小笠原父島の波止場付近で海を、ずーと見ている老人達がいた。
あるひとは釣り竿をもって、ある人はヤスを持って、またある人は、
なにも持たずにただずーと、海を見ている。
不自由な足を、ひきずっても、出てきて海を見ている。
雨が降っても、少しぐらいならかまわず見ていた。
彼らの家の庭の、畑の横に、朽ちかけた、カヌーが、昔漁に使ったそれが置かれてあった。
毎日毎日、海を見に出てくる。
じーと海を見て、昔の漁を思い出しているのか、そのしわの顔を
青い海に向け沖を見ている。
若いころ乗り出していた海を、今はじーと、見ている。
小笠原の本土との交通手段は普通、おがさわら丸がメインの船舶である。
日曜品や食料のほとんどがこの船で運搬される。
おがさわら丸が到着すると、人と物が入り、スーパーの店先がにぎわう。
生鮮食料品が並び島人は買い出しにいそがしい、2日間ほどで多くの食品が買われてしまう。
海が荒れておがさわら丸が遅れたりすると、この島の生活に大きな影響を与えるのである。
そういう意味でこの船が特別な意味をもつのである。
おがさわら丸の帰る日、見送りに島民が集まる。
ダイビングボートも昼までに打ち切り、みんな港にもどってくる。
南洋踊りと太鼓が奏でられ、おがさわら丸は汽笛を「ぼーーー」と鳴らして離岸する。
帰る人はみんな船の右舷に集まり、別れを惜しむ。
島民が岸壁で手をふる、船上では帰る人が、みんな感激の顔で「おー」と手を思いっきり振る。
ハイビスカスの花が船上から降ってくる、またこの地に来られるという祈り。
ボートは十数隻湾口までおがさわら丸を追いかけ見送る、湾口でボートの上のデッキから若者達が海中に飛び込む。
観光によってなりたっているこの島の経済、それを感謝して日常として行われている毎回の見送り。
島に1ヶ月いて毎週入港と出港には見に行った  いまの日本にこんな心はない。

翌日もどんより曇り波も高くなり風力も増してきた。

孀婦岩を見たかったが近づく前に、暗くなってしまった、しかたが無いのでそのまま北上したどんどん風が強くなってきたのでメインセール1ポイントリーフでジブセールも小さく巻いた。

そしてトラブルがおこった。

深夜、孀婦岩と鳥島の間で波と風にもまれている時に、突然航海灯が消えた、はっと気がつけばオートパイロットもGPSもすべて電源が落ちていた。

あたりは真っ暗、とりあえず故障箇所を探すがわからず、暗いなかであせっても無駄なので、とりあえずストロボ発光器をバックステーにつるして艇をヒーブツー状態にし、一息いれてコーヒーを飲む、落ち着いて夜が明けるまで眠ろうと思い、携帯のGPSを作動し緯度経度で位置を確認し海図に記入し船内の床で眠った。

艇は波を横に受けるが大波が船底を抜けて見事に凌いでいくのである。

夜が明け、明るくなるとまづ位置の確認をした、東へ4マイルほど流されているが問題ない。

そこで故障箇所を探し始めた。

電気のテスターで順番にバッテリーから配線を追いかけていった。

2時間調べてもわからなかったので取りあえず八丈島まで行ってそこで修理をすることに決定、緊急用にバッテリーから直接航海灯とGPSと無線に配線しなおした。

朝8時過ぎにはセールで帆走開始、直接舵をとる。

鳥島に近づくほどに風が強くなり波も大きくなってきた、

セールもメインセールを2ポイントリーフにしジブはできるだけ小さく巻き取り走りだした。

ときおり鳥島からの強烈な風の塊をうけ、艇を風下に向けて切り抜ける、セールはシバーさせられないほどに吹きつのり、艇は風下にプレーニング(滑走状態)がつづく。

ここでブローチングさせれば艇はノックダウンしそうなほどなので舵を握る手に緊張が走る。

この5時間ほどの強風にプレーニングした経験が、また後ほど役に立つとは思わなかった。

この風のおかげで疲れはしたが一気に青ヶ島付近まで北上したのであった。

午後4時ごろ艇を止めて位置を確認して驚いた。

予想よりかなり早く八丈島に近づいていたのだ。

この後風は落ちて波も穏やかになり鳥島付近の前線を越えたことがわかった。

夜の23時には神湊港の沖まで来ていたが、夜の入港はやめて翌朝に入港することにし沖で時間待ちした、風波とも落ちて静かな海面であった。

明け方、朝もやを突いて西から大型の艦船が近づいて来た、すごいスピードで来る、あきらかに軍事用の艦船である、近くまで来てこちらを確認している、しばらくしてまた猛スピードで西の海上に消えていった。

その日は三宅島付近で海上自衛隊の訓練があったと聞いた。

 

それから2時間ほどで神湊港に入港した。

静かな波のない早朝の入港であった。

 

疲れがたまっていたのでさっそく食事をしてしばらく眠った。

故障箇所は、結局アース線がエンジン部分での接続圧着端子が折れていた。

太い線を外しエンジン屋に持って行って再度、圧着してもらって取り付けで修理OK、正常に動きだした。

八丈島はいい温泉がいくつかあるので、レンタカーを借りての温泉めぐり、それから温泉と美味しい魚で4日ほど休養した。

着いた日は穏やかな海もまた荒れだして帰ろうと思っても、連日波高4m以上が続き、風も強風と雨が続いた。

出発と決めた日も、地元の漁師が明日にしたほうがいい、とアドバイスしてくれて1日延ばして出発、それでも波高は4mは下らず西のかぜ6mで防波堤から出て、1時間は波がきつくセールを上げられなかった。

波が少し落ち着いてセールをあげるともう島は小さくなっていた。

前回ここに来たときも、同じ状態であった。

風はそれ以後吹き上がらず、黒潮を横切り始めた。

出発まえに八丈の漁師が最近、八丈と御蔵島の間を大型のコンテナ船が走るので気をつけろと言っていた、走りたい進路は御前崎の方向だが御蔵島の方にどんどん流されていく、しばらくして東から大型のコンテナ船が黒潮をものともせず、すごいスピードで前を突っ切っていった。

暗くなるころ御蔵の手前で島に寄せられて行く。

これが黒潮の流れである

日没後、かろうじて御蔵島の西をかわして北上するもどんどん三宅島に近づいていく。

最新の黒潮情報では御蔵で終わるはずなのだが、と考えながらコーヒーとパンの食事を終える。

夜半にタックして西に向かうが艇速が対地で1ノット、もちろんエンジンを回して普段なら5ノットのところである。

24時前後に三宅島の西によってきたので、チャートを見ると、なにか小さい障害物がある、よく見ると大野原島と言う岩礁が3つ。

こんなところに島があるとは思わなかった、いやな場所にある、と、GPSのプロッターで見ると、どんどんその島に近かずいて行く、灯台も無い島なので安全策でタックを入れて、南西に伸ばして切り抜けようと思い、1時間スターボードで走りまたポートに戻し北北西に走りだした。

チョットして前方に岩山の影が見えた、けっこう近い。

これはまずいとすぐにタックし、またもやスターボードで南西に伸ばす、しかしいくら走ってもその島影は小さくならない、なんとか距離を稼いでタックすると4.5ノットの艇速なのに一気に島影近づいてきた、島の真西に来て潮の流れの強烈さがわかった。

風上を押さえる習性が、どうしても抜けない、これは命取りになることが今回わかった。

この後、この潮に1日悩まされるのだが、2日前の黒潮情報では御蔵島の少し北で黒潮の北端が終わってるのに、なんと神津島までかかっていたのあった

やっとのことで大野原島をかわして明け方神津島の東にいた。

風は2から3mに落ちて相変わらず西の風向であった。

この位置からは真西に志摩に向けてのコースになる、島の南を西に走るがいくら走っても位置が変わらない、GPSで対地速度を見ると1ノットしか出ていない、これは潮がきついと思いタックして沖だしした昼ごろにまたタックを打って走っていると、なんとまた同じ神津島の南側に戻ってきた。

結局夕方5時すぎまでこの海域を抜けられず、しかたなく神津島の岸べたを対地1ノットで北上、浅瀬を慎重に避けながら日没まえにやっと北海域に抜けた、雨が降り出し、そこから北上すること2時間でやっと潮が弱くなり、西に向けて進めるようになった。

このへんからは本船の航路に近づく、21時ごろ雨で見通しの悪いなか横を本船が追い抜いていく。

もう40時間ほど睡眠を取ってないので眠くて、顔を叩きながら本船の位置を確認していた。

何とか風が落ちて雨の降った夜が明けると今度は、東の風が吹き出し、みるみる強くなっていった。

すぐにメインセールを2ポイントリーフにしてジブはすべて巻き取った。

いっせいに海面が白くなりだし、15mほどの強風がやってきた。

お茶とパンを食べていると、突然オートパイロットを固定すつピンが折れた。

しかたがないので舵を握りプレーニングの連続に入った。

スピードの上がるのはいいのだが、こんなに風が吹かなくてもいいのにと思いつつ、ものごとは一長一短があるのである。

そして疲れはしたが、この強風が6時間吹いて、一気に志摩まで帰ってきた、午後14時には風波とも落ち順風でセールを全開して追っての帆走に入った、オートパイロットのピンを仮につけて操舵をこれに任し、やっとまともな食事にありつけた。本船航路も無事に切り抜け、そして20時に御座岬に到着した。

 

自分の母港とはいえ、複雑な英虞湾、自分の作った入港マニュアルを確認しながらゆっくり信号灯の方位をはかり、進んでいく。

普通の2倍の時間をかけて慎重に湾奥に走る。

最後の水路を抜けると桟橋が見えてきた。

 

後編

小笠原での滞在がはじまった。
35年ほど前に来たこの島だがだいぶ変わった

町並みが変わって大きな町になっていた、翌日からレンタサイクルを借りてそこらじゅうを走ろうと、レンタサイクル屋に行った、受付の若い姉ちゃんが島の人ですか?とけげんそうな顔で聞く、一番きれいなシャツとズボンに着替えているのになんで?
島の人より黒いですよー。
たすかるのは携帯電話が使えることであった。
到着と同時に無事入港の連絡を家にできたし、連絡も取れることであった。
朝4時半起きて散歩、保安庁の天気図を見に行き昨晩のNHKラジオからの作図した天気図と比べる。
8時にはカフェに朝食をとりに行く、コーヒーとサンドイッチゆっくり食事して大村海岸のビーチでぼんやり海を見る。
昼食を店を変えながら食べる、昼からは島をあちこち動き回り、時折ビーチで泳ぐか宮の浜でスキンダイビングをした。
夜も毎日いろんな店で食べ、焼酎を呑んでフラフラと帰りすぐに眠る。
しかし22時にはラジオで天気図作成をしていた。
ラジオは昼は電波が届かないが、夜になると本土の放送がきれいに受信できた。 
数日して清水からパル号の内海さんが到着した、孀婦岩近くで低気圧に遭遇し1日ちょっと流して凌いでの到着、ベテランの風格であった。
年齢を感じさせない軽い動きに驚いた。 
小笠原は静かである、日々落ち着いていると思って、考えた。
まずパトカーや救急車のサイレンがないのだ。
約1ヶ月ほど滞在していたが1回も聞かなかった。
人口も少なく診療所が1つ医者は2人しかいないのである

天候が夏になって落ち着く日を待っていたが、なかなか夏にならない年であった、そこでいよいよ帰ることになったが天気図では前線が鳥島付近に停滞している、まあしかたがないので海人の山田さんに信号旗UW(ご安航を祈る)で見送られて出港した。
湾外は西の風5m波は穏やかであった、島は雲に取り巻かれ少し外へでると青空が見え出した。

この風では鳥島の方向にしか針路はとれない。
どんどん走って行くとしだいに父島が小さくなり、やがて視界から消えて回りはすべて海になった、そして雲が増えだし、暗くなり荒れそうな天気になってきた。
風も強くなってきたので、ジブセールをちいさくして後航海灯をつけた。
すると近くを飛んでいた海鳥5羽がマスト近づいてきて、特にそのうちの1羽が揺れて激しく動くマストトップの航海灯に沿って飛びだした、そしてたまにその灯りをつつきながら執拗に追いかけてくる。
日没から24時まで暗いなかを飛んで灯を追いかけていた。
暗い空の航海灯の光に、ときおり白い鳥が映し出され、不思議な光景をかもし出していた。

前編