山行報告
アルパイン友の会(略称;アル友)

 上高地
(報告者)    yuzu08
・場所:上高地
・日程:2011年08月06日 〜 2011年08月09日
・メンバー:yuzu08(食事), その他メンバー 3人
・天候:
晴れ〜午後曇り⇔雨
・コースタイム:
   8/6  ;23:00  O氏宅発名神南IC(名神・東海北陸道) → 高山 → 平湯着8/7; 04:00着 ⇒ 仮眠
     〜05:30起床   06:30バス乗車→上高地Pへ

  8/7 徳本峠
  0730 小梨平BC設営 食事(08:10 → 明神(08:40)給水(08:50) → 10:50 徳本峠 昼食(11:50)
    → (13:00)明神館 雨宿り(13:50) → BC
  8/8 奥又白池方面
  05:00起床 食事 (06:40) → (07:15)明神館(07:30) → (08:15)徳沢
  (08:30) → 奥又白出会分岐点(09:00) → 奥又白谷 → (10:15)松高ルンゼ,涸沢分岐
  昼食 ルートファインディング(12:00 → 奥又白出合 → 横尾方面 → 雨模様で引き返す(13:00)
    → (13:25) 徳沢(13:45) → 明神館(14:45)
  8/9 ひょうたん池方面
   (05:00)起床(06:40) → (07:15)明神館(07:25) → (07:35)魚養場跡横 とりつき
   →宮川コル 休憩   下山→(10:50)とりつき→明神館
   小梨平BC(12:00)→テント撤収(13:00)→上高地バス停(13;30)→あかんだな駐車場→平湯温泉
    →入浴.昼食→京都→自宅(10:00)

・コース状況/その他情報:
8/7
 早朝4時に平湯温泉Pに到着。車内で仮眠する。(あかんだなp発 上高地行低公害バスあり)
      (往復2000円)
 釜トンネルを抜けたすぐ脇、川沿い路肩が一部陥没跡あり。
  6月23日の豪雨による釜トンネル上高地側、産屋沢(うぶやさわ)で土石流発生の爪後が
  まだ垣間見れた。
 小梨平キャンプ場に到着。  設営に適した場所を物色。
  炊事場、トイレにも近く、砂地で水はけもよさそうな場所を確保。童心に返った気分で
  胸躍る心地☆
 設営後,Y氏希望の徳本峠へ向けて出発。  本当は霞沢岳まで登りたかったそうだけど、
  上高地往復は厳しそうで断念していただく。(徳本小屋1泊がベターな様子★)
 明神館まで足取りは軽く〜のつもりが 結構息が上がってしまう(・・;)
 かつ、歩いていても眠い…    頭がボッ〜とする。
  私だけかと思ったら他のお二人も…。やはり夜間車を走らせた為 寝不足?
 白沢〜黒沢 当初前後 他の登山者に行き交うことなく、マイナーなコースなのかと思ったが、
  徳本小屋に勤務する若者二人に出会い、訊くと小屋は宿泊者予定者満員であると。
  (マイナーな…なんて思ってごめんなさい。)
  そして二人の若者のはあれよあれよと私達を残してあっという間に登っていった。 すごい!!
  さすが健脚!!  ほどなくして徳本峠に到着。
  小屋は大正12年創設当時の建物の老朽部分を補強し、大正期から変わらぬ姿を維持、休憩棟、
  資料館として改修されている。食堂、宿泊施設は後面に新館として2010年に再生されている。
 天気はよければ明神岳や西穂高など見えるのだろうけど ガスがかかって残念ながら
  すっきりとは見えなかった。
  でも三人で写っている写真、私の表情から、私がいかに満足しているか見てとれるよね☆

8/8
 奥又白池まで登る予定だったけど、前日にビジターセンターで確認した天気予報で
  また午後から雨の予報が。   雨はともかく 雷は恐い。 で昼過ぎには下山する予定で歩き出す。
 6時40分 BC出発。7時15分に明神館到着。宿泊客らしき20数名がラジオ体操をされている。
  やはり事前のストレッチは必須☆
 前日は 寝不足で身体もやや重、頭もすご重だったけど、今日は軽〜い♪
  徳沢まで平坦なこともあり足取りも歩く絶好調。
  徳沢園でソフトクリームを食すると(濃厚でかつ甘くない!! コーンもさっくりマジおいしい!!)
 疲れも一気に吹っ飛びます♪
 徳沢を出発してから橋を渡り梓川右岸の治山林道を新村橋を右手に見ながら進むこと約15分。
  ここかと思われる奥又白出合の標識が解りづらくそのまま進んでみるが、
  ただ梓川の白い河川敷が広がるのみ。
  標識の処の細い道を樹林の中へ進んでみる。  すると右手に奥又白谷を確認する。
  第一砂防付近1650m。
  まだ木陰があり、風も心地よい。  しかし、進むにつれ、木は低くなり、風の流れもなくなって、
  汗が噴き出す。    暑い!! 暑い!!と 何度も口にしてしまう。
  沢すじの道を登ってぱっと突然開けたところが、涸沢に行くパノラマコースとの分岐点らしい。
  くたびれた私にリーダが「休憩!!」と声をかけてくださる。
 大きな石に赤いペンキ字で《↑オクマタ カラサワ→》 とあり↑の方向へ向う。
  これが 間違い… 奥又白池への取付だけでも次回の為に確認しておこうとO氏Y氏のお二人が
 ガレを登って探すが見つからず…。
  中畑新道というのが結局正確にみつけられないまま行動食の昼食をたべながら
  ふと正面の尾根にピンクのリボンがゆらゆらしてる!!
 どうもこちらが奥又白池へのルートだったみたい。
 空がどんよりku梍ス發豌爾・辰討C燭海箸發△蝓△い修い修伐嫉魁・・w)
 奥又白出合まで降りて、(私が行ったことないので)梓川中州を横切り左岸から横尾方面に向かう。
  しかし、やはり雨の気配。諦めて徳沢へ引き返す。徳沢園で雨宿り後明神館へ。
  不完全燃焼を癒すため、明日ひょうたん池登頂を計画。
 明神池のほとりにある穂高神社奥宮の宮司さんに登り口を教えていただき下見に。
  その後 梓川右岸周りでかっぱ橋→小梨平BCと戻る。

 8/9
 5時起床 6時40分出発明神館7時15分着。トイレを済ませて小道を明神橋方面へ。
 昨日 明神池ほとりの穂高神社奥宮の宮司さんに教えて頂いていたひょうたん池登り口へ
  向かう。   登り口は梓川右岸明神橋をわずかに上流に進んだ脇の小道を入ったところにある
  元養魚場跡地脇の小橋を渡ったところにある。
 雨のあとで木の幅50CM程の橋は滑りやすく用心しながら渡った。
  宮司さんは ひょうたん池までルーtも分かりにくく、難所が多い…と話されていたので、
  先が思いやられた。
 しかし、樹林の至るところにリボンで道しるべをつけていただいており、迷いようがないぐらい。
  ややもするとガレ場に出るが、またもや矢印をペイントしていただいており、矢印通りに
  進んでいく。  歩き出して1時間20分。宮川コルらしき場所に到着。
  眼下に明神橋や遠くに霞沢岳や徳本峠らしき場所など眺めることができた。
 本日最終日にて12時には、BCに戻らなければいけないので、ひょうたん池まで行きつくのは
  無理との判断。
  しかし、コル付近は全く木々もなく日が当たりかなり暑い。
 木陰を求めてもう少し登り9時10分木陰到着。
  10時35分の下山まで、花に戯れる蝶などを眺めながら下山する。
 それにしても宮川のガレ場って、雪崩も多いのかな?全く木が育っていない。
 取り付き付近の樹林の上部には大木がなぎ倒されて横たわっている。
  一部は木肌を裂かれ、苔に蒸され、息も絶え絶えになりつつも、まるで、静かに自分がこの地に
  生え育ってきた証を残すべく、
  私にさも見せつけるかのように横たわっている。
 11時明神館そして小梨平BCへ戻る。

 北鎌尾根縦走 北ア・槍ヶ岳 ―自身への備忘録として― 2011.09 北岡
  大槍から独標までの稜線
一・あこがれ・不安・・・
「北鎌尾根」この単語を目にしたのはもう37年前。ある日 当時の友人から一冊の本を貰った。
新田次郎「孤高の人」である。  これは山が好きな人なら誰でも読んでいる小説であろう。
この中にこの「北鎌尾根」なる単語が登場する。
以来自分の中にいつかは踏んでみたいという憧れのようなものがいつもあった。
それが今回、良きパートナーを得て現実のものとして計画、実行された。
以下はその記録であるが内容は稚拙でこれから北鎌を目指そうとする者にとって
何ら役に立たないことを初めにお断りしておきたい。  これは自分自身への備忘録である。

先ずはどのようなルートなのか情報収集。ネットで他の人のレポを幾つか読んだ。
かなりの難ルートの様子。事故報告もいくつか目にした。
この尾根に取り付くまでにもルートミスで遭難している人もいるという。
だが、しかし人によってはトレランのような軽装備でまた非常に短時間で走破(踏破)しているレポもある。
遭難する人もいれば短時間で走破する人もいる。
一体何なんだ。調べていく程に不安は大きくなる。
ポイントは体力とルートファインデングだといわれている。 

  貧乏沢を下降開始
二・下見・・・
この夏の海の日の三連休にどんなところなのか取り付きまで下見に行って来よう。
一般的なルートは貧乏沢または水俣乗越からの下降かららしい。
相棒のマゼンタと二人で中房温泉から入山。  天気が良すぎてとにかく暑い。
ツェルト泊の経験がないというマゼンタの希望で大天荘のテン場でストックを利用した幕営法をとる。
狭いが二人で横になる分にはこれでいい。
今日も快晴。  ひどく荒れたコース。  ここで「バリエーションルート」を再認識させられる。
沢の大部分を左岸の雑木、潅木を掻き分けながら踏み跡を行く
。やがて幅広い天上沢に出て少し上流の北鎌沢出合へ。
空身で北鎌沢右俣出合まで登り分岐を確認。
右股は北鎌コルまで一直線にかなりの角度で突き上げている沢幅4mもない細い沢だ。
ここの分岐で間違って左俣に行く人もいるらしい。

  天上沢上部の雪渓
天上沢に戻り上流の水俣乗越へ向け枝沢に入り込まぬよう注意して進む。
右手には常に大槍を筆頭に幾つものピークを連ねた北鎌尾根がある。
文字通りの下から見上げる「下見」である。
間ノ沢分岐の少し先から目指す水俣乗越のすぐ近くまで長い雪渓があった。
かなりの傾斜である。  ルート取りによってはアイゼンもピッケルも必要としないが
折角ここまで持ってきていることだし使わなくてはとわざと雪渓上を歩く。
この後ルートミスで雪渓の上部末端で行き詰る。す
ぐ横の小尾根に乗ろうとするが足元の土は足を乗せただけで崩れてしまう。
ロープを出し登りやすそうな場所まで少し戻り何とか尾根に乗った。
小尾根の雑木の中の踏跡をたどり水俣乗越へ。
その後槍沢キャンプ場の少し上流の河原でツェルト泊。  翌日、観光客で賑わう上高地へ。
今回の下見で貧乏沢と水俣乗越、両方の下降ルートを確認したことになる。
この下見でわかったことは自分たちの足の遅さを認識(普通は大天井ヒュッテから12〜15時間をかけて
一日で槍ヶ岳山荘まで縦走するようだが自分たちは多分それの倍近くも要す)
暑さでバテていても食べられる食事にする。
出来うる限りの軽量にする。貧乏沢の雑木を掻き分けての下りよりも水俣乗越からのほうが歩きやすい。
これらを踏まえて本番に備える。

  DVDの映像で研究
三・情報と練習と装備・・・
本番に備えて二度ほど六甲・蓬莱峡の岩壁で登山靴での登下降を練習した。
北鎌独標を直登するためだ。  クライミング靴で簡単に登下降出来るルートが登山靴ではすごく怖い。
たぶん足の置き方が登山靴とそれとでは違うのだろう。
仲間の勧めもあって重くなるが安全のためクライミング靴持参とする。  装備も出来るだけ軽量化に努めた。
ロープはシングル9.2×50mを新たに買った。  ほんとうは40mが欲しかったが店頭になかった。
テントもツェルトにして、マットも軽くするため50cmの長さに切り、寝袋は勿論シェラフカバーも無し。
着替えも無し、靴下が臭っても我慢。  燃料と水の節約のため殆どパン食、食器も二人でひとつ。
共用できるものは何でも二人でひとつにした。
 自分にとってこれまでで最高に不安な山行。
これではいけないと不安解消のため毎晩遅くまでネットで他の人のレポを読み、
写真や映像からその地点がどこなのか地形図上で位置を特定。
ルートの検証、山渓のDVDを穴があくほど見つめ、大天井ヒュッテの小池さんのログを読む。
出発前夜になってやっとルート全体のイメージがつかめた。
 ルートは水俣乗越から入り稜線で一泊するという計画にした。
これだとかなり時間に余裕が出来、精神的にも体力的にもゆっくりと登れる。
あとでわかることだが晴天に恵まれたことは勿論であるがこの稜線一泊ゆっくり軟弱計画が
成功のすべてだった。
 ガイド山行でもなく、ベテラン仲間主導でもなくマゼンタと二人だけの力でこの山行を成功させたかった。
より大きな満足感、達成感を得るために。

  槍沢の河原で
四・今日は楽勝・・・(上高地〜ババ平)
 2011.8.12 平湯のアカンダナ駐車場から遅い目のバスで上高地へ。
今日はババ平まで5時間の道程。夕方までに着けばいい。
明日からの修行僧の苦行のような食事に備えて今日はちょっと豪華に。
ザックには梨やブドウ、フルーツゼリー等それにワインも500ml入っている。
今夜の食事はマゼンタお手製の内容豪華なちらし寿司とか。
 朝から快晴。横尾では昼寝をするほどの時間的余裕。
混雑する槍沢ロッジ前ではテレビの生放送があるとかで垢抜けした可愛いレポーターが一生懸命台本の
下読みをしていた。  槍沢キャンプ場は先月同様足の踏み場もないくらいの混雑。
少し先の河原でツェルトを張る。  ワインでいい心持ちで寝る。月光に照らされ明るい夜空。

五・いよいよ・・・(ババ平〜P8)
2011.08.13 まだ暗い中、ソロで北鎌に行く青年を見送り少し遅れて我々も出発。
水俣乗越へは案外短時間で到着。  振り返るとガスから頭だけを出した岩峰の頂に山小屋が見える。
どこの小屋かな? コンパスを当ててみる。  エエッなんと北穂高小屋だった。
こんな角度から見る北穂は新鮮であった。  今日も快晴。

 
ここからいよいよバリエーションルートの開始である。  天上沢下部へ向け乗越からいきなり急な下降。
木の枝や草を束ねて掴んだり、とにかく半端じゃなく急なのだ。  下見で難儀した雪渓もかなり小さくなっていた。
心配していた日射だが天上沢のかなり下部まで日陰になっていて立ち止まると肌寒いくらい。
大きな石で埋め尽くされた沢を下っていく。  先月の下見ではもっと水量が多かったはずだが
僅か一ヶ月もたたないうちにこれだけ水流がなくなってしまうのかと驚いた。  やがて見覚えのある北鎌沢出合。
勿論だがテープもペンキマークもない。よくよく見れば小さな石積みがあった。
汗の染みこんだ一枚きりのシャツをここで洗った。  冷たくて気持ちいい。
マゼンタにも勧めたがさすがに女性、可哀想に。
 
少し上流の右俣左俣分岐が最後の水場。今日これからと明日一日分に加え少し余分の水を汲む。
僕が6リットル、マゼンタが3リットル。  2リットルでもいいのに頑張りを見せるマゼンタ。
二人で9キロの荷が増えた。  急ぐことはないのでゆっくりと歩を進める。
さすがに大きな岩を乗り越える時などはバランス悪く後方に身体を持っていかれる。
20分歩いては10分程の休憩。  亀より遅い。
彼女曰く「なめくじ」らしい。幸いなことに快晴の空に薄雲がかかってきた。
一瞬微かな雨つぶが頬に当たる。  明日の空模様より今の暑さを凌げるのが嬉しい。
この沢は分岐が現れると「最後の分岐を除いてすべて右に取っていく」ということが一般的にいわれている。
しかし実際はそんなことはない。
それを忠実に守ったがゆえに大変な労力を負わされた、あるいは運悪く遭難した方も何人もいるとか。
ここで苦労された方々には失礼だが枝沢かどうかは沢幅や稜線に向かう方向を見れば一目瞭然で
間違うことのほうが難しいように思えた。

  P8ビバークの様子
コルが見えたときには「あれっ、もう着いたん?」と思ったがそれからもかなり時間がかかり
出合から約3時間30分かけて北鎌沢コルに着いた。  20分休憩。時刻は13時過ぎ。
まだもう少し先まで行けそうだ。
北鎌沢を登り切ったという安堵からかこの先の這松をつかみながらの急登がしんどい。  体が重い。
この辺り高山植物が今や盛と咲き競い少し癒される。P8までやってきた。  コルから2時間以上。
時刻は15時25分。  予定ではP9(天狗の腰掛)の先の稜線から北西に尾根が出ている
赤茶けた平坦地辺りでビバークするつもりだった。
DVDのヘリからの空撮を見ていてそこがいいと決めていた。
前方に目をやるとその場所にはすでに先客がいた。
どうするか迷ったが時刻もちょうどいいのでこのP8を今夜の宿地にきめた。
足元を見回すと小岩に囲まれたなかなかいい場所だ。
寝相が悪くても崖下に落ちる心配もない。
360度の展望。  明日のメインイベントの一つ、独標が無表情で眼前に立ちはだかっている。

 
六・夢にまで・・・(P8〜北鎌平)
2011.08.14 出発準備を整えた頃、表銀座縦走路の背後をオレンジに染めて陽が昇る。
今日もいい天気みたいだ。  昨日は午後から曇りがちで思ったより水を飲まなかったので沢山の水が余っている。
荷物を軽くするため二人で4.5リットルだけ残して余分な水で顔を洗ったりウガイをしたり。

  独標ナイフリッジ

さあ いよいよ念願の独標直登へ。  P8から独標取り付きまで結構遠い。
取り付き手前でクライミング靴に履き替え、登攀準備をする。
情報では出だしの小さな岩を乗り越えられればほぼ直登成功だと書かれてあった。
ステミングだとかバックアンドフットだとかの登攀用語が並んでいた。
この小さな岩が夢にまで出てきたのだ。
もし登れなかったらトラバース道を行けばいいが何が何でも直登したい。
この為だけに重いロープとクライミング靴を持ってきたのだ。
最悪、空身で登りザックは引っ張り上げるつもり。  今やふたりには不安も動揺もない。
腹が据わった。  簡単な打ち合わせ、そして岩に正対する。
うん?これがその岩?そんなに難しいの?取り付いてみる。  あれっ?!いとも簡単に乗り越えられた。
誰や?四級プラス?嘘やろ。  あれほど夢にまで出てきて心配させた岩がこれか?これが核心部か?
 中間にある樹の幹にランニングを取りその少し上でマゼンタを確保する。
相棒も苦労することなく簡単に登ってきた。
そこから先はナイフリッジになっていて両側が鋭く切れ落ちている。
ちょっと緊張するが岩はしっかりとしていて安心して登攀できた。

  独標頂上
そのあとは這松の中の踏跡をたどり巨岩が二つ並んだ有名な「独標の門」をくぐり抜けP10独標の頂上へ。
「着いてしもたなあ。意外と簡単やったなあ。  ちょっと気合入れすぎたかなあ。」
すぐ目の前には青空をバックに鋭く天を指す槍。  その左後方には大きな鋸歯状の前穂北尾根。
手前にはこれから踏んでいく幾つかの岩のピーク。  この最高の景色を心に刻んだ。
かなりの急登に思えた北鎌沢と難しそうに思えた独標直登を想像していたよりはるかに簡単に
こなしてしまった余裕からか、槍まであと少しで着きそうに思えた。  情報ではあと三時間半。
この調子ではそれほどかからないだろう。(実際は7時間近くかかった)
頂上からコルへ下りP11への登り、稜線通しの岩を辿るが踏み跡は小石のザレ。
落石しそうだったのであまり踏まれていない岩を攀じった。
難しい場面ではその都度少し戻ってルートの修正。
P12へはサボテンに似たC稜の頭の左のコルから下った。  P13はお粗末ながら記憶にない。
P13の前方に白くザレた岩峰のA稜の頭が現れる。
手前に視線を移すと「ここや、ここや。」DVDで何度も見た光景。
正面の岩溝をくぐりA稜の頭の取り付きへ。
見た目はひどくザレて脆くてとても登れそうにはないが情報では割と簡単に登れるらしい。
四つん這いではあるが滑らずしっかりと登っていけた。  この辺りにもトラバースしている踏み跡がある。
  A稜の頭の登り
P14へもトラバースの踏跡があったが直登。
登りの途中から後方を見るといくつかのパーティーがこちらに向かってきている。 今日初めての先頭集団だ。
肩から先は痩せた岩稜となっていたのでロープを出したがもつれがひどくよじれをとっている間に
何人かに抜かされてしまった。  トラバースで行き詰まったパーティーもこちらに向かって登ってきている。
ここまで先行者の姿はなく(独標で会った方一人がいたがすぐに視界から消えた)自分たちの判断で
ルートを選んできたがここにきて不覚にも人の後を付いていってしまった。
気がつけば北鎌平の先まで続くP15のトラバース道。
ザレた斜面を落石に気を使いながら苦労して進む先行者たちを見て「こりゃ、あかんわ」。
トラバースをやめ最短距離で稜線へ向けて直上。  尾根に上がり振りかえればすぐ後ろがP15の頂上であった。
その後40分程で北鎌平に着いた。あとワンピッチで終わるんだ。  何やら寂しい。
この頃より大槍の背後にはガスが舞いガスの薄い部分が虹色を帯びて輝いていた。

七・穂先に向かって・・・(北鎌平〜殺生ヒュッテ)
  上のチムニー
北鎌平で頂上へのルートを探ろうと注視する。  大きな石の間を穂先に向かう幾つかのほんの小さな人影。
ここで見る大槍はやはりデカイ。  面白いことに各人それぞれ違ったルートを取っている。
我々は稜線の角を形成している岩を忠実に辿った。  石が安定していて、これまでで一番登りやすく感じた。
いつの間にやら写真でよく見ていた「上のチムニー」の前に来ていた。
ロープを出してるパーティーの写真もあったなあ。  DVDのお姉さん方は簡単に登っていたなあ。
同じ要領で足をかけてみる。  「あかんわ、上手いこといかへん」。
二度目は力任せで体を持ち上げてなんとか登り切れた。  次は相棒の番だ。  何度か試みるも上がれない。
上から指示を出すがやっぱりダメ。  腕力の違いか。  スリングを3本つないで引っ張り上げた。
すぐ上で話し声が聞こえる。  頂上が近いぞ。  でもまだあの祠が見えない。
チムニーを上がったところを右に行った。  登れなくはないがちょっと厳しい感じ。
相棒は「左からのほうがいいみたいよ。」・・・「あっ、祠や。」二人して穂先に立った。
あっけないフィナーレだった。
早速記念写真。それから大阪にいる仲間に無事成功の電話を入れた。  あれっ?でもなんかおかしいぞ???
 拍手の出迎え? それは別にいらないけど。  山行前に想像していた「あの感激」が全くないのだ。
心の高ぶりがない。  相棒も同じ事を言っている。  「きっとあとからじわりと来るんやで。」午後4時過ぎ。
握手もハグもなしに穂先を後にした。
「今夜もう一晩ツェルト泊やなあ。」「頑張ったご褒美に槍ヶ岳山荘で素泊まりする?」「まあ、それでもええか。
」 受付で聞けばかなりの混雑らしい。  「下の殺生ヒュッテで張ろか。」
 緊張の糸が緩んだのかシャツ一枚の肌に寒さを覚えた。
石畳を降りた殺生の受付、聞けばここはガラ空きらしい。  「二人夕食付きでお願いしまーす。」優柔不断な僕。
夕食後すこしの時間にわか雨。  ツェルト泊でなくてよかった。  ホッ。

今回、我々より一日遅れて平均年齢60過ぎの4人の仲間が北鎌に取り付いた。
大天井ヒュッテから槍ヶ岳山荘まで一日で走破の予定。
順調に行けば大槍の登り途中くらいに我々に追いつくはずであった。
ところが彼らが穂先に立ったのはなんと午後8時30分。
途中でにわか雨に打たれ月明かりとヘッドランプを頼りに大槍を攀じってきたという。
一日での踏破にこだわった執念か。
詳しく話を聞いていないが暑さに負けて歩が進まなかったようだ。
しかし彼らは常に時間という怪物に追われていたことだろう。
疲れて休みたくても怪物に追われゆっくりと休めない。
後半、肉体的にも精神的にも追いつめられ景色や登攀を楽しむ余裕もなしの登頂だったろう。
彼らのうちの一人のブログにはこうある、「17時間超に及ぶ北鎌との格闘」「叶うなら最後の一時間だけもう一度、
明るい時間にやり直せるものなら・・・。」
自分たちの感想はこうだ。「あっけなく終わってしまったなあ。  楽勝やったなあ。ちょっとがっかりやなあ。
簡単すぎたなあ。  下調べ、やり過ぎたんやろかなあ。」同じルートを歩いてもこうも印象が違う。
「がっかりだなんて贅沢やで。」と、彼らからお叱りを受けた。
他人の倍ほどの時間をかけ心身ともに余裕で登頂できたことをただ喜んでいていいのか。
もっと短時間で彼らのようにクタクタになるまで頑張って全力を出し切った山行にしたほうが良かったのか。
いずれにしても全員無事登頂、成功には違いない。
  無事登頂出来ました

コースタイム
北鎌沢出合9:16 右俣出合9:36--48  北鎌沢のコル12:52--13:10  P8ビバーク地点15:25(泊)
翌日8/14 P8・5:06  P9・5:21 独標取り付き6:57--7:10 P10独標頂上8:30--9:06
P11・9:37--42  P12・10:23 P13・11:04  P14・13:05 P15・(13:41)
北鎌平14:26 槍ヶ岳頂上15:45--16:12  槍ヶ岳山荘16:41 殺生ヒュッテ17:30


[[ マゼンタの一口感想 ]]
 
北鎌・・・私には 37年間も思い続けた北岡さんほどの思い入れはなく、北鎌というルートがあると知ったのも
ここ1、2年である。  到底 私には無理と思っていたが、北岡さんから北鎌へ行こうと誘われた時、
彼となら行けるかも・・・と乗ってしまった。  7月三連休に下見に行った時、中房温泉から燕山荘までの渋滞と
厳しい暑さにまいり、その疲れを翌日に持ち越し、へろへろになりながら歩いていた。
暑さで食べ物が喉を通らず、下山後 体重は3.5キロ落ちていた。
下見で自信を失くした私は彼に「足を引っ張りそうやから、単独で行ったら? 」と問いかけてみた。
彼の返事は「稜線一泊で行こう。  一歩一歩足を進めたら、いつかは辿り着く。」もう覚悟を決めよう。
それからというもの北岡さん同様 今までの山行の何倍もの時間をかけた下調べが始まった。
最終的に地形図に「P11・・こちらのルート取りは×」のような書き込みを入れたのを作成した。
それが役に立ったかは甚だ疑問だが・・・。
縦走中 ルート取りに頭を捻り、息を切らせることもあり、緊張する場面も多々あったはず・・・。
でも あとで思い出すのは、楽しいことばかり。
大槍の穂先に立った時、感激の涙を流し彼としっかり握手し、ハグするはずであったのに。
彼同様、淡々としてたのはなぜ??
 きっと 天気に恵まれ、にわか雨も、心配していた雷にも遭遇せず、稜線一泊の当初の計画で余裕が出来、
景色も楽しみ、また周到な準備でルートを間違うこともなく、安全なルート取りが出来たことに尽きると思う。
今回は北岡さんという信頼出来るパートナーを得て、また山仲間や友人の励まし、目的を同じくする仲間との
情報交換で、無事登頂出来たことに感謝したい。
北鎌をクリアしたことによって、次の目標に向かって、頑張れそうです。 

 クリヤ谷〜笠ヶ岳〜双六岳
(報告者)  マゼンタ
(山行日)  平成23年9月22日(木)夜〜25日(日)
(メンバー) Uさん(L) きたおかさん(SL) Kさん マゼンタ
 
9月22日(木)
近鉄布施駅に20時集合。
前穂北尾根、北穂東稜に行く山仲間のkissyan、なためさんコンビとエールを交わしそれぞれ出発。
飛騨清見ICを予定通り0時過ぎに出て、道の駅「奥飛騨温泉郷上宝」へ1時半着。  テントを張って仮眠。

9月23日(金)
4時起床。中尾温泉口駐車場へ移動。かろうじて1台分の駐車地を確保。
準備をして6時出発。天気予報では快晴のはずが、空を見上げると雲が垂れ込め、うーん??
槍見館横の登山口へ  。登山口から笠ケ岳山頂までの標高差は1900m。  これは心して登らねば・・・。
4ケ所ある渡渉の最初の地点へ。  前日まで雨続きで心配していたが思った程の水量ではない。
しかし飛び石で渡ることは無理だ。  靴を脱ぎ、慎重に渡る。  冷たい!! 
 

樹林帯の登りが続き、しばらくすると錫杖岳が見えてきた。
リーダーが錫杖岳を見たいということでクリヤ谷ルートを選んだが、ガスがかかり、
全容を拝むことがなかなか出来ない。
一瞬ガスが消え、荒々しくも神々しい錫杖岳の烏帽子岩を拝むことが出来た。
そして2回目の渡渉地点へ。  ここも靴を脱ぎ、慎重に渡る。  やっぱり冷たい!!
 第3、第4の渡渉地点はなんなく渡ることが出来た。
沢筋を離れると、笹の茂る道になった。
ところどころ笹が覆いかぶさるようなところもあったが、笠ケ岳山荘のスタッフが整備して下さってるそうで、
歩きやすく感謝です。  相変わらず どんよりした空で、休憩時は肌寒さを覚える。でも太陽が顔を出すと暖かい。
だんだん斜度が急になり、笹からハイマツ帯に変わり、クリヤの頭がそろそろ見える頃だ  。ガスが立ち込める。
トラバース気味に進む。  おぼろげに右手に現れたのが、クリヤの頭と思われる。しばらく進むと雷鳥岩。
その手前の岩塊で、しばし岩遊び。  クライミングもどきを4人で楽しむ。
あとで写真を見ると、みんないっぱしのクライマーのようである。
そろそろお昼ご飯とするか。  休憩する場所はなく、前後に登山者がいないので、登山道に座り込む。
じっとしていると寒い。  時々太陽が顔を出すが、それも一瞬である。  道端には、コケモモの実が可愛らしい。
誰かがそれを口にする。  「あっ サロンパスの匂いがする!」好奇心旺盛なみんなが匂いをかぎ、
「サロンパスと同じ成分なのかなー?」「疲れた足にこすりつけると、疲労回復するのかなー」
まるで新発見でもしたかのようである。
   
さー先に進もう。  そろそろ笠ケ岳が見えて来る頃だ。  見えたっ!と思うも、ぬか喜び。  偽ピークに落胆である。
1時間か2時間の仮眠で、疲れもだんだん頂点に達してきたころ、ついに笠ケ岳の頂上が姿を現してきた。
目標が前にあれば、向かうのみである。大きな段差に足がもう上がらないよー。
もう少し頑張れ!と自らを鼓舞する。  ついに頂上直下。  その頃に奇跡のように青空が広がってきた。
最後の登りはガレガレの岩場。  浮石もあるが、頂上を目前に足取りも軽く、ついに笠ケ岳の山頂に到達。
やっと辿り着いたぞ。  バンザーイ!!みんな満面笑顔、しばし360度の眺望を楽しむ。
もう少し居たい気持ちを抑え、今夜のねぐらの笠ケ岳山荘へ向かう。  山荘手前で、あっ ブロッケン現象!
三重にも四重にもなった虹の輪っかに驚嘆の声。  こんなにきれいなブロッケン現象は見たことがない。
色々な条件が重なって織り成す神秘の世界。  小屋の前の人達もみんな手を振って、自分の姿を写しだそうとしている。
私達も自分の姿を確認しようと手を振る。  16時半小屋到着。  ずいぶん時間がかかったもんだ。
クリヤ谷ルートで会ったのは、単独が2人と2人組、私達4人と計8人だったのに、笠新道からの人達と
双六方面からの人達で、笠ケ岳山荘は超満員。
到着の遅かった私達に部屋はなく、食堂で寝かされることに・・・。
予約を入れても関係ないようである。到着順のようだ。
今日の夕食は4回戦らしい。  私達は素泊まりなので、玄関口のテーブルをゆずってもらい夕食としよう。
今日の献立は、ちらし寿司、鶏肉の味噌マヨネーズ炒め、味噌汁である。
ワインを少しいただき、お疲れ様の乾杯。  それぞれ持参の酒の肴に舌鼓をうち、楽しい会話が弾む。
大阪のおじさん、おばさんはやかましいのだ。  隣の人とすぐに友達になり、山話で盛り上がるのだ。
でも そろそろ横になりたいんだけど・・・。  結局 全員の食事が終わり、食堂に布団を敷いてくれたのが20時半。
今日は超満員につき、一つの布団に二人。おやすみなさーい!!

9月24日(土)
4時起床。昨夜は三日月と満点の星空。今日こそ快晴の予感。
朝食は個人食。さー 水を沸かしてコーヒーでパンを・・。  あれっ蛇口をひねっても水が出ない。
そういえば前夜、気温はマイナス5度を指してたっけ。
凍って水が出ないのだ。かろうじて、少し かものはしに汲んでいたのがあった。
 
少し明るくなった5時半出発。今日は双六小屋を目指す。  雲ひとつない快晴に心も浮き浮き。
昨日頑張った分、今日は思う存分 稜線漫歩を楽しめるぞ。
いやいや、なんとなんと360度の展望に加え、お盆に辿った北鎌尾根〜槍ケ岳がくっきり、すっきり。
ずっと眺めながら気持ちのいいこと この上ない。
笠新道の分岐を過ぎ、抜戸岳を巻き、快調、快調。  幾つかの小さなピークを超え、下ると秩父平。
秩父平から、またまた何度かピークを越え、弓折岳。広い山頂で、少し早いお昼ご飯にしよう。
連なる山々を眺めながら、至福の時を過ごす。  さあ 双六小屋を目指して進もう。
あっ 双六小屋が見えてきた。見えたと思えば、また隠れ なんだか遠く感じた。
13時半 本日のねぐらの双六小屋に到着。  手続きを済ませ、部屋に案内される。
この小屋は予約優先か、上下4人づつの部屋の上段だ。  ザックを置き空身で双六岳へ登ろう。
気持ちのよかった稜線歩きだったが、幾度かのアップダウンにみんな、けっこう疲れている。
小屋でゆっくりしたいようーの気持ちを奮い立たせ、いざ出発。
 
登り始めると、あれっ 足取りが軽い。  空身のなんと楽なこと。  どんどん登って行ってしまう。
振り返れば、仲間3人を置いてけぼりで、どんどん行ってしまう。  待とうか、先に行こうか??
えいっ 行ってしまえ。  45分で頂上に到達。  少しして、北岡さんが駆けるように登ってきた。
あとの二人も10分遅れで到達。去  年10月 雨と風で断念したリベンジを果たしたぞ。
ヤッター!!
頂上から薬師岳への縦走路があり、この勢いで薬師岳まで行ってしまいたい気持ちだった。
双六岳って100名山でないと聞かされ、なんで?? 選者の好みだとか・・・。
さあ ささっと下って宴会 宴会。  双六山荘に16時に戻り、炊事場のテーブルを確保。
今日のメニューは豚の角煮丼、ポテトとダブルチーズのギョーザ風、中華スープ。酒の肴も、にぎやか。
 
同じテーブルに京都の母娘。敬老登山だそうな。  少しすると栃木県の男性が・・・。  みんなでワイワイ。
が、栃木弁がチンプンカンプンで大笑い。  リーダーが18時に、「もう寝る」と部屋に…。
もう少ししゃべって、20時におやすみなさーい。

9月25日(日)
4時起床。今日も小屋の水道は凍って出ず。  でも昨日のうちに水を確保していたので問題なく朝食を終え、
5時 暗い中 ヘッドランプを付け出発。今日も快晴。
朝一番は足取りも軽く、小池新道から中尾温泉口駐車地を目指す。
花見平を過ぎた頃から、日の出はいつかいつかと待ちわびながら歩く。
5時46分北鎌あたりから太陽が・・・。  なんと神々しい。
分岐を鏡平山荘へ。ここでは、池に映る逆さ槍を期待するも、みんな うまく写ってなかったようだ。
どんどん下り、わさび平小屋でしばし休憩。ここの冷たい水につけたトマトがおいしかった。
あとは長い林道歩きを余儀なくされ、新穂高バスターミナルに到着。  もう足が疲れた。
足裏が痛いよー。その時、バス発車のアナウンスが・・・。
中尾温泉口駐車場に停車するらしい。  そのバスに乗り込み、10分足らず、降りると目の前に私達の車が・・・。
なんとラッキーだったことか。11時15分着。
 
車で少し走り、福地温泉の「昔ばなしの里 石動(いするぎ)の湯」で3日間の汗を流した。
この温泉は本当にお薦めです。  木造りの内湯と岩造り露天風呂があり、風情がある。
(但し シャワーもドライヤーもなしです。)
趣深い囲炉裏のある部屋で、お昼ご飯を食べ、13時半出発で一路大阪に向かう。
途中渋滞があったものの18時頃には、東大阪市内に。  大阪王将でお腹を満たし、それぞれ帰路へ。
出発前は、クリヤ谷ルートに一抹の不安はあったものの、みんなの足並みも揃い、楽しい山行でした。
仲間の一人の話では、笠新道を登るより変化に富み眺望もよく、絶対にクリヤ谷ルートがお薦めということです。


 西穂高岳
(山行日) 2011年12月31日(土)〜2012年1月2日(月)
(参加者) T生、H郎(記)
(コースタイム)
  12/31 西穂高口(13:45)〜 (15:00)西穂山荘(泊)
  1/1   西穂山荘(7:30)〜(9:50)独標 〜(10:40)西穂高岳(10:55)〜(13:15)西穂山荘(泊)
  1/2   西穂山荘(7:30)〜(8:15)西穂高口
(報告)
    31日、京都駅前を7時に車で出発し、途中渋滞も無く約5時間で無事新穂高ロープウェイ駐車場到着。
  しかし、ロープウェイ下の駐車場が満車で、大分下の駐車場へ車を回してロープウェイを乗り継ぎ西穂高口駅に着く。
  トレースがしっかり付いており、小屋までラッセルも無く、1時間15分程度で到着した。
  時間も早いので夕食まで軽く1杯?・・・
  小屋は超満員で布団1枚あたり1.5人との受付に表示があった。
  水は出ず、有料との事。
  しかし、小屋はテントと違い暖かい、他の登山者とも交流できる。。
  それに、荷物が軽いので楽だ。

     
          <小屋前からの初日の出>

    元旦、雲の隙間から御来光があったが、すぐに隠れてしまう。
  朝食後、ガスと小雪の中出発したが、小屋に200〜300人は居たと思われる登山者は、殆ど丸山あるいは
  独標までで引き返す人達だった。
  稜線では風が吹いていたが、大した風でもなく独標を通過して西穂高岳へ。
  出発が遅かったので西穂高岳から帰ってくる人とすれ違うが、3〜4パーティ程度しかなかった。
  西穂高岳頂上もガスで展望が無く、早々に退散したが独標あるいは丸山まで登る登山者以外は西穂高岳に
  登ったのは小生たちが最後らしく誰も登って来なかった。
  13時過ぎには小屋に帰り、夕食までまたも乾杯であった。
    2日、朝食を食べて7時半ころ小屋を出るが、ロープウェイ下りの始発まで駅で1時間程度待たされる。
  平湯で温泉に浸かり、チョッとはやい昼食を食べて帰京した。
(感想)
    テント泊も良いけど、冬は小屋泊が絶対楽だ。
    山の天気が良ければ大満足の山行だったのかも・・・・?
    小屋には山ガールも山ボーイも来ていたのだが、みんな独学で登っているようだった。
    組織山岳会に入って基礎から教えてもらう方が早く技術が身に付くのに・・・・?!
                                                                                       (記;H郎)