4WDツアー初体験


花子と太郎のパースの生活も3ヶ月が過ぎ、生活にも慣れてきた。
ある日、市内に行くと
街の中心の広場に大きなキャラバンや
キャンピングカーが何台か停まっている。覗いてみると、
観光週間で
各旅行会社がツアーの促進のために
車を展示してパンフレットを配布しているのだ。
もともと車好きな太郎、とまっているキャラバンや
キャンピングカーの中に乗り込み担当者にいろいろ質問する。
鉱山用に開発された車をキャラバンに応用したという
OKAというラウンドクルーザーが気に入り、
この車を使ってアウトバックに行く4泊5日のツアーに
学校の休みを利用して2人で参加することにする。

行くまでは キャンプなんて生まれてはじめてで
「嫌だ嫌だ」といっていた太郎だが、実際参加してみると
自然の中では 汗や埃りで 不潔の観念がどこかにいき
初めて自然の良さがわかるのに気がついたみたいである。
空が星だらけで、きたないくらい満天の星の下で

キャンプファイアーをしたり、アウトバックでは
ダチョウに似た早足で走るエミュー、カンガルーや
ピーターラビットのような
野うさぎに出会ったり、自然を満喫した。
ゴムのようなBBQの肉も、アボリジニーの人達が作るという
小麦粉のパンのようなものも、アウトバックでは、ご馳走だ。

ただ、食器を洗うときにゆすがないのは驚いた。
花子が、ツアー客のおばさんに、「水でゆすがないの?」と聞くと、
おばさんは、「アウトバックでは、水は貴重だからね。」だって…。
あとで、ホームステイしている日本人に、その事を言うと、
その家庭でも 食器をゆすがないらしい。
それほど、水が貴重なのは わかるけれども、
洗剤が残っていたりすると体によくないのになあ。

エミューは
時速60キロの速さで走るらしい。
メスは
10センチくらいの大きな緑の卵を産むが、
ひなをかえし、育てるのはオスの仕事らしい。
WAでは、グレー・カンガルーという比較的小柄なカンガルーが多い。
カンガルーは夜行性で
夕方、勘違いして
車のライトにひきよせられ、交通事故にあうのも多いので、
車の運転は朝明け方や夜の日の暮れるころは
特に注意が必要らしい。
オーストラリア人の友達曰く、

「街を離れているなら、その時間帯は
コーヒーでも飲んで休憩して運転しないよ。」だそうだ。
また、野うさぎは
かわいいのだが、
もともとヨーロッパから連れてこられた動物で、
繁殖しすぎて
他の動物の生態系を壊しているらしい。
キリスト教徒のサンクス・ギビング・デー(感謝祭)では、
うさぎは
繁栄の象徴であるが、増え続ける うさぎに
農家の人達は困っているというニュースをみた。
アウトバックでは、岩のように見える柱状や円錐状の山が
いたるところにある。これは、白蟻(ターマイト)が
地中に巣を作るときに、運び出した土や砂が盛り上げられてできたもので、
中には高さが2mくらいもある
大きなものもある。

このツアーのハイライトは
エアーズロックの小型版の岩をずんずん登っていくものだ。
参加しているおばさんは、目をつぶって安全をいのっていたが、
花子も太郎も、まさしく鉱山用に開発された4
WDの威力に
キャーキャー言いながら興奮した。
ただ、この岩を車で登るのは、このツアーが最後だったみたいだ。
たぶん、車も傷むし、岩にも負担をかけるので、やめたのだろう。
それに、この辺の大きな赤土色した岩は、
夏には熱さのため、水分が蒸発して、
はじけて割れてしまうらしいから、
危険なのかもしれない。
それほど、温度が上がるというのも このあたりの特徴だろう。
また、オーストラリアらしいなあと思ったのは、
香港くらいの面積の土地に独立して家族で共和国を作っている
ハットリバー共和国でのこと。
国の創設者は自分のことをプリンスと名乗り、
切手や封筒、その国の成り立ちの本を自分で作って観光収入、
雑誌への投稿料、農業や近くの川でとれるザリガニの一種のヤビイを
売って現金収入を得ているという。
独立した理由は、
税金があまりにも高いので払いたくないかららしい。
ずいぶん前に日本のテレビ局がわざわざ取材に来たと、
花子と太郎に
その時の写真を自慢げにみせてくれた老プリンスであった。

実は、このツアー、兄弟で このツアー会社をはじめたばかり。
もともとは、ニュージーランドからの移民で(同じ英連邦なので
移民が簡単にできる。)で、シェアリング(羊の毛刈り)をしていた
ロイドは肩幅なんか太郎の倍以上。あまりお喋り上手とは言えないが、
素朴で人の良いのが、ツアーを通じて良くわかった。
よく牧場にいっていたお気に入りの場所をこのツアーに組み入れている。
この時の参加者は

花子と太郎の2人とオーストラリア人の老夫婦カップルだけであった。
この夫婦、おじさんの方は
パースで生まれ育った人で、
おばさんは幼い頃家族でスコットランドから移民してきたという人達。
生きた歴史書のように

昔のパースの事を ツアー中、ずっとしゃべってくれた。
英語の集中講座に参加したみたいな
5日間であった。
彼らにとって、花子と太郎は、はじめて知り合う日本人で、
「背が高く、よくしゃべる日本人がいるのを知ったわ。」
と、今までもっていた日本人のイメージと違うのに驚いたようだった。
おかげでパースに滞在中、
1年に1度はこの夫婦を食事に呼んだり、
呼ばれたりと楽しいときをすごすことができた。

花子と太郎は、このキャンピングツアーが
すっかり気に入ってしまい日本でなんとかこのツアーを売れないものかと、
大阪で旅行者を経営する知り合いや

友人の大手旅行社に写真付きツアー報告書を送って打診するが、
まだパース向けの日本人観光は積極的に考えていないとの事。
という訳で、現地(パース)にいる日本人向けの募集、
受付をすることになる。
そのために、日本語で
行く場所、場所の観光案内や
ツアー中の注意事項などを 一冊にまとめた。
4年間滞在中、大学に通いながら この仕事をしていたが、
現地申し込みの人は少なかった。
年に
10件ほどしか受付けがない申し込みのやりとりで、
顧客第一という姿勢のあまりない彼らの仕事に対する考え方の違いに
腹がたったりする事もしばしばあった。

それから、このツアーから3年後、
花子と太郎が北からの旅行の帰りにジェラルトン近くのロードハウスに、
ガソリンを入れに立ち寄ると
なんだかどこかで見た風景。
店の人に聞いてみると、この4WDツアーで立ち寄った
ワイルドフラワー園のあるロードハウスだ。
その時いた火曜日に生まれたという
「チューズデイくんという名前のエミュは
まだいるの?」と訪ねると、
野生にもどってしまったという。


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A Copyright Holder: A.Yamaoka 06/14/99