TULIP 50周年記念ツアー"the TULIP"
2022年5月6日(金)
フェスティバルホール


昨年の12月、友人から2022年に50周年ツアーの日程が決まったとの連絡が入った。
前回のツアーも、前々回のツアーもこれが最後という気持ちでライヴに行ったが、幸いにも私の予感は裏切られ、今夜は9列目のほぼ真ん中という良い席でステージを観る事ができた。

メンバーは財津和夫、姫野達也、上田雅利、宮城伸一郎、尾上サトシ(Gt)、小泉信彦(Key)、田中徹(Dr)の7人。
17時過ぎにライヴは始まった。
1曲目は【悲しみに挨拶を】。この曲は1979年発表のアルバム「Someday Somewhere」に収められていた曲である。
ライヴで演奏されるこの曲を初めて聴いたのは1979年8月8日、日本万国博覧会記念公園 お祭り広場であった。
後年、MIDIでこの曲を打ち込んでパソコン通信のNifty-Serveにアップした事がある。間奏のギターがLからRに徐々に移動していくように作ったことを覚えている。

2曲目の【置いてきた日々】と5曲目の【博多っ子純情】は名盤「Welcome to My House」からの曲。
7曲目の【.思えば遠くへ来たものだ】は2014年に逝去した安部俊幸が作詞とボーカルを担当しデビューアルバムに収録された曲。今回は残された4人のメンバーが交代で歌った。

その後、宮城、上田のボーカル曲が続く。
生ギターコーナーと15分の休憩を挟んで2部の幕開けは1982年4月発売のシングル【We Can Fly】。

14曲目の【ブルースカイ】。1977年4月、18歳の私は親元を離れ一人東京の下宿の部屋でラジオをチューニング(選局)していた。その時、聞き覚えのある声が流れてきた。直ぐに財津和夫の声だと判った。曲の終わりにDJが「6月5日発売のチューリップ、ブルースカイでした。」と言った事を45年経った今でも鮮明に覚えている。

15曲目【虹とスニーカーの頃】。CMやドラマのタイアップ曲では無かったが、久々のスマッシュヒット。この曲がヒットしたから吉田彰と上田雅利の脱退時期が遅らされたという噂もあった。真偽は不明。

続く【TAKE OFF】から【明日の風】はアルバム「TAKE OFF(離陸)」の曲順通り。
20曲目【ぼくがつくった愛のうた】。個人的には今まで歌詞があまり好きでは無かった。しかし財津のMCにもあったが、歳を重ねたからか、今回は違った気持ちで聴いていた自分がいた。このアルバムがレコーデイングされたロンドンのアビーロードスタジオには私も後年訪問することが出来た。スタジオの敷地に入ると誰もいなかったので、そのまま開いていたドアからスタジオ内に入ったところで、関係者が凄い剣幕で出て行けという仕草をしてきた。素直に出て行ってスタジオの前の横断歩道で家内に写真を撮って貰った想い出がある。

そしてライヴでは必ずといって演奏されてきたであろう【青春の影】。漣健児(草野昌一)の墓標に邦楽では唯一、好きだった曲として刻まれている楽曲である。私をチューリップのファンにさせた曲でもあるが、私は永遠にこの詞の意味を理解することは出来ないだろう。

最後は【Shooting Star】。初めて聴いたのはズブ濡れの鈴蘭高原。1980年7月に開催された野外コンサートのオープニング曲だった。
前年、ホノルルで行われたハワイコンサートで知り合った女性と鈴蘭高原で待ち合わせる約束をしていた。しかし観客を会場まで運んでくるはずのツアーバスは渋滞に巻き込まれ、待っても待っても到着する事は無かった。現在と異なり携帯電話の無かった時代、私は約束の場所でただ待つことしか出来なかった。

アンコールは【2222年ピクニック】。これも名盤「2222年ピクニック」からのタイトルチューン。この曲もそうだが、このアルバムには私の好きな曲が結構入っている。例えば『君の季節』、『生まれる星』、『アルバトロス』など。

25曲目の【私のアイドル】。この曲をライヴで演るとき、ドラム以外の4人が横一列に並んで演奏する。財津は定番のFender Telecasterを持った。
1997年の再結成以前の事になるが、前述のNifty-Serveで知り合った人達と各人演奏するパート決めて、この【私のアイドル】をデジタル録音するという企画があった。私の担当は姫野達也パート。録音日までに結構練習してなんとか弾けるようになった。神奈川から友人二人が拙宅に来て何とか録音が終わり、二人には泊まってもらった。
今回、姫野達也の指の動きがハッキリ見える席だったので、そこに注目して演奏を観てみた。そして私の演奏した部分は間違っていなかったことが確認できた。

2回目のアンコールは【心の旅】から。この曲が私がチューリップを知ることになった重要な楽曲である。1973年当時、それまではビートルズを筆頭に洋楽や、吉田拓郎のフォークソングを中心に聴いていた。しかしTVかラジオでこの曲を知るとチューリップというバンドに興味を持った。ちょうどその頃、地元のNHK FM局がゲスト出演がチューリップの公開録音の募集をしていた。そこで私は葉書で応募し当選した。公開録音当日、14歳の私は初めて一人で汽車に乗り(電車では無い。)香住という町まで行った。それが初めて見たチューリップだった。季節までは覚えていないが。多分夏休み中だったと思う。それは(姫野だったか財津だったか安部だったか覚えていないが)メンバーの誰かが「次の曲は10月に発売される新しい曲、夏色のおもいでです。」と言ったことを記憶しているからである。

チューリップが好きだったから、1981年の12月に福岡支店転勤を言い渡された時も、嬉しくて転勤拒否なんて頭の片隅にも無かった。
そして福岡の女性と結婚して、現在も年に一度は福岡に帰る事にしている
チューリップの元メンバーだった宗田慎二氏のお母さんと家内の母が知り合いだと知ったのは結婚してから。その縁で宗田さんからお手紙を頂いたことがある。

一昨年、チューリップ関連の書籍やレコードは殆ど処分してしまったけれど、私の人生にチューリップが大きな影響を与えた事は否めない。


1.悲しみに挨拶を
2.置いてきた日々
3.ハーモニー
4.風のメロディ
5.博多っ子純情
6.ここはどこ
7.思えば遠くへ来たものだ
8.エジプトの風
9.走れ!ムーン号
(生ギターコーナー)
10.仔牛のロー・カウジー
11.ある昼下がり
12.箱入り娘
(休憩)
13.We Can Fly
14.ブルースカイ
15.虹とスニーカーの頃
16.TAKE OFF
17.明日の風
18.夏色のおもいで
19.悲しきレイン・トレイン
20.ぼくがつくった愛のうた
21.青春の影
22.Shooting Star
(アンコール)
23.2222年ピクニック
24.銀の指環
25.私のアイドル
(アンコール)
26.心の旅
27.魔法の黄色い靴


TOP