ブラマンジェ

 

 

古代ローマ帝国崩壊後西ヨーロッパの料理の中でブラマンジェほど長い歴史を持った料理はないだろう。ブラマンジェほど多くの国で愛された
食べ物はないだろう。そしてブラマンジェほど今の世界で軽んじられている食品もないだろう。

時代を背負ってブラマンジェが様々に姿を変える800年ほどの 「ブラマンジェが辿ってきた道筋」 を述べようと思う。( ブラマンジェという言葉は
時代によって、国によって変化する。参考のためにレシピ毎にスペルを書いておいた。又、文中に出てくる特徴ある語彙については「中世の料理書」を
参照されたい。
) 

 

註.長い歴史の中で姿を変える「ブラマンジェ」を見失うことなく読み進めるには; ブラマンジェを最終的にどのような形で食べるのか(スライス、パイ、ドーナッツなど)、ブラマンジェを固める
食材に何を使っているのか(トリ肉、米、仔牛の足、ゼラチン、アロールート、コーンスターチなど)等に注目するとぶれずに読み終えることができる。

 

ブラマンジェはローマ時代にはなかったようだ。ローマではゼラチンを絵の具に混ぜて使っていたが、食用にすることは思い至らなかったようだ。
記録が残っていないのか、単に私が知らないだけかもしれないが。)

一番古いレシピは1300年代初めにフランスで書かれたEnseignementsの中にある。よく似たレシピを2例引用しよう。

 

119-124. ブラマンジェ:por blanc mengier:

ブラマンジェを作るにはメンドリの手羽と脚を用意して水でボイルする。米を少量用意して澄んだ水に浸して小さな火の上でクックする。肉を
髪の毛のように細く裂き、少量の砂糖と一緒にクックする。赤い色素(
Lac)を入れなければ、そしてメンドリのブロス又はアーモンドミルクと
いっしょに米をクックしなければ、この料理は赤くはならない。

 

※ “ Mangier “という表記 1400-1600年の間に “ manger ‘ に、1700年には “ mange “ に変わる。

 

105-110. メンドリの白いシチュ :  Por fere blanc brouet de gelines…:

メンドリの白いシチュを作るにはメンドリをワインと水でクックする。

アーモンドを用意して挽きブロスで調えポットの中でクックする。メンドリをピースに切りフライする。ポットの中に全て入れボイルする。
アーモンド、クローブ、シナモン、ロングペッパー、
orage , ガリンゲイル、サフランと砂糖を用意して少量の酢で味を調え、全てをいっしょに
提供する。これでよいシチュが出来る。

 

※ “ brouet “ はシチュを意味する。アーモンドを潰してブロスで漉す。これら2種類の-「白いスープ」と「ブラマンジェ」-料理は1650年頃まで並行して存在する。

 

白く作るのが元来のレシピであろうが、色素を入れる事もあった。Lacはカイガラムシ( Kerria Lacca ) から取る赤い色素である。

肉食が禁じられているレントではニワトリの代わりに白身の魚を使った。アーモンドミルクもレント、断食日に使う牛乳の代用品であるが、
近代になるまで牛乳を使ったブラマンジェが存在しないこと、レントにトリを食べることは禁じられていることからブラマンジェは最初から
アーモンドミルクを使うことがブラマンジェの条件であり、「病人食」
であったと言えよう。

 

レント; イングランのレントについて説明しておこう。

断食日は卵、乳製品、家禽、野生の鳥を禁じていたようだ。下記の引用文献がそのことをよく示している。出典は1550年のA Proper newe Booke of Cokerye及び1594年のThe good Huswifes Handmaide for
the Kitchin
である。一部分を引用した。

マラードは霜が降りてから聖燭祭( 被献日:2/2 )までが適期である。コガモやその他の野生の水禽も同じである。ウッドコックは10月からレントまでの季節、その他のクロウタドリ、ツグミやロビンも同じである。ヒーロン、ダイシャクシギ,
, サンカノゴイ,ノスリは季節を問わないが、冬が一番である。キジ、パートリッジ、クイナはいつもいいが、鷹狩りで獲った物が一番である。ウズラ、ヒバリはいつでも良い。野兔はいつも良いが10月からレントにかけてが一番である。
去勢したアカシカ又はダマシカはいずれであろうといつでも良い。角を落とした雄鹿は
3月が適期である。真夏には大きくなり5/3聖十字架発見の記念日 ( Holy Rood Day ) から9/29のミカエルマス( Michaelmas )の間が一番である。成熟した雄のシカは5月が適期であるが同じように考えて良い。仔を連れていない雌シカは冬が適期である。二歳の雄シカと三歳の雌シカはいつでも良い。ニワトリはいつでも良いが、若いハトも同じである。

 

いずれの狩猟鳥、獣もレントまでが旬の時期であることが述べられ、レント以降イースターまではいかなる肉類も食していないことから、レント期間中の食事の内容が伺える。上は1550年の
イングランドの有り様であり、断食の内容は地域、国、時代によって多少変動する。

 

1354年のEin Buch von Guter Spiseから引用する。

76.ブラマンジェ: Ein blamensir

ブラマンジェを作るには濃いアーモンドミルクを用意する。裂いたメンドリの胸肉をアーモンドミルクの中に入れる。米の粉、脂と砂糖を十分に
入れる。これがブラマンジェである。

 

1300年代のドイツで、米とアーモンド、砂糖を料理に使うには相応の財力がなければ作れない料理である。上のブラマンジェと違うところは
できあがりの料理の色、「白い」
色にこだわった点だ。手羽や脚の肉ではなく裂いたメンドリの胸肉を使い、高価な輸入品である米を使ったのも
白い色を出したいためである。脂はケンネ脂であろう。著者がわざわざ「これがブラマンジェである」と断りを入れたのも納得できる。
この料理は
Blanc mange ( 白い食べ物 ) の言葉どおり本当に白かっただろう。病人のための料理ではなく政治力を誇示する為の、アントルメ
(コースの途中で出される視覚や味覚を楽しむ一品
と言える。そして「白い色」は純潔~聖母マリアを表している。

イタリアで1350年頃に書かれたLibro di cucinaから、

 

5.ブラマンジェ :  Blancmange.

ブラマンジェ12人分を作るにはアーモンドを4ポンド、米を1ポンド、メンドリを4羽、グリースを2ポンド、砂糖を1 1/2 ポンド、クローブを
1/21/4(オンス)用意する。アーモンドは皮を剥き、一部は取っておく。残りは挽いて澄んだ水に浸けてアーモンドミルクを準備する。
籾殻を取った米を用意して、湯で洗い乾かした後、細かい粉にして篩う。ピースに切ったニワトリを用意して、少しボイルする。
ニワトリの肉を細かく裂いてグリースでゆっくりとフライする。

その間、そのほとんどのアーモンドミルクを平鍋に入れ、ボイルする。取っておいた冷たいアーモンドミルクを米の粉に混ぜて含ませる。
アーモンドミルクがボイルしたら浸しておいた米の粉を平鍋に移す。米粉とアーモンドミルクが濃くなるまでボイルする。裂いてフライした
ニワトリの肉と脂をすぐに入れる。

この混ぜ物を鍋底に焦げ付かないように頻繁に混ぜて砂糖を加える。料理がクックしたらボールに入れてサーヴする。この料理をローズウォーター、
砂糖、フライし取っておいたアーモンド、クローブで飾る。この料理は雪のように白くてスパイスが効いていなくてはならない。

 

ドイツのレシピを詳しくしたものがイタリアのレシピと言っていいくらいにこの二つのレシピは似ている。それは「ハンザ」が関係している。
1300年になると、舵、羅針盤、海図が一般化し最短航路を船が都市間を結ぶようになり、地中海からジブラルタル海峡を経て大西洋に出る
航路が開かれイタリア人、ドイツハンザの商人達が行き来するようになる。
1358年になると各都市間でハンザの同盟が結ばれる。
中でもブルヘ(ブリュージュ)は南北貿易の中心地であり、フィレンツェのベルッツィ家(
Peruzzi)、バルディ家(Bardi,
アッチャイウォーリ家(
Acciaiuoli)など、イタリアの商人達は大きな都市に定住し会社組織を設立した。」ことが大きく影響している。
イタリアはフランスよりもドイツに大きな影響力を持っていた。

 

フランスでは、Le Viandier de Guillaume Tirel dit Taillevent 13861393から、

19. 白いシャポンのスープ :  BLANC MENGIER D'UN CHAPPON POUR UNG MALADE.

ワインと水でクックし、切り分けて、ラードでフライする。アーモンドをシャポンの肝とダークミート(モモ肉)と一緒に潰し、ブロスに浸して
ボイルする。ジンジャー、クローブ、ガリンゲイル、ロングペッパー、グレインズオブパラダイスを(を挽いて)いっしょによくボイルする。
よくほぐした(混ぜて濾した)卵黄をたらし入れる。十分に濃いスープであること。

 

199. 部分的に色を付けた白い料理 :  BLANC MENGIER PARTY.

湯がいて皮を剥いたアーモンドを用意し非常によく砕き、熱湯につける。(そしてアーモンドミルクを作る)とろみ付けにデンプン又は砕いた米を
使う。ミルクがボイルしたら、いくつかに分けて、
2つのポットに(2色にするなら)又は(お望みであれば)3又は4つに分けておく。ボールや
プレートの上に置いたときに広がらないようにフルーメンティ位の固さにしておく。アルカネット、ターンソウル、良質のアズール、パセリ又は
アヴェンスを用意する。ボイルした時発色がいいようにサフラン少量を緑色の(野菜)に混ぜてシーヴする。アルカネット又はターンソウルと
アズールも同様にラードの中に混ぜておく。ミルクがボイルしたら砂糖を入れる。それを(火の)後ろに移して、塩を入れ、濃くなって得たい色
が出るまで強く混ぜる。

フランスでは病人用のブラマンジェとアントルメとしてのブラマンジェにはっきりと分かれている。「199. 部分的に色を付けた白い料理」は
アルカネットの赤、ターンソウルのムラサキ~赤、アズールの青、パセリとサフランの緑、アヴェンスの緑、何も入れない白の
4色の色を付けた
アントルメである。左はお馴染みの
JELL-O。色はいつも人を引きつけて止まない!?

 

イングランド同時代のレシピ :  The Forme of Cury 1390から、

 33.ブラマンジェ FOR TO MAKE BLOMANGER.

米を水の中に一晩入れ翌朝よく洗う。米が割れるまで火にかざす。煮過ぎてはいけない。煮た
シャポンの(ホワイト)ミートを用意して細かく引き裂く。アーモンドミルクを用意して米と
いっしょによくボイルする。ボイルしたら濃くなるようにそこに肉を入れる。ディッシュに入
れてその上にたくさんの砂糖を振って、ラードでフライしたアーモンドを突き刺して飾る。サ
ーヴする。
 
1479-1484年に書かれた :  Wel ende edelike spijse, オランダのレシピから、
2.4. シャポンのブラマンジェ Een blancmanger met kapoenen
シャポンを水でボイルして白い肉を取る。冷水に入れる。挽いたアーモンド、ライスミルクをポットに入れて火にかける。シャポンの肉を潰す。 
アーモンドミルクと混ぜて冷やす。砂糖、ポークの脂を加え、黒くならないように火から下ろす。アーモンドを砂糖と一緒に火を通し
ブラマンジェの 上に飾る。砂糖を振る。

 

イングランド1435Harleian MS 279から、

78.火を使わずにスー ( sew ) に色を付ける : Цветной десерт без огня

アーモンド4ポンド水に入れて皮を剥く。翌朝しっかりと挽く。濃いミルクを絞る。米を用意してきれいに洗い、しっかりと挽く。ミルクと一緒に 
ストレイナーで漉す。ボイルする。入れ物に分けて入れ白い砂糖を入れる。各入れ物にクローブ、メイス、クベブ、シナモンの粉末、を入れる。
白、 黄色、パセリで緑に色を付ける。各々スライスしてディッシュに入れる。ワインを入れたミルク又はレッドワインを添える。
 
スペイン ( Catalan ) 1520年のLibro de Guisados から、
この料理書には病人のためのブラマンジェ、普通のブラマンジェ、フリッターのためのブラマンジェの、3種のブラマンジェがある。
普通の ブラマンジェのレシピは長いので短くまとめたレシピ、魚のブラマンジェ, ひょうたんのブラマンジェが用意されている。

2レシピ引用しよう。
 

143.ブラマンジェ 要約 :  Blancmange in a Briefer Summary

米を1ポンド挽いて篩う。殺して直ぐのメンドリの胸肉をクックして細かく裂く。鍋に入れて少量のミルクを入れて胸肉が溶けるまでクックする。
挽いた米を入れてよく混ぜる。
1ポンドの米に1羽のメンドリの胸肉、ミルク 2L, 砂糖1ポンドを使う。全て鍋に入れて火が真ん中に当たるように
セットする。濃くなったら脂をたくさん入れて残り火の横に置いて均一になるようによく混ぜる。
 砂糖をディッシュの中に振る。

 

237.ひょうたんのブラマンジェ :  MANJAR BLANCO DE CALABAZAS  

一番柔らかいひょうたんを選んでナイフで白いところが出るまで削る。手の大きさ大に切る。水を火にかけてボイルしたらひょうたんを入れる。
クックしたら出してきれいな布の中に入れる。ひょうたんの量に合わせてアーモンドミルクを作る。しっかりと絞って水を出す。
ブラマンジェを作るポット又は鍋に入れる。砂糖を必要量入れ、火にかける。ミルクの中にひょうたんを入れる。ローズウォーターを振りかける。
しっかりとひょうたんを潰す。よくボイルするように強い火を用意する。濃くなるように絶えず混ぜる。固くなったらローズウォーターを入れて
少しクックする。火から下ろしディッシュを用意する。上に細かい砂糖を振る。

 
各国色々な特徴がある。スパイスを多用するフランス、それに追従するイングランド。特にフランスはスパイスを社会秩序の保持と外交交渉を有利に 
進める為に使ったことが、各国のレシピを比較すると鮮明に浮かび上がってくる。フランスはグレインズオブパラダイスを、イングランドはクベブを、
 一体どういう手段で手に入れたモノかと、見たこともないスパイスを使って賓客達を煙に巻く姿が目に浮かぶ。
 
1604年のベルギー(リエージュ), ランスロ・ド・カストー( Lancelot de Casteau’s )によるOuverture de cuisineから、
ブラマンジェ :  Pour faire blane menger
シャポン又はニワトリを23日前に殺しておく。クックしたら胸肉を取り、小さなピースに切る。モルタルで挽き、牛乳を2-3
スプーン入れて 湿らせる。牛乳7ポンド6オンス、細かい米粉1ポンドをシャポンの肉とよく混ぜる。非常に白い砂糖1 1/2
ポンドを鍋に入れて火にかける。 木じゃくしで一日中かき混ぜる。1/4時間ボイルしたらローズウォーター8オンス、
塩少量を入れる。プレート又はカップに入れる。 又は四角い中に入れる。
 
1600年代のフランスは、ユグノー戦争の最中にヴァロワ朝が断絶して、新教徒のブルボン家のアンリ世
( Henri IV12/13/1553-5/14/1610 ) がカトリック教徒のフランス王として即位しブルボン朝を開いた。三代目のルイXIV世
( Louis XIV9/5/1638-9/1/1715 )の時代には絶対王政 を築き、領土を拡大し最盛期を迎えた時代である。
スパイスを手放し、本来のブラマンジェを作れる時代になったとも言える。
 

少し時代が戻るが、1553年のドイツ, サビナ・ヴェルゼリン ( Sabina Welserin ) によるDas Kochbuch der Sabina Welserinから、

 

183ブラマンジェ :  Blomenschir

生きていたシャポンから胸肉を取り、冷水に漬ける。それを湯の中で湯がく。小さなボールに

入れてクックする。塩は入れない。半分できたらボールに取る。冷めたら糸のように細く裂

く。そのあと米1/2ポンド用意して選って綺麗に洗う。再び乾かす。それをモルタルの中に入

れてよく叩く。そうすると粉になる。細かいシーヴを通して小さな鍋又は平鍋に入れる。細か

く裂いたシャポンも入れる。そのあとスイートミルクを用意して綺麗な入れ物の中でボイルす

る。ミルクをセットして米を火のおこった石炭の上に置きミルクをその上に注ぐ。ゆっくりと

一定の速度で木のスプーンを使って米の粉の中を混ぜる。小麦のポリジのようになるまでクッ

クすることを忘れてはいけない。中に砂糖を振り入れてローズウォーターを入れる。ディシュ

ッに入れて塩を少し入れる。冷ましてサーヴするのであれば冷やす。冷たくなったら鉄のスプ

ーンを添えてサーヴする。ボールの中に綺麗に並べる、これでドーナッツを作る事もできる。

 
この時代あたりから、レシピの内容が細かくなり、再現できるようになる。料理書が貴族の装飾物、蔵書として持っていることがステイタスだった 
時代から、「料理を作るための書物」としての地位を得る。調理時間、重さなどが記載されて現在の料理書に近くなった。
Le Viandierを 書いたタイユヴァンは字の読めない料理人の為に料理書を書いたのではなく、王様、シャルル世の為に、 
料理書を献呈するために料理書を作ったのである。きわめて省略した記載~材料の名前と料理名だけの料理書~であるのも理解できるだろう。
ブラマンジェは固めてスライスするかパイにして食べた。此処ではブラマンジェでドーナッツを作っている稀な例である。
 
1651年のフランス, François Pierre de la Varenne  ( フランソア・ピエール・ド・ラ・ヴァレンヌ、1615–1678 ) 
による Le Cuisinier françois では2種記されている。一つはアントルメであり、
後の一つは朝にブイヨンの代わりに食べる料理として取り上げられている。 この時代はアーモンドミルクに牛乳を入れる、
丁度上の100年前のドイツのように、フランスのブラマンジェが新しく変わる転換点である。 少し長いが2レシピ引用しておく。
 
ブラマンジェ (アントルメとしてサーヴする)  :  Blanc manger pour servir d’entremets.
湯がいたアーモンドを1/4ポンドモルタルで潰す。ローズウォーターをスプーンで少しずつ入れる。好みでなければ水を入れる。 
ナッツがしっかりと潰れたらトリ又はビーフ、仔牛で作ったハーブを入れていない、クローブを2-3、
シナモンを少量入れて 塩で味をつけて澄ませたストックを1/2パイント又はもう少し多く入れる。
アーモンドミルクが足りなければ牛又は山羊のミルク を2-3スプーン入れる。ストックは脂を取って熱くなければならない。
よく混ぜたらモスリン又はリネンで漉す。 シャポンを2オンス又は別のローストした或いはボイルし、骨を取り、筋を取り、
皮を取り、チョップするか モルタルで潰したトリの胸肉を加える。トリの代わりに仔牛を使うこともできるがキメが粗くなり繊細ではない。 
卵大のクラストを取ったホワイトブレッドを付くこともできるがきめ細かく仕上げるには必要ではない。 
モスリンで鶏肉を漉さない者がいるが、アーモンドと一緒に押せば漉すことができる。
肉を潰したら一人がアーモンドとストックを モスリンの中に入れて一人が汁を搾ればよい。
絞ったらもう一度ストックを少量入れて残っている香りを押し出す。 ミルクをキャセロール又は銀のボールに入れる。
1-2個のレモンジュース、約1/4ポンドの砂糖を入れる。 ブラマンジェを石炭の火の上にかける。しばらくすると濃くなる。
スプーンで時々混ぜる。一部分を取ってプレートに入れて冷ます。 冷めてアスピックのようになったらできている。火から下ろす。
 
朝にブイヨンの代わりに食べるブラマンジェ :  Autre blanc manger pour prendre le matin au lieu d’un boüillon.
大きなボールに脂を取り除き、ハーブのきつい香りが付いていない、適度に塩をしたミートストックを用意する。
香りがきついときには アスピックを作るようにホワイトワインを入れてボイルする。約一時間煮る。
焦げないように時々スプーンで混ぜる。 量が半分になったらスイートアーモンドをモルタルで潰し
ローズウォーター2-3スプーン、冷水、ミルク又はストックを時々入れながら 作ったミルクを加える。
再びブラマンジェを一時間又は濃くなるまで加熱する。前述したようにスプーンで混ぜる。
汁をリネン又はモスリンに 入れて絞って漉す。汁をキャセロール又は銀のボールに入れる。
ピースに割った砂糖を1/4ポンド、シナモンスティックを入れる。 
バナナ ( プランエーションから手に入れた果物 ) 、龍涎香、オレンジフラワーウォーター、
レモンジュース又はオレンジジュースを入れる者 もいる。攪拌したものをボイルするまで加熱する。
 
いずれのレシピもストックの中に肉を残していない。ヴァレンヌははっきりとは述べていないが、ストックに仔ウシの関節を使った可能性を 
否定できない。フランスでは1691, François MassialotLe Cuisinier Roïal et Bourgeois、イギリス1747年、Hannah Glasse  
The Art of Cookery にある、仔ウシの膝関節を煮て作ったプディングへと、ブラマンジェは枝分かれをしてデザートの道を進む。
 
 

1691年、フランソワ・マシアロ ( François Massialot ) Le Cuisineir Roïal et Bourgeoisでは、2種類のブラマンジェが記されている。
一つはブラマンジェ
blanc manger、トリのストックに仔牛の足を入れてゼラチン質を強化し、オレンジフラワーウォーター、シナモン、
レモンの皮を香り付けに使い、様々に着色してアスピックとしてサーヴする。二つめは削ったシカの角を加えたブラマンジェ

( blanc-manger de corne de Cerf )
1ポンドの削ったシカの角を使ってゼラチンで作ったブラマンジェである。

 
イギリスでは1450-1750年間料理書から「ブラマンジェ」の文字が消える。ブラマンジェに似た別の名前の付いたレシピはこの間も
存在 していたが、Blanc Mange」とはっきりと明記したレシピが再び料理書の中に現れるのは、1777年のシャルロット・メイスン 
( Charlotte Mason ) The Lady’s Assistantからである。下は其のレシピで、この時代になると魚の浮き袋から作ったゼラチンIsinglass が使われるようになる。
 

ブラマンジェ :  BLANC MANGE

アイシンググラス(Isinglass)を1オンスに水を1パイント入れボイルして溶かす。少量のシナモン、クリームを3/4パイント、
茹でて潰したスイートアーモンド
2オンスビターアーモンド1オンス、レモンピールを入れて火にかける。漉して冷めるまで混ぜる。
レモンジュースを絞る。型に入れる。型から取りだしてカラントジェリー、ジャム例えば、マーマレード、ペア又はマルメロの砂糖漬けを飾る。

 

1800年代初期のアントナン・カレーム ( Marie-Antoine Carême, 6/8/1784-1/12/1833 )の時代には既にブラマンジェに肉のブイヨンを使うことは
廃れていた。甘いアントルメ(
デザート)としてのみ供されるようになっていた。ブラマンジェはアーモンドミルク、グラニュー糖
魚の
浮き袋から取ったゼラチンで作り、ラム酒、マラスキーノレモンバニラコーヒーチョコレートピスタチオヘーゼルナッツ
イチゴで味付けしてもよいと薦めている。

白くて滑らかなことがブラマンジェの条件である。

 
フランス、1849アレクシス・ソイヤー ( Alexis Soyer 2/4/1810-8/5/1858 ) によるThe Modern Housewife or Menagereから、
 

753. ブラマンジェ :  Blancmange.

ミルク1クオートにアイシンググラス1オンス、砂糖1/4ポンド、シナモン1/4オンス、少量の挽いたナツメグ、レモンピール1/2、ベイリーフを加えて弱火でアイシンググラスが溶けるまでかき混ぜる。
ナプキンで漉して水盤に入れ、型の中に注ぎ入れる。ミルクを固めることのない色又は香りを使うことができる。香り付けにビターアーモンドを加えることができる。

 

かって医薬としてのみに使われていたビターアーモンドを少量、健康に障らない範囲内で香り付けに、料理に使うことになったのは大きな進歩と言える。

 

1907年フランス、オーギュスト・エスコフィエ ( Auguste Escoffier, 10/28/1846-/12/1935 )A GUIDE TO MODERN COOKERYから、

 

2624.ブラマンジェ :  BLANC-MANGE ブラマンジェは今では余り作ることもないが、ディナーの前にすばらしいアントルメの一つとして出されていたことを思えば、これは残念なことである。
イングランドのものは素晴らしいだけではなく健康にもよく、普通のアントルメとは全く異なる。そこで次に其のレシピを記しておく。長い年月のうちに従来の意味は失われたが
blanc-mange とは、
元来美しく白いものであった。形容詞と名詞から成る言葉は従来の意味を失い、今や均一に色付けされた商標の中に埋まってしまったものもある。言葉の取り違えは古くカレーム以前に遡り、
今や訂正することは不可能である。

 

2625.フレンチブラマンジェ :  FRENCH BLANC = MANGE  

準備-1ポンドのスイートアーモンド、4-5個のビターアーモンドの皮を剥き、フレッシュウォーターに漬けて白くする。1パイントの水をスプーンで入れながらできるだけ細かく潰す。丈夫なタオルで、
きつく絞って漉す。絞ったミルクに
1ポンドの砂糖の塊を入れて溶かす。1 1/2パイントのミルクができる。ゼラチンを1オンス少し暖めたシロップに溶かす。モスリンで漉して香りを付ける。

型入れ-ババロアのようオイルを塗った型の中に漏斗で入れる。氷に入れて固まらせる。

註-アーモンドミルクは、今では上のような時代遅れの手順を踏む代わりに、潰したアーモンの中に水2-3TBSと非常に薄いクリームを適量入れるだけの代用品を使う。

 

60年後、ポール・ボキューズ ( Paul Bocuse2/11/1926 ) 1998年の La cuisine de marchĕ に載せたブラマンジェを見てみよう。

 

ブラマンジェ Le blanc-manger

材料:スイートアーモンド250g、ビターアーモンド2、ライトクリーム4デシリッター、グラニュー糖又は角砂糖100g、ゼラチン15g

方法:ボイルしている湯でスイートアーモンドを茹でる。冷まして皮を剥きフレッシュウォーターに1時間入れて白くする。水気を切って少し乾かしてモルタルで水を2-3スプーン入れながら潰す。
クリームで薄めながら滑らかなペーストにする。タオルの中央に入れて両端を捻って漉し、ボールの中にミルクを入れる。砂糖を溶かしバニラシュガー
1/2スプーンを加える。冷水で柔らかくして
水気を切ったゼラチンを暖めておいたアーモンドミルクの中に加える。アーモンドミルク、砂糖、ゼラチンから約
3 1/2デシリッターが得られる。固まり出したら少量の砂糖と一緒に泡立てた
ヘビィクリームを
1デシリッター入れる。ババロアと同じように型に入れて冷やす。同様にサーヴする。

 

エスコフィエとボキューズのレシピはアーモンドを絞る際に使う材料が水又はクリームの違いのみでその他はほとんど変わらない。彼らが目指すブラマンジェはほぼ完成の域に達したのだろう。
それではエスコフィエが称賛した「イングランドの素晴らしいブラマンジェ」とはどのレシピを指すのだろう。

 

 

 

 

つづく。

 

 

エスコフィエが述べた 「言葉の上の誤りは古く、カレームの時代よりも前であり元に戻ることや訂正は無駄なようだ。」 という言葉の中で
「カレーム以前」とは何時のことで、何を指すのだろう。

 

イングランドで 「ブラマンジェ」 と記述のある、一番古いレシピは1390年のThe Forme of Curyであろう。米、シャポンの胸肉、アーモンドミルク
、砂糖を使った料理である。(これを古典的ブラマンジェと呼んでおこう)これに習ったと思われるレシピは
1435年のHarleian MS 279以降、
1452年のジョン・ラッセル( John Russell )著、The Boke of Nurtureの中の肉料理の最初のコース ( 48. First course of a flesh Dinner )
ブラマンジェ
( Blanc Mange ) と次の2件のみである。

 

1467年、アレキサンダー・ナピエール編 ( Mrs. Alexander Napier ed. ) によるA Noble Boke off Cookryの中で料理名としてblanch mang of flesch
取り上げている。(
レシピはない

1594年、The good Huswifes Handmaide for the Kitchin. ( 著者は不明 ) を最後に古典的ブラマンジェはイングランドの料理書からその姿を消す。
最後のブラマンジェを引用しよう。ブラマンジェの綴りは逆さまになっている。しかし非常に克明なレシピで当時のブラマンジェの作り方等が
目の前に鮮明に浮かぶ貴重な記述である。

 

ブラマンジェ :  To make Maunger Blaunche

選別をして非常にきれいに洗った米1/2ポンドを細かく潰し細かい篩を通す。朝に絞ったミルク1クオートに入れてストレイナーで漉す。
きれいなポットに入れて火にかける。弱火で幅の広いスティックで混ぜる。少し濃くなったら火から下ろす。柔らかいシャポンの肉を
できるだけ小さく裂く。シャポンはきれいな水で煮て肉は手で、できるだけ馬の毛のように細く裂かなければならない。半分に煮詰めた
ミルクの中に入れる。同量の砂糖を入れて甘くする。良質のローズウォーターをスプーンで
12杯入れる。再び火にかけてよく混ぜる。
スティックでパンの端から端まで混ぜる。粥のように濃くなったらきれいな平皿に入れる。冷めたらディッシュの中にスライスして
3枚入れ、
その上に砂糖を少し振る。サーヴする。

 

153年後、ブラマンジェはハナ・グラッセ ( Hannah Glasse ) 著、1747年のThe Art of Cookeryのムーンシャイン ( Moon Shine ) というレシピの中で
材料として
料理書の中に再び姿を現す。ブラマンジェのレシピ名で登場するのは1777年のシャルロット・メイスン ( Charlotte Mason )
The Lady’s Assistant
からである。下はシャルロットのレシピ。

 

7. ブラマンジェ :  Blanc Mange

アイシンググラスを1オンスに水を1パイント入れボイルして溶かす。少量のシナモン、クリームを3/4 パイント、茹でて潰した
スイートアーモンド
2オンス、ビターアーモンド1オンス、レモンピールを入れて火にかける。漉して冷めるまで混ぜる。レモンジュースを絞る。
型に入れる。型から取りだしてカラントジェリー、ジャム例えば、マーマレード、ペア又はマルメロの砂糖漬けを飾る

 

すっかり様変わりして、まるで異国のレシピを見るようだ。エスコフィエは恐らく1594年までの古典的ブラマンジェに賛辞を送ったのであろう。
1594年から1777年の間に、ブラマンジェに何が起こったのだろう。イヤ、ブラマンジェに何かが起こったのではなく、何か他の大きな力が
ブラマンジェに働いたように思われる。

 

こんな時は、権力、金力に勝る政治家に御登場願って彼が食した料理をチェックするに限る。1665年にケネルン・ディグビィ (  Kenelm digby, 1603/7/11—1665/6/11 , イギリスの廷臣、外交官、自然哲学者 ) が書いたThe Closet of Sir Kenelm Digby Knight Opened ( 出版は1669 ) から、

 

オオムギの粥  : BARLEY PAP

メイス2枚、ナツメグ1/4、オオムギを水に入れて長時間ボイルする。オオムギの外皮を漉す。同時にローズウォーターで茹でたアーモンド2オンスをよく潰し漉した
ミルクをオオムギの粥の中に入れる。
( 大麦を漉すときに一緒に漉しても良い ) しばらく煮る。砂糖で好みの甘みを付ける。中略。胃袋が丈夫であれば大麦を漉さずに
食べても良い。
( 但しアーモンドは必ず漉すこと ) 好みでバターを入れても良い。

オートミール又は米或いはよく洗った松の実をアーモンドと一緒にクックしても良い。

 

“ Pap “ とは「病人食としての粥」の意であるが「主要な何かが欠けた、大人の心を持った者にとっては詰まらない物」 の意味もある。ブラマンジェの
主要な材料は米、アーモンドミルク、砂糖、ニワトリの胸肉であるから、最後の材料が欠けた料理と見ることもできる。

“ Pap “ 1450年~1600年の料理書の中に見ることができるが、時代を下るにつれて姿を消していく。このように1600年中頃の料理書に記載
されることは稀である。

繰り返しになるがPapは病人の為に作るので塩、卵黄を入れるが、此処には入っていない。

 

ディグビィは宗教にはさほど執着がないようだ。「ローマンカソリックを信奉するジェントリの家系に生まれたが、1625年、カソリックであることが
政府役人として妨げになると判断し、英国国教会の信徒に転向。
1635年にはカソリック信徒に戻ったかと思えば、思想、良心の自由を信じる
オリバークロムウエルの護民官政府のもとで、イギリスローマンカソリックの非公式な代理人として
1655年教皇への使者を務め、王政復古時に
於いては、チャールズ
世の母親に当たるヘンリエッタとの繋がりで新しい政治体制下に入った。」 という人物である。強いていえば火の如く
燃えさかる過激なる自然科学者である。その彼が書いたレシピである。この際彼の人となりを述べておこう。

1628年私掠船( 海賊 )の船長となり、1/18ジブラルタルでスペインとフランドルの船を捕獲1641年再び英国からフランスへ渡る。フランスの
著名な
Mont le Ros を決闘で殺害し、ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス Henrietta Maria of France11/25/16099/10/1669
イングランドチャールズ1の王妃 )が1644年イギリスへ戻るや、共にイギリスへ戻り彼女の閣僚となる。英国学士院を設立し、
1661年植物の生育に関する論文を発表し学士院に物議をかもした。彼は植物の維持に欠かせない物質として酸素に言及した始めての人物である。1622-1633年には評議委員を務め、数学者ピエール・ド・フェルマー(1601-1665)との書簡の中にピエールによる無限降下法による数学的証明が
残る。

 

常人ではないと同意していただけると思うのだが。その彼が上のような( 自らを偽るような )レシピを書いているのだ。天地がひっくり返るような
ことが起こった違いない。

 

一つ前の blancmange 1 で、1354年のEin Buch von Guter Spiseから引用したレシピに、「白い色は純潔~聖母マリアを表している。」
の下りがある。白い色に対して常にヨーロッパ人の胸の内を占めていた、今もそうであろう、思いである。しかしそのことはカルヴァンの考え
に反した、彼の思想に相容れない事柄であった。

彼の言葉を借りれば、「ブラマンジェそれ自体としては悪いものではない。ただ、そのおかれている状況をよく考えなければならない。
それ自体としては悪ではないが、人を悪におちいらせる機縁になることを忘れてはならない。更に、一種の社会革命を遂行しているとき、
市民としての生活規範が一段と要求されることも理解できよう。さらに、具体的な問題として、享楽的傾向がいつも反動分子と結びついていた
ことをおもいおこそう。」
と言うに違いない。

( カルヴァン、渡辺信夫著、59-60ページ。1988。岩波 )

 

ディグビィが「王女ヘンリエッタのオオムギのクリーム」を書き残している。

 

王女のオオムギのクリーム料理 THE QUEENS BARLEY-CREAM

オオムギ水を作る。最初の水はボイルしたら直ぐに3回続けて捨てる。ボイルするには約3/4時間かかる。オオムギと一緒にたくさんの水を1時間又は
それ以上かけて(固いオオムギはそれくらいかかる、胚芽層を取ったパールオオムギが一番良い)ボイルして(こうすることで水が赤く或いは
小豆色にならない)ピースに切った若いメンドリと切り離した脚を入れる。長く煮ると汁は肉の味がきつくなる。十分に煮たらオオムギとトリを
取り除く。ブロスでアーモンドを潰して漉す。砂糖で甘味を付ける。少なくても
2クオートできる。私はブロスでボイルしたオオムギの実を入れて
アーモンドミルクと一緒に漉したものが好きだ。好みでメロンの種を入れても良い。レモンジュース又はオレンジジュースを入れても良い。
シナモンで香りを付けブロスの肉の味を濃くしても良い。

 

英国のオオムギ水は 胚芽層を取ったオオムギをボイルして、その熱い水をレモンの皮の上に注ぎフルーツジュース、砂糖を加える。
( 皮はオオムギと一緒にボイルすることもできる。) というのが一般的なレシピなので、ディグビィのレシピはこれとは少し異なる。
ボイルして細かく裂いたニワトリの胸肉ではなくメンドリのブロスで潰したアーモンドを濃しれ繊細な味を演出している。ブラマンジェの
代わりに考え出したレシピなのか、それとも単に凝った大麦水を女王の為に作りだしたのか。真意は解らないが召し上がった女王様は何を
感じられたのか想像はできる。

 

ディグビィの頭をこれほどまでに働かせたのはやはりカルヴィニズムに違いない。ローマンカソリックから英国国教会、再びカソリック、
そして親プロテスタントからまたもやカソリックへとめまぐるしく変位したディグビィだが、それはキリスト教内でのこと。彼にとって
それよりも恐ろしいことは教会外に放り出されることだったに違いない。『最後の審判』で救われるのであれば怖いものはない。
ルター派であろうとカルヴァン派であろうと、異端審査を受けて骨も残らないほどに破壊されない限り最後は救われることを固く信じていたので
あろう。ディグビィはそんな人間であったように思う。

 

トリのブロスでアーモンドミルクを漉すという行為は後に、仔ウシのブロスへと変化してゼラチンを使った新しいブラマンジェへの
足がかりとなる。

 

昔からつづいてきたブラマンジェは宗教下の重石の基で次第に姿を変えようとしている。

1650-1660年には仔ウシ、トリのブロスを使ったブラマンジェ、1690年に入るとシカの角を使ったブラマンジェへ、1770年代には魚の胃袋を使ったブラマンジェへと
変化する。

仔ウシの関節、シカの角を使うあたりから、その中に含まれるゼラチンに新しい方向性を見出したように感じる。ゼラチンはやがて単独で取り出され、
ブラマンジェのレシピの中で主役を演じるようになる。ブラマンジェへの脱皮が始まったと言える。

 

ところが物事はそう単純に断言できるものではなさそうだ。

魚の胃袋から取り出されたアイシングラスは古くは1500年後半から既に料理に使われていた。一例を取り上げよう。

 

1597年トーマス・ドーソン ( Thomas Dawson ) 著の The Second part of the good Hus-wiues Iewell. では、

 

ホワイトリーチ :  a white leach.

新鮮なミルク1クオート、アイシングラス3オンス、潰した砂糖1/2ポンドを混ぜる。ずっと混ぜながらボイルして1/2クオートになるまで煮詰める。
ローズウォーターを入れて漉す。プラターに入れて冷ます。四角に切ってきれいなディッシュに並べる。金箔を上に置く。

 

1602年のヒュー・プラット (Hugh Plat ) Delightes for Ladies By Hugh Plat から、

 

27. アーモンドリーチ :  To make Leach of Almonds.
スイートアーモンド1/2ポンドをモルタルで潰して牛のミルク1パイントと一緒に漉す。ムスク1粒、ローズウォーター2スプーン、
細かい砂糖
2オンス、非常に白いアイシングラス3シリングをボイルする。ストレイナーを通す。スライスしてサーヴする。

このようなアイシングラスを使ったレシピが1900年までつづく。1900年からゼラチンを使ったレシピに変わるのはブラマンジェだけではない
。「
リーチ:leche, leech, leach の歴史は古く1597年に遡る。新しい姿を得たブラマンジェはこれまで先人達が積み重ねてきた全てを土台にして
作り得た料理であると言えよう。

 

横道に逸れるが、此処でカルヴァンの 予定説 について述べようと思う。「 ブラマンジェの項 は満載艦のようで主体がどこにあるのか解らない
程にごたごたしているが、
18002000年の欧米を知る上でも、勿論お菓子の歴史に関しても大きな影響を、今も受けている 精神論
なので最後に少し述べておこうと思う。


予定説 とは人間はうまれる前から既に神の国(天国)に入れるか否かは決まっていると言う説。神は,『最後の審判』を行う際に一人一人の人間の
生前の行為を検証することはない。何故なら人間はこの世に生まれる以前から、その人間の運命は予定されているからだ。カルヴァニズムの宗教改革の
精髄は『完全無欠な創造主である神』に対置する『無力な被造物としての人間』の絶望的なまでの対比がカルヴァニズムの精髄である。選ばれた者だけが
救われるという考え
―――教会さえも人を救い得ないということは―――これまでの善行では、神の心を動かすことができず、敬虔な信者が必ず天国に行ける
という保障はなく、極悪非道な悪人とされている人物が天国行きを決定される可能性もあるのが予定説である。

このことは信者一人一人にとって大問題であり、心理内面に孤立化の感情を引き起こした。「自らが選ばれた存在であるか否かの確信をどのようにして得ること
ができるのか」という問題に対し、それぞれが従事している職業は、神が選び、神から与えられた『
天職 , calling 』であると説いた。自己確信を得る最上の方法は
労働をすることであり、働くことにより神の恩恵が働いていることを意識し、疑念が追放され、救われているとの確信が得られるとしたのである。

マックス・ウェーバー Max Weber4/21/1864-6/14/1920 )は、 論理的に宿命論になるべき 予定論 救いの証明 」という考えと
結びついたことにより、
カルヴァニズムは正反対のものを生み出した。そして信者達は生活の中での、救いの確信を得るため職務に忠実でいられた
者であることを自ら証明しようと努めるのである。「
天職に対する勤勉の精神 やがては絶対王政を打倒する近代資本主義をもたらすことになった。』と考えた。

 

 

 

つづく



モスを冷水に
15分間漬けて水気を切りミルクの中に入れる。

ダブルボイラーで30分間ボイルする。クックしすぎると固くなるので、ミルクだけの時よりも少し固い程度にクックする。塩を加えて漉す。バニラを入れて再び漉す。
前もって冷水に浸した型に入れて冷やす。ガラスのディッシュに入れる。周りにスライスしたバナナを並べ、上にバナナを飾る。砂糖とクリームを添えて供する。

 

※ アイリシュモス ( Chondrus crispus )  Irish moss ( little rock ) 別名、カラギナン、pearl moss, carrageen moss, seamuisin, curly moss, curly gristle moss, Dorset weed, jelly moss, sea moss, white wrack,
and ragglus fragglus
。紅藻類に属しゲル状多糖でできた細胞壁を持つ。

 

著者のファニー・ファーマー ( Fannie Merritt Farmer , 3/23/1857-1/15/1915 ) はボストンに生まれ、16才からメドフォードハイスクール ( Medford High School )
学んでいる。
ボストンは、9/17/1630にイングランドから来た清教徒達によって、ショーマット半島に築かれたイギリス植民地であり、メドフォードもイギリス系の
土地ではあるが、
1800年後半にはアイルランド人、ドイツ人、レバノン人、シリア人、フランス系カナダ人、ユダヤ系ロシア人、ユダヤ系ポーランド人が住み始めた。
1800年末には、ボストンの中心部は、異なる民族の移民居住地がモザイク状に化していた。ブラマンジェにかんする限りファニー・ファーマーのレシピはイギリス系?
と思うが、確信はない。

 

1910年刊のピカユーン クレオールクックブック ( THE PICAYUNE'S CREOLE COOK BOOK , FOURTH EDITION ) から2つ、

 

ブラマンジェ Blanc Mangier.

クリーム        1クオート

砂糖          1/2カップ

プレインゼラチン    2

バニラエッセンス    1ts

 

ゼラチンを水に溶かしボイルしたクリームと混ぜる。溶けるまで混ぜてバニラを入れる。型に注ぎ入れて固める。サーヴする。

 

コーンスターチブラマンジェ :  Cornstarch Blancmange

ミルク         1クオート

コーンスターチ     3TBS

砂糖          3TBS

卵白          3

レモンエッセンス    1ts

 

コーンスターチを1パイントのミルクに入れて砂糖、固く泡立てた卵白を加えて混ぜる。これをボイルしている1パイントのミルクに入れ手ボイルする。
レモンを香り付けに入れてカップに入れて冷ます。冷えたらゼリーとクリームと一緒にサーヴする。
6人分の量がある。好みでクリームソースを添える。

 

クレーオールは(フランス人と奴隷の混血の人々)を指す。詳細はタルトタタンの項に詳しく述べておいた。