桃観隧道(桃観トンネル)
東口 (余部側) 西口 (久谷側)
「惟徳罔小」鉄道院総裁 後藤新平 の書「萬方惟慶」
この徳は少なくない すべての人がこれをよろこぶ
1908 (明治41)年 1月 工事開始
1911 (明治44)年 2月11日 完成
1,841mだったが、1918(大正7)年9月の大水害で東側が崩壊。
その復旧工事により150m延長され、1991m(現在)の長さに変わる。
西口(久谷側)は削岩機堀り、東口(餘部側)は手堀りにて行われ、
湧水排水用の水力発電装置を西川に設置。「電気ポンプ」で排水。
しかしその能力以上の湧水に、さらに火力発電装置を追加。
そして西口・東口には多くの飯場。 総工費 61万円。
いかにしてこの山陰本線最大の難工事がなされたか、
以命亭から見た資料に記されています。
水道アーチ橋 空気穴(煤煙出し)

150m延長され、余部側のトンネルからは見えにくいのですが、
明治に作られた鉄道をまたぐ「水道アーチ橋」が、谷川水を流しています。
(以命亭から見た資料には、近代化遺産と記載されています)

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