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☆☆ ペコ 最後の日のこと ☆☆




ペコと過ごした12年。本当に楽しく幸せな日々でした。

いつも私の側にいたペコがいない”今”・・・

これまでのことは、夢の中の出来事だった、、、そんな心境です。



12年前、亡くなった父の代わりに我が家に来たペコ。

そのときからどんなに私たち家族が癒されたことでしょう。


ペコはとっても可愛く、元気でイタズラ好きで愛嬌があって

私にとってかけがえのない最愛の息子でした。

ペコの存在がどれほど大きなものだったか。。。

思い出は尽きることはありません。


愛する私の大切な大切なペコ。



でもとうとう恐れていたペコとのお別れの日がやってきてしまいました。


この日、ペコが想像を絶する力で頑張ったこと、

思い出すと、どうしようもなく、胸が震え、やりきれない気持ちになります。


ペコにあんな極限の苦しみを与えてしまった。

私はそのとき何もしてやれなく、、、申し訳ない気持ちでいっぱいです。



それだけが、、、



辛い思い出は忘れたいところですが、このまま時間と共に忘れてはいけない、

なぜかそう思いました。


そしてそのときの出来事をみなさんに知ってもらいたい!

そして今一度、
ペコに「がんばったね!偉かったね!」とホメてやってもらいたい!

そう思ったのです。

(すでにみなさんには十分すぎるくらい冥福を祈ってもらったのですが
シツコくて、アツかましくてすみませんm(_ _;))



そうすることで、ペコもそして私も、救われるような気がするのです。


読んでいただければ幸いです。



       



12月9日の夜からのことです。

最後の丸1日は苦しみ、最期の数時間〜は「壮絶な闘い」となりました。


日に日に元気がなくなってきたのは目に見えてましたが、

全く食べれなくなって4日目、オシッコが出なくなって2日になっていました。

前夜から”呼吸困難”が始まり、時間ごとにどんどん悪化していったのです。


苦しさのせいで、眠るに眠れなかったペコ。


10日の朝1番に病院に連絡し、取り急ぎ”鎮静効果”のある薬をもらってきました。
(あまり効かなかったんですが)


そして午後には”往診”してもらい、できるだけ”今の状態”を楽にしてやれることを

望んだのですが、いずれの処置(薬など)もやはりあまり効果はなく、

このころからは”肺水腫”も進行してきており、”脱水”に”腎不全”と

もうどうにもならない状態で、その後の治療はほぼ”延命”だと言われました。

このとき”安楽死”の話も出たのですが、まだこのときにはそこまでの状態ではなく

あくまでこれからの”選択”でした。


       



でもその後も時間ごとにますます悪化。

夜にはまるでペコの体は”壊れた機械”がフル回転しているような感じで

もう見ていられるものではありませんでした。

あまりの悲惨な状態に、このころから私は早く心臓が止まってくれることを

願うようになっていました。


この日は水すら全く飲んでなかったので、スポイドやスプーンで

ほんの少しは飲ませたりしたのですが、喉を通る辺りからの体は溺れた感じで、

それだけでも辛いようで、ケボケボしていました。


”聴診器”で音を聞くと、、、

もうメチャクチャな状態になってることが、素人ながら伝わってきました。


母はもう先がなく少しの時間でも短くしてやりたいのなら、もう一切何もしなくて良い

と言ってたのですが、(今から思うとその通りだと思えます)

私は”今を少しでも”、、と思わずにいられず

このときは”水”以外にも、”酸素室”を使ったり、”心臓の薬”も与えてしまってました。

(それがために、苦しむ時間を長引かせたのかもしれません)


ペコにずっとくっつくように寄り添い、体をさすり声をかけ続けてたのですが、

ほんのちょっとでも体が離れ、顔が見れなくなろうものなら、

ペコは声を出して呼びました。

よほど心細く、助けてほしかったのだと思います。


      



こんな状態ながら、夜12時過ぎごろ私は眠気が襲い、

明朝は仕事だったので、今のうちに少しは眠りたいと、

鎮静のシロップを少し飲ませ、1時間ほど私はウトウトしていました。

ふと目を覚ますと、、、

ペコは変わらず必死で呼吸することと闘っていました。

それを見て号泣してしまいしました。

ゴメンね、ゴメンね!こんなときに!

最後までいっしょに頑張ろうね!と


もう目を逸らすことなく苦しむペコをしっかり見て、

同じ気持ちでひたすら全力を注ぎました。


ペコはとっくに限界を超えている。

なのに、なのに、”心臓”が止まってくれない。。

こんなときにいつまでも動き続ける”心臓”が恨めしく思え、

「神様、お願いですから、早くペコの心臓を止めてください」と強く願いました。

いっそ気を失ったり、昏睡状態だと救われたかもしれません。

でもペコはずっと目を開け、必死で私に助けを求め続けていました。


今まであんなに大事に大事にしてきたペコをこんな目にあわせてしまって、、、

なのになのに私は何もしてやれなくって、、、

このときの心情は言葉では表せれません。


気がどうにかなりそうな中、いっそ私がこの手で、、と本気で思いました。


このときのペコを思い出すと、この先どんな試練があっても私は頑張れる、

そう思いました。

      


そして午前3時ごろ、大きな声で鳴き叫び出したペコを、私は抱き上げてやりました。

ダランダランの体をしっかり抱き、そしていつものように話かけ

いとおし、くあやしながら抱っこしている間に、、、


やっとペコは解放されました。


(同時に私の苦しみの解放でもありました。)


12月11日午前3時13分

      



ペコ、やっと楽になれたね。。。


そのときは「悲しみ」より、「安堵」の気持ちのほうが大きいでした

それからペコをキレイにしてやろうと、体をふき、コームで毛をとかしてやりました。

体はだんだん冷たく固くなってきたけど、”肉球”だけはいつまでもプヨプヨでした。

そしてペコの可愛い顔を見ながら、手をしっかり握りながら、

ふたりでゆっくり朝までの短い時間を、

本当に久しぶりに安らかに眠ることができたのです。



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このときの様子を思い出すと、胸がつぶれそうな気持ちになります。


もっと早く楽にしてやりたかった。


この気持ちの行き場がありません。

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たくさんの幸せがあった夢のような12年の最後の日のこと。

みなさんも強いペコのこと、これからも忘れないでいてくだされば

こんなに嬉しいことはありません。



最後ま読んでくださりありがとうございました。



IKKO