のところに進んで行って、彼らと戦ったが、主は彼らをエフタの手にわたされたので、 11:33アロエルからミンニテの附近まで、二十の町を撃ち敗り、アベル・ケラミムに至るまで、非常に多くの人を殺した。こうしてアンモンの人々はイスラエルの人々の前に攻め伏せられた。 11:34やがてエフタはミヅパに帰り、自分の家に来ると、彼の娘が鼓をもち、舞い踊って彼を出迎えた。彼女はエフタのひとり子で、ほかに男子も女子もなかった。 11:35エフタは彼女を見ると、衣を裂いて言った、「ああ、娘よ、あなたは全くわたしを打ちのめした。わたしを悩ますものとなった。わたしが主に誓ったのだから改めることはできないのだ」。 11:36娘は言った、「父よ、あなたは主に誓われたのですから、主があなたのために、あなたの敵アンモンの人々に報復された今、あなたが言われたとおりにわたしにしてください」。 11:37娘はまた父に言った、「どうぞ、この事をわたしにさせてください。すなわち二か月の間わたしをゆるし、友だちと一緒に行って、山々をゆきめぐり、わたしの処女であることを嘆かせてください」。 11:38エフタは「行きなさい」と言って、彼女を二か月の間、出してやった。彼女は友だちと一緒に行って、山の上で自分の処女であることを嘆いたが、 11:39二か月の後、父のもとに帰ってきたので、父は誓った誓願のとおりに彼女におこなった。彼女はついに男を知らなかった。 11:40これによって年々イスラエルの娘たちは行って、年に四日ほどギレアデびとエフタの娘のために嘆くことがイスラエルのならわしとなった。

 

「エフタとその娘」に関する箇所は、エフタの娘とオーフィーリヤの行く末が交錯する。突然現れた不幸に一言も発せず運命に従う「エフタの娘」には、神の本意のままに生きようとする強い意志すら感じられる。

 

ハムレットがポロニウスに対して「なう、ヂェフサ ( 今はエフタの呼称が一般的 ) の叟《おぢい》よ、何とさうであらうが?:Am I not i' the right, old Jephthah?」と尋ねると、それにこたえて「手前をヂェフサと呼ばせらるゝか?いかさま、手前に女《むすめ》が一人ござりまする、はい、 又なきものと( 何物にもましての意 ) 愛でておりまする。:If you call me Jephthah, my lord, I have a daughter that I love passing well.」と答える。以下次の会話がこれに続く。

 

HAMLET

Nay, that follows not.

 

POLONIUS

What follows, then, my lord?

 

HAMLET

Why, 'As by lot, God wot,' and then, you know, 'It came to pass, as most like it was,'-- the first row of the pious chanson will show you more.

ハム

いや、さうはならぬは。

 

ポロ

なりゃ如何《どう》なりますな?

 

ハム

はて……

業因果《やくそくごと》んいや、神ぞ知る。

その次は 思はぬ事こそ起りけれ。

あとは彼唄の劈頭《はじめ》を見やれ。

 

会話の中にある、「敬虔なる歌:pious chanson」とは次の歌を指す。「その昔、エフタはイスラエルの士師であったということを知っているだろう:Have you not heard these many years ago, Jeptha was judge of Israel?」で始まる、士師記11章を謳う歌で、トーマス・パーシィ ( Thomas Percy, 4/13/1729-9/30/1811 ) が過去に存在したバラッドを編纂した古代イギリス詩拾遺 ( Reliques of Ancient English Poetry, 1765 ) の中にある。一部ハムレットのセリフとも交差する。参考のために引用しておく。

 

Have you not heard these many years ago, Jeptha was judge of Israel?
He had one only daughter and no mo,
The which he loved passing well:
And,
as by lott,
God wot,

It so came to pass,
As Gods will was,
That great wars there should be,
And none should be chosen chief but he.
And when he was appointed judge,
And chieftain of the company,
A solemn vow to God he made;
If he returned with victory,
At his return
To burn
The first live thing,
That should meet with him then,
Off his house, when he should return agen.
It came to pass, the wars was oer,
And he returned with victory;
His dear and only daughter first of all Came to meet her father
foremostly:
And all the way,
She did play
On tabret and pipe,
Full many a stripe,
With note so high,
For joy that her father is come so nigh.
But when he saw his daughter dear
Coming on most foremostly,
He wrung his hands, and tore his hair.
And cryed out most piteously;
Oh ! it’s thou, said he,
That have brought me Low,
And troubled me so,
That I know not what to do.
For I have made a vow, he sed,
‘I he which must be replenished:
What thou hast spoke
Do not revoke :
What thou hast said.
Be not affraid;
Altho’ it be I;
Keep promises to God on high.
But, dear father, grant me one request, That I may go to the wilderness,
Three months there with my friends to stay; There to bewail my virginity;
And let there be, Said she, Some two or three Young maids with me.“
So he sent her away.
For to mourn, for to mourn, tin her dying day.

 

 

一幕三場のメマツヨイグサ、二幕二場の「エフタの娘」、三幕一場のハムレットとオーフィーリ

ヤの「尼寺」、四幕五場の帆立貝、ヴァレンタイン、王妃ガーツルードの花を介するセリフに至るまで、オーフィーリヤの恋の相手はレーアーチーズではなかったのかと疑ったこともあった。しかし四幕まできて二幕二場のセリフを振り返ると、相手はハムレットであり、それ以外の人間ではない。 「エフタの娘」のセリフはオーフィーリヤの父ポローニヤスに向かって語られた。未だ心を決め切れずにいるハムレットが、それでも過去と手を切るべく「オーフィーリヤの純潔」を「エフタ」を通して父親には伝えておかねばと考えからであろう。ならば余計にオーフィーリヤの相手はハムレットでなければならない。

ここにもシェイクスピアの演出に込められた熱い思いと、シェイクスピアの役者の演技に対するただならぬ期待が窺える。初めてハムレットを観劇する者は、私と同じように四幕まできて二幕二場のセリフの意味に気付くだろうが、二度、三度観劇する者は「エフタの娘」のハムレットのセリフを、初回以上に耳をそばだてて聞くに違いない。どのような声で、どのような思いを込めてハムレットはそのセリフを語るのであろうかと。そしてそのセリフに対するポローニヤスの返答はどのように返されるのであろうかと。 

 

三幕一場のハムレットがオーフィーリヤに対して、「こりゃ寺へ往きゃ、寺へ;Get thee to a nunnery」と告げた「寺」は「エフタ」の台詞から推測できるように「修道院」だ。( nunnery : 修道院は当時売春宿になっているところが多かったので )舞台の最前列のスケベな親父は「そういえば、オーフィーリヤの名で出ているところが最近増えたなあ」と、この 間行った淫売宿を思い出したかもしれない。 シェイクスピアは多様に取れる言葉を縦横に使っているが、その意味合いは受け取る側に委ねられている。スケベ親父にはそのように、そうでない方にはそうでないように。だからこそ衆人にシェイクスピア劇が支持されたと言えよう。スケベ親父は悔悛すれば真っ当な意味(?) にセリフが聞き取れたであろう。そのあたりがシェイクスピアの素晴らしいところだ。

聖書から少し離れたので戻ることにする。

 

ハムレットが第三幕第一場で述べた「死は……ねむり……に過ぎぬ。 眠って心の痛が去り、此 肉に付纏ふてをる千百の苦《くるしみ》が除かるゝものならば…… それこそ上もなう願はしい 大終焉ぢゃが。……死は……ねむり……眠る!;To die: to sleep ; No more; and by a sleep to say we end  The heart-ache and the thousand natural shocks  That flesh is heir to, 'tis a consummation  Devoutly to be wish'd. To die, to sleep」という言葉は当時の「死」に対する

考えを代弁している。「死と眠り」は聖書の中で数多く取り挙げられている、そして重要なテー マである。次の書を読んでいただきたい。

 

ダニエル書第十二章

12:1 その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まって

から、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時 あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。 12:2 また地

のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にい たる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。 12:3 賢い者は、大空の 輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう 

 

マルコによる福音書第五章

5:38 彼らが会堂司の家に着くと、イエスは人々が大声で泣いたり、叫んだりして、騒いでいるのをごらんになり、 5:39 内にはいって、彼らに言われた、「なぜ泣き騒いでいるのか。子供 は死んだのではない。眠っているだけである」。 5:40 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなの者を外に出し、子供の父母と供の者たちだけを連れて、子供のいる所にはい って行かれた。 5:41 そして子供の手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。それは、「少 女よ、さあ、起きなさい」という意味である。 5:42 すると、少女はすぐに起き上がって、歩 き出した。十二歳にもなっていたからである。

 

ルカによる福音書第八章

 8:52 人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。イエスは言われた、「泣くな、娘は死んだの ではない。眠っているだけである」。 8:53 人々は娘が死んだことを知っていたので、イエス をあざ笑った。 8:54 イエスは娘の手を取って、呼びかけて言われた、「娘よ、起きなさ い」。 8:55 するとその霊がもどってきて、娘は即座に立ち上がった。イエスは何か食べ物を 与えるように、さしずをされた。 8:56 両親は驚いてしまった。イエスはこの出来事をだれに も話さないようにと、彼らに命じられた。

 

ヨハネによる福音書第六章

 6:47 よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。 6:48 わたしは命のパ ンである。 6:49 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。 6:50 しかし、 天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。 6:51 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパン は、世の命のために与えるわたしの肉である」。

 

「眠っている者は目を覚まして再び起き上がることができる。死と眠りは酷似している。」このことが我々の判断を鈍らせているようだ。( 死ねば決して覚醒することはない。存在そのものが消えてなくなる。判ってはいても安きに陥るのが人間の常である。それこそ神頼みだが。 )聖書では死ぬと霊となって存在すると説いている。それであれば、一幕一場で現れたハムレット父王の亡霊はそれまでどこにいたのだろう。一幕五場の「われこそは汝が父の亡靈なれ。只 眞夜中の若干時《そこばくどき》のみ、 閻浮《えんぶ》にさまよふ許《ゆるし》あれども、娑 婆にて犯しゝ罪業の燒き淨めらるゝそれまでは、 焦熱地獄の餓鬼の苦み。もしあの世の祕事 《ひめごと》を語るを禁ぜられずもあらば、只一言をだに洩《もら》さんに、 魂は慄へ戰《をのの》き、若き血汐は氷とこゞり、二つの眼《まなこ》は星の如くに、其圓座より躍《をど》 りいで、 縮れたる其頭髮《かみのけ》も、怒る豪豬《やまあらし》の蓑毛のやうに、一筋毎 に逆立つべきぞよ。 さもあれ冥府の一大事は、人間の身に傳へがたし」のセリフを聞けばおそらく煉獄に繋がれていたのであろう。とすればプロテスタントが否定していた煉獄を舞台の上に登場させたことになる。古いキリスト教の教理が垣間見えるのがシェイクスピア劇なのだろう。中世以来、骨には霊が宿ると信じられ続けてきた。聖書から 2つ引用した。

 

伝道の書第十一章

11:5 あなたは、身ごもった女の胎の中で、どうして霊が骨にはいるかを知らない。そのようにあなたは、すべての事をなされる神のわざを 知らない。」。 又、エゼキエル書第 37 章には「骨には生命が宿る」とある。 37:1 主の手がわたしに臨み、主はわたしを主の霊に満たして出て行かせ、谷の中にわたしを置 かれた。そこには骨が満ちていた。 37:2 彼はわたしに谷の周囲を行きめぐらせた。見よ、谷 の面には、はなはだ多くの骨があり、皆いたく枯れていた。 37:3 彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなた はご存じです」。 37:4 彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨 よ、主の言葉を聞け。 37:5 主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたが たのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。 37:6 わたしはあなたがたの上に筋を与え、肉を生じさせ、皮でおおい、あなたがたのうちに息を与えて生かす。そこであなたがたはわたし が主であることを悟る」。

 

五幕一場で墓堀りがしゃれこうべを抛上げる乱暴な仕草は、そしてハムレットが髑髏を取り上

げ「そしてまた如是臭気が? ペッペッ!」と手荒く骨を扱う様は、最早骨の中には霊は宿ら

ず、どこか彼方へ去ったことを示している。(中世に行われた、異端者を火あぶりにし、骨をこ の世から消し去り、四肢を馬に曳かせてバラバラにしたあの惨い処刑は何だったのだろう。) 

 

またハムレットが執拗に嫌っていた叔父クローディヤスと母の婚姻であるが、次のレビ記第二 十章と深く関わっていると思われる。

 20:19 あなたの母の姉妹、またはあなたの父の姉妹を犯してはならない。これは、自分の肉親 の者を犯すことであるから、彼らはその罪を負わなければならない。20:20 人がもし、その叔

母と寝るならば、これはおじをはずかしめることであるから、彼らはその罪を負い、子なくし て死ぬであろう。20:21 人がもし、その兄弟の妻を取るならば、これは汚らわしいことであ る。彼はその兄弟をはずかしめたのであるから、彼らは子なき者となるであろう。

 

ハムレットが母とクローディヤスを、霜の中にも火が燃ゆる怒りで「非義非道、乱倫邪淫、人

畜生、邪淫の床を同じうする者」と言葉の限り悪口雑言を言い放つエネルギーはレビ記の記述 とも大いに関連があるだろう。 シェイクスピア劇には、詳細に見ていくと聖書からの引用がきわめて多い。現在の西ヨーロッパの精神世界は聖書から出来上がっていると言っていいかもしれない。墓堀りよろしく、そこら中を掘り返せば聖書の紙片、断片が転がり出てくる。

もう少しつきあっていただいてこの事項を終わろう。

 

五幕一場でレーアーチーズが「おゝ、三重の禍災《わざはひ》よ、十倍、三十倍ともなって、

殘忍な行爲《ふるまひ》をして汝《おこと》の正氣を顛倒させた彼奴が素頭《すかうべ》に落 下れ!:O, treble woe Fall ten times treble on that cursed head,」と叫び墓穴へ躍り入る。 これは、観客に創世記第四章の『4:24 カインのための復讐が七倍ならば、レメクのための復讐 は七十七倍」』の言葉をまざまざと思い起こさせるセリフである。

なぜなら墓堀利が放り上げた髑髏を指して「あの髑髏にも舌があって、曾《かつ》ては唄など も能《え》い歌ふたであらうものを、 元祖の殺人者《ひとごろし》ケイン(カイン)が頤骨 《おとがひぼね》でゝもあるやうに、 彼奴《あいつ》めが叩きつけをる。今こそは如是《あん な》匹夫に飜弄せらるれ、或は、昔は、 神の目をもくらました策士の頭《かうべ》かも知れぬ わい。」とこのセリフの前にハムレットがホレーショーに喋っているからだ。 

 

カインは、旧約聖書『創世記』第 4 章に登場する。アダムとイヴの息子で兄がカイン、弟がアベルである。人類最初の殺人の加害者・被害者とされている。カインとアベルは、アダムとイヴがエデンの園を追われた後に生まれた兄弟でカインは農耕を行い、アベルは羊を放牧するようになった。ある日 2 人は各々の収穫物をヤハウェに捧げる。カインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、ヤハウェはアベルの供物に目を留めカインの供物は無視した。嫉妬にかられたカインはその後、野原にアベルを誘い殺害する。その後、ヤハウェにアベルの行方を問われたカインは「知りません。私は弟の監視者なのですか?」と答えた。しかし、大地に流されたアベルの血はヤハウェに向かって彼の死を訴えた。カインはこの罪により、エデンの東にあるノドの地に追放された。この時ヤハウェは、もはやカインが耕作を行っても作物は収穫出来なくなる事を伝えた。また、追放された土地の者たちに殺されることを恐れたカインに対し、ヤハウェは彼を殺す者には七倍の復讐があることを伝え、カインには誰にも殺されないための刻印をしたという。

Wikipedia から引用。)

 

復讐に関する記述は聖書にはあまたある。しかし、復讐が許されているのは主のみである。次 の聖書の中の文言を見られたい。 

 

ヘブル人への手紙第十章

0:28 モーセの律法を無視する者が、あわれみを受けることなしに、二、三の人の証言に基い

て死刑に処せられるとすれば、 10:29 神の子を踏みつけ、自分がきよめられた契約の血を汚れ

たものとし、さらに恵みの御霊を侮る者は、どんなにか重い刑罰に価することであろう。

10:30「復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と言われ、また「主はその民

をさばかれる」と言われたかたを、わたしたちは知っている。 10:31 生ける神のみ手のうちに

落ちるのは、恐ろしいことである。

 

ローマ人への手紙第十二章

12:19 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する。

 

「ハムレット」の四幕七場では「何さま、如何やうの靈場とても、殺人《ひとごろし》の大罪をば能《よ》う庇ふまいぢゃま で。 復讐《あだうち》に界《さかい》は無い。:No place, indeed, should murder sanctuarize; Revenge should have no bounds」とあり、殺人に対する復讐は公認されていた。キリスト教はこの点では全くの変容を遂げたといえる。オーフィーリヤの死を思い起こしていただきたい。彼女は自らの命を自らの手で葬った。復讐は他人の手によって葬られることである。どちらの死も神の意志「天の配剤」を無視した行いである。何故自らの手で自らを葬ることに罪があり、自らの手で他人を葬ることに罪がないのであろう。

 

 

 

 

つづく